いち殺し屋とその祖父の日常
一方、拓斗の自宅前で放置された園神舞は――。
「なによ……。今までは色々リアクションくれたのに……」
と、むくれていた。
「これ、舞や」
「?!」
突然背後から声を掛けられ、舞は驚いて振り返った。
「おじい様!! どうしてこんな所に?!」
普段から気配を消して行動する祖父の突然の登場に、舞は目を見開く。
「なぁに、舞がどうしているのか気になってね」
細い目をさらに細めて笑いながら答える祖父。
優しい顔をしているが、舞にとっては恐怖の対象でもある。
祖父は舞曰く「それでちゃんと見えてるの?」って言いたくなるくらいの細目である。身長は180cm程。今年で72歳。詐欺というくらい若く見える。背筋がピンとしていて、黒のスーツに小さな蝶ネクタイ姿。舞は常々祖父のファッションセンスに疑問を抱いているらしい。
「どうって。ちゃんと弾丸回収の任に就いてるわよ!」
舞はそっぽを向きながら答える。
「さっき喧嘩したね?」
「……」
舞は答えない。
「コルト・ベスト・ポケット、使おうとしたね?」
「……」
舞は祖父に背を向ける。
「舞や」
「……撃ってないわ」
舞の額から汗がだらだらと流れた。
「拓斗君が止めてくれたからね」
「……」
「“こちら”では目立つことしちゃ駄目だと言っただろう?警戒が足りん。ただの若者に銃を向けるとはもっての外だ」
「先に攻撃してきたのは向こうよ…」
「舞が怒らせるようなことを言ったからだろ?」
「……」
舞はぷくっと頬を膨らませる。
「やれやれ。わしが殺し屋のことばかり教えたのがいけなかったな……」
舞の様子に祖父は大きなため息を一つ。
「今後、こういうことをしてはいけないよ。拓斗君の生活を見習いなさい」
「えー」
机に噛り付いて勉強してるか、寝てるか、窓から外見てぼーっとしてるのを見習えと言われ、舞の不満はさらに大きくなる。
「舞」
「……分かったわよ。話はそれだけ?」
早く帰りたいことをアピールするかのように、舞は祖父に手配してもらったマンションへと足を向けた。
「待て。それだけなはずがないだろう」
祖父の言葉に舞の足がピタリと止まる。
「仕事だ」
さっきまでの軽い雰囲気は何処かに消え、張り詰めた空気に満たされる。
「……そう」
それは舞も同様のようだ。
「詳しいデータはここに入っている」
祖父は内ポケットからmicroSDを取り出すと、舞へ渡した。
「作戦開始時刻は明日23時20分」
「分かったわ」
「では、明日」
そう言うと、祖父の姿がフッと消える。突然現れて突然消える人なのだ。
そして、祖父を追うように舞も姿を消した頃――
『人の話を聞けぇえええええええ!!』
と、拓斗の悲鳴が響いたのだった。
松本佳一。58歳。男。貿易会社副社長。裏で兵器取引……。
「ふぅ……」
軽くシャワーを浴びて、パソコンに向かった舞はmicroSDのデータに目を通していた。
(ありきたりな暗殺令ね……)
今時珍しい瓶タイプの牛乳を飲みながら舞は思う。
今回のターゲットは裏でテロ組織への武器流入に協力しているらしい。自社の船に武器を紛れこませて運んでいるようだ。
(フッ……。依頼はどこの国からきたのかしら?)
舞のような実行者には依頼人については知らされない。だが、テロ問題は海外の方が深刻だ。武器の補充だけでも出来ないようにしようとの魂胆だろう。
(まぁ、別に知らなくても殺す対象が分かれば十分だけど)
「ぷはっ!」
舞は一気に牛乳を飲み干す。
空の牛乳瓶ごしにターゲットの顔写真を見る。立派な眉が印象的だ。いかにも金に貪欲そうな顔をしている。自分が運んだ武器がどう利用されているのか、考えたことがあるのだろうか?
「23時20分……。ポイントE‐303。……狙撃、か」
今回は殺害方法まで指示されていた。
「さて、色々準備しないとね」
そこには拓斗が知るような舞の姿はなかった。今の舞に再び『真の弁当』の話題を降れば、黙殺されるか、睨まれそうな雰囲気だ。
空気が張り詰めている――。
まるで無音の世界にいるようだ。
ガチャ……
舞の手にL96A1が握られていた。所謂狙撃銃だ。全長1158mm。重量6550g。装弾数10発。有効射程距離2100m。高い命中精度が評価されており、舞も狙撃ではこの銃を愛用している。
舞は具合を確かめるようにL96A1のスコープを覗く。勿論、暗視使用だ。
これが殺し屋、園神舞の姿だった――。
翌23時。九条に連れ出された拓斗が地元へ戻って来た頃。
舞は暗い路地を歩いていた。
夏という季節でありながら、身を覆い隠すほどの黒のロングコート。さらにロングコートに付いたフードまでかぶっているため、全身真っ黒だ。フードで舞の表情は窺えない。
手には長方形のトランクらしきものを持っている。おそらく、中にはL96A1は入っているのだろう。
「ポイントE‐303……。この屋上ね」
15階ほどの高さのビルを見上げて舞は言う。
オフィスビルのようだが、今は真っ暗だ。当然施錠もされている。しかし、舞は少しビルから距離を取ると、左手首をビルへと向ける。
カシャ!
軽い音がしたと思うと、舞の左手首に装着されたブレスレッドのようなものから、ワイヤーが飛び出した。それは勢いよく空へ登って行くと、屋上の何処かに固定されたらしい。
「よし」
舞はグイッとワイヤーを手前に引っ張る。と、舞の身体がぐんぐんとビルの壁に沿って登り始めた。
数秒で屋上付近までやってくると、くるっと身を反転させ、無事に屋上へと乗り込んだ。
「……」
舞は黙々と作業へ移る。データによると、ここから約2km先の倉庫で金の引き渡しがあるらしい。狙うのは、取引が終わった後。倉庫から出てきた所を仕留める。
カチャカチャ……
分解されて収まっていたL96A1を手際よく組み立てていく。時刻は23時ジャスト。
そして、暗視スコープから取引が行われる倉庫を見た。一言で言えば、大きなかまぼこのような形をした倉庫である。出入り口は一つだけ。
そして、暗視スコープを覗くこと18分32秒後。
「来た」
ターゲットである松本佳一が部下を二人連れて倉庫にやって来た。取引は手早く行われる。5分もしない内に出てくるだろう。
L96A1を握る手に力が入る。
舞はゆっくりと呼吸をする。10秒かけて息を吸い、2秒止め、また10秒かけて息を吐く。
「すぅ……はぁ……」
どんどん集中力を高めていく。風の音が消える。心臓が一定のペースで鼓動を刻む。
「!」
3分45秒後。松本が出てきた。手に大きなトランクを持っている。言うまでもなく中身は金だ。
部下二人は周囲をキョロキョロと見渡して警戒しているが、舞から見れば滑稽なものであった。
(ガラ空きだわ)
舞は引き金を引く。
パン!
軽い音がした。
狙いは心臓だ。外したとしても頭よりボディの方が的が広い。何処かには確実に当たる。
暗視スコープの中で、松本が蹲った。
「右に3.7cmのズレ」
舞は事務的に呟くと、再び狙いを定める。部下たちが右往左往する中、舞は松本の額をぶち抜いた。
「ミッションコンプリート」
舞はL96A1を片付けると、痕跡を消し、立ち去る。
驚くほどあっけなく、一人の命が絶たれた。貿易会社副社長の突然の死は、翌日の新聞に小さく掲載されたらしい。
時刻は0時13分。
「ご苦労だったな、舞」
「おじい様……」
マンションへの帰り道の途中、舞は祖父に呼び止められた。もうロングコートのフードは取っている。
どうやら祖父は舞を待ち伏せていたらしい。
「どうしたの? ちゃんと仕事はやったわよ」
「分かっておるよ。仕事を終えた舞に、これを。腹は減ってないか?弁当を買ってきた」
そう言って祖父は手に提げていたエコバックからコンビニ弁当を取り出す。
舞は弁当を一瞥すると、興味をなくしたように祖父へ視線を戻した。
「いらないわ。そんなお弁当、真の弁当とは言えないのよ」
「?」
舞の言葉に祖父は首を傾げる。
「そんなことより、こんな所で待ち伏せしてどういうつもり? そのお弁当が目的じゃないでしょ?」
「はは。バレてしまったか。……実はな、次の仕事を持ってきた」
「…孫に過剰労働なんじゃない? 弾丸の回収も終わってないのに」
連続で仕事を持ってきたことに対する詫びがコンビニ弁当だというなら許し難い。舞は眉間にしわを寄せて腕を組む。
「まぁそう言うな。わしとて舞に休んで貰いたいのは山々なんだが、依頼主からの要望でな」
「?」
「『この仕事は、是非園神舞に』ということだ」
「アタシを指名してきたの?!」
先ほどまで面倒くさそうにしていた舞だったが、祖父の言葉に真剣に話を聞く気になったようだ。
「ウム。お前もこの業界で目立ってきたようだな…」
「……依頼内容は?」
「ほれ」
A4サイズの茶封筒が舞に渡される。
「読んだら燃やして処分せよ、とのことだ」
「分かったわ」
茶封筒を受け取ると、舞はこれで用は終わったとばかりに帰宅しようとする。しかし――。
「舞」
「……何よ」
低めの声で祖父に呼び止められた。このパターンをつい最近体験したような気がするのは気のせいだろうか、と舞は思う。
「その資料……わしも目を通したが、気をつけよ」
「?」
「厄介なボディガードが付いている」
「厄介なボディガード?」
復唱した舞に、祖父は一つ頷いた。
「影井一将…」
「?!!!!」
舞の目がかつてないほどに見開かれる。
「それは……本当、なの?」
「わしも独自の情報網を使って調べたが、まず間違いない」
「……」
影井一将。凄腕のボディガード。元殺し屋。この男がガードに就くと、殺しの成功率は一気に5%以下まで下がる。殺し屋組織の天敵と言っていい。言い換えるなら、この男は『殺し屋専門の殺し屋』だ。過去、何人もの殺し屋が影井の手に堕ちている。
ただ、影井はどの組織にも属さずフリーで活動している。そのため雇うにもかなりの金がいる。めったに現れてこないのだ。
「あの男が……」
舞の拳に力が入る。手に持っていた茶封筒がぐしゃりと音を立てた。
「やっと……やっと会えるのね……」
舞は過去に思いを馳せるように何処か遠くを見る。
「この仕事。アタシ一人でやり通すわ」
その目に強い光が宿る。
「やる気になるのはいいが、油断するでないぞ」
「分かってるわよ」
「だといいがの。舞、この世界は複雑だ。今は味方でも1秒後は敵かもしれん。殺し屋組織は一つではないのだ」
殺し専門の組織は舞が所属するところ以外にも存在している。つまりは競争関係にあるのだ。多くの仕事をこなせばその分依頼もくる。殺し屋は依頼を受けてそれを遂行し、報酬を受けるのだ。人の命に値段を付けているようなものである。
時折、少しでも依頼を多く受けようと、殺し屋組織同士の潰し合いが起こる。武器の仕入れや情報収集、殺し屋は何かと金がかかるのだ。だからこそ、気が抜けない。いつどこで誰が狙ってくるか分からない。
ちなみに、舞の組織を束ねているのは舞の祖父である。殺し屋組織の中では3本の指に入るほどの大きな規模だ。それだけ、同業者から狙われる可能性も高い。故に、祖父も舞を心配しているのだ。
「それも分かってる! アタシもう帰るから」
舞はキッと祖父を睨んで歩きだした。舞の頭にはすでに影井の存在でいっぱいのようである。
そんな舞に祖父はやれやれといった感じで首を横に振った。背を向けてしまった舞が見ることはなかったが……。
祖父に呆れられていることも知らず、舞はズンズンと歩を進める。
(あの男が漸く現れた)
高揚感と緊張感。そして、プライドをへし折られた怒り。その全てが舞の中で渦巻く。
(アタシを初めて負かした男…)
過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。
「ったく、あいつらどこ行きやがった」
「ちょろちょろと変な道に入りやがって」
舞の進行方向に5つの影がキョロキョロと周囲を探るように窺っていた。
――拓斗と九条を追いかけていたタクロウ君たち一行である。
しかし、思考の海に沈んでいる舞は彼らの存在に気付かない。
「おい。タクロウ、あの女」
誰かが舞の存在に気づいたらしい。それをタクロウへと報告する。
「まあいい。この女にやられたからな。てめぇら、あの男はもういい。この女をやるぞ」
「へい」
タクロウ君一同はぞろぞろと舞の進行方向を塞ぐ。
「よぅよぅ、お譲ちゃん。先日はどうも」
タクロウ君は舞に話しかけるが、舞の頭の中はかつての影井の言葉が繰り返されていた。
『中々いい動きだったぞ。小娘』
「黙れ。アタシを見下すな」
「ハハハハ! 見下すなって。まぁ、お譲ちゃんは小さいからねぇ。ごめんね。俺、身長高くて」
そう言ったタクロウ君の言葉に周囲もゲラゲラと笑い出す。舞に手も足も出なかったという事実は都合のいいように捻じ曲げたようだ。
あの時は油断していた、と――。
タクロウ君が舞の腕を掴もうとしたのとほぼ同時、舞に再び影井の言葉が蘇る。
『今のお前に、殺す価値はない』
「うるさいっっ!!! 黙れっつてんでしょうがっっ!!!!」
舞はロングコートを翻すと、太ももに取り付けたホルスターからFNハイパワーを引き抜くと、3発ぶっ放した。
「……あ……あぁ……?」
タクロウ君たちの動きが完全に止まる。運よく当たらなかったらしい。
「二度目はないわよ。今度こそ――殺す…!」
「ひぃっっやぁあああああ!!!」
タクロウ君一同は無様な悲鳴を上げ、仲良く逃げ帰った。舞にその存在を認識されもせずに……。
しかしながら、結果的に舞のおかげで拓斗は無事に帰宅できたのであった。
誰かと出会い
何かが起こる
そして、何かが変わる
日常――
それは、人と人が交差する日々……