いち高校生とその友人の日常
「だっはぁあああ!! 疲れた……」
漸く安息の地――部屋のベッドに辿り着いた俺はその身をダイブさせる。ついでに、エアコンのスイッチオン。
「ああ……このまま眠ってしまいたい……」
制服のままだか今日は許して貰おう。
俺は心地いい眠気に身を任せ……
ピリリリ、ピリリリ……
られなかった。
携帯の着信。
「誰だゴラァア!!」
俺の安眠を邪魔した罪は重い。通話ボタンを押した瞬間、俺は怒鳴った。
『おう、麻川。オレオレ』
「あぁん? オレオレ詐欺ですかぁ?」
こちとらついさっきチンピラ風会話術を習得したところだぞ!! 相手になるぞ、ゴラ!!
『ちげーよ。九条だって。やけに荒れてんな。どうしたんだ?』
「ああ、なんだ九条か…」
俺はフッと身体から力を抜く。眠りを邪魔された怒りは残ってるけどな。
「俺、今、心身共に疲れ果ててんだ。そっとしておいてくれ」
『ああ? なにか知らねぇけど、一人で考え込むのは良くないぞ?』
「……サンキューな」
俺は友人の言葉に涙ぐむ。その気持ちだけで十分だ。
『つーわけで、明日出掛けよう!!』
「……はぁ?」
『気分転換だよ!気分転換!!』
「いや、そっとしておいて…」
『明日の13時に駅前な! いやぁ、ちょうど良かった! 俺の個人的な趣味にお前を付き合わせていいものか悩んだんだけど、気分転換も兼ねて、な!!』
「ちょっ……!!」
『じゃ、また明日!!』
プツ……ツー、ツー、ツー
「……」
俺は携帯を机の上にそっと置く。
そして、すぅ……っと息を吸い
「人の話を聞けぇえええええええ!!」
と叫んだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
肩で大きく息をする。
「たっくん! いきなり大声出して、どうしたの?!」
1階から母さんの声。
「なんでもねぇ!!」
俺は叫び返す。
「そう! もうすぐ夕飯だから、降りてらっしゃい!」
「分かった!」
……
カチコチカチコチ……(時計の音)
「着替えよ……」
俺はT-シャツとジャージを手に取り、着替える。付けたばかりのエアコンを止め、1階へ。
なんか俺、最近苦労多くね……?
「いや、そんなことはないさ……。ははっ、ははははははは」
考えすぎだな。きっと空腹のせいだ。
俺は食卓へ付き、「いただきます」と手を合わせる。
食事はできる限り家族全員で。つまりは、俺と母さんと父さんの3人で食べる。
「明日、俺出掛けるから」
夕飯の唐揚げを口に運びながら、母さんに報告。
「あらあら、勉強はいいの?」
「午後からだから、午前中にやるよ」
「そう」
これで母さんは納得。母さんは身長がなんとか150cmと小柄。ショートで茶髪。性格はおっとりマイペース。
「外出して息抜きもいいが、たまにはしっかり休め」
「俺もそうしたいんだけど、人付き合いってやつでさ」
味噌汁を啜りながら、父さんの助言にちょっと愚痴を零す。父さんは警察官(殺し屋と親交があるってばれたらヤバそうだ……)。いつもピシッときめていて、スタイリッシュな黒ぶち眼鏡とスーツがよく似合う。厳しそうに見えるかもしれないが、そんなことはない。やりたいことは自由にやらせてもらっている。
なにかと口を出してくるのは、母さんだ。大学のこととかな。
あと、父さんも母さんも40代前半なんだけど10歳は若く見える。昔は美男美女カップルだったらしい。そんな2人のDNAを受け継いだ俺は…なぜモテないんだろうか……。
九条曰く、「性格が爺臭い」とか。平穏な日々を望むことのどこが爺臭いんだ!!
いかん、話が反れた。閑話休題。
「ごちそうさん」
自分の使った食器は運んで洗っておく。我が家のルールだ。
今日は風呂入って、早く寝よう。
風呂に入って冷房を付けた部屋で寝る。
俺の至福の時は、これが最後だった――。
翌朝。
塾の問題集を解き、出掛ける準備をする。
にしても、九条のやつは俺をどこに連れていく気だろうか……。
そんなことをつらつらと考えながら、駅へ向かっていると
「麻川!!」
「!」
ほぼペシャンコの大きなリュックを背負った九条が手を振っていた。髪は短髪で黒(受験前に髪を染めてる奴は流石にいない)。カジュアルな格好にキャップをかぶっている。身長は170cm後半くらい。目の錯覚か、九条の周囲にキラキラしたオーラが見える。
「よぉ……」
俺は九条のハイテンションぶりにリアクションの取り方を悩む。笑顔が眩しすぎるぞ! 九条!!
「遅いって。麻川。もう切符買っといたからよ」
「あ、ああ。悪い。サンキューな」
俺は言われるがままに電車に乗る。
しかし、その後電車に揺られること2時間(乗換2回)、バスで20分という辺鄙な所に連れて来られた。長いっつーの!!
しかも、辿り着いた店は今にも潰れてしまいそうな木造建築。耐震強度は大丈夫なのか? とツッコミたくなる。
この店の主な取り扱いは、日本・世界の地図や名所など地理関係のものらしい。
「いや~、助かったよ麻川!この『自宅に居ながら世界旅行を楽しんじゃおうセット(全30種)』どうしてもほしかったんだ!」
「……そうかよ」
最初はペシャンコだったリュックは今やパンパンだ。ちなみに、俺の分のリュックもあった。なるほど、俺は荷物持ちか…。
「マニアック過ぎてネット販売もしてなくってよ! 郵送サービスもなくてどうしようかと思ってたんだ!」
時代の流れに乗り損なった店なんだな……。よく経営している……。
ちなみに、九条が買ったなんとかセットだが、簡単に言えば世界各地の模型である。ただ、俺はこのセットで模型化されている場所を一つも知らない。俺、これでも受験生だぞ……。流石マニア向けだ。
「折角だし、この辺うろついて帰るか!」
「いや、真っ直ぐ……ぐえっ」
帰ろうという言葉は九条に襟首を引かれることで失った。首が軽く締まる。殺す気か!!
結局、九条の気の赴くまま歩き回った。
「そろそろ帰るか」
俺の精神と肉体が限界を迎えそうになった頃、九条がそう言った。俺の周囲がパァっと明るくなる。
そして、23時。
俺は慣れ親しんだ土地へと無事帰還を果たした。真っ暗だ。
「だはっ! 疲れた!!」
「良い気分転換になっただろう」
九条はニッと笑う。
「へーへー」
もうまともに相手をする気にもならん。こいつとは高1の時から友達だが、こんな濃い趣味を持っているとは知らなかった。
「とりあえず、家に寄ってけよ。それ頂くから」
九条は俺を労わる為ではなく、俺が背負うなんとかセットに熱い視線を送りながら言う。こいつとは高1の時から友達だが、こんな薄情な奴だとは知らなかった。
道中、このなんとかセットがいかにクオリティの高いものかを延々と語られた。ウゼェ……。
「ホント、こういうのを見ると世界は広いんだなって思うんだよ!!」
「あー、そうだな」
お前や園神みたいな奴がいるもんな。世界は広い。
「……ん?」
九条の話に適当に頷いていると、前方になにやら見たことがあるような影が5つ……。
「どうした?麻川?」
九条は不思議そうに問うと、俺の視線を追って前方を見た。
「げ……。なんだか面倒くさそうなのがたむろってるな」
「ああ……」
俺の目の錯覚か、昨日園神にボロボロにされた奴らに似ている。白い包帯が痛々しい。入院するほどじゃなかったのか?
と――。
「ああ?」
「あ……」
思いっきり太郎君と目が合った。
「って、ああ!! てめぇは昨日の! あの女の連れ!!」
「やっぱり太郎君?!」
俺は興奮のあまり自分が勝手に付けた仮名を叫ぶ。
「誰がタロウだ!」
「あ、いや、すみません。これは俺が勝手に……」
「俺はタクロウだ!!」
「おしい! ニアピンか! ……じゃなくって!!」
なにノリツッコミしてんだ俺は!!
「麻川、お前の知り合いか?!!」
九条が俺と太郎…いや、タクロウ君たち5人を見比べて訊いてくる。
「い、いや……知り合いってワケじゃ……」
「昨日の借りは返させてもらうぞ!!」
「やべぇ! 逃げるぞ、九条!!」
「おい! 麻川!!」
俺は九条の手を引いて走る。追って来るタクロウ君たち。背中で揺れるリュックが鬱陶しい。
ついさっき世界は広いとか話していたが、あいつらとまた出会うなんて世界は広いようで狭いのかもしれない。
背後からタクロウ君たちの怒声が聞こえてくる。
「麻川! お前ともあろう者がどうしたんだよ!!」
「ああ?」
隣を並走する九条の急な問いに、俺は眉を顰めた。
「自分が助かればそれで良し! 例え、幼女と若い母が震えて助けを求めてこようとそれさえも風景の一部と見なし、視界に入れても視覚に入れずに通りすぎるお前が! あんなガラの悪い奴らと関わりを持つなんて!! 信じられねぇ!!」
「俺は一体どんなキャラだ!!」
確かに、こういう奴らとはできるだけ関わりたくないが、そこまで人でなしじゃねぇ!!
頭に血が上った俺はムキになって言い返す。
「あいつのせいだよ!」
「あいつ?」
九条が聞き返してくる。
「転校生の! 園神舞だ!」
「なん……だと……!?」
九条は何を思ったのか、驚いている。というか、感動している?
「麻川、すまん。俺はお前を誤解していた」
「はぁ?」
「あいつらが園神さんに絡んでいったんだな……。お前はそんな園神さんを助けようとして……!」
「ちげぇよ……」
掠りもしてねぇ。
「俺はお前を見直した!」
「だから、人の話を聞けって!」
「協力するぞ! お前は俺が絶対に逃がしてやる!」
「マジで?」
それは有り難い。
「これを見ろ!」
九条は「バーン」という効果音が付きそうなほどの勢いで、ポケットから何かを取り出す。
「スマートフォンだ!」
「……?へ、へぇ……」
え? なんだ?
一瞬リアクションに困る俺。
「この画面をよく見ろ!」
九条が言った通りスマートフォンの画面を見る。走りながらだから見にくい。それでも画面に目を凝らすと
「うわっ! なんだ?! 毛細血管?!!」
色とりどりの細い線が縦横無尽に走った画面が見えた。
「ちげぇ!! この辺の地図だ!!」
俺の素直な感想は九条の拳骨付きで叩き伏せられる。
しかし、俺の感想は正しい。はっきり言って地図に見えない。現在地が何処かさえ俺には分からない。
「わ、悪かった。そう怒るなよ……」
また素直な感想を言えば殴られそうなので、ズキズキと痛む頭を押さえて謝っておく。
「まぁいい」
九条はコホンとわざとらしい咳をすると改めて口を開いた。
「これは俺が長年かけて集めたデータをもとに製作したんだ」
「すげぇな」
というか、マメだな。
「フッ。まぁな……。これは!! 主要な道はもちろん、裏道! 小路! 道ならざる道を道と見なし作り上げたものだ!!」
「おおー! ……って道ならざる道を道と捉えるな!!」
「これを使えばあいつらを振り切れる!!」
九条は追ってくるタクロウ君たちに視線を向けて言いきる。
「……俺のツッコミは無視かコノヤロウ」
「麻川!! 来い!! こっちだ!!」
「……」
人の話を聞かない人って駄目だと思うな。
俺は多少の寂しさを覚えながら九条を追う。とにかく今は、タクロウ君たちから逃げることが大切だ。
暫く、九条の背を追って走る。すると、
「麻川! 俺たちは運がいいぞ!」
と九条が唐突に叫んだ。
「ああ?」
グネグネとした道を走ること5分。この大きな荷物のせいか、未だにタクロウ君たちを振り切れない状況だ。
「こんな所で俺に数々の道を伝授してくれた師匠に出会うなんて!」
九条の目が一気に輝く。
「師匠?!」
こんなのにまで師匠がいるのか?!
俺は慌てて九条の視線を追う。
「って……!」
「ニャー」
「野良猫じゃねぇか!!」
「野良猫じゃねぇ!! 獅焔師匠だ!!」
「無駄に名前がかっけぇ!! ……うっ」
いかん。余計なツッコミで体力の消耗が……!
だが、理解した。九条に道ならざる道を教えたのはこの獅焔師匠だ。瞬間、俺の脳内に楽しそうに野良猫を追い回す九条の姿が浮ぶ。
「……」
頭を振って叩き出した。
「麻川! 師匠に続けー!!」
「おいっ!! ちょっと待てゴラァアアアア!!」
少し欠けた月が綺麗だ。
俺と九条は道端に伸びていた。タクロウ君に追いつかれてボコられた訳じゃない。塀の上やらやっと通れる隙間やらを潜り抜けて体力が限界を迎えたのだ。
もともと九条に付き合って歩き回っていた俺は、脚の感覚がなかった。唯でさえ受験で机に齧りつくような日々を送っているのだ。いきなりこんな激しい運動は身を滅ぼしかねない。
「帰るか……」
「ああ……。なぁ、九条……」
「んん?」
「一応、サンキューな……?」
「『一応』と『?』は余計だ」
「……」
確かに九条のおかげで逃げられたが、素直に感謝するには色々と納得がいかない。
「お前ん家、どっちだっけ?」
俺は華麗に話題を逸らした。
九条の家になんとかセットを無事に運び、九条と別れる。
「はぁー」
大きなため息。駄目だ。幸せが逃げる……。俺は文字通り足を引きずるようにして帰路についた。
幸い、タクロウ君たちと再会することはなかった。良かった……。
にしても――。
なんで俺はこんな目に遭わなくちゃいけないんだ……。
九条の趣味に付き合って遠出した。これはまぁいいだろう。問題はタクロウ君たちだ。何故追い回されなきゃならんのか。
答えは出ている。
――園神舞。
こいつと関わっていなければ追い回されることはなかった。今まで日々変わりなく生きてきたのだ。
そう思うと、自然と拳を握り締めていた。
「あんにゃろ……俺の……俺の……」
欠けた月に向かって叫ぶ。
「俺の日常を返せぇええぇええええ!!!」
虚しい声が響く。
静かに
ゆっくりと
しかし、確実に――
園神舞との出会いは麻川拓斗の日常を変えてゆく
否、浸食してゆく
日常――
それは、常に変化する日々……