第八話 二つの存在
タチキリが急に起動する。
「ピピッ、信号ヲ受信シマシタ。データニ音声キーヲ設置――」
『小町さん、ちょっと制御室に来てもらえませんか?』
電話で研究員の一人が小町を呼び出す。
「何よ~……こっちは徹夜で死にそうだってのに……」
小町は徹夜で酷い顔と髪で制御室に入った。
「うわっ、小町さん……」
「何よ。呼んだのはアンタでしょ」
「そ、それよりこれです」
「んー?」
小町は荒れかえった髪をかきあげる。パソコン画面を覗くと、信号受信の跡のデータが表示されていた。
「コレいつの?」
「つい先ほど。10分程前ですかね」
「……このデータ、ベースも何もかも、これに関する全てを私のパソコンに送ってちょうだい」
「全部ですか!?」
「何よ」
「わ、わかりました……」
「あ、一応そのデータは印刷してちょうだい。それは別の研究機関に書類を送った方がよさそうだから――」
尊は片腕を矛盾化させて大きな蟹の鋏を出すと、黒曜石の原石を砕いていく。出てきた欠片の中から一つ選び、電動ドリルのやすりで研磨していく。仕上げにフェルトで磨き光沢を出させ、皮で作った紐に通し、
「できた……!」
「兄さん、何やってるの?」
「か、要!?」
物を後ろに隠す。
「えーと、その……」
「何。目が泳いでる」
「あーー!!」
尊が大声で窓を指さす。その方向を要が見ると、
「……何もないじゃな……」
要が振り向いたときには、尊はそこに居なかった。
「はい、禊。あーん」
「あ、あー……」
嫌好が切ったりんごを禊の口に入れる。
「おいしい?」
「うん。農家の人の愛がいっぱい入ってる」
「俺の愛は!?」
「重い……」
困った顔で黙々とりんごを食べる。
「……ねえ、禊。最近やけに華奢じゃない?」
「そう?」
「うん。この前体拭いたときに思った」
「……一体何を考えて拭いてたの……?」
「色々」
「怖いよ!」
嫌好も寝てしまった夜中の事だった。
「風呂入りたいな……」
禊は数日寝たきりで風呂に入れず、体を拭くだけだった。日本人の熱い湯に浸かりたい血が騒ぐ。
おぼつかない足で風呂に入る。
「お湯はもう抜いてある……シャワーだけにするか」
シャワーの蛇口をひねり、湯を頭から浴びる。
石鹸を手に取ったとき、
「う゛ッ……!?」
心臓が締め付けられるように痛い。
「がぁッ、あ、ぅ……!」
湯船の縁に手を着き、左胸を押さえる。口から涎に混ざった血が流れる。胸に亀裂が入り大きく裂け、中から右手が出る。その光景に目を疑い吐き気がした。
体から血まみれの人間が一人、湯船に滑り落ちる。足を滑らせ、禊も湯船に落ちた。
禊は朦朧とする意識の中、必死に起き上がろうと湯船の中から顔を上げてドアの方を見た。曇りガラスの向こうに人影が一人、見えた気がした。
とうとう意識が飛んでしまい、禊は湯船の中に倒れた。
朝になって尊が禊の部屋に入ると、
「禊ー! 朝だぞー! 今日も俺様特製スタミナ抜群朝飯をお見舞いしてや……る……? あれ? どこ行った?」
めくれた布団の中は空っぽだった。
「禊ー?」
家中を探す。
「この家またデカくなったよなー、最初より3部屋増えてやがるぜ……」
尊はため息をつきながら部屋を一つ一つ見ていく。
「禊―? オイ禊―! どこ行ったんだよぅ! 朝飯冷めちまうぞー!」
家の中は嫌に静かだった。
風呂場の電気がつけたままなのに気付く。
「オイ誰だよもー電気つけっぱなし。また怒られるの俺じゃん……」
渋々電灯を消そうとしたとき、シャワーの音がするのに気づいた。覗いてはいけない気がしたが、確認のために少しだけ覗いた。
お湯が出たままのシャワーと石鹸が床に落ちていて、床には血が点々と落ちている。
脱衣所の籠の中を見る。
「禊の服がある……」
嫌な予感がして風呂の中に入り湯船の中を覗くと、中には血まみれの禊と、よく似たもう一人が横たわっていた。
「禊……!?」
服が濡れることも構い無しに、尊は禊を抱きかかえた。
だが、顔を見るなり、
「違う……確かに禊だけど、今までに見たことない……いや、ちょっとだけ違う」
もう一人の顔を確認すると、
「こいつもだ……似てるが、どこか違う……」
尊は困惑したが、
「……こ、小町を呼ぼう! えぇとスマホ、スマホ……」
「――アァ~ッ! 徹夜明けの小倉トーストは最高だわ~。特にこの餡子! 甘すぎず、クリームもほんのり甘い……絶妙~!」
小町が組織にある行きつけのカフェで朝食をとっているとき、スマホが静かに机の上で暴れだした。
「何よ、ウンコ」
「俺だ! ……ってウンコまたぁ!? じゃなくて! 大変なんだよ!」
「……えぇ?」
嫌好が研究棟の特別無菌室の前の廊下を走る。
「嫌好、こっちだ!」
尊が呼んで捕まえる。
「禊は!?」
「おちつけ、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……」
「いや、尊が落ち着けよ。カレー食べるか?」
「あ、うん。……って!!」
気を取り戻して、
「――ってことなんだ」
「あぁ……禊……可愛そうに……」
嫌好は慈悲深げに震えだす。
「おい。話聞いてるか?」
「尊にそんなひどい事されたんだね……」
「俺は何もしちゃいねぇよ、オイ!」
「でも尊のごはんがまずいって愚痴ってたよ……?」
「うッ……」
何も言えずに戸惑っていると、小町が部屋から出てきた。
「小町!」
「……今この場で私の口から言うのは難しい。折り入って後で話そう」
「まず一つだけ聞かせて」
嫌好が前に出た。
「なんだ」
「もう一人は誰なの……?」
小町は困ったように一瞬ためらったが、
「……禊だ」
「二人とも?」
「あぁ」
「本当に?」
「あぁ」
「絶対に……!?」
「何が聞きたい」
「じゃあ、本当の禊はどっちなんだ!? 偽物は! 偽物は!?」
嫌好は小町の肩につかみかかった。
「嫌好、落ち着けって!」
尊が嫌好を抑え込む。
「……資料を後で渡そう。DNA検査まで全てやった」
自分が信じがたい事が真実なんだと悟り、嫌好はその場に座り込んだ。
――ピッピッピッ――
ハートモニターが規則正しく鳴る。
廊下側の壁についた、室内が見える窓から嫌好が心配そうに見る。
「嫌好」
事を聞きつけてやって来た要が呼ぶ。
「……酷い顔だね」
要が嫌好の頬に触れる。
「……触るな」
嫌好は穢れ物を祓うようにその手をはらった。
「かわいくないなぁ。一睡もしてないでしょ?」
「こんな状況で寝れるかよ」
「……愛されてるんだね」
「は?」
「愛があって、良いね」
聞こえたかどうか分からないが、
「……ほんと、羨ましくって憎たらしい……」
小声で言った要に嫌好は首をかしげた。
「大丈夫。ここは本支部の医療機関とつながってるから、小町さんのところの研究員も張り込みで見てるし、何より小町さんが徹夜で頑張ってるから」
「……小町は?」
「休憩室で仮眠中。そこの廊下の角、自販機があるとこ」
廊下の向こうを見るなり、嫌好は小町の元へ行った。優しいまなざしで見ていた要の目が冷める。
「ねぇ、禊。君は本当に素晴らしい論文を残してくれた」
古いファイルを取り出す。
「このまま僕の仕事が終わるまで目覚めなければいいのにね。そして、目覚めた時には……」
言葉が廊下の角で要の独り言に気づき、立ち止まって耳を澄ました。
「君の夢が欲しいなぁ……」
その言葉の意味が分からなかった。
「あのファイルは……禊が昔持ってた……」
こっちに来る要を見て、言葉は急いで窓から外に出た。
――――――。
白くて薄い瞼がゆっくり上がり、黒曜石の目に光が差し込む。
細い手で呼吸器を外す。
「んッ……ンん……」
上体の骨を徐々に鳴らしていき、起き上がる。
横のベッドに目をやる。
そいつはベッドから降り、隣のベッドに乗り中の人間の上に馬乗りに座る。呼吸器を外し、鼻をつまみ口を押える。
「ん……ク、ぐぅ……が……」
下の人間はもがき暴れだす。
「ぶはぁッ!?」
「……おはよう」
「誰!? ……あ」
「いぇーい、存在クンだよー」
「いや、お前違うだろ」
「違くない」
「じゃあ何でそんなに表情硬いんだ?」
「禊、知らないの? 俺は朝は低血糖&低血圧系男子なんだよ」
「いや知らねぇよ」
存在は禊の顔に触れ、肩に顔をうずめた。
「え、何!? くすぐったい……ヒヒヒ」
存在は大きく呼吸すると、顔を離し、
「……他人の匂いがする……」
禊の左手を取り、自分の左胸に当てる。
「……動いてる……?」
禊は疑問に思った。
そして、禊の左胸に左手を当て、
「……君も、動いてる」
「どういうこと? 心臓が二つ……」
「簡単な話。俺は中身で、君は七つの石のつまった宝石箱」
「宝石箱の中には宝石しかないでしょう?」
「自分で考えて」
無菌室の扉が開き、看護師とよれよれの白衣の小町が入ってくる。
「検査に来ましたー。きゃぁ!?」
看護師が叫び声をあげる。
「うーん。大きさはちょっと大きいか……。柔らかさも微妙。ダメだなー」
存在が看護師の胸を鷲づかみにしていた。
「ちょ、存在!? 何してんの!? うわぁぁごめんなさい! 存在、今すぐ土下座!」
禊が存在の首根っこをつかむ。
「ななな何なんですか!?」
「スケベな年寄り患者だと思ってて」
小町が注射器を取り出すなり、それを存在の腕に思いっきり刺し薬を注入する。存在は人形のように動かなくなってしまった。
「安心しろ、麻酔薬だ。検査が終わるころには目覚める」
「立てますか?」
先ほどの看護師が禊の手を取る。
「う……うぅ……」
存在が目覚める。
「あいっ、ててて……」
「大丈夫?」
「偏頭痛なんていつもの事だ」
存在はベッドから降り、禊のベッドに乗る。
「な……何?」
「いや、他人のベッドっていいなって」
「変な趣味」
存在は笑う。
だがすぐに真顔になり、
「乳を揉ませろ」
「……はぁ!?」
禊の病衣をつかむ。禊は脱がされないよう、必死で抑え込む。
「ちょ、は? 何!? やめ……あぁぁ!!」
ベッドがギシギシ鳴る。
「んにゃろう!」
禊は存在の胴を足ではさみ、頭を胸に押さえ付ける。
「はは……身動きできないだろう!?」
「……貧乳……」
「誰がまな板だ!! ……え?」
「やっぱりな」
存在は禊の上で全身の力を抜く。
「七つの石と宝石箱、そして中身が入っていたから雌雄同体を保っていられたが、大きく異なる二つが分離した。だから、男女に分かれた」
「じゃあつまり……」
「俺が男で、お前が女だ」
禊の顔が引きつる。
「俺の昔の論文どこにやった?」
「多分、一番古い棚の中に……無表記-000番だと思う」
「そこに書いてあるはずだ。美しい罪が」
存在は口元に人差し指を置き、
「存在の美と、性別の美……」
存在は口角を引き上げて不気味な笑みを浮かべた。
禊は背筋がゾクッとした。
その時、部屋の扉が開き忍が現れた。
「禊さーん! お見舞いの許可が出たんで……」
部屋に入って来るなり、眼鏡にひびが入った。
「ふ、二人の可愛いらしい怨さんがぁ……」
忍が床を這ってベッドに近寄る。
「うぇ~い。禊の生足~」
存在が禊の足を撫でる。
「ひぃっ!?」
すると共にやって来た小町がクリップボードで存在の頭を叩いた。
「この変態」
「女の子はおいしいぞ?」
小町がため息をする。
「旦那様っ!」
後ろから飛び出した言葉が存在と禊を抱きしめる。
「うむ。悪くない乳だ」
「こ、言葉……!」
「ご無事でなによりです!」
言葉は涙目で禊に頬ずりした。
禊は優しく微笑み、
「ありがとう、言葉」
言葉の頭を撫でた。
小さな花束を持った嫌好は、ドアの陰に隠れ中に入れずにいた。
「……誰が見舞いなんてしてやるか。顔も見たくない、考えただけで吐き気がする……」
悔しそうに歯を食いしばると、その場を立ち去ってしまった。