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ア戦sioン  作者: 唖ヰ路 むネん 
第二章
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夜の王と血 0.2

 真っ先に目に入ったのは見慣れた灰色の壁。カーテンの隙間から差し込む陽光で、縦に伸びる幾筋かのヒビ割れまでがよく見えた。菫青はくるまっていた布団を剥がして起き上がり、現実の感触を確かめた。


「夢、か…………」


 心臓は依然早鐘を打っているが、思考は落ち着きを取り戻しつつあった。すべてがその場で実体験しているような、恐ろしく現実感のある夢だった。菫青は確かに大気の質量を感じ、熱量を感じ、そして恐怖を感じた。あのおぞましい怪物たちの姿は今も瞼の裏に焼き付いて離れない。だが――――所詮はただの夢である。痛みを感じたらそれは夢じゃないと云うが、どうやらその情報は真実ではないらしい。


 肌に張り付いた湿った下着の感触が不快だった。悪夢に加え、肩まで布団に包まっていたせいで寝汗をかいてしまったらしい。むしろ因果関係はその逆で、布団と汗のせいで悪夢を見たと云った方が正しいのかもしれない。菫青はいつもより若干重くなったシャツを脱ぎ捨てると、押し入れから家に三枚しかないタオルを取り出して汗を拭き、朝ご飯用に買っておいた弁当を食べ始めた。


 例のトランプゲームの依頼を受ける日が、何時の間にやら当日に迫っていた。最初のメッセージを受け取ってから一週間程の間、菫青は何度かクライアントと連絡を取って、より詳しい情報を入手していた。依頼主の名前は桐谷創二きりたにそうじ。男に関するそれ以上の情報は無い。名前すら偽名かもしれない。“遊び”が行われるのは首都の中で最も古く、知らない人はいない有名繁華街のとある店。その場所は、“裏世界の社交場”と呼ばれているらしい。そしてこの“遊び”の主催者マスターは、この国で最も凶悪と云われている反社会的組織、通称『日本総連合』の幹部、志垣清介しがきせいすけである。彼は夜の街で違法な店を経営し、ありとあらゆる博打、賭け事の主催者マスターをする事で組織の資金を稼いでいる。とは云うものの、志垣は見せかけだけの成り上がり野郎ではなく、実力で幹部に上りつめた男であるらしい。その腕はあらゆる賭け事において無敵の強さを誇り、彼との勝負は桁違いのレートで行われるという……。


 以上はすべて依頼主談だが、桐谷創二はそんな末恐ろしい相手から一発ふんだくってやろうという訳である。「馬鹿と天才は紙一重」とはよく云ったものだ。


 菫青には個人的な仕事のルールとして、顧客に関して知り得る情報は必要最小限に留めておくべきである、というものがあった。知る必要の無い情報は、時に厄介事の種になる事が多いからだった。だから今回も、依頼主が積極的に公開する以上の情報をこちらから求めたりはしていなかった・・・・・。いずれにしても、桐谷創二がこちら側の人間でない事は簡単に予想がついた。問題は、彼が『日本総連合』の名を出した事にある。この組織はあまりに謎が多すぎて、裏社会の事情に比較的精通している菫青でさえも、その実態については殆んど聞いた事が無かった。それは治安当局も同様であるらしい。

 ここ数年の間に起きた数百件の凶悪事件の中で、犯人が特定されていない事件の大半が、背後で日本総連合の関与があったと云われていた。ところが、この『日本総連合』という通称自体、当局やメディアがどこからともなく云い始めたもので、組織が自ら名乗りを上げている訳ではなかった。彼らには凡そ組織らしい構成員が見当たらず、又本拠地とする建物も無いとされていた。いわば、実体の無い影のような組織なのである。その点が歴史ある暴力団や反社会的組織と大きく異なるところで、彼らの目的は自己の存在を誇大に示す事には無いと思われる。そしてそれ故に、彼らの犯行は恐ろしく残虐で、とにかく人に危害を加える事を至上目的としているような、そんな傾向すら垣間見える。

 では、実体の無い彼らはどうやって犯罪を起こしているのか。犯罪の主役となるような人員は主にネット上で集めているとされる。それは殺人事件を起こしたある男が偶然逮捕された時、明らかになった。その男はネット上で高額の報酬を見返りに、あるターゲットを殺害するように依頼されたのだという。普通なら見ず知らずの人を殺せなどと云われても実行に移す者などまずいないだろうし、よほど金に目がくらんでいたにしても、報酬の話を信じられるとは思えない。然し実際はそうはならなかった。何故そのような事が出来たのかは不明だが、日本総連合はこの男が何が何でも殺人に手を染めると知っていたのだ。そしてこの組織は、ほとんど全く自らの尻尾を出さずに、目的を達成した。


 さっき、「偶然逮捕された」と云ったが、ここが日本総連合のもう一つの恐ろしい特徴である。彼らは最前線で犯罪を犯す『実行部隊』を有していないが、彼らに踊らされて犯罪を犯した哀れな人形を処分する『暗殺部隊』は持っていると考えられるのだ。それは事件の捜査が進んでいく内に犯人の面が割れたとしても、その頃には犯人もまた死体となって発見されていたり、行方不明になっていたりする事から推測されている。実行犯のネット上でのリクルートと、証拠を残さない為の隠蔽暗殺――――このシステムが、日本総連合を最も凶悪な組織とする由縁である。


 それはさておき、菫青はこの依頼が自分の所に回ってきたのを実に幸運な事だと思っていた。たとえ相手が繁華街の帝王でも自分の前では無力に等しい。そう、ゲームの盤上ならば。とりわけ運や技巧の要素より騙し合いの方がメインであれば、まさに自分の為に用意されたようなものだ。彼はそう信じていた。


 菫青は久しぶりに自分の才能に感謝したい気分だった。最近は嫌なものばかり見せつけられてうんざりしていた。結果の見えた勝負を前に珍しく朝から機嫌が良かったのだが、この遊びは当然の事ながら真夜中にひっそりと行われる。本命の時間まで、簡単にクリア出来る依頼に半日を費やして時間を有効利用する。それがその日の彼の完璧なプランであった。


 菫青は手早く着替えると、意気揚々と部屋を出て、一件目の依頼主の元に向かった。


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