くじら
くじら
私は船乗りの家系に生まれた。
父も船乗りで、母も船乗りだった。
私は別に、船乗りになりたいわけではなかったのだが、父と母がそうだったので、私もそうなる事は、自然な事だったし、そう思えた。
あれはいつかの航海の事だった。
私はまだまだ駆け出しの船乗りで、あっちに行け、こっちに行け、あのロープを引っ張れ、という先輩達の言われるがまま、必死で働いていた。ロープを引くと、帆が傾き、西側の風を受けた。私は私がロープを引っ張ったから、帆が傾いたのだと言うことに気づくまで時間がかかり、自然に傾き、風を受け始めた帆を見て、不思議なものだ、と感心した。
航路の前半は順調だったが、後半、先輩方が魔の海域、と呼ぶ海域に差し掛かった。
私は、何故魔なのです、と先輩に聞いた。
先輩は、くじらが出るのだ、と言った。
私はおかしく思った。くじらが出るから、なんだと言うのだ。その言葉の意味は、後ほど知る事となった。
その日は嵐だった。先輩方は良く働き、良く怒鳴った。私もいつも以上に一生懸命動いた。その時、船が何かにぶつかり、大きく揺れた。
くじらだ! と、先輩の一人が叫んだ。私はくじらが船に体当たりするなど、聞いた事もなかった。
二度、三度、船は何かにぶつかり続け、大きく揺れた。私は船から振り落とされそうになった。ちらと海面を見ると、大きな影が見え、それは動いていた。もしかすると、海面も大きく揺れているせいでそう見えたのかもしれないが、ともかく私にはそう見えた。
五度目の揺れが起きた時、先輩の一人が浸水だ! と叫んだ。船の底面から海水が入り込んだらしく、先輩の何人かが水を掻き出しに船底へと降りていった。私は、何を無駄な事をと、他人ごとのように感じていた。
船はどんどん沈んでいき、その間にも何かにぶつかり続けた。いや、何かが船にぶつかり続けた。八度目の揺れの時、遂に私は海中に投げ出された。私は海中で目を開けた。海中は海面よりは、落ち着いて見え、同じように投げ出された先輩方の何人かが海面に出ようと、もがいているのが見えた。船はもうほとんど前進していない様子で、三分の二ほどが沈んでいた。
そうして、大きな影が私達を覆った。
くじらは、ブラシのような歯を持っていて、私達の目に見えないような小さな生物を濾して食べると、私は図鑑で見て知っていた。だが、それは嘘だった。私は目が覚めた時、何かの体内に居た。それは多分、くじらの体内だった。
私は生暖かい肉の上で目が覚めた。肉は、油絵具の桃色と紫色を均等に混ぜた時、出るような色をしていた。一度空を見ようと視界を上に上げると、そこも肉で覆われていた。
私が目を覚ました肉の周りは、液体に浸っていた。まるで、肉の島だと私は思った。私の肉の島とは別の肉の島の上に、私達の乗っていた船の残骸があり、傾いていた。みしみし、と音を立てていた。そのうち、船のマストが折れ、液体へと降っていった。それは液体に漬かった瞬間、じう、といった音を立て、溶けていった。
私は、とんでもない事に巻き込まれたぞ、と思った。




