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ビルギットとリーシャは、小高い丘から、馬に乗って、グリフスの街並みを眺めていた。
二人の髪を揺らす風は、暖かく、優しい。
ディムロンド城を中心とするグリフスの街並みは、大陸一の賑いを遠くからでも窺える程、今日も人で満ちている。
ビルギットは、その街並みを見つめているリーシャに視線を向ける。彼女の格好には小間使いであった頃の面影は全く無い。長い旅路に備えた、流れ行く者のそれであった。
「……故郷を去るっていうことは、寂しいことよね」
ビルギットがそう口にすると、リーシャが彼女の方に顔を向ける。ビルギットは、苦笑まじりに続ける。
「私もそうだったから。少しは、わかるよ」
「……でも私は、一人じゃありません」
リーシャがそう言って微笑む。
「グリフスの皆さんと次に会うのは、ずっと先かもしれません。お城の人達に挨拶できなかったことも、少し寂しいです。だけど、私は一人で旅立つわけじゃないから……ビルギットさんがいてくれるから、大丈夫です。何も怖くありません」
「……そっか」
ビルギットは空を仰ぎ見る。穏やかな青の向こうに、自分と一緒に行きたいと願い出たリーシャの姿が映る。
(――私はビルギットさんの助けになりたい)
(――あなたが助けてくれた命を、今度は、あなたのために使いたい)
ビルギットは最初、その申し出を断った。
リーシャの新たな生き方を探すことは約束していたが、それが自分と一緒にいることとは違うと彼女は思っていた。探宮者として、そして、グリムワルの人間として、この先に待つものはあまりにも過酷である。ビルギットはそれにリーシャを巻き込みたくないと考えていた。
しかし。
(――ビルギットさん、言ったじゃないですか)
(他人のためじゃない。自分のために、他人を守るんだって)
(……私も同じです)
(私は、私のために、私がそうしたいから、ビルギットさんの助けになりたい。ビルギットさんと一緒にいたい)
(確かに私は、ビルギットさんの旅の邪魔になると思います。何の力も無く、弱い人間です)
(でも私は――)
(――もうビルギットさんを一人にしたくなんてないんです)
(傲慢です。そして、自分勝手な願いです。だけど、それでも)
(私はビルギットさんを――ビルギットさんの本当の名前を、いつか呼んであげたい)
(あなたの苦しみを、分かち合う存在になりたい)
(それがあなたに救ってもらったことの、恩返しにしたいんです)
(今、私の思いつく、私のための、私だけの生き方なんです)
リーシャの笑顔は、それ以上ビルギットに何も言わせなかった。
きっともう何を言ってもリーシャは自分を曲げないであろうことが、その瞳に宿る強い意志の光でわかったのだ。
何より――
「ありがとう、リーシャ」
「え?」
風がビルギットの呟きをかき消していた。ビルギットは、にっと、今までリーシャには見せたことのない可愛らしい笑みを見せる。
「なんでもない。さぁ、行こっか」
「はい!」
二人は、グリフスに背を向けて、馬を進め始める。
彼女たちの身を包む外套を、追い風が撫でる。
ビルギットは嬉しかったのだ。
自分が忘れていたものを、リーシャは思い出させてくれた。
自分の苦しみをリーシャは理解してくれた。
自分と一緒にいると言ってくれた。
そんな誰にとっても幸福なことが、自分にとっても幸福なことなのだと、気づかせてくれた。
「――これから、どこに行くんですか」
「まずは、東に行こう。私の身体について、教えてくれるかもしれない人がいる」
「東ですか。行ったことないなぁ」
「ちょっと河を二つ程越えていくとね、急に人の暮らしや言葉が変わっていくの。料理もまた別のものになる。それが面白いの」
「へぇ……楽しみです!」
「ただ、途中でちょっと稼がないといけないからね。目的の場所までは結構遠い。馬もいるし、蓄えがないと」
「ってことは……」
「また迷宮に入るってこと」
ビルギットがそう言うと、リーシャが、力強く頷く。
「私、足手まといにならないよう、頑張ります!」
「うん。まずは、経験を積んでもらわないとね。私達は、これから同じ旅団の仲間なんだから」
そう言うと、リーシャは、満面の笑顔を見せた。
空は果てまで青く――
ビルギットの旅は、一つの終わりを告げ。
今また、新しい旅が始まる。




