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楔荘 破~聖女と楽園の真実~  作者: 五月雨 禊/作者 字
14/21

第十四話 優しい甘い嘘

 もうちょっとで前期も後半だった。

「次は10位以内目指すぞ!」

「おー、がんばー」

 ボスは新聞を読みながらそっけない返事をした。けど急に新聞から顔を出し、しばらく私の顔を見ると、私の腕を引き、

「え!?」

 気づいたらボスの膝の上にいた。

「……うん、やっぱり女の子っていいね。柔らかいし小さいし細いし優しいし、何より可愛くっていい匂い……」

 ボスが私の首元に顔を押し付けた。

「ちょ、ボス!?」

「ボス何やってんすか!? ずるいっすー! 俺もっす!」

 榊さんがボスの服を引っ張る。

「榊、お使いは?」

「あっ」

 ボスに言われ、榊さんは急いで部屋を出ていった。

「じゃあ勉強始めるか」

「は、はい!」

 ボスの膝に座って、ノートを広げる。

 お姉ちゃんが持ってた、高校生未満が見ちゃいけない薄い本みたいに、あんなことしながら勉強するのかな……。

「大丈夫、女の子にやましい事をする気はないから。女の子は汚したくないからね」

 ボスは何もない事を証明するかのように、両手を上げニコニコする。本当に大丈夫かな……。

「男にはするけど」

 するんだ! てか、もしかしてこの人って……。


「アンナ、来週はテストだね!」

「……そうね」

 アンナは窓を見たまま素っ気なく返事をした。

 なんだか、最近のアンナ調子悪そう。イライラしてて、寝不足気味っぽい。

「テスト終わったらさ、あの時のカフェ行こう! 奢りじゃなくっていいからさ。……なんなら、私がお奢ろうか?」

 アンナは黙ったまま。

「アンナ?」

「……」

「ねえ、アンナってば!」

 アンナは勢いよく立ち上がり、

「しつこいのよ!」

 怖かった。あんなに怒ったアンナは初めて。

 アンナは走って教室を出ていった。

 とても後を追えなかった。追ったところで、掛ける言葉なんて無い。

 それ以来、アンナとはあまり口を利かなくなった。楽しい話をするときはするけど、その他はほとんど口を利かず、帰りも一緒に帰らなくなった。

 そして、テスト当日。アンナは具合が悪く、保健室で受けた。

「アンナ……」

 後ろのアンナの机を眺める。

 休み時間になると、いつも後ろから私の背中をペンでつついて、どうだった? とか聞いてくるのに、何もない。

 背中が寒かった。

 ボスはそっとしておきなって言った。多分、アンナは誰にも構ってほしくないのかも。一人で考えたい時みたいに。

 成績発表。この日のアンナは優しかった。

「あ、アンナあったよ!」

 アンナは20位にまで落ちていた。

「アンナ――」

「しょうがないわ、当日風邪をひいてたんだもの」

 アンナは笑ってごまかした。

 私は自分の結果に触れる事が出来なかった。だって、私は5位なんだもの。

 次の日、アンナが学校を休んだ。保育園の時からずっと、一日も休まず皆勤賞を片手に持っていたアンナの片手には、何もなくなってしまった。

 心配だったし、アンナとまたお話ししたかったから、お見舞いにアンナの家に行った。

「お嬢様、リサ様がお見えです」

 アンナの家の家政婦がアンナを呼ぶ。一方アンナは頭まで布団をかぶってベッドにいた。

「アンナ……」

「……何しに来たの?」

「えっ……」

「何しに来たのって聞いてるの!!」

 アンナは不安定だった。

「ア、アンナに、会いたくて……」

 怖くて手が震えた。

「何もかもうまくいかない……何なの。何なの!?」

 アンナは飛び起き、私につかみかかった。

「アンタ、急に頭良くなってるし何なの!? アタシなんかよりも頭悪くって、バカで、何もできなくって、泣き虫で、弱くて、アタシがいなきゃ何にもできない!!!!」

「アンナっ……痛い……!」

 私の肩をつかむアンナの手は強く、悲しく震えていた。

「そうよ……アンタ、最近長髪の怪しいアジア人とよく遊んでるわね。アレ誰?」

「あ、あれは……」

 言えない、こんな恥ずかしいこと。所詮は私の甘い甘い夢の世界。その世界の住人と似ているから接触してるなんて言えない。

「アイツに何入れ知恵されたか知らないし、そんなの関係ないけど」

 アンナは私を突き飛ばした。

「もう、私に関わらないで」

「そんな……!」

「今までかわいそうだったから友達やってやったのよ! アンタなんか、友達なんかじゃない!」

 アンナは泣いていた。そして、怒ってた。

 私は急いでこの家から出た。いつまでもこの家の空気を吸っていたら、どうにかなってしまいそうだったから。

 こんなにも心が潰れそうなのに、空は青くて綺麗だった。嫌だ。足元の花も、楽しげに泳ぐ蝶でさえ、うざったい。二人組の女の子が楽しげに私の横を通り過ぎていく。ああ腹立たしい。

 気がついたら、ボスの家の前に居た。どうやって来たんだろう。

 ボスが窓から顔を出して手招きする。

「おいで」

 目の前に不思議な色のジュースを出された。

「紫蘇ジュースって言うんだ。昔、ある人に作ってもらってね。親のような人。何もかも失って、何もかも嫌になっていた時、死にかけみたいな俺を拾って立場をくれた人」

 酸っぱい、というより、舌がピリピリする。不思議な感じ。オペラ色。ちょっと甘い。和風な感じのさっぱりした、スパイシーな香り。

「不思議……」

「『幻想の美』って、何かわかる?」

 ボスは私の向かいの席に座りながら訪ねた。

「いえ……」

「難しいよね。俺も、どうやって人間の言葉にしようか考えてるんだ」

 ボスは私の頭を撫で、

「泣きたいときは泣けばいい。涙は傷を治してはくれないけど、傷跡を極力残さないようにしてくれる。涙は心の消毒液なんだよ」

「それは……ボスの恩人の言葉ですか?」

「いや……実体験かな」

 フッと鼻で笑うボスの顔に、哀愁が漂った。今まで見たこともないようなボスの悲しい哀れなその顔に、私まで悲しくなってきた。



「ジャップ、ジャップ」

 廊下を歩くたびに、ゴミを投げつけられたり、足を引っかけられたりした。

「痛っ!」

「ジャップが転んだ!」

「お前は地面を這ってればいいんだよ!」

 スカートの埃を落とし、先へ進む。

 教室でお弁当を食べると邪魔してくる人がいるから、トイレで食べるしかない。

「……いいの?」

「マジでやっちゃう?」

「やばい超ウケル……!」

 上から大量の水を掛けられた。

「ぎゃはははは!」

「超やばい!」

「アンナ最高じゃん!」

 他の言葉には全く気が付かなかったけど、アンナっていう単語にだけは反応した。

「アイツの行くとこなんて大体想像できるって。だって……ボッチのかわいそうな子だもん!」

 アンナの声だ。楽しそうだな……。

「さっすが!」

 よかった、嬉しそうなアンナの声が聞けて。

 教室に戻るなり、教科書がボロボロになっていた。

 クラスのみんなが私を見て笑う。

「……いい?」

「せーの……」

 上から赤い液体がかけられる。この匂い……ペンキだ。

「さあみなさん! これからリサちゃんを天国へ送る儀式をしまーす!」

 皆が馬鹿みたいに手を叩く。まるで猿だな。ううん。猿みたいなんて言ったら、お猿さんがかわいそう、こんな奴らと一緒にされて。

「――んのさぁ――」

「あ?」

 女子の一人が私の髪をつかんだ。最初に私に目をつけてたイジメグループの女子。アンナのおかげでいじめられることは無かったけど、アンナがそっち側についた瞬間調子に乗り始めた。

「何だよ。恐怖で声も出ねぇってか!」

「残念ながら、そうじゃない」

「は?」

 口調がボスみたいだった。

「お前らってさ、何でそういう事しか考えられないかな」

 女の手を振り払う。

「あんたらさぁ、受験受験ってうるさいほど言ってたくせに、忙しいって言ってたくせに、意外と暇なんだね!」

 教室中が沈黙する。

「都合が悪くなると受験で忙しい。……バカばっかり、教科書の上でのことしかできない奴らばかり。そういうやつって、なんていうか知ってる?」

 アンナの顔を見て言ってやった。

「大人にとって、都合のいいイイ子。操り人形だよ!」

 手を振り上げ、頬を引っ叩いた。

「アンタはパパのお人形なんだよ! ……かわいそうだね。ママが死んじゃって、パパの言うこと聞かないと生きていけない。アンナを守ってくれる優しいママはもういない。だから私の弱みに付け込んで自分がママになったつもりで私とアンナを重ねてたんでしょ? アンナだって甘い夢を見てたの!」

「アンナに何してんだ!」

 女が殴りかかってくるから、つかんで背負い投げてやった。

「なっ……!?」

「アンナが言ってた怪しいアジア人、あの人から教わったんだ。護身術と……」

 アンナの髪をつかんで、壁に押し付ける。

「人の殺し方」

 なぜか笑みがこぼれた。何なんだろう、この感情。

 心の開けてはいけない蓋、パンドラの箱を開けてしまったのだろう。とても気持ちが良かった。何も怖いものなんてない、自分が一番この世で強い気がした。



 ――学校に行きたくない。クズしかいないし、つまらない。

 暇つぶしに、高校の参考書を買って片っ端から問題を解いていった。

 楽しい。知らないことがたくさんある、その答えが目の前にたくさん広がってる。もっと知りたい。もっと難しい問題を私にちょうだい。

「リサぁ!」

 弟が呼ぶ。

「ママがご飯だってよ! 早くしないと僕が全部食べちゃ――」

「うるさい! 話しかけるな! このクズ!」

 弟は泣きながら一階へ降りていく。

「ママ~、リサが~……」

 泣き虫。弱くって、すぐ何かあるとママの所へ行く。ママがいれば自分は何だってできると思い込んでいやがる。

 お腹の中に何も入れたくなかった。昨日の食事がいつまでもお腹の中に残っていて、次の食事を入れる事が出来ない。体が重い。頭が重い。首がちぎれて頭が落ちてしまいそう。

「つまらないなぁ……」

 パソコンで画像やらサイトを検索する。画面いっぱいの死体と血と肉と骨。これが一番好き。この感覚が好き。人間か動物かもわからないような、ただの肉の塊となり果ててしまったそれを見ていると、不思議な優越感に浸れた。


「アンナぁ」

 夕方、街外れの廃れた通りにたむろする女子グループの一人が呼ぶ。

「なんかさぁ、最近暇じゃね?」

「確かに」

「なんかさ、こう、スカッとすることないかなぁ。火遊び的な?」

 ゲラゲラ笑う。

「じゃあさ、リサん家に火ぃつけるとか?」

 一瞬黙る。が、

「それ超良いじゃん!」

「いやいや、冗談だから!」

「何だよ、冗談かよー!」

 ゲラゲラゲラ。

「ちょっとジュース買ってくるわ」

 アンナはその場を立った。

 近くの公園の自販機にコインを入れ、ジュースを一本買う。

「『ねえ、アンナ』」

 背後からリサの声がして、急いで振り返る。

「アッハハハハ!! 意外とコレ騙されるもんなんだね!」

「アンタ……あの変なアジア人……」

 アンナはほくそ笑む存在を睨んだ。存在は両手を広げ、

「そう! 俺が例のアジア人。でもよくアジア人ってわかったね」

「そりゃ、黒髪だから」

「んー、でもその観察力があるなら、国籍もわかると思うんだけどなぁ。残念!」

 さっきまで笑っていた存在の表情が急に冷めだした。

「な……何よ」

 アンナは警戒するように数歩距離を置いた。

「今日は気分が良いんだ……」

 存在は甘えるような声でそう言うと、ジリジリとアンナに近づく。

「何するの!?」

「何もしねぇよ。第一、俺お前みたいな女、好きじゃねぇんだよ。化粧は厚いし。それメイクじゃなくてアートだから。あと、無駄に多い露出とうざったい萌え仕草? なにそれ。無理に可愛い子ぶるなよ。一層ブスが引き立つわ。ビッチなの? もしかしてビッチ? ヤリマン?」

 存在は手を叩いて笑った。

「何なの!? リサと言い、どいつもこいつも……!」

「ストレスたまってんだろ……?」

「は? 何? アンタが解消してくれるって言うの?」

「あ、大丈夫。性的な意味じゃないから」

 存在はまた、大声で笑う。

「気持ちわるっ……」

「俺だってお前みたいなケバいビッチ抱きたくねぇよ」

 存在はけだるげにため息をついた。

 アンナは白い目で存在を見る。

「いやぁ、散歩してたらたまたま君を見つけただけだから」

 存在は手を振りながら、背中を向ける。

 アンナはポケットからナイフを出し、存在の背中に向かって突進する。

 ナイフの刃先が服に触れた瞬間、

「――お前は頭が悪いな――」

 耳元でささやかれた。存在の顔が間近にあった。白く、死んだ人間の様な顔。光を飲み込む黒い目。

 存在はアンナの腕をつかむと高く持ち上げた。

「お前なぁ……。一時的な感情で人を殺そうとするとか、頭の悪い奴がやる事じゃねぇか。自ら、私は頭の悪いバカでーすって言ってるようなもんだぞ」

「は……離して!」

「まだ話し終わっちゃいねぇよ」

 アンナは片手でつかまれた両手を動かすが、全くびくともしない。高く持ち上げられたせいでつま先立ちになり、存在の手を外そうと引っ掻くが全く無意味な犯行だった。

「大体、俺はこんなフルーツナイフごときじゃ死なねぇよ。フルーツじゃあるまいし」

 存在が笑う。

「まあ、ここで人生を終わりにしたいなら、ご自由に」

 アンナを解放する。

「それじゃ。俺、色々急いでっから」

 存在は手を振りながら去って行く。

「何よ……何なのよ!」

 まだ痛む腕をさすりながら、悔しい涙目で存在の背中をいつまでも睨んでいた。


「もう、こんな世界嫌だ……」

 リサはカッターの刃を出し入れしながら、ベッドに横たわり、それを眺めていた。

「――その感情を、人は憂鬱と言う――」

 窓から聞き覚えのある声がした。

「ボス……」

「俺の世界を見てみたいかい?」

「その世界は、甘い甘い私の夢と同じ?」

「全くの同じとは言えない。君の世界は君の世界で、俺の世界は俺の世界だから。まあ、似てるかもね」

「……死ねない体になったら、傷付かずに済むのかな……」

「それに関しては、俺は全力で否定する」

 存在は腰を折って、視線をリサに合わせた。

 リサは存在の頬に触れ、

「……いいよね。あなたはこんなにも綺麗」

 存在の表情はいつも通りのにやけ顔だったが、この時ばかりは少しだけ嫌がって見えた。

「白い純白の肌、光を飲む黒い目、獣の黒髪。何より、神さえも殺してしまうような、雰囲気とその表情。まるで殺人鬼みたい」

「それは、あくまで君の空虚な妄想でしかない」

「そうね。所詮は私の妄想よ……」

 存在は腰を伸ばし、

「報告に来た。今晩、俺らはここを発つ」

「何で……?」

 存在は悲しそうな顔をし、

「俺は取り戻すために現れたんだ。誰かを助けるためでも、君に手を差し伸べるために来たわけじゃない。復讐みたいなもんだ。残念ながら、俺は君の堕天使にはなれないんだ。――それ以上に堕ちた存在だからな」

 涙なんか出ない。それでも、表情は泣いていた。

「俺の一番大事な物を奪いに行くんだ。でも、それを邪魔する奴らがいるんだ。別に、俺が手に入れたところで、誰も困らないのにな……」

「泣いてるの……?」

「泣けない……いや、泣かないんだ。『オオカミ少年は泣かない』。御天道様が許してくれないんだ」

 存在の脳裏に懐かしい光景が浮かぶ。木漏れ日の下、そっと微笑む少女。

「夜でも?」

「御月様は優しいから、少しばかりは許してくれるさ。でも、まだ泣くわけにはいかない。これは俺のケジメみたいなもんだ」

 リサは悲しそうな顔をして、

「可哀想」

「『人間なんかに憐れんでもらいたくない』な」

「さみしい人なのね」

「何とでも言え。俺は、君が思ってるほど優しくはないさ」

「それでも、私にとっては一番優しかった」

 存在はリサの目に溜まる涙を指で拭うと、一歩下がり、

「俺の事は、夢に出てきた犬程度に思っておいてくれ。これは君の空虚な妄想で、夢なんだ」

 存在は窓の縁に立った。リサは急いで追いかけ、

「夢でなら会ってもいい?」

「夢はこの世で一番自由な世界だ」

 そう優しく答えると、眉を八の字にし、物悲し気に優しく微笑んだ。

 そして窓から飛び降り、姿を消した。

「……ありがとう、楽しい夢を」

 リサは涙を指で拭った。部屋は今まで以上に、真冬の夜よりも寒く感じる。沈黙が体を串刺しにするようだった。

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