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金獅子のビルギット  作者: 彼岸堂
第一章
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 ビルギットは、密かに自分の中で想定していた人物で一番の大物が現れてしまったことに面食らってしまっていた。

 シヴルカーナ=マンティコールといえば、人間離れした美貌と並外れた知性により、国政――特に、理術院や大学の開発等に代表される文化的側面と、農業や貿易などの財政面――に強い影響力があることや、マンティコール皇国軍の【鋼】の大将軍ガンズバーンの姪であることを由縁に、彼の協力を得て皇女として最大の私兵団を持つことで知られている。【鉄華】の二つ名は、一人の皇女としては破格の力をもつことを示してのものだとビルギットは聞いていた。少なくとも、『人間離れした美貌』に関しては、ビルギットも今現在確かな実感を得ていた。

 これではいけない、と。

 皇女の放つ空気に飲まれぬよう、ビルギットは冷静さを取り戻し、改めて辺りの気配を探ろうとする。

 が。


「護衛なら6人、この礼拝室にいるわ」


 ビルギットの内心を読み取ったかのように、シヴルカーナが先んじて口を開く。外見だけではなく、中身も確かに相当なものであることをビルギットは思い知らされる。

 そういえば、と。ビルギットは、以前にガフからこの皇女が自分と同い年であるということを聞かされたことを思い出した。そう思うと、この皇女も自分に負けず劣らず可愛げがないとビルギットは内心で感じていたが、それだけは絶対に表情に出すまいとした。


「――まずは、感謝を。探宮者ビルギット、私の呼び出しに応じ、このグリフスにまでよく遥々来てくれたわ。ターバルの一件を片付けるのには、もう少し時間がかかるかと思ったのだけれど、あなたはどうやら私が思っているより優秀なようね。嬉しい限りよ」


 椅子に座ったまま謝辞を述べる皇女に対し、ビルギットは立ったままでいる。二人の距離はそれなりにあるはずだったが、どういうわけか皇女の声はビルギットにはっきりと届いていた。


「『竜の涙』は、楽しんでいただけたかしら」


 何のことだ、と一瞬思考した後、皇女の言わんとする事をビルギットは察する。


「あの店は、私が民衆の声を聞く時に用いる拠点の一つ。わざわざあそこまで出向いてもらったのだから、せめて一番良い物で歓迎したくてね」

「……ご厚意に感謝いたします」


 道理で、やたらと美味しい酒だったわけだ。ビルギットは、あの酒場の男の言う美人の意味を今ようやく理解できた。


「さて、ここまで何も説明されずに来たのだから、色々とあなたも聞きたいことがあるでしょう。話を円滑に進めるためにも、まずは、結論から言わせてもらって構わないかしら」


 ビルギットは、極めて自然に、だが確実に皇女の作り出した流れに乗せられていることを自覚しつつ、無言で頷いてみせる。そして――


「――私はあなたに、【魔王(ゴア・ダァクス)】の討伐を依頼したくて、ここに呼んだの」


 頭の中で、何か、繋がってはいけないものが繋がった感覚がビルギットに走る。


「【魔王】、だって?」


 何故こうも物事は最悪の形で現れてくるのだろうか。ビルギットのその思考が、無意識に、皇女に確認を取る言葉で現れる。


「今、マンティコール国内で奇病が流行っていることをあなたは知っているかしら」


 【魔王】という単語の衝撃があったせいか、ビルギットは皇女の問いに対し、やや遅れて反応を示す。


「身体のどこかに紋様が出てきて、悪夢を見るようになる……というものでしょうか」

「そこまで耳に入れているとは、さすがやり手の探宮者ね。話が早いわ」

「まさか、その奇病に魔王が関わっていると?」

「その通り」


 食い気味に問うビルギットに対し、余裕を持って応える皇女。


「順に、説明をしましょうか。その後であなたに改めて依頼の条件を提示するわ。初めに、確認なのだけれど、あなたは今のマンティコール皇家の状況を知っているかしら」

「……皇女様達の間で、少しもめているということなら、噂程度には」


 まだ皇帝が生きている内に「次期皇帝の座を争っている」などと皇族の前で明言することはさすがにビルギットも躊躇うものがあった。


「そう、私達は今正にもめているの。我らが偉大なる父上……マンティコール皇から王冠を賜るために、兄妹で、互いの功績を競い合っている」


 ビルギットは、皇女がマンティコールの状況を知っているかどうかを自分に問うてきたその意味に、既に気づきつつあった。


「国を悩ませるものは、皇帝陛下を悩ませるもの。そしてそれは私達皇族にとって、手柄の種になる。迷宮も、戦争も、貧困も……そして、奇病も。私は、民の間で急速に広がり、ついには父上の耳にも入ってしまったこの奇病の存在を、早急に対処しなければならないと理解した。これを解決することもまた一つの大きな功績となるだろうと思いつつ、ね。そして、皇族の誰よりも早く調査をし、原因をつきとめることに成功した」


 月明かりが、再び雲によって遮られる。


「グリフスの北東にカシナという森林が目立つ地域があるわ。ここの地下にはゴーラ学派による理術実験施設が存在していたのだけれど、これが5年前から迷宮化してしまっていてね。公社の調査によれば相当な深度のようだから、出資者を募り、将来的に迷宮街を作らせようと考え、国の管理下に置いていたのだけれど……私が行わせた調査では、奇病の発生時期は約5年前。最初期に確認されたのはこのカシナ周辺であるということが判明したの」


 ビルギットは皇女の言葉を頭の中で整理する。


「つまり……そのカシナの迷宮が原因であり、そこに【魔王】がいるとあなたは考えている」


 皇女が頷く気配をビルギットは感じ取る。


「奇病の広がり方は、明らかにカシナにある迷宮、『黒煌宮(こくこうきゅう)』を中心としている。加えて、マンティコール理術院からは、カシナの周辺での【妖魔(ネム)】の発生の増加も報告されているわ。ここまでくると、関連していないと考えるほうが難しいでしょう」


 確かに、自分も同じように考えるだろう。ビルギットは皇女の考え方に間違いはないことを理解していた。

 【魔王】。

 迷宮に潜む真魔の中で、迷宮に在りながらにして【玄界(アーシア)】に影響を与える、規格外の力を持つ存在。人々はこの真魔を、畏怖の念を以て王と呼んでいた。

 本来であれば【魔王】の存在が確認された場合、探宮者組合の手によって迷宮そのものが鎖されることになる。【魔王】を直接討伐しようという発想は基本的にない。それほどまでに、強力な――悪夢の象徴なのだ。

 ビルギットがターバルで討伐した真魔は、ターバルから探宮者を遠ざけるほどに強力な存在であった。だが、あの真魔でさえ【魔王】には遠く及ばない。【魔王】はあの程度ではすまない。ビルギットはそれを知っている。だからこそ今、違和感を覚えていた。

 皇女は【魔王】のことも、それが与える影響もよく理解している。だというのに、その【魔王】の討伐を自分に依頼している。彼女のこれまでの理知的な部分を考えれば、それは非合理であった。


「皇女様。あなたが仰られた通り、私もカシナに何かしらの原因があると思います。ですが、それだけの確信を得ているなら、何故あなたは迷宮を鎖さないのですか? あなたの持つ兵力であれば、私などという一探宮者に魔王の討伐を依頼するよりは、よほど確実なはずです」

「――それは私を試しているつもりかしら、ビルギット」


 皇女がこれまでとは違うものを宿した微笑みを見せる。

 ビルギットはそれが冷酷な何かであることに気づく。


「迷宮において人間の軍事力が通用するのであれば、この世界から迷宮なんてとうの昔に無くなっているわ。どんなに多くの兵と強力な兵器があったところで、迷宮の中は【玄界】ではない。我々は、同じ【玄界】に生きる者同士で戦争をするのが精一杯でしょう。だから探宮者は常に在り続けた。『幾多の国が滅びようとも、探宮者のみは不変であった』。迷宮のために私兵を使うような視野の狭い箱入り娘ではなくてよ」


 それに、と一区切り置いてから皇女は続ける。


「私はあなたをそこらの一探宮者などと考えてはいないわ。カシナの【魔王】を討伐するために、これ以上ない、最適の、唯一の人材だと考えているからこそ、あなたを呼んだの」

「それは、買いかぶり過ぎです。確かに私は真魔殺しを専門としています。ですが、【魔王】を討伐できるような英雄じみた存在では……」


「――いいえ。あなたならできるわ。【金獅子(シスファーン)】ビルギット」


 ビルギットの両目が見開かれた。

 皇女の口にした【金獅子】は、ターバルで言われたような『金獅子(きんじし)』とは違う。正しき発音と意味を持った言葉だ。

 この皇女は、まさか――


「ようやく、仮面が剥がれたわね。ビルギット=グリューネヴァルト」


 ――ビルギットは思い知らされた。

 自分の考えが甘すぎることにようやく気づいた。そして、この第三皇女が、とんでもない存在であることを、ようやく正しく理解できた。これまでは、あまりにも過小評価だったのだ。


「言ったでしょう? 私はただの箱入り娘ではない、と。あなたのことは、よく知っているの」


 最早ビルギットには疑う余地すらなかった。この第三皇女は自分が何者であるかを、どういうわけか、知っている。何を用いたのかまるでわからないが、調べ上げている。


「……何故、どこまで私のことを知っている」


 最低限の敬意すら捨て、感情を抜き身にするビルギット。その威圧を前にしても皇女は一切怯む様子はない。逆に、室内に隠れている護衛達がその威圧に緊張感で反応してしまっていた。


「ある伝からあなたのことを聞かされてね。個人的な興味があったのよ。各国で噂される【金獅子】と呼ばれる女探宮者の存在に。そして調べれば調べるほど、面白い事実しかそこにはなかった」


 挑発に乗ってはならない。ビルギットの冷静な部分がそう叫んでいた。


「どこまであなたを知っているか、ということだけれど、そうねぇ……」


 皇女の笑みが、より深く、冷たい何かを宿す。


「十年前に大迷宮を発生させて滅んだグリムワル連邦帝国の出身で、退魔の騎士グリューネヴァルトの長女で、かつてはグリムワル王家の残党に追われていたこと。そして、祖国の解放のために退魔の力を研鑽させ、大迷宮に入る道を探しているということぐらいしか、わからないわね」


 皇女は、わざとらしく、一つ一つ並べて口にしてみせる。それらは間違いなく、ビルギットが普段隠している自身の出自であった。

 今現在のユーグリッド大陸において、『グリムワル連邦帝国』を知らない人間はいない。

 かつてグリムワルは、マンティコールにとって最大の脅威であり、大陸の覇権を争う強国の一つであった。だが、たった一夜で国土の大半に迷宮、否、『大迷宮』を発生させ、大陸を混乱に陥れた。今や連邦内で残ったゲド小国が【国家連盟(オーディアン)】に大迷宮共々管理されている状態で、迷宮の恐ろしさを人々に再認識させるための子守唄に扱われているほどだ。

 ビルギットは確かにそのグリムワルの出身であった。それだけではなく、彼女は大迷宮と深い繋がりがあった。そして、それ故に彼女は探宮者になったのだ。

 皇女とビルギットはの視線が交じる。

 皇女はビルギットが徐々に落ち着いていく様子を読み取っていた。ビルギットは、自分が開き直って落ち着き始めていることが相手に悟られていることに気づいた。


「私はね、ビルギット。ただ迷宮を鎖すなんていう解決法を望んではいないの。それはあくまで最終手段であって、最善策ではない。私には、魔王の討伐によって事を解決しなければならないいくつかの理由がある。だから、そのために必要な人材としてあなたを選んだ。あなたも、自分が【魔王】を討伐できるような探宮者であることを望んでいる。何も無理なことは言っていないはずよ。だってあなたは、自身の目的のためには【魔王】も倒しておく必要があるのだから。どうかしら。改めて、私の話を聞いてくれる?」


 ビルギットは言葉を発さないことで、皇女の提案を受け入れる姿勢を見せる。


「……私が魔王討伐による解決に拘る理由。その一つは、奇病の根絶に迷宮の封鎖が有効であるかどうかの確証はない、ということ。今回の一件を他の皇族に先んじて私の手柄にするには、有無を言わさぬ完全な解決を示す必要がある。迷宮を封鎖しても奇病が解決しなければ、功績として弱いということよ」

「――だから、迷宮公社を介さなかった」

「ええ、その通り」


 皇女は、誰よりも早く、そして劇的にカシナ黒煌宮の一件を解決することを目論んでいる。そのための手段であるビルギットと接触するのに、他の皇族との繋がりもある迷宮公社を介することを避けるのは、必然だったのだろう。ビルギットはようやくあの封書が渡ってきた経路の意味に納得することができた。


「そしてもう一つの理由。実はこちらの方が重要で、且つあなたへの依頼の条件にも関連することなのだけれど」


 ここにきて、皇女が初めてやや困ったような、奇妙な表情を見せる。


「私の大切な友人が奇病にかかっているので、これを解決したいと思っているの」

「――友人?」


 それは、【鉄華の姫】と謳われる存在が口にするには俄に信じがたい言葉であった。

 と、次の瞬間、鈴の音が響く。見ると皇女がどこからか取り出した鈴を鳴らしたようだった。そして直後、ビルギットの後ろの扉が開かれ――


「失礼します」


 礼拝堂に新たに入り一礼をした人物は、ビルギットをここまで案内したあの小間使いの女性だった。


「紹介するわ。その子の名前はリーシャ。城で私に仕えている子で、そして、私の大切な友人」


 ――さすがに、これにはビルギットも唖然とした。


「……改めまして、リーシャといいます。どうか、お見知り置きを」


 先程までの皇女とビルギットの間にあった緊迫感とは程遠い、柔らかで可愛らしい笑顔を見せるリーシャ。ビルギットはまだこのリーシャが皇女に友人として扱われている事実に追いつけないでいた。

ようやく思考が、先の皇女の発言に結びつこうとしたとき――


「今回の依頼には、彼女を『見届け人』として同行させてもらいたいの」


 追い打ちをかけるように、皇女はビルギットにその提案を叩きつけた。



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