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揺らめく焚き火の輝きが、迷宮を仄かに照らしている。
ビルギット達は、探索の途中で見つけた、隅々まで見渡せる小部屋のような空間で、腰を下ろして長めの休憩を取っていた。迷宮に入ってからは既に半日以上が経過しており、リーシャの疲労も目立つようになっていた。
「体調は大丈夫?」
ビルギットが迷宮食としても使われる乾燥させた果実を用いた焼菓子をリーシャに手渡す。
リーシャは、迷宮の奥に入れば入るほど、地に足が着かなくなるような――奇妙な感覚を覚えるようになってきていた。
「大丈夫です。すいません……」
「気にしないで。もう迷宮に入ってから大分時間が経っているわ。むしろ、初めてにしては十分なぐらいに頑張っていると思う」
「それはきっと、ビルギットさんと一緒だからですよ。すごく頼りになるから、その分、気持ちが保てるんです」
微笑んで、焼菓子を口にするリーシャ。彼女が小さく「美味しい」と呟く。
一方のビルギットはリーシャの言葉に気恥ずかしくなったのか、焼菓子をほとんど一口で食べてしまう。
「……しかし、リーシャが徐々に感覚を強めているのに、レフターの方には反応が無いだなんてね」
「未だに【真魔】の気配は薄いな。あったとしても、非常に微弱だ」
ビルギットは喉を潤すための最小限の量の水を飲み、一息ついて、思考を巡らせ始める。
「やっぱり、何か気になっているんですか?」
難しい顔をするビルギットを見て、リーシャが問う。
「……腑に落ちない部分がいくつかあってね。あの大部屋の人骨もそうなんだけど、この迷宮は、どこか変な感じがする」
しかしその違和感は、ビルギットが観測できている範囲でも、小さな要素が散見されるのみであり、彼女も上手く言葉にできないでいた。
「ビルギットさんは、人間に殺された者の骨だって言ってましたけど、それってどういうことなんでしょうか」
「まぁ、誰か私達以外の人間が、この迷宮に入っていたということなんだろうけどね」
しかしどうやって? 誰が? 何のために? 何故殺された?
一度口にした瞬間、再びビルギットの中で走る数々の疑問。
「駄目だ、全然わからない。レフターの考えを聞かせて」
「それは、どの部分に関しての問いだ」
「あの人骨に関わることなら何でも」
レフターがビルギットの右肩をくるりと一周し、少しの沈黙を挟んでから声を発する。
「――まず、ビルギットの見立て通り、あの人骨が人間に殺害されたものである可能性は非常に高い。【真魔】や【妖魔】にしては骨の破損が少なく、弄ばれた様子もない」
「人間だとしたら、どんな奴がやったと思う?」
「確実なことは何も言えない。黒の探宮者か、マンティコール皇国の者か……可能性はいくらでもある」
「黒の探宮者?」
聞きなれない単語にリーシャが反応する。
「黒の探宮者っていうのは、迷宮内で同じ探宮者相手に野盗紛いの悪行や、殺しの仕事を請け負う連中を指す言葉ね」
ビルギットの説明に対し驚愕を露わにするリーシャ。
「そんな人達がいるんですか?」
「わりと珍しくないわよ。探宮者なんて、ならず者がやることなくて始めるような稼業なわけだからね。迷宮に法なんてものは存在しないし」
リーシャがなにやら複雑そうな表情を見せる。
「大きな迷宮街がある所だと、標的にしやすそうな弱い探宮者を探して、そういう奴等が集まってくるのよ。こういう連中と出くわした時の対策は、全ての探宮者に求められるものよ。あ、勿論私は追い剥ぎや殺しの依頼なんて受けないわよ。堅気に迷惑をかけないことが、探宮者をやる上での私の中の決まりだから」
ビルギットは嘘をついていない。ただし、一つだけリーシャに隠し事をしていた。彼女は「殺しの依頼は受けない」と言ったが、殺しをしたことがないかと言われれば、そうではなかったのだ。たとえば、過去に黒の探宮者に迷宮内で襲われた時、ビルギットでも自衛の上でやむを得ず相手を殺すことがあった。勿論、進んで殺すような真似はせず、行動不能にして捕縛し探宮者組合につき出すのが基本であったが、「相手を殺さなければ自分が殺される」という状況も少なからずあった。これまでの人生でビルギットは、そういう状況に出くわした時に躊躇わず相手を殺すよう教わり、そして、今日まで何回かは躊躇わず殺していた。ビルギットは、自身の手が人間を殺した時の感触を知っているとリーシャに告げることをどこか避けていた。
リーシャのほっとしたような表情を見てから、ビルギットは話を戻す。
「でもレフター、ここは普通の迷宮みたいに開かれたものじゃなくて、皇国が管理下に置いているのよ? 黒の連中が入るなんてあり得る?」
「我々も皇国も知らない入口がある可能性も否定できない」
「まぁ、そりゃそうだけど」
「あの……仮に黒の探宮者が人を殺したとしても、何で殺しなんてしたんですか? それに、殺された人達は、何者だったんですか?」
リーシャもついに我慢できなくなったのか、自身が抱えていた疑問を吐露する。当然ビルギットも同じことを思考していたので、答えは出せない。問に対して首を横に振るのが精一杯であった。
「何にせよ、だ」
レフターが二人の視線を集める。
「【妖魔】の不自然な湧き方。【真魔】の気配の弱さ。我々以外の人間の痕跡。いずれも想定していなかった状況であり、そして、考えても明確な答えは得られない。警戒するのは良いが、考え過ぎるのは疲労に繋がる、と言ったところだろう」
レフターの意見は合理的であった。結局のところ、判断材料が少なすぎて可能性が膨大であるために、思考したところで明確な答えは出ない。これはビルギットも納得せざるを得ない事実であった。
「ま、レフターの言う通りね。考えすぎて疲れるのは避けなきゃいけないわ。ここから先は地図も無い領域だし、休める時にしっかり休もう」
「私が火の番をしよう。リーシャとビルギットは眠っておくといい」
「ありがとう。リーシャ、眠れそう?」
「多分、大丈夫です……」
とは言ったものの、リーシャの表情には明らかに緊張があった。慣れない環境で、ましてや迷宮の中で眠れと言う方が難しい。ビルギットはそれを察し、立ち上がって彼女の近くに座る。
「……ビルギットさん?」
ビルギットがにっと笑ってみせる。
「並んで寝れば、少しはマシになるかもしれないわ」
ビルギットがそう言って荷袋を枕代わりにしてリーシャの隣に横になる。リーシャはその意味を理解し、嬉しそうに微笑んでから、同じように荷袋を枕にして横になった。
「ビルギットさん、鎧着けたままで大丈夫なんですか?」
「もう慣れちゃった。むしろ、これ着けていたほうが安心して寝られる」
ビルギットの苦笑交じりの冗談にリーシャがくすりと笑う。
「起こす時は私が起こすから、気にせずゆっくり眠って」
「はい」
そう言ってリーシャとビルギットは目を瞑る。
魔素を取り込んで燃える固形燃料の溶けていく音が、わずかに響く。
迷宮で眠ることに慣れているビルギットは、早くも深い眠りに入ろうとしていた。
が。
その手に、何かが触れた。ビルギットが目を開けて見ると、そこには寝返って申し訳なさそうな表情を見せるリーシャがいた。
「どうしたの?」
ビルギットが問うと、リーシャは頬を紅潮させる。
「……お願いが、あるんですけど」
「お願い?」
「…………手を、握ってもらえないですか?」
一瞬きょとんとするビルギットであったが、すぐに微笑み、リーシャの手を握る。するとリーシャは表情を明るくさせた。
「おやすみ、リーシャ」
「はい。おやすみなさい、ビルギットさん」
リーシャは安心しきった様子で、目を瞑ってすぐに寝息を立て始めた。ビルギットはそれを確認してから、意図的に溜め込んでいた眠気を解放し、一気に深い眠りに入った。
二人の手は握られたまま、ゆらめく炎がそれを照らしていた。




