第一話 禊と琉子
広大なアフリカ大陸の草原。
そこに小さな象の群れがあった。その上空を黒いヘリコプターが流れていく。
「おいヘリ! もっと高度を下げろ!」
「無理ですよミスコマチ!」
小町は流調なアラビア語でエジプト人のパイロットと話す。
「ったく、これではまともな視察ができないではないか……」
「ミスコマチ! 上!」
双眼鏡を顔からどかし、眩しそうに空を見上げる。
大きな鳥のような影が懸かる。
軍用貨物ヘリだ。その後ろの扉が開き、何かが落とされた。
いや、落とされたのではない。
何かは何かで、何なのか認識が出来なかった。目には見えているが、脳が処理できなかった。
「……あのクソガキ。わざわざビーストモードで仕事しなくてもいいでしょうが」
「今の何ですか?」
「ウチの同僚だよ! ったく、コストを考えろ、コストを!」
小町は双眼鏡を覗く。
何かが地上に降り立つ。すると象達は耳をパタパタさせ、威嚇を始めた。
何かの姿が、ようやく処理できた。
「ビデオ! ビデオどこだ!」
小町はカバンの中をひっくり返す。
「禊!」
叫んだとしても、ヘリコプターの音にかき消されてしまう。
小町は意識を禊の精神につなげる。
『禊よ』
『何用』
『かかりし組織の金を考えよ』
『心得ぬ』
『何故』
『そちには関係のあらぬこと。これは我が仕事。口出しせぬよう』
『いと腹立たしき子じゃ!』
象が禊を攻撃した。
体当たりをしたり、鼻で殴ったり。禊は少しも動かず、ただ象の目を見つめていた。
そのうち、和解したのか象と共に歩き始めた。
「あった! ……って、あ! ビデオ撮り損ねた~!」
「ミスコマチ――」
「もういい! 帰るぞ!」
ヘリコプターは彼方へ消えていった。
それから夜になった。
武装した人間が木々の隙間から見える。銃口を象に向け、引き金を引いた。弾は禊の腕に当たるが、あまりにも皮膚が固い為、弾かれた。
禊は人間たちに向かって走り出し、左手で叩き潰していく。叩かれた人間は気絶してその場に倒れている。人間たちは逃げ惑うが、呆気なく片されていく。
一人残らず気絶させ、禊は咆哮を空に向ける。
しばらくしてヘリコプターが来て、人間を拘束し連れていく。
禊はまた、象と共に森へ消えていった。
朝になって、人間の姿に戻った禊は川で水を浴びていた。
小象が禊の体に鼻を当ててくる。
「どうした?」
禊はその鼻を撫でる。
「もう俺は帰るんだ、邪魔したな」
ビーストモードの禊は大きく飛び跳ね、森の奥へ消えた。
小象はその後をずっと見つめていた。
アフリカ支部基地、客間――
「あぁ~!」
全裸で毛布にくるまった禊は、ソファーに尻を投げだす。
「うおぉぉ、首が超コキコキ鳴るぅぅぅ」
笑いながら首を動かした。
「ありがとうな、支部長」
ジョーが茶と菓子を持ってやって来た。
「いいよ、ジョー。これも仕事だ」
「おかげで一番大きい、象の密猟グループをつらまえたに。これで一安心だべな!」
「いや、まだなんだ……」
「なしてな……?」
「……報告書が一番面倒臭い!!」
一瞬、その場が静まる。
「ハッハッハ!!」
ジョーが銀歯を見せつけるように大笑いをした。
「確かにそれは面倒だな!」
ジョーは禊の背中を叩く。
「次も仕事ばあるんか?」
「あぁ、次は香港あたりでちょっとな」
「企業秘密ってか?」
「まあな」
禊は立ち上がり、
「そろそろ帰るよ。またお菓子をご馳走してくれ、ジョーの作るお菓子はオカンの味がするんだ」
「おふくろか……そうだべな。いつでも頼めよ!」
ジョーはそう言って手を振ると、禊は駆け足で出て行った。
「そういや支部長、真っ裸で毛布ばくるんであっただけじゃけど、あんなんで帰れんのかね?」
ジョーが心配そうに禊が出ていった扉を見つめていると、
「キャー! 変態!!」
外から女性の声がした。
「ほうら言わんこっちゃない」
ジョーは急いで禊の後を追った。
禊はアジア支部の受付に報告書を出し、手続きをしていた。
そこを憂鬱そうな表情の嫌好が通りすがり、
「あ」
禊と目が合った。途端に顔が明るくなり、
「禊ー!」
嫌好は禊に向かって走り、強く抱き付いた。
「ギギギギブギブギブ!! 苦じい……!!」
禊は嫌好の肩を叩いた。
だが嫌好はお構いなしに、禊の体に顔を押し付け大きく息を吸う。
「禊の匂いだ……」
「バカ! ここでそれはやめろ!! 今、部屋に行くから!」
嫌好を引きずり、支部長室の横の個室に入る。
一時間して……。
「……おい、嫌好、そろそろ離せ。かれこれ一時間経ってるぞ」
「ん~? 知らなーい」
「ずっと立ちっぱなしで足痛いの!」
「じゃあ俺の膝に座って……」
「嫌だ! てかお前、人前と俺の前だと随分態度が違うな」
「他人なんて知らねー」
「ただの対人恐怖症だろ?」
「知らない」
嫌好は禊から顔を背ける。
「あ、ねぇ禊。アレ覚えてる?」
「アレって?」
「お嬢の成人式」
「お嬢……あぁ、琉子ちんのか」
「うん」
「……え? マジ?」
「うわ。怒られても知らない」
「うわぁぁやべぇぇすっかり忘れてたぁぁ」
禊は顔を青ざめて頭を抱える。
「苦しめ」
「お前、声は笑顔なのに顔が真顔とか怖いから!」
「どうしたら禊みたいに、そんなに表情の種類豊富になれんの?」
「表情筋固いんじゃないの?」
「そうかな……?」
嫌好は自分の頬を揉んだ。
「じゃあ観光できないか……」
「嫌好、何か言った?」
「いや」
琉子の成人式は楔荘の地元の公民館で行われていた。
「稔……じゃなくて忍、もうその先輩呼びやめて。もう私はアンタの先輩じゃないし、アンタの方がずっと先輩なんだから」
琉子はやれやれと腕を組んだ。
「すいません、琉子さん……」
忍は申し訳なさそうに頭を掻く。
「琉子さんじゃなくて、お嬢でいいよ。皆、結構そう呼んでるから」
琉子は力なく笑う。
「えっと……と、東京の大学はどうですか?」
忍が話題を変えようと尋ねると、
「ん~、そうだねぇ」
琉子はちょっとためらってから、
「疲れる!」
「え」
「人いっぱいいるし、電車の音とかうるさくて寝れないし、あと空気薄い!」
「いや、山の中じゃないんだから……」
「楔荘のあるこの町が、自然豊かで空気がキレイだから体が休まるのよ」
琉子は冷えた指先を自分の吐息で温める。
「でも、ブランドのお店が近くにいっぱいあるのは良いよね。この前だってすっごいかわいい……!」
「いえ、その手の話はどうでもいいです」
忍は真顔で話を流した。
「ハァ!?」
琉子が怒って胸倉をつかもうとすると、
「それより、禊さん遅いですね……」
二人は時計に目をやった。
「アジア支部から急いで帰ってくるんでしょ。もうそろそろ来るはず」
琉子は少し呆れた様子で、腰に手をやって行った。そして友人に呼ばれ、その場を後にした。
すると、急に忍の視界が暗くなる。
「だ~れだっ?」
「も~、何ですか禊さん……」
目を覆っている手をどかして後ろを見ると、
「残念。俺は禊にはなれないんだ……」
嫌好がやや眉を下げて言った。その後ろに禊が見えた。忍は少々残念そうな顔をする。だが、カジュアルなスーツに身を包んだ禊の姿を見て、今日ここに来たことに少し得を感じた。
「禊のスーツ姿、良いよね」
嫌好が忍の顔を覗き込む。
「うん」
「萌えだよねえへへ」
「うん……え?」
人の割れ目から琉子が飛び出す。
「ぎゃぁぁパパり゛ぃん゛!!」
禊を力一杯抱きしめた。
「あぁあぁお、お前も……力強いな……はは……ぷぁ、パパりんの首が締まるぞ……」
すると嫌好が割込み、
「ちょっと、禊は俺の夫」
「じゃあアンタは私のママりんって言いたいの?」
「え」
「こんなママりん嫌! 全然かわいくない!」
琉子は全力で首を振った。
なんだかんだして、琉子は友人と楽しくやっていた。そんな琉子を禊たちは遠くから眺めていた。
「お嬢、楽しそうですね……」
黄昏た様子で忍が話しかけた。
「何、お前泣いてんの?」
「だってぇ……」
忍はハンカチで涙をぬぐう。
「お前は一応成長してんだから、いいじゃねぇか」
禊は忍の頭を強く撫でた。
「俺は大人になれないんだ」
「え……?」
「なりたくないんだよ。多分……怖いんだと思う」
禊は愁いを帯びた表情でうつむいた。
「パパりーん! 写真撮ってー!」
遠くから琉子の声がし、
「おう!」
禊は琉子達の元へ駆け寄った。
琉子の友人たちは目を丸くさせて禊をじっと見入る。
「この人だぁれ?」
「私のパパ!」
琉子は元気よく答えた。
「この人が琉子のお父さん!?」「若~い!」「高校生?」「結構イケメンじゃん!」
まるで自分が褒められているような気がして、琉子は顔を赤らめながら、
「もー、そんなに褒めないでよ! 妬いちゃうぞ?」
「妬かないで琉子。大丈夫、アタシらの中で琉子が一番だから!」
その言葉に胸は高く大きくときめいて、
「もー、大好き!!」
琉子は友人らに抱き着いた。
「はい、撮るよー」
琉子と友人らは頬がくっつくほど身を寄せ合い、とびっきりの笑顔でピースサインを向けた。禊はふと思いつき、
「琉子、組織で流行った掛け声覚えてる?」
「うん!」
琉子は友人らに目くばせし、
「Berry Veryー?」
「「「Happy day!!!!」」」
幸せな瞬間は白い光に包まれ、一枚の写真に収められた。