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何かの物音を感じ、リーシャは、眠りから醒めた。
そして、その空間がやけに眩しいことと、そもそも迷宮の湿った天井が飛び込んでこなかったことに驚き、辺りを見回す。
「――おっ! やっと目が覚めたね」
元気な声をリーシャに聞かせたのは、グリフスの街でリーシャに装備を見繕ったジルであった。リーシャはそれでようやく自分が太陽の光が差し込む建物の中でベッドに寝かされていたことに気づく。
「っ、こ、ここは――」
「グリフスだよ。あんたも来たことのある、うちの店さ。ずっと寝ていたんだけど……覚えていない?」
グリフスにいると聞かされて心臓が跳ね上がるリーシャ。
そして、自分がずっと寝ていたという事実にようやく頭が追い付いてくる。
最後に彼女が記憶していたのは、自分がビルギットを傷つけてしまったあの部屋までだ。
「あの! ビルギットさんは!」
起き上がろうとするリーシャをジルが制す。
「ビルギットさんなら今出ているよ。夜には戻るから安心しな。っていうか、起きてすぐにそんな声を出しちゃあダメだって。まだ体力戻ってないし、お腹減ってるでしょ? 食べやすいもの、今持ってくるから。おとなしく寝てな」
リーシャを寝かせ、扉を開けて部屋から出て行くジル。わけがわらかないままだったが、確かに酷い疲れと空腹感があり、すぐに動けそうにはなかった。
ジルがいなくなって部屋が静寂に包まれる。その間、リーシャは色々思考していたが――
「――リーシャ」
そう呼ばれ、はっとして目線を動かす。
すると、枕元にレフターがいた。
「レフターさん!」
「――元気そうで良かった」
「レフターさん、ビルギットさんは――」
「色々聞きたいことがあるだろうが、順番に説明する。まずは、落ち着いてくれ」
ゆっくりと語りかけるレフターに対し、リーシャは、その戸惑いをやや時間をかけて抑え、頷いてみせる。
「……先程ジルが言っていた通り、ここはグリフスだ。カシナ黒煌宮に入ってからは半月以上が経っている」
「半月も……」
「黒煌宮のあの部屋を内側から破壊し、通路を繋げ、出口を探した所、恐らくはタンジム達が死体を運ぶのに使っていたのであろう、我々や皇国軍が管理していたのとは別の出入口を発見することができた。そこから時間をかけ、眠る君を運び、ここまで戻ってきた」
「……黒煌宮は、どうなったんですか」
「迷宮の根幹である真魔が失われたことで、これから消滅していくことになるだろう」
リーシャは自分の手や首元を見て、迷宮内で広がっていた紋様がなくなっていることを確認する。
「勿論、背中の紋様もなくなった。君は今、完全に人間だ」
そうレフターに言われ、リーシャはビルギットの抱えているものを思い出す。
「ビルギットさんは、その……大丈夫なんですか?」
少し間を置いてから、レフターは答える。
「幸い、とでも言えばいいのだろうか。見た目としての変化は全くと言っていいほど無い。一見すれば人間のままだ。しかし――決定的に中身は変わった」
リーシャの胸に、痛みが走る。
「ビルギットは今、人間であり、竜であり、そして、真魔でもある。恐らくは【玄界】【異界】【宙界】の三界において、唯一無二の、特殊な存在となってしまった。はっきりいって私も、今後彼女の身に何が起きるかわからない。人として魔を払うか、竜としての在り方を強いられるか、それとも、魔として人を蹂躙するか。その全ての可能性を宿す存在が、今のビルギットだ。【天と地の境を創りし竜】ですら予想できなかったかもしれない、偶然の存在と言える」
それがどれほど恐ろしい可能性を秘めるものであるか、ただの人間として生きてきたリーシャには、正直想像ができない。逆に、その想像の不可能性が、彼女に漠然とした恐怖を与える。
そんな、これまでよりもさらに過酷な運命をビルギットに強いてしまったことが、リーシャにはたまらなく苦痛であった。
「――君に、頼みたいことがある」
唐突にレフターがそう言った。
「え?」
「君は優しい。だから今、ビルギットのことで心を痛めて自分を責めている。けれど、どうか自分をこれ以上責めないでほしい」
レフターは、間を置いて――まるで自分で言葉を整理するかのように――続ける。
「私はこれまで長い間ビルギットを見てきた。彼女が涙し、苦しみ、傷ついて、ずっと戦ってきたことを、誰よりも近い位置で、誰よりも長く見てきた。ビルギットは――アリアは、強い人間だ。どんなに苦しんでも、絶対に彼女は諦めず、故郷の闇を払うことを……理もなく一方的に奪われる命を守ることを、行い続けた。まるでそれしか、彼女には許されないかのように。淡々と、その刃を研ぎ澄まし、選ばれてしまったことに、その運命に立ち向かっていた。いつしかアリアは、それだけの――理不尽に立ち向かうためだけの存在になりつつあった」
レフターが枕元からリーシャを見上げる。
「だがリーシャ。君との日々が、君を守れたことが、アリアに思い出させたんだ。彼女が守りたいもの、守れなかったもの、その本当の姿を、取り戻すことができた。君はアリアを苦しめたんじゃない。君はアリアを救ってくれたんだ。もう一度、アリアとしての彼女を思い出させてくれたんだ」
嗚咽が、漏れる。
(――戻ってきてくれて、ありがとう)
ビルギットがそう自分に言ってくれたことを思い出し、リーシャは枕を濡らす。
「――ありがとう、リーシャ。私からもこう言わせて欲しい」
その直後、部屋の扉が開かれた。
「はーいお待たせ。うちの特製料理だよー、美味しいよー……って、リーシャちゃん? どうしたの、どこか痛いの?」
運んできた料理をベッドの側の卓に置いて、ジルが駆け寄る。
レフターは彼女には見えていない。
リーシャは、嘘偽りのない、本当の言葉を噛み締めて、ずっと溜め込んでいたもの洗い流すかのように、声をあげて泣いた。




