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金獅子のビルギット  作者: 彼岸堂
第二章
15/29

「大きな木ですね……」


 並び立つ大木を見上げながら、リーシャが感嘆の声を漏らす。

 カシナ森林の木々は、どれも樹高が高く黒々とした葉のものばかりで、遠くから見るとまるで黒い大きな壁が広がっているかのようであった。ビルギット達は、皇国軍が整備したのであろう森林の奥深くへ続く道を見つけていたが、あえてその道を使わず、別の、かつてこの森林地帯の中で生活していた人間が使っていたのだろう、まともに整備されていない小路の方から森林へ入っていった。やがて二人は、木造の小さな小屋が4つほど建てられた空間に到着する。

 その場所の入り口に、まるで二人を迎えるかのように男が立っていた。ビルギットはその男に見覚えがあったので、少しばかり驚かされる。


「あんた、あの酒場の……」

「覚えてくれていたとは、光栄だ」


 男がにっと笑みを見せる。彼は、ビルギットが皇女と会うために訪れた酒場の店長であった。


「あの時はありがとう。お酒、美味しかったわ」

「我等が主の愛する逸品だ。美味くて当然さ」

「我等が主ってことは……あんたも、皇女様の私兵ってわけね」

「その通り。とりあえず、馬といらない荷物はこちらで責任を以て預かろう。黒煌宮には俺が案内する」


 ビルギット達はそうして男の案内を受け、4つの小屋の内一つを拠点として使うよう言い渡される。その際、この小屋のある地点は、皇国軍が黒煌宮を管理するために置いた拠点とは別に、シヴルカーナの私兵が廃墟を利用して作った拠点であることが男から説明された。

 迷宮用の荷を整え、少しの休憩を挟んだ後、ビルギット達に対し、私兵の男が、小屋の中でカシナの地図を広げ、今後の説明を始める。


「――黒煌宮への入り口は一つではない。あんた達には、本軍が管理しているのとは別の入り口から入ってもらう」


 皇国軍が管理する入り口を示す印から、やや離れた箇所にある印を男が指差す。


「大して距離がないように見えるけど、向こうは気づいていないの?」

「存在は知っている。だが、もう塞がれたと勘違いしているんだ。姫様の命令でそうするように工作したってわけだ」

「皇女様らしいやり方ね」

「で、どうする。いつ入るんだ? 今はまだ昼前と言った所だが……」

「今からしっかり寝て、深夜に入るつもりでいるわ」

「えっ、夜なんですか」


 そう口にしたのはリーシャだった。


「迷宮の中は朝も夜も関係ないって以前言ったでしょ? しっかりと疲れを無くして、最速で迷宮に入るなら、夜になるわ。案内するのにもそっちの方が都合良いんじゃない?」


 そうビルギットに言われ、男は「まぁな」と頷く。リーシャもビルギットが言うことならば正しいのだろうとその提案に従うことにした。

 二人はあらかじめ出発の時間を男に提示し、小屋の中で休息をとり始める。ビルギットはその最中も、男から手渡された迷宮で詳細が判明している部分の地図を見つめ、記された情報を一つ一つ確認するなどして、事前の準備を怠らなかった。途中、緊張のためか、上手く寝付けないリーシャに、グリフスで買っておいた香りの良いお茶を淹れて雑談をするなどもした。カシナに来るまでは何一つ問題のないように見えたリーシャだが、実際に迷宮に入るそのときが目前まで来ていると、やはり想起してしまう何かがあるのだろう。ビルギットはその部分に関して理解を示し、彼女の精神状態がなるべく良いものになるように努めた。それが功を奏したか、夕刻に近い頃にはリーシャもちゃんとした眠りに入ることができた。

 準備は万全であった。


 そして、森に夜が訪れる。

 ビルギット達は、松明を持つ男を先頭にして歩き、周囲から獣達の息遣いを微かに感じつつ、黒煌宮へと向かっていた。リーシャからすれば、今この場が既に迷宮であるかのような、体験したことのない深い闇が森を覆っていた。

 二人は外套を脱いで、グリフスで仕入れた装備を露わにしており、探宮に必要な食料や道具の類を背負い袋に入れていた。リーシャの腰回りには、ビルギットがつけているのと似た道具入れがあり、一見すると重そうに見えるのだが、全身を包む装備の軽さのおかげか、リーシャでも苦が無く持ち運ぶことができていた。

 やがて闇の向こうに、皇国軍の焚くいくつかの篝火らしき輝きがわずかに見え始める。男は、その輝きを視認すると、それから遠ざかるように進路を変える。


「向こうからこっちは見えていないから安心しろ。で、ここからは少し歩きにくい。気をつけてついてきてくれ」


 男がそう言ってからしばらく歩くと、やがて異様な光景が松明に照らされ始める。

 カシナの木々はその全てが真っ直ぐに天へと伸びる形であったのに、そこに現れたのは、禍々しくねじ曲がり、絡みあう、蛸の触腕を思い起こさせるような木々であった。時には地面をかするようにねじまがった大木を踏み越えて、ビルギット達はさらに森の奥へと進んでいく。

 と、ビルギット達の眼前で松明の光が前方の何かに遮られ、僅かに輝きを反射される。それは、1ラーク(約10メートル)を越える巨大な黒い岩であった。予め聞かされていた通りこの黒い岩こそが黒煌宮の入り口の一つであり、ビルギット達はこの岩に穿たれた穴から迷宮へと入ってくことになる。穴は、2枚の木材で申し訳程度に塞がれており、その隙間から、地下に向けてゆるやかな坂が伸びていることが窺えた。

 男は別の松明を取り出し、それに火を分けると、ビルギットにそれを手渡す。


「それじゃあ、俺はここまでだ。健闘を祈る」

「ありがとう。三日間を目安に戻るから、もし音沙汰がなかったら失敗したと思っていいわ」

「わかった」


 男は、アルマ教での幸運を祈る仕草である『開明』――開いた右手を自身の眼前で左から右へ動かす動作――を行い、ビルギット達に背を向けて小屋のある場所へと戻っていく。ビルギット達は男を見送ってから、改めて穴と向かい合った。


「……緊張してる?」


 穴の先の闇をじっと見つめるリーシャに、ビルギットが穏やかな声で問いかける。


「はい。すごく怖くて、脚が少し……」


 ビルギットが松明を持たない方の手でリーシャの手を握る。


「リーシャのことは私が必ず守る。だからリーシャは私を信じて、私の助けになってほしい。大丈夫、きっとできる。二人で必ず生きてここを出よう」


 ビルギットの言葉で一瞬瞳を潤ませるリーシャだったが、頭を左右に激しく振って、再び迷宮の闇を見据える。その瞳には、怯えよりも、勇気の輝きがあった。


「――行こう」


 ビルギット達は、そうして黒煌宮に足を踏み入れた。


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