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金獅子のビルギット  作者: 彼岸堂
第二章
16/29

 カシナ黒煌宮は、元はゴーラ派の理術師による研究施設だったものが迷宮化したものである。

 人為的な物が一切無い場所に発生する迷宮は、その作りのほとんどが無秩序で、壁や地面もばらばらの物質であることが普通だが、ここカシナ黒煌宮の低層には、かつての人工的な名残が多く見受けられた。壁も地面も石畳の部分が多く、天井も見上げれば視認できる程度の高さであり、魔素が充満する空間特有の薄気味悪い肌寒さを除けば、灯りのない人工的な建造物の中にいるように感じられる。

 ビルギットは、リーシャを後ろにし、グリフスで新しく仕入れた理術光石2つを早くから用いて、それを前方とリーシャの後方に浮遊させることで、視界を広く取るようにしていた。こうすることで、ビルギットと違い闇に目が慣れていないリーシャでも、足元や前後に何があるかを認識することができていた。

 理術光石は、本来なら一つ手に入れるのにも相当な金額が必要であり、複数個所持している探宮者はそれだけで一目置かれることがある。実際にその効果は凄まじいもので、松明よりも明るく、はるかに長持ちする光源であると共に、高い携帯性や、弱い【妖魔(ネム)】を退けるのにも活用できる汎用性など、良い点を挙げたら切りがない。シグオン派理術院や個人の理術師は、このシグオン式理術光石の量産によって財を築いている。歴史に残る理術の発明を一つ挙げろと言われれば、探宮者でこの理術光石を挙げない者はいない程であった。

 資金が潤沢であったビルギットは今回理術光石を5つも用意していた。これほど所持するのは、彼女自身初めてのことであったし、そこには当然相当の金を費やしたのだが、今回の依頼の難易度を考慮すれば、全く惜しくない買い物であったと彼女は認識している。


「迷宮って、思ったより静かなんですね……」


 リーシャが手に持つ松明で壁を照らしながら、緊張を宿した声で呟く。


「もっと【妖魔】や【真魔(ダァクス)】がうようよしていると思ってた?」


 リーシャの緊張を察してか、どこか優しさをもった声で返すビルギット。


「はい。てっきり、剣が手放せないようなことになるのかなって」

「貧弱な【妖魔】は光に弱いし、【真魔】だって、自分から積極的に探宮者に襲いかかることは実は少ないわ。あいつらはそれぞれが縄張りみたいなのを持っていて、そこに侵入されたとき初めて敵対的になるのよ。まぁ例外もあるけどね」


 と、そこまで言ったところで、ビルギットの前に分かれ道が現れる。ビルギットが無言でリーシャの方へ視線を向けると、それに応えるように、リーシャが両目を瞑り、集中力を高め始める。


「――右です。右の方から、寒気みたいなのが伝わってきます」


 ビルギットはリーシャの示した方向を確認すると、道具入れから極小の壺のようなものを取り出し、そこに指を入れ、指先に何か滑り気のあるものを纏わせて、床と壁に印を描き込む。ビルギットが指先に付着させたそれは、探宮者が迷宮内で用いる蛍光塗料であり、魔素の充満する空間であれば自光するものであった。ビルギットはここに来るまで、まっすぐに地表に戻れるように、この塗料を用いて最小限且つ効果的に目印を残していた。

 ここまでは順調だ。ビルギットもそう確信していた。このまま、無駄な戦闘をすることなく目的地である深層にまで到達できればよいのだが、と僅かに期待のようなものが彼女の中に生じてくる。

 だがその期待も、長くは持たなかった。


 先の分かれ道から随分進んだ所で、事は起きた。


「――ビルギット」

「わかってる」


 レフターが彼女の気を戻すかのように声をかける。が、ビルギットも既に気づいている返事をした。リーシャには、一人と一匹が何に気づいたのか把握できていない。

 ビルギット達の目の前には、開けた空間があった。光石で詳細に照らしきれないほどの、恐らくは大部屋の中に、ビルギット達はこれまで直面しなかった者達の気配を感じていた。


「リーシャ、通路まで下がっていて。部屋には入らないように」

「っ、出たんですか?」

「【妖魔】だ。しかも数が多い。開けた空間にいるのは危険よ」


 暗闇の向こうから、獣のような荒い息遣いが足音と共に響き始める。ビルギットはリーシャの所に光石を一つ残して、すぐさま部屋の中へと駆ける。


「『大灯火(ラ・カルジア)』!」


 ビルギットが起動言語を発すると、理術光石がそれに反応し、光量を大幅に増やす。これにより、大部屋に潜んでいる者達の姿が顕になった。


「これはまた……わんさか湧いてくれたわね」


 長柄斧槍を構えながらビルギットが不敵に笑う。

 大部屋の中には、【妖魔】の中で最も一般的な、人間に近い四肢を持ち豚のような頭部が特徴的な『豚鬼(ラーグ)』が数体と、歪に巨大化し毒性のある涎を垂れ流しながら飛行する『大蝙蝠(ウェング)』が数匹。加えて、【妖魔】の素が砂や岩に魔素を繋ぎとして乗り移り動くようになった30キルト(約3メートル)程の大きさの『岩鬼(ゴドーク)』までいた。ビルギットからすれば、これら【妖魔】が勢揃いしている様は、まるで【妖魔】の見本市であるかのようだった。


(一つの場にこれだけ集中して発生しているってことは、何かここにあるわね)


 ビルギットが大部屋の様子を確認し、どこで走り、どこで跳べるかなど戦いに活用できる箇所を即座に視認し始めるのと、妖魔達が奇声を上げ、生命力に満ち満ちたビルギットへと襲いかかるのはほぼ同時だった。

 大蝙蝠が唾液を飛び散らせながらビルギットに喰らいつこうと飛来し――

 閃く鋼鉄の輝き。

 烈風の如く振るわれたビルギットの長柄斧槍により、4匹程同時に襲いかかった大蝙蝠は、全て一瞬で真っ二つにされ、ビルギットの後方の地面に、分断された死骸として激突する。

 今度は、ビルギットが逆に仕掛ける。再び飛来してきた別の大蝙蝠に対し、正確に、最小限の動きで槍頭を突き入れるビルギット。突いた直後に槍頭を回転させ引き抜き前方に進むことで唾液が散る前に進む。その一連の動作があまりに速すぎるために、リーシャからは勝手に大蝙蝠が爆ぜて死んだかのように見えた。

 【妖魔】には恐怖の感情は無い。ビルギットのその迅雷のような動きを前にしても、豚鬼達はビルギットをただの精気の塊としか認識していない。故に豚鬼達は一斉に飛びかかる。

 その瞬間、ビルギットは長柄斧槍の握りを滑らせ、石突の方にまで両手を移し――


「――せいッ!」


 雄叫びと共に、ビルギットが身体を捻り、その勢いを乗せて豚鬼達に斧刃の斬撃を振るう。その斬撃は中空の豚鬼を一匹、二匹、三匹とまとめて捉え、一切勢いを衰えさせることなく、

 骨ごと豚鬼達の肉を両断していき、鮮血を部屋にぶち撒ける。

 ビルギットは、豚鬼を両断した一撃を両手の筋力で無理やり止め、その勢いを前方に流し、一歩踏み込むことで前進する勢いに転換する。両断された豚鬼達が地面に落ちる頃には、ビルギットは跳躍していた。回転攻撃からの急激な前方跳躍は、ビルギットの得意とする技であった。

 地面を揺らすかのような踏み込みと共に岩鬼に向けて跳躍したビルギットは、そのまま、岩鬼に縦一閃、雷鳴のように煌めく一撃を打ち込む。

岩鬼はそれを防ぐことすらできず、上から下まで破砕音と共に切り裂かれ、次の瞬間には何かが岩と砂から吹き飛び、何事もなかったかのように、ただの岩と砂に戻る。

 岩鬼を断ったばかりのビルギットに、残った豚鬼がすぐさま飛びかかる。

 リーシャが「危ない」と口にしようとした瞬間には、既に攻防は終わっていた。ビルギットは豚鬼達の気配をとっくに察知しており、接近していた後方の2匹に対してろくに振り向かずに長柄斧槍を振るい、その首をこれまた一息で二匹分跳ね飛ばす。まだ残っていた1匹の豚鬼が、今度はビルギットではなくリーシャの方へと走り寄る。走り寄ろうとした。が――

 果たしてどのような脚力であればそれが可能となるのか。残る豚鬼に、ビルギットは、凄まじい速度で接近し、そのまま背後から頭部と胸部を連続で貫いていた。突きの速度の凄まじさで、逆に豚鬼は動きが止まり、直後、静かに崩れ落ちる。

 結局全ての豚鬼が、断末魔すらあげることなくビルギットに屠られた。大蝙蝠や岩鬼も、ビルギットに対し装備を汚すことすらできなかった。並の探宮者であればこの数の【妖魔】は、一人で戦う規模ではないのだが、ここにはその事実を知る者は誰もいない。

 びゅん、と、リーシャのいる位置にまで届くほどの風切音を鳴らして長柄斧槍を振るい、妖魔の血を払うビルギット。リーシャの目線では、いつの間にか戦いが始まり、そして終わったようにしか見えなかった。そのわけのわからなさが、逆にリーシャに「これがビルギットという探宮者なのだ」という事実を印象づけていた。


「リーシャ! もう大丈夫だから、こっちに来て」


 ビルギットに呼ばれ、はっとするリーシャ。彼女は圧倒的なビルギットの強さに、どこか見入ってしまっていた。慌ててビルギットの元に走り寄る。


「ビルギットさん! 怪我は……」

「大丈夫。ありがとう」


 笑顔を見せるビルギットに、リーシャは安心して一息つく。


「……今のが、【妖魔】ですか?」

「あぁ、うん。よく見る奴らだったわね。でもちょっと変だったかな」

「変?」

「一つの場所にこれだけ密集して発生したのが、ちょっと気になる」


 【妖魔】の発生は、霊的な穢れの多少が関係する。生物の死骸やその一部が、太陽の光を浴びずに瘴気を放ち始め、それが【妖魔】の素たる【悪霊(ファラス)】と結びつくと、【妖魔】が肉の器を得て誕生する。地表での【妖魔】は野生生物の死骸から発生するのがほとんであるが、迷宮の場合はそうではない。死骸の代わりに魔素が繋ぎ目となって、あらゆる物質や生物が『妖魔化』するのだ。


「妖魔が局所的に発生したってことは、ここに魔素が一時的に密集したか、あるいは【悪霊】を呼び寄せる何かがあったかということになる」


 リーシャにはビルギットの言わんとすることがいまいち理解できなかった。


「とりあえず、この部屋を少し調べる必要があるわね」


 ビルギットは、胸騒ぎに近いものを感じていた。

 【妖魔】と迷宮で出くわすこと自体は何もおかしくない。地表よりも【妖魔】の発生の原因となるものが多く、陽の光も届かないのだから当然だ。しかし、それが一気に現れることは、何かしら別の原因が存在する。この時既にビルギットの中にはいくつかの候補が浮かび上がっていたのだが――


「っ、ビルギットさん!」


 リーシャが半分悲鳴のような声をあげる。彼女は、大部屋の隅にあるものを見つけ、それを指差して顔を青くしていた。


「……これは」


 そこには、どう見ても、間違いなく。

 人間の死骸が、あった。

 正確には、骨があった。だがその骨は一つではない。少なくとも十数人分のものが積み重ねられているのだ。そしてその中には、まだ肉片がついているものすらある。それはつまり――


「死んであまり時間が経っていない」


 自分でその事実を確認するようにビルギットが呟く。


「【真魔】のせい、ですか」


 険しい顔をしながら、まだきつい腐臭の残る骨を見つめるリーシャ。


「いや、違う」


 最初はビルギットも【真魔】によるものだと考えた。しかし、骨を観察する内に徐々にそれは違うとわかってしまった。ここにある骨は、粉砕されているものがない。見える限りでは、肋骨や大腿骨に頭蓋骨などに傷や折れた部分がある程度で、それはつまり、容易く人間の骨を砕くことのできる【真魔】によって殺害されたものではないということを示していた。


「これは……同じ人間に殺された者の骨だ」


 ビルギットは、自身が大きな嘘の闇の中にいるような、気味の悪いものを背筋に感じていた。


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