無意識のその先へ
「崇高なる科学者諸君、君達は神の存在を信じるか?――否、科学技術の発展によって支えられてきた現代文明の申し子である我々にとって正しい問い方はこうであろう――君達にとって神の存在とは信じるに値するものであろうか? また或いは、神とは信仰の中にのみ存在するものであろうか……?
最初に云っておこう、私は科学者ではない。科学者は『一億人の人間が持っているものは一億一人目も持っている』と考え、『一億人の人間が持っていないものは一億一人目も持っていない』と考える。脳も、生殖器官も、遺伝子も、特定の心理的傾向も……すべてがこの原則に基づいて発見され、人間の条件とさえされたのだ。科学の基礎は見えない部分に見える部分を『延長』する事である。しかし、それではいずれ人間の想像力の限界に行き当たる事になるだろう。だから本当に必要なのは――一億人が持っているものは求めず、一億人が持っていないものを求める事なのだ。
私は敢えて都合の悪い真実を暴露しよう。科学的観測や実験によって得られた結果は絶対のものではない。ましてや客観的、普遍的であるはずなど尚更あり得ない。そこで実際に行われている事は、ある事象を特定の空間や時間、条件から切り出して、我々にとって都合の良いように解釈し敷衍しているだけなのである。それでは堕落した信仰と何ら変わらないではないか。寧ろ文明の中で生きる多くの人間が、盲目的に、〈科学的に正しい事〉を絶対なるものとして至極当然のように受け入れているという事実は、『科学教』という名の宗教が人類の歴史上前例を見ない程に、多くの精神を支配していると解釈する事も出来よう。
だが、もう一度よく考えてほしい。本来、人間は思考すればするほど、自己の解釈によって世界を歪ませてゆくものではなかったか? それはすなわち、論理的思考をしているつもりの人間は実際の所、考えれば考えるほど本質から遠ざかってゆくという事に他ならない。であるならば、我々は己の認識というものを冷静に、そして謙虚に見つめ直し、自らの不完全性を自覚するべきではないだろうか。
しかしだ、諸君!
生物進化の果てにある人類の知性が、この世界の本質から遠ざかっていくなど、私は到底受け入れる事が出来ぬ! 優れた先人達によって積み上げられてきた人類の歴史は間違っていなかったのだと、私は何としても証明しなければならない。もしすべての人間に使命があるのだとしたら、これを明らかにする事が私の唯一無二の使命であろう――――――
……***……***……
ところで、現代科学では地球の外、宇宙に生命の起源と世界の真理を求めている。しかし、この方法には最初から限界があるのだとなぜ誰も指摘しないのか? どれほど科学技術が発展しようとも、人間が百三十七億光年先に辿り着く事など物理的に不可能である。この流れのままでは宇宙の果てに手が届く前に、ヒトという種が滅びてしまうだろう。
これらを踏まえ、私はある一つの仮説を立てる事にした。人間が世界から完全に乖離した精神を持っているのならば、我々の思考は世界からかけ離れていく事を意味する。それならば、『すべての意識の根底に元来根源へと通ずる道が存在する』としたらどうであろう。我々の意識、自我は宇宙の始まりから終わりまで、この世界と分かたれる事なく密接に繋がっており、それこそ区別がつかないくらい同一であるとしたら……我々が思考する事は必然であり、この上なく崇高なものであると証明されよう。
この仮説の真偽を確かめる方法は一つしかない。それは――――
『我々の無意識の〈さらにその先〉にある根源へと辿り着く事だ!』
これを成し遂げた時、我々は新たな時代を迎えるであろう。根源へと辿り着く事が出来れば、我々を拘束する様々なしがらみから解放され、人類は〈真実〉と〈自由〉、そして〈平和〉を手に入れる事が可能になるはずだ。
高邁なる探究者よ、国を超え、宗教を超え、人種を超え、今こそ一致団結しようではないかッ!」