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ア戦sioン  作者: 唖ヰ路 むネん 
第一章
3/36

契約違反 0.2

 最寄りの駅から電車で一時間弱揺られ、菫青はその病院に着いた。首都のど真ん中に広大な敷地を有している『高等医療研究センター』。数年前から日本各地で多発している原因不明の奇病を研究する為に建てられた施設だが、一般的な病気の患者も受け入れる総合病院として、大勢の利用者を抱えていた。便利な事に『高医研センター前駅』から病院内まで直通になっているため(エスカレータが延々続いている)高齢者の通院も多い。間違いなく、首都圏最大の医療関連施設であった。


 すっかり慣れ親しんだ通路を通ってロビーに入るとそこは吹き抜けになっており、三〇以上ものフロアを貫いて天井から太陽の光が差し込んでいた。それはまるで、この病院で亡くなった人々を天国へと導く回廊のようにも見えた。それ故菫青はこのロビーに長くとどまるのがあまり好きではなかった。もっとも、最近は異常気象が多く綺麗に晴れ上がる日の方が少ない。今日のようにくっきりと光が差し込むのは極稀だった。


 エレベータで二二階に上がり、ナースセンターの横を通って右に曲がる。五〇メートル程続く廊下の一番奥、左側。E-二二-一三号室が彼の目的の病室だった。


 中に入ろうと引き戸に手をかけたところで、菫青はいつも動きが止まってしまう。目を閉じ、数回深呼吸して波打つ心臓を落ち着かせる。それから静かに扉を引いた。


「あ、お兄ちゃん!」


 部屋の四隅に置かれたベッドの内右奥、外の景色が良く見える所で、歳の割には幼く見える少女が手すりに掴まり身を乗り出していた。まっすぐな黒髪と、対称的な真白い病院服に身を包んだ彼女は、見飽きているであろう兄の顔にすら喜びを露わにし、弾けるような笑顔を見せてくれる。


「ねぇねぇきいて、きいて! 今日凄いことがあったの!」


 やれやれと云いながらベッド脇の椅子に座ると、今日は誰々に会ってこんな話をしたとか、テレビではこんな事をやっていただのと、他愛もない話を始める。御影のおしゃべりを聞いている間は、生活上の悩みも遠ざかって、疲労感を忘れられる。それが、それだけが、菫青のささやかな楽しみだった…………。




 現実とは、残酷なものである。




 そんな夢みたいな事が起きるかもしれないと、何度思った事か。扉を開けても何も起きなかった。元気に笑う妹の姿など、何処にも無い。右奥のベッドは今日もカーテンで隠されている。菫青はそれをそっと引いて中を見た。 

 病床に臥した彼女は、その体勢から髪の広がり、服に付いたしわ(・・まで何一つ昨日と変わらぬままだった。ただ眠っているだけのようにも見えたが、その深い眠りは既に三年もの間続いていた。当時まだ一二歳である。一二歳には重すぎる運命を、この子は背負わされた。


 三年前のあの日まで、菫青の家は至って普通の家庭だった。両親は共働きだったが、特別貧しいという訳ではない。他の家と違ったのは、家族の仲が良すぎる・・・・事ぐらいだった。子供達が思春期真っ盛りになっても、よく家族揃って旅行に行った。あの日も、家族四人で田舎の温泉から帰ってくる途中だった。ただそれだけである。別に贅沢をした訳でも、誰かが悪い事をした訳でもない。それなのに、彼の大切なものは壊された。飲酒運転のトラックだった。真正面から衝突したせいで前に座っていた両親は即死した。菫青も頭蓋骨骨折の重傷を負った。妹はもっと酷かった。一命をとりとめただけでも奇跡だと医者には云われた。神は嫉妬したのだろうか? それとも、ただ掌中しょうちゅうの駒で遊んでいただけだったのだろうか? 俺の両親は死んだんじゃない、殺されたんだ――菫青はそう思って、今日まで生きてきた。

 

 天河御影あまかわみかげと書かれたプレートは、もう三年も同じ場所に入っている。


 菫青はほのかに温かい小さな手を取り、いつものようにたった一言だけ言葉を掛けた。


「いつか必ず…………助けてやるからな」




 ……***……***……***……




 午後六時を過ぎた頃、椎谷佳澄は笑顔で公園の中に入ってきた。よほど幸せな一日を過ごしたものと見える。


「探偵さん、お仕事お疲れ様でしたー!(^o^)/」 


 椎谷佳澄は菫青の前に来ると、ペコリと頭を下げた。


「いえいえ、そちらこそ。一日お疲れ様でした」

「全然お疲れじゃなかったですぅ~(*^▽^*)」


 椎谷佳澄は「うーん、楽しかった!」と云いながら背伸びをした。


「それは何よりです」


 菫青も人の良さそうな笑顔を作り、うなずいてみせる。接客業は笑顔が命だ。


「それで、どうでした? いや、聞かなくてもウチ的にはほぼ確信してるんですけどー、やっぱり安全第一ですよね。石橋を叩いて壊すってゆう奴です(・∀・)?」

「そういえば、あなたからはまだ前金を頂いていなかった」


 椎谷佳澄のボケは無視して、菫青はポンと手を打った。


「先に頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 その言葉を聞いた途端、椎谷佳澄は真顔になって菫青の顔をじっと見つめた。その目には困惑と猜疑心が見え隠れしている。


「それってどういう意味? もしかして、翔がウチのこと好きじゃないって云いたいわけ?」

「いえいえ、違いますよ。それとこれとはまったく別の話です。私はクライアントから前金を頂いて仕事をこなし、結果を伝えて後金を頂く、そういうシステムでやっているのです。もしあなたから前金を頂く前に依頼の結果を教えてしまったら、他のクライアントとの間に不公平が生じてしまいますでしょう? そういうのは信用が命の仕事では致命的なんですよねぇ」


 菫青は懇切丁寧に説明した。


「前金を頂けないようでしたら、結果は教えられません。ご理解いただけましたか?」

「そういうこと云って、ホントは騙そうとしてるんじゃないの? ……やっぱりダメ。結果を先に教えて頂戴。それから払う」


 残念な事に、ここで結果を教える訳にはいかなかった。彼女の望み通りの結果を伝えられるのならば、それでも良かったかもしれない。だが実際はそうではないのである。そしてこの女は、悪い結果に対して金を払うほど気前の良い客ではないのだ。ならば方法は一つしかない。


「仕方がありませんね。今回に限り、あなたには前もって結果をお伝えしますが、くれぐれも他の人には内緒にしてくださいね?」


 菫青はわざともったいぶって前置きした。


「翔さんはあなたを好いていますよ。すぐにでも告白していいでしょう」

「…………本当なの? 嘘吐いてるんだったらただじゃおかないけど?」

「だからさっきも云ったでしょう。この商売は信用が命。嘘なんて、吐くわけがない」

 

 椎谷佳澄はふーんと云いながら菫青の全身をじろじろと観察し、あからさまに彼が信用に足る男か値踏みしていた。


「ほら見なさい。あなたが前金を払わないせいで、あなた自身が疑心暗鬼になってしまった。ちゃんと前金を払っていれば私が嘘を吐かないと信じられたのに……これでは私が何を云っても意味が無くなってしまうじゃないですか!」

 

 椎谷佳澄は暫く考えた後、どうしても避けたかった予想通りの答えを出した。


「あなたの云う通りよ、これじゃ何を云っても信じられない。この話は無かったことにして」


 そう云い残し、椎谷佳澄は何事も無かったかのように颯爽と立ち去ろうとする。


「はぁ……」


 溜息を吐くしかなかった。なるべく事を大きくしたくはなかったが、こっちは一日費やしたのである。タダで帰らせる訳にはいかなかった。


「おい」


 接客用とは違う低い声を出して、椎谷佳澄の注意をこちらに向かせる。次の瞬間、菫青は彼女の口を片手で押さえて地面に引き倒し、そのまま引きずって公園の隅まで連れていった。なるべく茂みの影に隠れるようにして、女の華奢な身体をフェンスに押し付ける。椎谷佳澄は突然の出来事に最初は目を丸くしていたが、次第に恐怖を感じ始めたのか、必死に「んぅー! んぅー!」と声を上げていた。その目には涙すら浮かんでいた。


 菫青は彼女の口を押さえたまましーっと人差し指を立てて、静かにするように促す。


「なあ、わかってくれよ。俺だって好きでこんなことをやっているんじゃないんだ。そもそも先に約束を破ったのはあんたの方だろ。それなのに……これじゃあまるで俺が悪人みたいじゃないか、ん?」


 椎谷佳澄は抵抗すれば逃げられると思ったのか、手足をばたつかせて拘束を解こうとする。


「はぁ……」


 菫青はまた一つ溜息を吐くと、椎谷佳澄のみぞうち・・・・に一発グーを入れた。


「……ッ……ッ……」


 口を押さえられているせいでまともに咳こむ事も出来ず、椎谷佳澄は苦しそうな表情を浮かべた。


「あんたが金を払ってくれれば、俺はさっさと立ち去るのによぉ…………ああ、そうだった! せっかくだから良いことを教えてやろう。さっき、愛しの翔君はあんたに惚れてるって云ったな?」


 菫青は椎谷佳澄の膨らんだ胸に人差し指を押し当て、真実を告げた。


「あれは嘘だ。アイツはお前のことなんかこれっぽっちも好きじゃない。そもそも女として見てないって感じだな。つーか、お前ら幼馴染なんだろ? なんでずっと近くにいるくせにそんなことも分からないのかねぇ。あんたはアイツのことなんっにも分かってなかったんだよ。どのみち恋人なんて、相応しくなかったのさ!」


 恐らくこの状況で最も残酷な言葉に、椎谷佳澄は絶望の表情を浮かべるしかなかった。


「さあ、わざわざ真実まで教えてやったんだ、そろそろ財布の紐を緩めたらどうなんだ? 前金分と後金分払ってくれよ。ああ、でもバッドエンドだから後金は取らないんだった。でもこれだけ迷惑かけたんだから後金分も払ってもらおうかな。じゃあ、合わせて一万円です」


 菫青は笑顔で、彼女の目の前に手を差し出して見せる。然し、椎谷佳澄はもはや失神寸前だった。彼の言葉を理解できているのかさえ怪しかった。


(ちッ、やりすぎたか)


 口を押さえていた手を放しても、椎谷佳澄は逃げるでも叫ぶでもなくただそこに横たわっていた。目は虚ろで焦点が合っていない。こうなれば自分で財布から金を抜き取るしかないが、そんな泥棒みたいな真似をするのはお断りだ。自分は悪人ではない。それだけは譲れなかった。


 諦めて何も取らずに帰ろうと決めかけていた時、


「何をしているんだ!」


 唐突に発せられた大声に、体が小さく飛び跳ねた。


(誰かに見られた――!?)


 そんな風に戸惑ったのは一瞬である。振り返ると同時に対象との距離を一気に詰め、喉元に一撃を加えようとする。瞬時に相手を無力化させる部位はいくつかあるが、菫青が最も得意とする攻撃は喉仏への一突きだった。

 

 狙い澄まされた一撃は確実に急所に命中する――――はずだった。


 ところが、相手は思わぬ動きを見せた。菫青の突きを紙一重でかわすと、そのまま伸ばされた右手を掴み、腰を入れて背負い投げをかましたのである。


「ぐうッ?!」


 思いきり地面に叩きつけられ、息が詰まる。痛みより先に疑問符が脳裏を過ぎった。かろうじて受け身はとったものの、全く予想外の反撃でダメージは大きい。三半規管が乱され天地が揺らいでいる隙に、相手は躊躇なくのしかかり、身動きを封じてきた。この一連の流れだけで相手が常人でないことは明らかだった。そして、美しいとも思える見事な流れ技を使うその相手を、菫青は知っていた。


「榴輝、俺だ! 菫青だ!」


 可能な限りの大声で自分の正体を明かすと、相手は驚きの声を上げた。


「菫青!? な、なんで君が、こんな所に…………」


 首を捻って自分の顔を見せ、ニヤリと笑う。菫青の上にのしかかり戸惑った表情を浮かべている男は、彼にとって疑いようもない程によく見知った顔だった。


「やっぱりお前は強いな。今の背負い投げは見事だったぞ」

「そ、そうか? アリガトウ……って、そんなこと云ってる場合じゃない! ここで何してるんだ!?」

「えっと、説明するから、とりあえず降りてくれるか? さっきから結構痛いんだけど」


 榴輝は「ああ、ごめんごめん」と云いながら菫青を解放する。


 よっこいしょと立ち上がり、服に付いた砂を払い落とす。そして、未だに状況が呑み込めずオロオロとしている親友の顔を見た。彼は休日を賑やかな街で過ごす、男子高校生らしい恰好をしてそこに立っていた。白いシャツに紺色のジャケットを羽織り、黒色のジョガーパンツを穿いている。足元には雨の日すぐに汚れそうなピュアホワイトのスニーカー。身長は一八〇センチ近くあって、菫青より少しだけ高い。にもかかわらず、今の彼はまったくの挙動不審で、普段よりどこか小さく見えた。さっきから菫青の顔とそこに倒れている椎谷佳澄を見比べるばかりで、脳が現状に追いついていない様子だ。


「そろそろ落ち着いたらどうなんだ、ん? まるで迷子の子供みたいだな」

「落ち着けるか。それより早く説明しろ。これはどういうことだ。この子は誰だ?」


 榴輝は茫然自失の椎谷佳澄を指差し、その横に跪きながら問うてくる。


「誰でもねーよ、ただのクライアントだ」

「何で、ただのクライアントが気絶寸前?」

「そのバカ女がちゃんと約束守らねーから、ちょっとおどかしてやっただけだ」


 菫青は腕組みし、椎谷佳澄を見下ろしながら吐き捨てた。そんな彼の顔を見上げながら、榴輝はゆっくりと切り出した。


「事情はよく分からないけど…………本当にそれだけ?」

「それだけだ」

「そうか。じゃあ僕はこれ以上、君には何も聞かないよ」


 説明という説明もしていないのに納得してしまう親友の器の大きさ、というか単純さに、思わず吹き出しそうになる。


「お前、今ので納得するのかよ」

「これでも僕は君の理解者であるつもりだ」


 椎谷佳澄を助け起こし、その背中をさすりながら榴輝は呟くように云った。


「君は決して弱い人間を傷つけるような人じゃない。強きを挫き、弱きを救う……そういう人間であるはずだ」

 

 もし、このような世迷言を云ったのが榴輝以外の人間だったら、菫青は迷わずそいつを殴っていただろう。少なくとも金剛榴輝の言葉(・・)には嘘偽りがなかった。その内容が真実かどうかは別にしても。


 魂の声をそのまま口に出す事、或いは出さない事は、簡単ではない。それだけに、親友の誤解と期待は重かった。


「買い被るな。俺は自分の敵は弱者だろうが強者だろうが片っ端から潰していくだけだ。お前も例外じゃないぞ?」


 本気で脅迫の意味を込めて云った言葉にも、榴輝は動じなかった。


「脅しても無駄だ。君が何を云おうと、僕は君を信じることをやめない」

「俺は『信じる』って言葉が一番嫌いなんだよなあ…………云ってなかったか?」

「君は、僕が嘘を吐いていないことを知っている」

「…………フンッ、勝手にしやがれ」


 これ以上はどれだけ話しても平行線である。菫青はさっさとその場を立ち去ろうとした。


「きんせ―――ッ!」


 後ろから、榴輝のよく通る声が飛んできた。


「僕は君のこと、信じているからなーーー!!」


 とんだお節介野郎に、菫青は手を上げて応える事しか出来なかった。


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