表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楔荘 破~聖女と楽園の真実~  作者: 五月雨 禊/作者 字
7/21

第七話 解放の鐘

 鐘が鳴る。一つ、二つ、三つ――全部で七つ。そして、女性の幽かな囁きが聞こえる。

『Where are you?』

 そんな風にも聞こえ、また別の言葉にも聞こえたかもしれない。もしかしたら言葉なんて聞こえないかもしれない。

 大事な何かを忘れている気がする。眩しいけど、眩しくない暖かな光。

 床に顔を突っ伏して寝ていた存在が目を覚ます。

 大きく息を吸い、吐き出す。

「――Nia――」

 重そうに徐々に体を起こし、関節を一つずつ鳴らしていく。

 にんまりと笑うと、仰ぎ見る。

「今行くよ。俺の目的」

 手首、足首、首をつないでいる鎖を引きずり、走り出す。そして飛躍する。見えない天井に接触し、引力が逆になったように、天井に貼り付く。

「怨! やばいよ、存在が起きちゃったよ!」

 ケイが怨を呼んだ。

「鎖を引け!」

 鎖が闇の中へ巻かれていく。

 床に叩きつけらる。押さえつけられた体を無理やり起こし、天井を睨む。怨を睨み返すと"気"が攻撃し、怨が吹き飛ばされる。

 鎖が緩み、また存在が天井に貼り付く。

「ヴゥォォァァァァァァ!!」

 天井を何度も殴る。テレビの砂嵐のように黒い景色が荒く色を混ぜていき、ヒビの入った天井の景色が歪む。怨達の居る場所にまで影響し、白い世界に振動と共に色んな色が走る。

 怨達は床に波紋を残し、白い世界に消える。

 存在の牙が鋭くなり、鎖を噛み壊す。とうとう天井が壊れ、大小さまざまな立方体の破片が飛び散る。

 存在が飛び出し転げ到着した場所は、床と天井が黄色く壁が白い立方体の部屋。とにかく広く、端がぼやけて見えるほど。

 中央に赤髪の少女が立つ。その前に存在が仁王立ちで構える。

「ここから出せ」

「出たいなら、自分で出て」

 あっそう、と力なく返事をして存在が飛躍しようとしたとき、足をつかまれ壁に打ち付けられる。

「いってぇ……」

「自分で出てって言ったよ?」

「……わぁってるよ!!」

 飛びかかってきた存在に殴られると思い、防御の体勢を取った禊子の髪をつかみ、膝で顔を突いた。

「かはっ……!」

 鼻の骨が折れ、鼻血が黄色い床に落ちる。涙を浮かべつつもこらえ、存在を睨む。

 存在は気だるそうに禊子を見た。

「えぇやぁぁっ!!」

 宙返りをし、存在に向かってパンチを繰り返す。が、どれも飄々とかわされる。

 存在はつまらなそうな顔を一つも変えずに、禊子の小さな拳をつかみ、ひねりつぶす。とてもやせ細った白い腕からは想像もつかないほどの力だった。

 禊子の目が黄色く光る。飢えたハイエナのように襲い掛かり、存在の左肩に噛みつき肉を食いちぎる。そして髪を存在の身体に絡みつけ、全身を覆い尽くすと、マグマのように赤く光り出した。光はどんどん強さを増していき、大爆発を起こす。

 黒と白の煙が立ち込め、壁に煤の跡が残り、部屋は所々破損していた。

「……っしょ、と……」

 煙の中から存在が起き上がる。

「なめてもらっちゃあ困るなぁ」

 床にうずくまる禊子を見下ろした。軽く背中を蹴ってみる。

「大丈夫?」

 存在がにやけた顔で尋ねると、禊子は横目で睨みつけた。

「あれ。もしかして知らなかったの? 俺の能力『全てを無効にする』だよ? この力をうまく使えば――」

 禊子の腕をつかみ仰向けにさせる。

「相手の攻撃をそのままお返しすることもできる。バットでボールを打つみたいにねっ」

 存在はしゃがみ、にっこり笑った。

「――嫌い――」

「ん?」

「人間とか、大人とか、他にも嫌いなのいっぱいあるけど、その笑顔が一っ番大嫌い……!!」

 禊子は鋭い目で白目を向ける勢いで睨みつけた。

 存在は冷めた顔をして、

「……そう。ご自由にどうぞ」

 存在は禊子の首に指を当てると、軽く指先で叩いた。ため息を溢しながら立ち上がり、冷めた顔で禊子を見下ろす。

 禊子の下には大きな赤い水たまりが広がり、動かなくなっていた。

「さてと……」

 禊子の服をつかむと、全て脱がし、懐から出したスクール水着を着せた。

 人形のような禊子を持ち上げ眺めながら、

「やっぱり死体は良い……! 怒らないし、しゃべらないし、泣かないし、穢れる行為もしない……。でも、笑わないのが困った点なんだよなぁ」

 禊子は床に落とされ、赤い水が跳ねる。

「さーて、あとちょっと。ただ、時間の流れに身を任せればいい。そうすれば、いつの間にか欲しいモノは目の前だ」

 しゃがみこみ足に力を入れると、存在は天井に向かって飛んだ。天井が壊れ、また別の部屋に着く。

「何だココ……ベルサイユナントカみたいだな」

 ロココ調の模様が全体に広がった、先ほどと同じほどの空間が広がる。

「それは愛の力だよ」

 ケイが目の前に現れた。

「う~わ、くさいこと言うなよー」

「お前、顔キモっ」

 ケイはマスケットを構える。存在は鼻で笑うように、

「お前知らねぇのか? 肉体なんて所詮入れ物。傀儡だ」

 ケイが乱射する。それを避けながら存在は続けた。

「ほら、最近じゃ美容整形とか流行ってるじゃん。だから、見た目なんて金さえあればいくらでも美しく出来る!」

 弾が存在の左腿と右腕に当たった。

「……でもそれってさ、結局人工の美しさなんだよね。所詮はお前ら人間にとっての美しさ」

「お前、ゼッテー女にモテないだろ!」

 ケイは得意げになって存在を指さした。

「だから何?」

「そういう奴ほどそういうことをよく言う!」

 ケイが存在に向かって走り、マスケットと腕がぶつかる。

「……お前ら人間の求める美しさに俺はなりたくない!! 気持ちが悪ぃんだよ!!」

 存在はケイの顔を殴った。

「お前、何で名前偽ってんだ? あ?」

 ふらついたケイの髪をつかみ、頭を床に打ち付ける。

「そ・れ・は……自分の本当の名前が嫌いだから」

 存在は耳元で囁いた。

「な、歌声 契クン?」

 クックック……、と存在は不気味に笑った。ケイの体中に怒りが満ち溢れる。

「ぇ゛ぁあ゛あぁぁぁぁッ!!」

 マスケットの肩当てで存在の頭を殴り、もう片方のマスケットで二発、頭を撃ち抜いた。

 存在はあっけなく倒れる。

「はぁ……は……ざ、ざまぁ。海賊、なめんなよ……」

 ケイが立ち上がり銃を降ろした瞬間、存在がマスケットを奪った。

「なッ……!?」

 冷酷な存在の顔が目前にあった。そして、にやけたその笑顔はもっと冷たかった。ケイをつかむと振り回し、壁に打ち付け、二丁のマスケットでケイを滅多撃ちにする。ケイは真骨頂である声が出せなかった。

 蜂の巣状態になったケイが倒れる。存在が歩み寄り、

「言っておくが、お前に名前を付けたのは俺だ」

 光の消えかかった眼で、ケイは存在を見つめる。

「区別するためにな」

「な……んで……」

「……お前には理解出来ねーよ。お前は俺じゃないからな」

 床が水浸しになり、存在は水面に沈む。

「……長いようで早いのかなぁ」

 存在はため息をついた。

 床は砂地で、水が浸っている。

「出会って早々、申し訳ございません」

 少女が話しかけた。

「Nia……?」

 存在の目が少し嬉しそうに輝いた。

「あなたには死んでもらいます」

「Wow」

 だが、すぐに眠そうな目に戻ってしまった。

「いえ、死ぬのではなく、戻ってもらいます。魂とはいえ、具現化された肉体を持ってしまったのがよろしくなかったようです」

「よく言うよ」

 少女は存在の首に手をかけると、

「僕、できれば刺し殺したかったなぁ」

 少女の姿はいつの間にか殺欺に変わっており、存在の首を絞め上げた。

「くう、ン。ぅあッ……!」

「君、顔は良い方じゃないけど、手足は細いし白いし、長くて綺麗な黒髪だから、かわいい女の子になれると思うよ」

 首の骨が折れる音がして、存在は動かなくなった。

「僕、君みたいな子、好きだなぁ」

「……愛故に、ってか」

 白目を向いた存在の黒目が殺欺の方を向き、

「わかるよぉ~。理屈とかどうとかじゃないもんね、言葉にするのは難しい」

「……そうだね」

 そう言い微笑んだ殺欺の口から血が溢れ出た。

 存在は殺欺の顔を優しくつかみ、口づけをする。

「……泣いていいんだよ。お天道様の下では泣いちゃだめだけど、お月さまはお天道様に変わって、特別に夜だけ泣くことを許してくれる」

 殺欺の目から涙がこぼれていく。

「お前はずっと泣かなかった。だからお前の心の傷は膿んでいて、痛々しい。泣くことは傷を治すことでもない、傷を消毒するんだ。一時的な手段でしかないけど、傷の直りを早める唯一の方法なんだ」

 存在は殺欺の頭を撫でながら、左手を腹に貫通させた。床に動かなくなった殺欺が倒れる。

「……なんて、優しい事を俺は言わないがな。誰だっけな……どこぞの愚者だったかな」

 ふと、存在の立つ足元にターゲットスコープの模様がつく。

 部屋は暗くなり、コンクリートの部屋になる。大量の監視カメラの視線が存在に集中する。

「……悪くないねぇ」

 スピーカーが出てきて、

「こういう趣味がおありですの?」

「女の子に監視されるのは悪くないけど、どちらかと言えばこっちから監視したいなー、なんて」

「気が合いますのね」

「奇遇だねぇ。俺も思った」

「それはそれは、愛するお方と一つでも同じ部分が多いと、嬉しいものでございますわ……」

 いつの間にか目の前に表子の目があった、まつ毛の一本一本までよく見えるほどに。

 表子の目が橙に光り、存在の体が硬直する。

「フフフッ……全てが思い通りって、幸せだわぁ……!」

「……目、かぁ……」

「あら、しゃべれますの」

「そうだねぇ……俺に対しての力という概念を俺の中で死滅させてっと……」

 存在は黒い目で表子の目をじっと見ると、

「な、何ですの……?」

 存在が見下す。すると表子は顔を赤らめ、息を荒げ始め、

「もっと……もっと蔑んでくださいませ、存在様!」

「ちがうでしょ、可愛い俺のウサギちゃん」

 存在が頬に触れる。そして耳元に口を近づけ、

「ご主人様……でしょ?」

「ご……ご主人様……。ご主人様ぁ……!」

「いい子だねぇ。クックック……!」

 存在は右手で口を覆う。

「やべぇ……すっげー滑稽だ。超笑える……!」

 存在は表子に銃を向けると、

「ご主人様に殺されるの嬉しい?」

「ご主人様に殺されるの嬉しいです!」

「毛皮を剥がれても?」

「毛皮となってお側に居られるのがとっても嬉しいです!!」

「そっか。俺もうれしいよ、表子」

 銃声が響く。

 口から涎を垂らし、頭に小さな穴をあけた表子が横たわる。

「表子の能力ってすごいね。思考までも操作できるなんて。……怖っ!」

 存在は小さく身震いする。

 壁にドアを見つけ、そこから別室へ移動する。

 和式住宅の渡り廊下のようなところに出る。壁は液晶パネルになっており、月夜と芒が見える。竹が隅に生えていた。

「部屋っていうか、……なんだ? ん? 日本語って難しいな……」

 部屋の真ん中に立ち、

「それ、すいとんの術ってヤツ?」

 存在が誰に言うわけでもなくそう言うと、池の中から裏拏が顔を出した。

「……よくわかったな」

「そりゃあ、ねぇ?」

 瞬間、裏拏が真後ろに立つ。

「速いね」

「黙れ」

「女の子がびしょぬれじゃあ、危ないよ?」

「黙れ」

「それを魅力的と感じる者が寄って来たり……」

「黙れ」

「それに風邪ひいちゃう!」

「黙れ」

 裏拏は脇差で存在の声帯を切った。

「命令に従わなかったお前が悪い」

 存在は喉を押さえる。

「さあ、次は……」

 裏拏が次の攻撃に移ろうとした時、存在は不気味な笑顔を見せた。そして口は何かを放った。

『お前は妹を苦しめた』

 裏拏の顔が青ざめ、

「まだしゃべるか!!」

 存在を切り刻んだ。肉片の山の上に脇差を刺し、数歩下がる。

「お、お前に何が分かる!!」

 息を荒げ、目を手で覆った。

「わかるよ、その気持ち」

「はッ!」

 肉塊となったはずの存在が元に戻っており、裏拏の手首をつかみ、囁いた。

「俺と君は他人だし、一者と二者という全くの他人だ。本当の理解なんてできるはずない。できないんだ。でもね、少しばかり似たような感情はあるよ」

「は……離せ!」

「信じればいいのに……」

 裏拏は何かを理解した。

「人に身をゆだねればいい。もう、自分を責める必要はないんだよ」

「あ……あぁ……」

 存在は裏拏の首に手をかけると、

――ゴキッ

 空っぽの裏拏が倒れる。

「あっとふーたつッ、あっとふーたつッ!」

 鼻歌交じりにスキップをして、部屋の隅に行く。隅でジャンプをし、床の板を砕き、穴に落ちていく。

 降り立ったのは何もない暗い部屋。

「まるで獄中だな」

 床に寝そべっていびきをかく護がいた。

「寝てるならほっとくか。なんか面倒くさくなってきたし……」

 存在が髪をかき上げながら、部屋の隅まで行った時、

「出る方法」

「お?」

「……俺の防御を破壊する。防御とこの部屋はつながっている」

 存在は目を丸く見開いた。

「よっこいしょ……」

 護がゆっくり立ち上がる。

「いつでもどうぞ」

「じゃあ、遠慮なく……」

 存在は護に向かって走る。

 護の頭から小さな角が生え、腕から枝が生える。そして大きな結晶が生成される。

――キィィン

 結晶と存在が接触する。結晶にひびが入って割れる。

「うっし! じゃ、おつかれ~」

「まだ部屋は解除されてないよ」

「あ?」

 存在は向けた背中をそらせ、逆さまになって護を見る。

「一枚とは言ってない」

「じゃあ二枚?」

「何枚、とは言ってない」

「あぁ、なるほ。じゃあ……お前が眠るまでだ!」

「俺の睡魔は性格悪いからねッ……!」

 結晶が生成され、接触する。

「何コレ……さっきより固くなってない!?」

「さあね……! 気分によって色々だから!!」

「面倒な奴だ!!」

 存在は結晶を蹴り、壁に着くと上から護に勢いよく襲い掛かる。

「無駄だよ!」

 結晶を上に向ける。

「こりゃ丁度いい……」

 存在は結晶の上で、とにかく殴る。

「ちょっと! 結晶は衝撃に弱いんだからぁ!!」

「睡魔ちゃーん!? 君ってとぉってもかわいい! だから、ね? 良い子だからお兄さんの言う事聞いてくれるかなぁ!?」

「……頭大丈夫?」

 護に本気で心配される。

 結晶が割れる。また結晶が生成され、存在は跳ね返される。

 結晶を踏み台にし大きく飛躍すると、天井を蹴り結晶に向かって突っ込む。その影響で、天井も護の足元も崩壊する。

「……割っれ……ろぉぉぉぉぉ!!!!」

「……耐っえ……ろぉぉぉぉぉ!!!!」

――ピシッ

 護は急いで結晶を生成する。が、

――パキィィン

 生成した結晶もろとも割れた。

 存在は護の髪をつかみ押し倒した。

「……好きにしな。俺はもう、手も足も出せないから……」

 護の額と鼻から血が垂れる。

「……そっか」

 存在は護の額に口付けした。

「……何……?」

「お前らは俺の事が嫌いだとかうんぬんかんぬん言うけどさ……俺はお前らの事が大好きだよ」

「……フッ、意味わかんねぇよ……」

 存在は護の角に手を当てると、それを折った。

「愛がどうとか言いたくねぇが……」

 存在は自らの服の左胸をつかんだ。

「……これだけはわかんねぇなぁ。自分だからか……?」

 部屋が規則正しく幾何学的に崩れていく。そして現れたのは、血のように黒く赤い、無限の世界。

「無限に見えるかもしれないが、そこまで無限ではない」

 冷たい怨の声がした。

「俺がとらえられていた部屋と似ているね」

「今までの部屋は全て作られたものだ」

「じゃあこれは元々の空間ってこと?」

「そういうことになる」

「……心の中って、こうなってるんだね」

「心の臓……といったものかな」

「うん。やっぱり君とは話が合う」

 存在はパーカーのポケットに手を入れ、

「さすが共犯者」

 存在の目が怪しく光った。

「たまたま時がわずかに重なっただけだろう」

 にこやかな存在に対して、怨は冷たかった。

 存在は優しく笑うと、

「音楽が聴きたいな。……月の光、ドビュッシーのあの曲が聞きたい」

「良いだろう」

 空間にピアノの音色が響き渡る。

「……どうして俺をここから出さないんだ?」

 存在は床に寝そべり、怨はそこから少し離れたところで正座していた。

「それが私らの存在意味だ」

「ふーん。じゃあ絶対死なないね」

「何故そう言える」

「だって、君たちは俺の人格だもん。俺という本性を隠すためのね」

 存在はまた左胸をつかんだ。

「本当にお前は本性か?」

「さぁ」

「探してる途中という感じだな」

 存在は立ち上がり、

「ここから出たら、それについての論文を書こうと思う。ううん、書きたい」

「そうか」

 怨も立ち上がる。音楽が止む。

「本当は面倒だから本気出したくなかったけど、最後だし、出しとこっかな?」

「よかろう。私も全力でやらせてもらう」

 怨の目が赤く光り、両手が変化する。

 赤い光と黒い光が俊敏に動く。

 空中で何度もぶつかり、その度に火花が散る。

 怨は存在をその大きな手で捕まえ、また拘束しようとする。存在の服が破け、怨の左手が振れた部分の皮膚がただれ始める。右手を振り下ろし、それを避けた存在の頭を左手がつかむ。

 存在は床に押さえ付けられ、右の頬と首がただれる。

「うっ、くぅ……」

「いつまで人間の皮を被っているんだ、この化け物が!」

「ゥゥウォ……」

 存在の口が裂け、禍々しい牙がむき出しになり、血のような赤黒い舌が覗く。

「ヴゥオォォォォォォ!!」

 化け物――つまり何かは、怨の左手に噛みついた。

「つぅ……!」

 指を噛み千切り、骨を砕き、肉をすりつぶし、血と共に吐き出す。

 怨の攻撃を避け、天井と思われる空間の制限に貼り付く。そこからまた踏み出し、怨にタックルする。怨と何かは床に叩きつけられ、存在は怨の上に乗る。大小様々な立方体が飛び散る。それらと共に、紅い珠の血も飛ぶ。

 怨はゆっくり目を開ける。頭からの流血が邪魔して視界がぼやけるが、視線を少し上にやると、何かと目が合った。

 何かの口から滴った血が顔に落ちる。それと、清い珠も落ちる。

「泣いているのか……?」

「ゥゥ……ヴォァァ……」

 何かが手に力を入れると、怨の背後の床に指が食い込んだ。そして、怨の柔らかい首の皮に噛みつき、剥ぎとる。

「ぎぁッ……!?」

 血に濡れた白い鎖骨が見える。

 何かは何かを呟いた。だが、それは日本語でも、何でもない、独り言のような、自己暗示の様な物で、誰にも分らない。

 不気味に笑うと、赤黒い熱い舌で骨を舐める。

「悪趣味だな……。人間の言葉なんぞ、届かぬという事か」

 何かは大きく口を開くと、怨の喉笛を噛み切り、首が完全に切れるよう、何度も噛みついた。


 頭と体を切り離された肉塊の怨が広げられている。

 何かは一息つき、立ち上がる。

 何かの避けた口は閉じていき、舌の色も鮮やかな桜色になり、禍々しい牙も白い綺麗に並んだ歯に戻る。固く尖っていた指も、白くて細い柔らかい指に戻った。口周りと裸の腹は紅く血で染まっていた。

 白く細い体に筋肉はほとんどなく、ただ骨と皮だけの痩せこけたものだった。

 手や腕についた血を舐める。

「……鉄の味……に、似てる」

 腕や体の匂いを嗅ぎ、

「……他人の匂いがする……」

 左胸に爪を立てる。涙を指で拭うと、目元に血がつく。

 ただれていた部分も怪我も全て治っていて、白い肌に紅い血が浮く。穴だらけのパーカーを拾い上げ、それを上裸のまま着て、靴と靴下を脱ぎ裸足で進む。

 裸の足音だけが響く。

 存在は鼻歌を歌いながらゆっくりと歩く。

「早く、早く会いたいなぁ……あの娘はどうしているかなぁ……」

 力なく不気味に微笑む。

「アァ……光だ。息ができるんだ……」

 そよ風が濡れた肌を乾かした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ