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金獅子のビルギット  作者: 彼岸堂
第四章
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 全身に纏わりつく気味の悪い感覚によってリーシャは目を覚ました。

しかし意識はまだ靄がかかったような状態であり、視界もそれに準ずるように不明瞭であった。リーシャは先程まで見ていた夢――というよりは対話――の後をまだ引いており、そのせいもあってか、しばらくは自分が何処で何をしていたのか思い出せずにいた。


「――ようやく安定したようだな」


 その声を聞いた瞬間、リーシャの意識は急激に覚醒する。そして、彼女は自分がどこか見知らぬ巨大な薄暗い空間で、十字の台に四肢を拘束されたまま磔になっていることを理解した。

 よく見ると、自分の位置を中心にして膨大な量の術式が地面に描かれており、それが紅く輝いている。

 タンジムは、磔にされたリーシャを見上げるような位置に立っていた。


「タンジム……様……」

真魔(ダァクス)の力が思いの外強かったために、安定させるのに時間がかかってしまったよ。だがもう問題はない。最終段階に入るとしよう」


 淡々と述べるタンジムを前にして、リーシャは、自身の心のどこかで「全て夢であってほしい」と願っていた部分が打ち砕かれたのを理解する。


「――どうして、ですか。何で……」

「何故姫様がこんなことを、とでも言いたいのかね」


 タンジムは、呆れたかのようにわざとらしいため息をついてみせる。


「リーシャ。君は自分が『選ばれた』ということを何故理解できない? 君のその魔素との適合率の高さは、正に天より賜りし才能であり、そして、マンティコールを新たなる段階へと進めるための光なのだ。君を、君の才能を、姫様は愛している。なんと素晴らしきことか。それ故にこのような名誉を得ることができたのだ。何をそんな、悲しむ? 凡庸な人間には決して達する事のできない偉業を君は成し遂げることができる。実に、実に素晴らしい」


 これまでに聞いたことのない程に熱の込められたタンジムの語気が、リーシャに何よりも冷たい事実を実感させる。即ち、彼等は本気なのだということ。本気で、自分の命を、国のためという名目で使おうとすること。そしてそこに一切の躊躇いもなく、それはあの皇女も同じであるということ。

 悔しさや失意、それらが入り混じって最早形容できない感情がリーシャの頬に涙を伝わせる。

 彼女の思い出の中の皇女は、優しくて、凛々しくて、美しくて、賢い、完全にして無欠な存在であった。そんな神のような皇女が、自分のことを『友人』と言ってくれたことが、リーシャにとっては本当に嬉しくて、誇りであった。彼女のためならば死ぬことだって簡単だと、そう思っていた。だが――


「姫様のために、マンティコールのために。そして、全ての人間のために! リーシャ、君は偉大な先人となるべきだ」


 これまで必要とされていたのは、自分ではなく、自分の才能だけ。それさえあれば、誰でも良かった。

 リーシャという人間でなくてもよかったのだ。

 タンジムは、その思考を隠すつもりがまるでなかった。それどころか彼は本気で「リーシャは才能によって選ばれた祝福されるべき存在だ」と認識していた。リーシャはそれを、彼の瞳にぎらつく忠誠心の輝きから察してしまう。


(――姫様にとって私は、道具だったんだ)


 リーシャにとって何よりも輝かしいと思っていた日々が、全て漆黒に塗り替えられていく。

 その瞬間、リーシャの紋様がぞわりと動く。


「では、仕上げだ。【魔人(ギル・ダァクス)】となった君が、なるべく長く生きられるように努めよう。だから、安心して人間をやめたまえ」


 タンジムが起動音声を口にした瞬間、リーシャは、自分の身体に何か別のものが入り込み、そのせいで全身が急激に熱くなっていくのを感じた。やがてそれは、激しい渇きを伴うものに変わり、紋様が身体中を這う感覚も、内側から食い破られるような痛みになる。頭の中が焼ききれそうな感覚の中、リーシャはビルギットの笑顔を思い出し――



「――すまない。待たせた」



 ――リーシャは自身の痛みが急激に引くのを感じた。

 それどころか身体中の不快感が一気に払拭される。その急激な変化に追いつけず、先程耳元で響いた声の正体もわからずにいたが、やがて、いつの間にか自分が磔になっていた台から落ちて四肢が解放されていることを認識する。


「――ッ、何だそれは!」


 タンジムの怒号が響く。

 何が起こっているのか――

 混乱の中、リーシャは自分の身体がふわりと浮かび上がったことを認識する。

 そしてリーシャは、自身が黒い透明な泡のような光の中にいることに気づいた。


「これは……」


 泡の光から伝わってくるのは、色味に反した清浄な温もりであった。


「――これが今の私にできる精一杯の大きさだ。快適とはいえないが、これで逃げられるところまで逃げるぞ」


 落ち着いた声でそうリーシャに語りかけたのは、いつの間にか彼女の左肩にいたレフターであった。泡の光は、リーシャを中に入れたまま、タンジムから離れるように飛翔する。


「レフターさん、いつから――」

「迷宮の深部に入ってから、私の8割を君に付けていた。黙っていたことに関しては謝る。何もなければそのまま剥がすつもりでいたが、状況は私とビルギットが考えた中で最低になってしまった。もっと早く君を痛みから救いたかったが、君の中に入った【真魔】を抑えるのに手間取った」

「私より、ビルギットさんは!」

「無事だ。残る私を伝って位置は把握できている。ここはまだ黒煌宮の中だ。ビルギットが来るまで持ちこたえることができれば――」


 その瞬間、泡の光が突然中空から現れた大量の光の帯で横殴りにされ、地面へと叩きつけられる。泡はそれによって弾けたが、殴られた衝撃はすべて防がれ、リーシャは無傷のまま地面を転がる。その時入り込んだ迷宮の土の臭いが、リーシャにここが黒煌宮の中であることを実感させる。


「リーシャ。怪我はないか」

「っ、はい!」

「逃げるぞ、立つんだ」


「――ビルギットに憑いているという紛い物の竜か」


 隠し切れない怒気を滲ませてそう口にしたのはタンジムであった。

タンジムは、巨大な骨の鳥のような奇怪なもの――術式により作り出された飛行生物――に乗り、リーシャ達に接近する。その背後の空間には、光の帯がまるで蛸のそれのようにうねりながら今にも襲いかからんと主の命を待っている。


「姿をここまで巧妙に隠すとは、恐れいったぞ。だがもう見逃さん。貴様の姿は確かに捉えた」

「お前は宮廷理術師のようだが、どう見ても私にはその術式が魔術にしか見えないな」


 突然レフターが応答したので、リーシャはおろかタンジムまで意表を突かれたかのような表情を見せる。


「だから何だというのだ! 術士が派閥や体系に拘る時代など、とうに終わった!」


 タンジムが手を翳しリーシャ達に狙いをつけると、光の帯が一斉に襲いかかる。が。

 ――帯がリーシャ達を拘束する前に、突然自壊し始める。


「舌を噛まないように気をつけろ」


 レフターがそう言った直後、リーシャのいる地点が急激に盛り上がり、蒼い形成陣のような光が一瞬輝いたかと思うと、黒い円盤のようなものが現れる。それはレフターが作り出した逃走経路であった。円盤はリーシャを乗せて地面すれすれを滑空し始める。

 自身の術式が自壊したことに気を取られていたタンジムは、舌打ちをし、リーシャの追撃を始める。


「今、一体何が?」


 リーシャが円盤に掴まりながらレフターに問う。


「奴の使う魔術を解読して分解しただけだ」

「そんなことが――」

「ただし何度もとはいかない。私の力の残量は限られている。今はとにかく逃げるぞ」

「逃げるって言っても、どこにですか!」

「もちろんこの迷宮の外だ。このままここにい続けることは君の中の【真魔】の力を強めることにしかならない。もっとも、今いるこの場所は黒煌宮の巨大な隠し部屋とでも言うべき空間で、意図的に他の部屋から隔絶されている。物理的に脱出する手段は今の所ない」

「じゃあ、それって、逃げられないってことじゃ――」

「だからビルギットをここに呼ぶ」


 リーシャは頭上で何かが輝くのを感じ、直後、円盤が激しく左右に動く。それは、頭上から襲いかかってきた光の帯をかわすための挙動であった。


「そのまましっかり掴まっていろ」


 拘束魔術の暴雨を、レフターの円盤が間を縫うようにしてかわしていく。リーシャは掴まって離れないようにするので精一杯であった。


「小癪な!」


 タンジムが新たに詠唱を開始すると、光の帯の数が更に増加する。だがその物量を以てしてもリーシャ達を捉えるには至らない。


「良し。この調子ならばいける」


 と――

 レフターがそう言った直後、タンジムによる光の帯の暴雨が突然止む。

 が、次には円盤の行く先を阻むようにして、リーシャ達の眼前から緑色の光が波のように襲いかかってきた。

 声を上げる暇すら無く円盤ごとリーシャ達はそれに飲み込まれてしまうが、円盤が黒い泡に形態を変化させ再びリーシャを包み、その光から身を守る。だが、逃走の手段が失われ、リーシャ達は再び地面に投げ出されることになった。


「――この術式を一瞬で組み上げたというのか」


 レフターはタンジムが予想をはるかに越える演算を行ったために、彼にしては珍しく驚きを口にしてしまっていた。が、次の瞬間にはその演算速度の理由を察した。それはリーシャも同様であった。



「――あマり手間をカけさせルな」



 それがタンジムであると把握するのに、リーシャは幾許かの時間を要してしまった。

 それほどに、タンジムは一瞬でその姿を激変させていたのだ。


「……【真魔】」


 リーシャの呟きが、異様に空間に響く。

 タンジムは、その表皮を漆黒のものに変化させ、額から曲刀のように鋭利な角を生やし、鳥類のような一対の翼を生やし、骨鳥の背からリーシャを見下ろしていた。


「【真魔】でハない。【魔人】だ。もっトも、これも不完全な失ぱイ作だがな」


 タンジムの声には、所々異音が混ざって人間のそれとは思えない不気味な震えをリーシャに伝えていた。彼が口にする「自身の肉体すらただの独立した物」という思考に、自分の末路を重ね、リーシャは全身を粟立たせる。


「……なるほど。魔素の転換から術式の演算までどれも人間離れしていたのは、文字通り人間であることを捨てていたためか」


 レフターの分析を肯定するかのように翼を広げるタンジム。そしてそのまま骨の鳥を霧散させ、自らの翼で地に降りる。


「ただシ迷宮の中でのみとイうものだがな」


 タンジムが真紅を宿した両目を見開く。その禍々しき瞳がリーシャを捉えた瞬間、紅い光の帯が全方位からリーシャに襲いかかる。

 が、それを阻むようにしてレフターによる黒い泡の光が先にリーシャを包む。紅と黒の光の接触面が激しく明滅し、奇怪な高音と共に互いに衝突しあっていることを強調する。


「いイ加減ニしろ、リーシャ。貴様ノ命はそもそモ姫様ノ厚意があって今日まで永ラえたものだ。貴様の命ハ貴様の物ではなイ。シヴルカーナ様ノものだ。貴様ハこの大恩を、仇デ返そうと言ウのか!」


 ――その言葉は、リーシャに突き刺さるものがあった。

 彼女は確かに、自分の命はマンティコールに救われたものだという自覚があり、その恩を返そうとして今日まで生きていた。マンティコールがなければそもそも野垂れ死んていた命であるならば、マンティコールにその生命を捧げるのは当然ではないのか?

 リーシャはその思考に間違いを見つけ出すことができないでいた。彼女にとって、これまでの人生は、マンティコールへの感謝に満ちていた。それほど充実していたものであり、紛うことなき与えられた生だったのだ。


(なら私は、この生命を捧げるべきなのではないか)


 もし本当にタンジムの言う通りに、自分の命がマンティコールの未来を作るのであれば――


「騙されるな、リーシャ」


 レフターの言葉で、リーシャは、再び黒と紅が争う場へと意識を戻す。


「人間が【真魔】の力を一方的に支配することは絶対にできない。真似はできても、都合よく支配することだけは絶対に無理だ。それは、人間と【真魔】が根本的に違う存在であるからだ。もしその禁忌を犯そうとした場合……即ち、人が人の身に余る力を望んだ場合、そこに何が待ち受けているかを、君は見たはずだ」


 リーシャの脳裏に、レフターが見せてくれたグリムワルの最後と、全てを一瞬で奪われ過酷な運命を強いられた少女の姿が過る。


(――そうだ。私の命が開こうとしている未来は、あの闇と同じ所に繋がっているんだ)


 開いてはならない禁忌の領域は明らかである。

 だが、それでも。


(それなら私は、どうすればこの恩を返せるの)


「戯言ニ耳を貸すな! 貴様ハ、その生命によっテのみマンティコールに報イることができルのだ!」



「――戯言はお前のほうだ」



 轟音が、響く。

 それは、地を割る音でも、空を裂く音でも無い。

 空間と空間を無理やり繋いだ音だ。


「死ぬことでしか報いることができないなんて、私が許さない」


 ――その声と共に、タンジムの紅き術式が全て一息で弾き飛ばされる。

真紅の残滓が明滅する中で、金色の髪がリーシャの瞳に煌めく。


「そんな理不尽は、私が絶ってやる」


 全身に蒼い炎を纏い、空間の裂け目から突然現れたビルギットは、その両腕に竜のような鱗をびっしりと鎧のように生やしながら、長柄斧槍をタンジムに向けた。


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