締切日
何事にも約束の時間というものはある。殺しの仕事にもそれはある。五月三十一日、その日は契約の期限最終日だ。
午前四時。愛子の目覚ましがなるいよいよか……。胸の中で一人呟く。仕事道具をチェックし呼吸を整える。目はもう仕事モードだ。ピリピリとした空気が愛子を纏う。
朝八時。駅で敦と待ち合わせする。
「おはよ」
「おう。寝坊しないでちゃんときたな」
土曜日の朝の時間帯、駅は意外と静かだった。これから電車にのって長野の田舎までいく。
「田舎とかオレあんまり行ったことないからワクワクするわ」
車内で朝ご飯のおにぎりを食べながら、敦は笑顔でそう言った。
「いいところだよ?」
長野のとある田舎は愛子が小学生の時まで生活していた場所だった。
今回は愛子の希望でデートの場所が決まった。敦はいつも反対することはなく、基本的に愛子の望むとおりでいてくれた。好奇心が旺盛で知りたがりの敦にとってもそのほうが都合よかったからだ。
ガタンガタンと電車は音をたてながら二人を運んでいく。一通り話し、ネタもなくなったので、二人は窓のほうを静かに見ていた。
「晴れてよかったな」
敦が遠目でそう呟いた。
何本もの電車を乗り継ぎようやく愛子の育った土地にたどり着いた。
「おー…。田舎だ。」
「とりあえずバスで移動するから」
バス停で待つこと一時間半。ようやくバスがきた。そこか三十分揺られ愛子のおばあちゃんの家についた 。
「おじゃましまーす」
そういうと愛子は扉を開けた。鍵はかかっていなかった。
「いらっしゃい」
そう声が聞こえると奥から凛としたおばあちゃんが出てきた。厳しそうだけど、どこか優しい気品のある女性だった。
「お、おじゃまします」
敦は少々面をくらったあと挨拶をした。
「遠路遙々よく来てくれたね。愛子の祖母です。敦くん。とりあえず奥の部屋で休むかい?」
何時間も移動してきた敦は心身ともにヘトヘトだったのでお言葉に甘えさせてもらうことにした。 広々とした和室の部屋で愛子と敦は休息をとる。
「……いいところだな」
「ありがと」
「なんか日本の匂いだなぁ。落ち着く」
敦は寝ころびながら座布団の匂いを嗅ぐ。
「まぁ、ゆっくりしときなさいよ」
「へーへー」
三十分くらいたってから二人で散歩に出かけた。
「なにもないでしょ?ここ」
「なにもないけど、なにもないがある」
敦はドヤ顔をくれた。
「そのキャッチコピーどっかで聞いたけど……」
そのドヤ顔に愛子はあきれ顔をくれてやる。それが一連の流れになっていた。そしてそのあと二人でプッと吹き出して笑うのだ。この時間がずっと続けばどれほど幸せなのだろうか。このまま二人でずっと一緒にいれたらどれほど幸せなのだろうか。愛子はよく一人でそんなことを考えるようになっていた。普通の人はみんな愛する人に愛されて、そしてずっと一緒にいて、結婚して、楽しいときも辛いときも、二人で乗り越えていくのだろうなぁと、そしてそれは自分には叶わないことだとも、分かっていた。
それでもせめて夢だけでも見たかった。今のこの時間はまだ夢の時間だ。夢はいつか醒めてしまう。
草の丘の上に二人で座った。眺めがいい場所だ。
「ここ。小さいときによく来てた」
「愛子が小さいときって、どんな子だったの?」
少し考えたあと
「……私は、静かな子だったかな。友達もいなかったし。一人で本読んだりするのが好きだった。だから、今こうして男の子と一緒にここに座ってることがなんか自分の中じゃちょっと不思議なんだ」
「オレも本読むの好きだったよ?」
「マンガでしょ?あんたのは」
「あ、バレたか」
そういってはにかんだ。
「漫画読むの好きだったし、友達と遊ぶのも好きだったなぁ。あー、あと動物も好き。猫が好き。犬も好き。オレなんでも好きだよ。」
「でしょーね」
「あんたよく笑うし、なんでも楽しそうだもんね」
「なんかそれアホの子っぽくない?」
「んーん。私あんたのそういうところが好きだよ。よく笑うとこも優しいところも全部好き。」
鳩が豆鉄砲くらった顔で敦は驚いた。普段愛子はそういうことを言わないからだ。いや、むしろこういうストレートな発言は初めてかも知れない。
「……なによ?」
「いやぁ。愛する人に愛されてオレは幸せもんだなぁってさ」
愛子は目に涙を浮かべた。
そして「ごめんなさい……」と呟いた。