3.騒動(1)
3
解雇予告を受けたものの完全な退職は翌月らしいので、幸広はいつものように満員電車に乗り込んだ。
事が起こったのは先週の金曜日。人事も粋な計らいをしてくれたもんだと感心した。土日を挟んだお陰で幾分か気持ちがマシになったような気がする。
何よりそれ以上に衝撃的な出来事が起こったので、不謹慎にも内心は若干浮き足立っている。ただそれが原因で特に金銭面の不安が大きくなったのももちろん自覚している。
金曜日の雨の晩、道に倒れている男を保護し、そして何故かその男と期間限定だが同居生活を送ることとなった。
しかも外国人。日本語は通じるので意思の疎通は問題ないが、言葉が通じないというか、こちらの常識が通じない。
毛布は「毛皮」と言うし(あながち間違ってはいないが)、ビールも知らない。日本と云う国名も知らなければ(どうやって来たのか)、よほど文化が遅れているのかテレビや携帯電話も見たことないという。ツッコミ所が多くて面白くなってくる。テレビの電源を入れると、漫画でよく見るような「箱の中に人が」状態。どうなっていると説明を求められたが、テレビの仕組みを詳しく知らなかったのでかなり手こずった。スマートフォンで調べながらの説明だったが彼の理解は早いもので、一度説明するとオルヴァーハは自分なりに咀嚼して認識した。間違ったことを教えていないか逆に不安になる。
この土日の間に随分と仲良くなった、と幸広は思っている。
それもそのはず、あの夜二人して大雨に長時間打たれ続けていたので完全に風邪を引いてしまい、仲良く寝入っていたのだ。
今現在完治はしていないが、幸広は仕事には出来るだけ穴は開けたくない質なので、まっすぐ仕事へと向かっている。めげずに出勤するとはなかなかすごい、と自分で感心した。
オルヴァーハは多分まだ布団の中で毛布にくるまっているのだろう。この毛布は質が悪いと文句を言いながらも何だか気に入ってしまったらしい。
焼きそばもお気に入りらしく、毎食「ヤキソバ!ヤキソバ!」とねだってくる。おそらく彼はヤキソバだけで生きていけると思う。しかし幸広は毎食同じ食事をする事は体が受け付けないので頑なに拒否している。彼はビールもイケる口みたいなので、今度の休みにでも居酒屋に連れて行ってやろうと考えていた。
この二日間で気付いた事だが、オルヴァーハの右目はほとんど視力が失われている様だ。本人から直接聞いたわけではないが、どうも距離感がつかめていない様で時々物を落とす。
さすがに詳しく聞く事もできないが、軍人である事が関係しているのだろうか。問題ないと本人は言うが、本人もなんとなく戸惑っているようにも見える。
この三日間で起きた事を思い返しているうちに会社へと到着する。
ロッカーを開けると週末に忘れて帰った安物のジャケットがぶら下がっている。今日は別の汚いコートを着てきたので二着持って帰らなければならない。
席に着くが大田はまだ来ていない。いつも始業時間ギリギリに駆け込んでくるのだ。
朝からうるさい男の相手をする時間はもったいないのでこの状況がベストだ。
そして今日からは仕事に対するモチベーションも変わってくるので、どう動こうかが悩みどころだ。
時計は午前九時を指そうとしている。視界の端で大田が転がり込んでくるのが見えた。
昼休み、大田が神妙な面持ちで幸広の前に立ちはだかった。
「……何」
幸広を見つめる大田の顔は悲しんでいる「風」に歪んでいる。これはどこかからあの事を聞いたのだろう。
「センパイ、なんで言うてくれへんかったんスか……オレとセンパイの仲やのに……」
(いや、お前に言う必要ないしどんな仲やねん)
男泣きする「風」の大田を無視し、鞄から財布とスマートフォンを取り出し外へ出た。
いつも昼食は外食している。一人暮らしなので本来なら持参すべきなのだろうが、どうにも朝には準備している余裕がない。いつか夜のうちに準備をして後は持っていくだけという状況を作ったのにも関わらず、持って行くこと自体を忘れてしまったので、それからはもう外食しようと決めた。
今日からオルヴァーハは日中一人になるのでその間に目的の人を探すらしい。朝から気合が入っていたのを思い出す。
昨日昼食用ににコンビニで買ったカップ焼きそばを渡してつくり方を教えた。数日分まとめて買ったが、その日のうちに全部食べてしまわないかが心配だ。
今はまだ風邪が回復していないので大人しくしているように言い聞かせている。いい大人だからそこまで心配しなくてもいいのだろうが……どこか抜けているというか、頭はいいのだろうが会話をしているとどことなく不安になる。人間的には恐らく問題はないのだろうが。
フロアを出ると見慣れた顔が壁にもたれてスマートフォンをいじっている。同じ課の同期である坂本だ。
人が出てきたことに気付いた坂本は顔を上げた。幸広と目が合い片手を上げてこちらに近寄ってくる、ということは幸広を待っていたようだ。
「うぃー。一緒に食いに行こ」
「ええけど……奢らへんで」
「わかっとるて」
笑いながら勢いよく肩を組んでくる。体育会系の大学を出ているらしい坂本は、学生時代の名残かスポーツ刈りで爽やかさが溢れ出ている。
現在でもランニングは欠かさないらしく、時折筋肉自慢をされる。
方や幸広は学生時代はバイトに明け暮れていて全く運動をしていなかった。現在は営業職で外回りをしているとはいえ筋力体力ともに一般男性以下まで落ちているので、そんな坂本の体には少し憧れを抱いている。
しかしそれは決して口にはしないようにしている。知られると一生ネタにされることは明確だ。
坂本とは入社時から何かある毎に酒を交わしてきた仲で、どちらかと言えば大田より坂本の方が「俺とお前の仲」というものに該当すると思う。
坂本は「よく気が付く奴」というか「気にしぃ」な奴で、あまり深く関わらない人から見ればとてもいい人に見えるが、本人曰く小心者で人の目を気にするあまり周りの空気に敏感にになるらしい。彼の人間観察力はなかなか優れていて、髪の長さはもちろん少しの体調不良でさえも気付いて声を掛けてくる。
「何、風邪?」
「あーうん、治りかけ」
「ほーでっか。ちゃんと薬飲みや」
こういう時々オカンの様な面倒見のいい所が、なんとなく懐かしい印象というか面倒臭いというか、そういう複雑な感情を呼び起こす。
二人は会社から歩いて五分ほど歩いた所にあるうどん屋に入った。チェーンのどこにでもある安い店だ。坂本と昼食をとるときはお互い一人暮らしであることを考慮して大概ココになる。
幸広は釜玉うどんに明太とろろをトッピングして、サイドメニューとしてかしわ天とカボチャ天を皿に乗せる。
うどんだけにすれば「節約をしている」と言える程度の金額で済むが、それだけでは働き盛りのアラサー男たちの腹を満たすにはどうにも足りず、天ぷらと云う余計なモノをつける。そうすると安く済むはずの昼食はそこまで安くはなくなり、店の思惑にまんまと嵌められている。しかし旨いし他で節制しているから昼食くらいは多少値段が高くなっても、と気にしないようにしている。
二人は向かい合ってずるずるとうどんをすする。その間二人の間に会話は殆どない。いつもそこまで会話が弾むわけでもないが、今日はいつにも増して沈黙が多い。
幸広自身がなんとなく緊張しているから余計そう思うのかもしれないが。
「なあ、あの話ほんまなん?」
坂本は顔も上げず、うどんをすすりながら口を開いた。あの話とはもちろんリストラの話だろう。もうみんな知っているらしい。
「そやなあ、そうなんちゃうかな。こないだ人事に呼ばれとったし」
幸広はわざと他人事に答える。さすがに精神的にもマシになったとはいえ、自らはっきり口に出してしまうとまたあの時の黒い気持ちがぶり返してきそうだった。
坂本は自分から聞いてきておきながら「そうかー」と気の無い返事を返す。
お互いに顔を見合わせることなくそれぞれの食事を進めながらポツリポツリと会話を続ける。
気にしてくれているのはわかっていたので、ここ最近起こった話をしてみることにした。オルヴァーハとの同居の件だ。
さすがにそれに対しては坂本も顔を上げた。
「は?お前アホなん?知らんやつ家に上げるだけでも意味わからんのに、一緒に住むとか何?これから職失うヤツが何で人抱えようとしとんねん」
「まあ、そうやねんけど……分かってる!分かってんねんけど、ほっとかれへんやん?ちゃんとお願いしますー言うて頭下げられたら、なぁ」
坂本は口は悪いし悪態もつくが、その裏にどことなく優しさを感じる。
確かに自分が置かれている現状を冷静に見ると、幸広の行いは決して褒められたものではない。
しかし見ず知らずの外国人が「正式」にお願いをしてくれたと認識してしまったからにはそれなりに応えるのが関西人だろう、と勝手に思っている。
そして幸広にはどうしてもその同居人が自分を騙しているとは思えなかった。
「期間限定やし、ええかなーって。これも何かの縁やと思うし」
「アホ。ほんまアホ」
カレーうどんのスープを飲みきった坂本は器の乗ったトレイを持ち、席を立つ。
「あ、待って」
残っていた麺を勢いよくかき込み、最後に残しておいたかしわ天を口に放り込んで坂本の後を追う。
毎回昼食を約十五分程度で済ませ、残った時間は会社の裏側に設置されている喫煙スペースで買った缶コーヒーを飲みながら坂本の一服に付き合うのが恒例となっている。
坂本はヘビースモーカーだ。学生時代は幸広も吸っていた時期があったが、就職をしてからは節約を意識してやめた。
煙を燻らせる坂本の横で、缶コーヒーをちまちま飲む。
「でもほんま気いつけや。知らん間に刺されるで」
苦笑いしか出来なかった。なんせ同居人は自称現役の軍人だし、コスプレ衣装だと思っていた鎧や剣に関しては実は本物で、本人曰くそれを前線で振るっているという。
坂本の言葉を聞いて改めて考えると、本当はやばいことに足を突っ込んでしまったのではないかと思えてきた。
幸広は思いついたように坂本に振り返る。
「そうや!そこまで言うんやったら、お前が今度あいつがどんなやつか見極めてくれたらええねん。そしたら安心やわ」
「アホか。誰が行くかボケ。もう黙って刺されとけ」
坂本はタバコを咥え大きく吸い込むとそのまま灰皿へ押し付ける。幸広としては信用する彼に判断を委ねるのが最良だと思ったのだが。
昼休憩が終わろうとしていたので、二人はダラダラとオフィスに戻ることにした。
次回は本日22時更新予定です。