第十話 対立の準備
本支部、矛盾用業務室。
小町が高速でパソコンに文字を打っていた。
「は……速ぇぇ……」
尊は小町のタイピングの速さに目を丸くさせた。せんべいの一口をかじろうか迷っていた時、
「あ~、きっつい……階段キツイぃ~」
息を切らしながら禊がやって来た。
「いやー、筋肉落ちたかなぁ。一気に筋力無くなってさ、飛行機乗っただけでへろっへろ。あ、そこのソレ、取って」
尊は側のペットボトルを投げ渡し、
「退院から二週間経ったけど、どう?」
「うーん、溜まりに溜まった仕事が……」
禊は困ったように頭を掻いた。尊は悔しそうに顔をしかめ、
「すまねぇな。俺がこんなとこに捕まってなければ……!」
「どうせナンパしたいだけだろ」
「ブ~!」
尊は口を尖らせる。
「じゃ、俺もう行くわ」
「どこに?」
「仕事」
禊はスーツの襟を直しながら部屋を出ていった。
「兄さん暇そうだね」
要が回転椅子に座ったままやって来た。
「暇だよー。恋したーい」
尊が椅子の背もたれにもたれて言うと、要は冷ややかな目を向け、
「少女漫画でも読んだら?」
「漫画なんぞ頭の悪い……!」
「論文が出来たぞ」
そう言って小町がパソコンを閉じた。
「今、編集部に送ったところだ」
「大変だったねー」
尊がヘラヘラと笑いながら小町の肩を叩く。
要はお茶を沸かしに席を立つ。
「……尊。ここ二週間禊を見てどう思った?」
小町が机の上の資料を整理しながら言った。尊は真面目な顔をし、顎に手を添え、
「二人に分かれた頃は、二人とも身長140センチくらいの14のガキにしか見えなかったが、存在の方が一気に成長して、170センチ前後の16のガキに見える」
「それに、禊がやけに女の子っぽいんだけど」
急須にお茶を注ぎながら、要が話に入って来た。
「それなんだ。本人が言っていた。宝石箱の中に七つの石と中身が入ってたからバランスを保てていたけど、中身が無くなって七つの石しかないから、保てない……と」
「中身って?」
「黒曜石」
窓から声がした。振り返ると、靴を手に持って、窓から存在が入ってくる。
「禊は傀儡、つまり宝石箱。七つの石は鍵。中身は黒曜石」
「意味わかんねぇ」
小馬鹿にするように言った尊の額に、存在は人差し指を当て、
「お前は頭が悪いな」
「う、うるちゃい!」
要は顔を真っ赤にする尊を鼻で笑い、お茶を皆に渡す。
「てかお前、そんなに細くて大丈夫なのか?」
尊は訝しげに存在の身体を眺めた。存在は靴を履きながら、
「必要最小限の栄養とエネルギーは摂取している」
「奴は拒食症だ」
小町が存在のカルテを尊に見せる。尊が首をかしげていると、
「つまり食事がとれないって事だ」
マグカップに口をつけながら言った。
「結構つらいぞ?」
存在がにやけ面を向けながら、
「どんなに美味な食事の味も、美味しいとは感じず苦に感じる。好きな物だって、石を飲み込むようなつらさ。しかもずっと胃袋に食べ物が残って、それが腐敗していく。胃が溶かしてくれず、腸が吸収してくれない。だから、胃を空にしたとき脈打ってるのが分かるんだ」
「き、気持ち悪い話するなよ……!」
尊は鳥肌の立った肩をさする。
「胡散臭い」
小町は鼻で笑った。
――夜、存在が本支部の屋上に上がる。涼しい夜風が存在の長い黒髪をなびかせた。
「今日も綺麗な夜空だ」
持ち運び式の蓄音機にレコードを掛ける。曲はドビュッシーの月の光。
曲に合わせて口ずさむ。
「la……ta、lalala……」
存在は空に向かって指さす。
「あれが北極星だから……あれがデネボラ、その右下に真珠星。コルカリロと麦星、レグルスで、髪の毛座」
「コルカリロとアルクトゥルス、スピカ、デネボラで、春のダイヤモンド」
要が後ろから近づきながら言った。
「流石、毎晩だてに月見てないね」
「僕が好きなのは蒼月」
「そりゃそうだ。君が欲しがったもの、足りないものを名前にしたんだ」
「センス……」
言いかけて黙る。
「用があって来たんじゃないのか?」
存在が不敵な笑みを浮かべながら訪ねた。
「君の論文を見つけたんだ」
「ほう、それは一体どんな?」
「ユートピアについての理論」
「それはアメリカのとある小さな大学の教授が書いたものじゃなくて?」
「君だろう? その原文の紙の裏に、かなり小さく鏡文字で、Niaって書いてあった」
存在はしばらく黙っていたが、タブレットを取り出すと、
「……探しているんだ。信号があったろう? 七回の鐘、青い花」
「青い鳥ではないんだね」
「それは作品が違う。てか、世界が違う」
「あぁ、やはり君の世界は面白い……」
要は存在の言葉一つ一つ考えさせられる。
「この論文の言語、スワヒリ語?」
「一部だけ。あとは日本語と知らない言語。あー、でも日本語難しい」
「英語にでもすれば……」
「俺、英語あんましゃべれない」
「じゃあ今日アメリカ人の女の子ナンパしてたのって……」
「あぁ、意識の問題。伝えようと強く思えば、言語が違っても会話ができるんだ」
「便利だね」
存在は立ち上がると要の背後に回り、後ろから前に腕を回す。
「このページ」
タブレットを見せてくる。
「……理解した?」
「うん」
存在が耳に唇を押し当てる。息が肌に感じる。
「……他人の匂いがする……」
要の髪を撫で、左手で左胸を押さえる。
「……君、いい匂いがするね」
「君は洗剤みたいな匂いがする」
要は存在の手に触れる。痩せ細った手は骨を触っているようだった。
「衣服には極力匂いをつけないようにしてるんだ。柔軟剤も一切入れない、香りづけも」
「何で?」
「……他人と似た匂いがするから」
「他人が嫌い?」
「半分嫌い、半分好き」
「それは、教えだから?」
「まぁそんなとこ」
要は夜空の向こうを見ながら言葉の意味を考える。
存在は立ち上がり、
「宝器を探してるんだ。俺の知らない?」
要も立ち上がった。
存在をタチキリバサミの保管されている場所に連れていく。
「ちょっと待ってて、今、パスワード入れる」
要がパスワードを入力し、扉が開く。
指紋認証、音声認証、血液認証……計七つの認証をし、最後の扉が開く。
「ここまで厳重にしなくてもいいのに。宝器は持ち主以外が使おうとすると暴れるし、拒絶反応が起こる」
「まぁでも、一応ね」
要は存在を誘導する。
存在はフードを深くかぶり、ポケットに手を入れ宝器に向かい進む。
ケースのふたが開く。
宝器の刃に触れ、血を手のひらに伸ばしてタチキリをつかんだ。
「……存在の美の聖霊よ。目覚めよ。主はここだ」
すると、下指輪側の表面の銀が剥がれ、黒い本体が現れる。
「黒鉄彦、俺だ。覚えているか?」
「――ピピッ、認証シマシタ」
双剣となった黒い側の剣が宙に浮く。
「おはようございます、旦那様」
男の子の声だった。
「時刻は?」
「20〷年、2月15日、午前7時24分39秒です。天気は晴れ。最高気温――」
「黒鉄彦、ずれてるよ」
「申し訳ありません。ただいま修正いたします。情報を受信中です――」
要はタチキリバサミの新たな姿に驚いた。
「これがタチキリバサミの真骨頂、双剣・太刀斬鋏。本来は鋏なんだ」
「二つの美……」
「白銀姫、起きているんだろう?」
もう一対の鋏の銀が剥がれ、白い体を表す。
「こんばんは、旦那様!」
「ちょっと違うけど……まあいっか。君は君の付きたい方につけ。俺にはこいつがいるから」
黒鉄彦は存在の横に並ぶ。
「了解しましたぁ!」
「相変わらず元気だね」
「ハイっ! 旦那様に使えるのが何よりの幸せです!」
「よく言うよ」
存在は笑顔の無い笑みを浮かべた。すると黒鉄彦は静かに存在の方を向き、
「旦那様、ご命令を」
「相変わらず冷静沈着だね。君はそのままついてくればいい」
「了解しました」
「引き離してしまってすまないね」
「いいえ! 双子の聖霊といえど……」
黒鉄彦が言いかけたとき、
「時には対立することもあります! 喧嘩するほど仲がいいって言いますし!」
白銀姫が割り込んできた。
「旦那様、黒鉄彦は納得がいきません。双子と言えど、敵対してこそお互いを磨き合います」
「まーた固いこと言ってる!」
「お黙りなさい」
白銀姫と黒鉄彦が口論を始めた。存在はそんな二器に気にも留めず要に、
「さあ、行くよ」
「次はどこに?」
「仲間を探す。まずは身近なところからだな」
要は歩き出す存在の後を追った。
本支部地下。
「こんなところに部屋なんてあるの? ここ食糧庫とかしかないよ?」
「まあ、ここ見てみろ」
壁に鍵穴があり、要なら小指が入りそうな大きさだった。
「ここに中指を入れて……」
「え、入るの?」
「俺、指細いから」
意味深な光景だな……と要は思った。
中指を入れてかき回す。中で金属音がする。
「このワイヤーを引っ張って……いてて。あ、届かない……」
――ガチャリ
壁に切れ目が入り、扉が開く。
「すごい……」
中に入ると何もない一畳ほどの部屋が現れた。要は目の前の扉に気づく。
「榊ー?」
存在が呼びかけ、しばらく沈黙が続くと、
「ご主人様~!!」
榊がドアを蹴飛ばし出てくる。
「鍵を開ける時に中指にオイルがついた」
存在は中指を出す。
「い、今お拭き致します!」
「いや、舐めろ」
「そ、そんな……ご主人様の中指を……」
「あ、やっぱやめて。水道貸して」
「あ、こっちっす」
ドアの中に入る。
「ガスマスクは?」
「部屋の中では不要なんす」
中は工房のようで、様々な工具と見たこともない機械、製作途中の物、たくさんの液晶画面があった。
「あー! それ触らないで!」
要が机に手を着こうとしたら怒られた。
「こいつの整備を頼む」
黒鉄彦が榊の手の上に乗る。
「うわ、重!」
「あと頼んであったケースは?」
「もう完成してる。10年前だよ? ほこり被ってるかもだけど……」
黒鉄彦を台に乗せ、ガラクタの山をあさる。
「彼にはあまり会った事ないんだけど……」
要は恐る恐る聞いた。
「南方榊、韓国人だ。仮名だがな。元は王家の家来であったそうだ。王にとても可愛がられていたんだが、戦争で負けて王制がなくなり王家が滅んだ時、その財宝と共に地下に隠されていた。矛盾になったのは、王家の家来の子として生まれ戦死したときのようだ」
「じゃあ、矛盾として財宝を何年も守り続けていたって事にもなるのか……。宝器は国王が持っていたって事?」
「あぁ、コイツが矛盾になったときから宝器を持っていたんだ。その宝器が中国から届くはずなんだが……」
榊がケースを持って来る。
見た目はギターケースだが、中が機械仕様で、タチキリにとって最高の空間となっている。
黒鉄彦は覗き込むように近づき、
「設備がとても整ってます。とても良いですね」
「これが、充電器。これは……冷却器か。これは?」
「刀みたいに腰に下げる時用のベルトっす」
「……いらねぇな」
「そんなぁ!」
「とりあえず取扱説明書よこせ」
榊が泣きながらファイルを渡す。
「よし。榊、ついてこい」
「分かったっす!」
榊は嬉しそうに敬礼する。
「ところで、今まで何してたんだ?」
「本支部機体のエンジン整備とかやってたっす。暇なときは寝てるか何か作ってた。ホラ、あのロボット掃除機とか俺が作ったんっすよ! よく廊下にいるじゃないっすか?」
要は思い返して改めて凄さを実感した。
「それじゃ、行くか」
榊を連れて目的に向かって歩き出した存在を、
「ねえ、存在」
要が引き留めた。
「どうした」
「少し、試したいことがあるんだ――」
存在は要の話を聞き、
「好きにしていいよ」
存在は嬉しそうに口角を上げた。