18.背信
18
中庭に近付くと先程の爆発音に引き寄せられた兵士や従者達が野次馬で集まってきている。中庭からは煙が上がっているのが見える。
「何があった」
「えっ、あっ!……あの、フォンターナで爆発が……」
プロロクツヴィが近くにいた女従者に声をかけた。突然現れた綺麗な顔に、女従者は少し顔を赤らめながらたどたどしく答える。それを聞き終わる前にプロロクツヴィは人混みをかき分けて中庭との境界に立つ祈祷師に合流した。
「他の祈祷師は?」
「ぐ、軍師殿……!それがもうそれぞれ帰路に……」
数日前に祭が終わり、繁栄の祈祷に加わっていた上流祈祷師は既にそれぞれの持ち場へと帰って行ったらしい。爆発現場に居合わせた中流と思われるその祈祷師は、魔力の量が足りず中庭に張られた結界を越えられずに外部から見ているしか出来なかったという。
オルヴァーハと幸広が遅れて到着すると、プロロクツヴィは魔具を取り出し結界に向ける。
「一瞬だけ開く」
「お、応援を……!」
中流祈祷師がこれ以上一人ではどうにも出来ないと判断したのか、その場を離れようとする。
「いや、お前はこの周りの人間をどうにかしろ。もしかすると次はもっと大きな爆発が起こるかもしれん」
「……はっ!」
中流祈祷師は敬礼すると周りにいた人間から声を掛けて行った。
「オルフ、いくぞ」
「あぁ」
「お、俺は?」
思わずここまで付いてきたが、これ以上邪魔をしないほうがいいのではないかと思った。だがこの混乱している状況下に放置されるのも若干の不安が残る。
「……君も来い」
プロロクツヴィのその言葉に心做しかほっとしていた。事故現場に一緒に行っても特に何が出来るかは分からないが、来いと言われればとにかくついていくしかない。プロロクツヴィの魔具が光に包まれ、中庭の境界が一瞬ガラスに光が反射するように光る。それと同時にプロロクツヴィとオルヴァーハは中庭へと足を進めた。
しかしぼんやりとしていた幸広は完全に出遅れ、慌てて足を踏み入れようとした瞬間再び境界に光が走る。
「あれ?……もしかして、もう閉じた?」
「ユキ……」
「……少年はここにいろ」
一瞬の結界解除に間に合わなかった幸広は廊下に取り残されている。もう一度開けている余裕はないと判断したプロロクツヴィは幸広を置いていく判断を下すが、一瞬目を離した隙に何事もなかったかのように境界を越えた幸広が半笑いで立っている。
「あ、ごめん。入れたわ」
試しに足を踏み出してみると何の抵抗もなく中庭へ入ることができた。そういえば幸広は勝手に中庭に足を踏み入れていたという経緯があるのをプロロクツヴィは忘れていた。
(これもナドヴァの性質か……)
それを見ていた従者達が不思議そうに結界に触れているが、粗末なパントマイムのように手を上下しているだけだった。
三人はフォンターナに向けて駆け出した。泉が近付くにつれて闇の力を強く感じる。それは幸広にも感じられ、腕の紋様が疼く。
「ふ、二人は何が起こったかわかってるん!?」
中庭に生い茂る草木がやはり体に傷を作っていく。幸広の言葉に二人は返答しない。
ある領域に入ると急に空気が変わった。以前来た時は澄んだ綺麗な空気が漂っていたが、今は息苦しく感じる。フォンターナが闇に侵されているのだ。幸広の中で闇の力が反応して腕の疼きに加え胸の内側が熱く沸く。体から黒い気配が滲み出ようとしているのが感じられるのを必死で抑えようとするが、それを止めることは出来なかった。
泉に辿り着くと畔りに誰かが倒れているのが見えた。幸広は見覚えのあるその人物に向けて慌てて足を踏み出そうとした。
「ミーシャ!」
幸広がその人物の名前を呼ぼうとする声をかき消すかのように声が響き、オルヴァーハが駆け出した。
オルヴァーハに気付いたミシュレンカは辛そうに体を起こすと彼を迎え入れるように両手を伸ばした。オルヴァーハは滑り込むように駆け込み、強く抱きしめた。それに応えるかのようにミシュレンカは腕を回す。
「……オルフ……!」
「ミーシャ……!すまない、遅くなった……」
「オルフ、オルフ……!会いたかった……!」
ミシュレンカの体は淡く光を発している。よく見ると幸広が出会った頃よりも容姿が幼くなっている気がする。
「何故こんなに小さく……!」
「ごめんなさい、意識を飛ばすだけで精一杯で……」
ミシュレンカの体は現在別の場所にあり、泉を通じて意識だけを飛ばしてきていたのだという。この場所に到着した時点で闇の気に当たり魔力が溢れ出てしまい、それが暴発したのだという。元の姿を維持するだけの魔力がもう残っていない。
「オルフ、もう、時間がないの……リーマは、リーマの目的は……」
少女の体はだんだんと薄くなっている。何かを訴える声は途切れていて聞こえない。
「ミーシャ!聞こえない!どこにいるんだ!」
「……ユ…!連れ……!」
薄れていく少女はその手でオルヴァーハの頬を撫でた。ミシュレンカの体を抱きしめようと力を込めるが、それも虚しく彼女はオルヴァーハの腕から淡い光となって宙へと消えた。オルヴァーハの腕は空を切り、自分を抱えるように泉の畔りに崩れ落ちる。その肩は小さく震えていた。
幸広はオルヴァーハと同じように足を出そうとしていたが、彼らの空気感にその場から動くことが出来なかった。
(ミーシャが、王女……)
今思えば彼女と接している時その片鱗は垣間見えていたはずだが、幸広はそれに気付かないふりをしていたのかもしれない。
そして今、少しの真実が明らかになった。
彼女が王女であり、シヴェトで一番の魔力の持ち主であること。彼女が幸広の呪いを解いてくれる存在であったこと。これまで会っていた彼女も実態ではなく魔力で見せられていた幻影だったこと。彼女が、オルヴァーハの想い人だったこと……。
彼女は幸広がこの世界に来て、初めて自分の望む真実を教えてくれた人だった。
自分でも気が付かないうちに幸広の中でミシュレンカの存在は大きくなっていた。幸広は誰かに一人の人間として見てもらいたかった。一人の”特別”になりたかった。
彼女と出会って、彼女が正面から向き合おうとしてくれたから、何度も逃げ出そうとしても物事に立ち向かうことが出来た。だから今自分はここに居られる。ここに居場所を作れる。そう思っていた。
(入り込める空気ちゃうやん……)
結局ミシュレンカを含め、この世界の人達が幸広を求めるのは各々が為故だった。皆、ミシュレンカ……王女を救うことが第一前提だったのだ。オルヴァーハが幸広を連れてきたのも、ストラッシュが幸広を守るのも、ティトリーが怒るのも、ヴィーがそばにいてくれるのも、ミシュレンカが自分を奮起させてくれたのも……
最初からそうだったのだ。その為に幸広はこの世界に連れてこられたのだから。王女を救う為。そんなことはわかっていたはずだ。誰が見ず知らずの自分をわざわざ危険を冒してまで連れてくるか。
それでも自分を気にかけてくれる人々が、本当に自分のことを思って行動してくれていると勘違いしていた。日本にいた時からずっと感じていた疎外感を、この世界で拭えると思った。居場所が出来ると期待していた。
(あぁ、俺、アホやなぁ)
腕に刻まれた紋様が熱を帯び、体の至るところから瘴気が滲み出ている。今自分の身に起きているこの状況もその原因も理解出来ている。これは自らのマイナス思考が実体化したものだ。そんなものに翻弄されていたとはなんて自分は惰弱なのだろうか。
しかし今はこの黒い力に身を委ねていることが心地よく感じている。これが闇堕ちというのか。
幸広の心は落ち着いていた。自分はなるべくしてこの姿になったと理解している。身体中から闇の力が漲っているのが感じられる。
すると上空から拍手の音が響き渡った。
「やるじゃん冥君!ぼくの想像を遥かに上回る結果だよ!」
「リーマ……!?」
突然現れた男にオルヴァーハは慌てて声の主を見上げる。リーマの目線につられ、オルヴァーハは幸広を見て驚愕した。
「ユ、キ……」
幸広の背中には闇の瘴気が集まり、黒い翼のようなものが形成され、頭には以前見たようなツノが生えている。
「王女が余計なことしてるなーと思ってたんだけどこんな種をまいてたなんて泳がせておいて正解だったよ!こんな上物に仕上がるなんてね!」
「な……ユキに何を……!」
「いやいや、今回は完全に君のせいだよ、オルヴァーハ。君が王女とのラブシーンを見せちゃうから冥君は嫌になっちゃったんだよ。彼にとって王女は心の支えみたいな存在だったから……」
言い終わるのとほぼ同時にリーマの顔を掠るように紫炎の魔弾が飛ぶ。リーマの顔には一筋の血が流れた。
「お前、うるさい」
魔弾は幸広がリーマに向けて放ったものだった。
「へぇ!もうそんなこともできるんだ!優秀だねぇ」
「やめろ、ユキ!力を使うな!戻れなくなるぞ!」
幸広を止めようと必死にオルヴァーハは駆け寄ろうとする。しかしそれに無性に怒りを感じ、思わず手をオルヴァーハに向ける。
「……ユキ」
「ごめん、オル。俺、今お前に何するか分からん」
力の使い方もいまいちよくわかっていない。イライラしてたまたま手を向けたら魔弾が放たれただけだ。今度同じものを出そうと思っても出来る気がしない。
こんなことをして何がしたいのだろう。あんなにもゲームのようなファンタジー展開を嫌がっていたのにまさか自分がこんなことになろうとは思ってもみなかった。そして今はもうそれを自然と受け入れてしまっている。
しかし腕に刻まれた紋様が先程より濃く深くなっているのを目の当たりにし、幸広の中に不安と恐怖が芽生えてきた。そんな幸広の心情を見抜いてか、リーマが口を開いた。
「……冥君、取引をしよう」
リーマの言葉に目線だけ向ける。
「ぼくと一緒に来てくれる?ぼくの目的を果たすには君が必要なんだ。だから昔君のところにわざわざ出向いたんだよ。もうそろそろ思い出してきてるでしょ」
「なっ……!」
突然の提案にオルヴァーハが過剰に反応する。幸広にはリーマが何を言っているのか理解できなかった。
昔……?先日の南の独立国で出会った時もそのようなことを言っていた。だが幸広の記憶には一切残っていない。他のことはこんなにも鮮明に覚えているのに。
「君さえ首を縦に振ってくれればぼくの目的はほぼ達成される。それに王女はぼくのところにいるんだよ?君の呪いも解くことができる。王女の病気も治せる。世界も救える。何も損することはないと思うんだけど」
「やめろ!ユキをどうするつもりだ!お前の目的って……!」
「あぁ、もう。オルヴァーハうるさい」
リーマはオルヴァーハに向けて魔弾を打ち込んだ。オルヴァーハは間一髪それを避けたが、バランスを崩しそのまま地面に倒れこむ。
「ね、冥君。君にとって悪い話じゃないと思うんだけど」
「……その名前で呼ぶな」
「どうして?素敵な名前じゃないか。君のお母さんが一生懸命考えてくれた名前でしょ?君が不幸になりますようにって憎しみがたーっぷり込められた素敵な名前……」
「うるさい!黙れ!」
疼く右腕をリーマに向け、魔弾を放とうとするが思い通りにいかず空気のようなものが出ただけだった。
「……っ!」
その姿にリーマは嬉しそうに笑う。
「そうそう、その意気だよ。それが君を強くする。ぼくと一緒に行こう。力の使い方を教えてあげる。そのために君をこのシヴェトへ連れてきたんだ」
どういうことだ。幸広を連れてきたのはオルヴァーハのはずだ。まさかそれすらも嘘だったのか。
「何を言ってる!でまかせを言うな!ユキは俺が……!」
「うーん、物理的に連れてきたのはね」
「……何を……」
「もう……そんなことはどうでもいいの。冥君、本当のことを教えてあげるからぼくとおいで。今君の周りには何も知らない奴と何も語らない奴しかいないから」
本当のこと……真実。
幸広はリーマのその言葉になぜか心を打たれてしまった。今幸広が一番欲しているもの。それをこの得体の知れない謎の男が持っている。提供してくれようとしている。
自分は本当にこの場所にいる必要があるか?
何も知らされず、ただいいように使われて……
聞かされてきたことは何もかも嘘だった?いや、話してくれた人は嘘はついていないのかもしれない。だが、幸広にはそれがどうしても真実だとは思えなかった。
過去の経験から幸広にとって真実を知ることは自分信用されていると証明する手立ての一つだった。真実を知っていることが、自分はそこにいてもいいという証拠だと思っていたのに……今の時点でもう幸広にはオルヴァーハ達の声を何一つ信じることが出来なくなっていた。
プロロクツヴィにはオルヴァーハを助けて欲しいと懇願されたが、もうそんなことはどうでもいい。
もう、関係ない
「わかった、行く」
「ユキ!?」
極力オルヴァーハの方を見ないように幸広は答えた。それに満足したリーマは満面の笑みで幸広に手をかざし、魔法で自分の近くまで幸広を引き寄せた。急に体が浮いて驚いたが、すぐに慣れた。
幸広が近くに来るとリーマは彼の肩を抱いた。
「うん、じゃあ行こうか」
「ユキ!」
魔法を使えないオルヴァーハは宙に浮く二人をただ見上げることしか出来ない。
「プー……!プロロクツヴィ!」
情けなくも叫ぶが近くにプロロクツヴィがいる気配はない。地面に縋り付くように吼える男は幸広にはとても滑稽に見えた。リーマは幸広を連れてその場を去ろうと背を向けた。
その時、背後から大きな魔弾が放たれ、リーマを掠めた。咄嗟に身をかがめて避けたが、あと一瞬気付くのが遅れていれば幸広共々直撃を受けていた。
「ふふ、そんなことしちゃうんだ」
今度の魔弾を打ったのはプロロクツヴィだった。その場を離れていたと思っていたが戻ってきていたのだ。
「少年、私との約束はどうした」
「……」
「冥君、答えてあげなよ」
リーマの言葉でそれまで逸らしていた目線をプロロクツヴィへと向ける。それは明らかに今までとは違っていた。
彼の表情にはやはり変化はないが、怒りが剥き出しになっているのがわかる。
幸広は「その顔」を知っている。
それに気付いた瞬間全身の毛が逆立った。腕の紋様から闇の力が溢れ出ていく。頭の中でモヤが乱暴にかき混ぜられている感覚に陥り、ついには気を失ってしまった。
「あらら。君がそんな怖い顔をするから」
リーマが気を失った幸広を支える。
「……」
「約束だなんて、もう『仲直り』したの?」
プロロクツヴィは魔具を構えた。ペン先には白い光が宿っている。それに合わせてオルヴァーハも剣を構えた。二人が怒りに満ちた表情でリーマを睨む。リーマは少し不満げに、しかしどこか余裕のある笑みを浮かべながら幸広を小脇に抱えるように抱き直した。
「ま、ここは一旦引くよ。でも彼は貰っていくね。返して欲しかったら取りに来て」
そう言うと幸広を抱えたリーマは空に姿を消した。
「待て!」
「……無駄だ」
オルヴァーハはプロロクツヴィに向き直ると胸ぐらを掴んだ。その力は強く、ギリギリと締め上げる音が鳴る。
「プー!お前、今まで何して……」
「……」
プロロクツヴィは自分を締め上げるオルヴァーハの目を真っ直ぐ見た。その目には「お前こそ何をしていた」と言われているようで、怯んだオルヴァーハは込めていた力を緩めた。手を払いのけ掴まれていた部分を正すプロロクツヴィはそのまま背を向ける。
「……プー」
「何をしている、行くぞ」
「……行くってどこに」
怒っているのか、プロロクツヴィは振り返ることなく淡々と告げる。
「少年を連れ戻しに行くんだろう」




