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金獅子のビルギット  作者: 彼岸堂
第二章
11/29


「それで、まず今日は何を買われるんですか?」


 宿を出てすぐにリーシャが問うてくる。グリフスの街は、仕事を始める者とこれから向かう者で大通りがすっかり賑わっていた。リーシャは小間使いの服装のままであるが、ビルギットは何故か迷宮に入るときのような装備をしており、かろうじてそれが顕にならないよう外套で隠していた。


「まず、あんたの装備を整えるわ」

「え、私の?」


 ビルギットが歩き始めたので、慌ててリーシャもそれに付いていく。


「私の装備って、どういうことですか?」

「言葉通りよ。そんな服装で迷宮に入っていけるわけないでしょ。カシナに行くまでだって大変になるわ。だからまず最初に、動きやすくて丈夫な装備をしっかり整える。あ、お金に関してはお姫様からもらったのがあるから心配しなくていいわ」

「私もビルギット様みたいな格好になるんでしょうか」

「これはあんたには重いから無理よ。もっと軽いものにするわ。冬場の厚着より少し重いって程度だと思う。幸い、グリフスは大きいから、女物で良い物を探すのに事欠かないし」

「なるほど……」


 ビルギットは、グリフスの外側――いわゆる下流街区――の方に向かって歩を進める。そこには、ガフが彼女に教えてくれた上質な武具を扱う店があるのだ。ビルギットは、ここでリーシャの装備を整えつつ、皇女には頼めなかった他の物資を探すつもりでいた。

 グリフスは広く、徒歩では上流街区から下流街区に行くまでで時間を費やしてしまうため、ビルギットは馬車駅に向かい、目的地近くまで走る馬車に乗ることにした。

 揺れる馬車の中、リーシャとビルギットが向かい合うように座っている。


「確認なんだけど、刻限は二ヶ月先の黄竜月(こうりゅうづき)でいいのよね」


 ビルギットがそう問うと、リーシャは無言で頷く。その表情には、緊迫したものが窺える。


「タンジム様はそう仰ってました。それまでは、大丈夫なはずです」

「……大したものね。余命を言われたようなものなのに、えらく冷静じゃない」

「冷静なんて! そんなこと、ないです。怖いですよ……すごく」

「普通はもっと取り乱すものだと思う。でもあんたは、怖いと思ってはいるけど、取り乱してはいない。それはなかなかできることじゃないわ。迷宮でも、それが大事になる。恐怖を覚えることと、冷静さを保つことは、生き残るために絶対に必要になる。だから、その気持ちを忘れないで」

「はい、ビルギット様」


 ここでビルギットは、今朝からリーシャに言おうと思って忘れていた事柄を思い出す。


「ねぇ、リーシャ」

「はい。何でしょう、ビルギット様」

「その『様』を付けるの、止めて欲しいんだけど」


 その懇願にリーシャが「ええっ!」と声を上げる。馭者が馬車の壁の向こうでこちらに振り向く気配をビルギットは感じた。


「何故ですか?」

「何故って……そりゃあ、目立つからに決まってるでしょ」


 ビルギットのその発言に対し、リーシャはきょとんとした表情を見せる。


「目立ち……ますかね?」


 その反応に、ため息をつくビルギット。


「どこの世界に、様付で常に呼ばれるような探宮者がいるのよ。あんたの主は、私に極秘で依頼をしてきたってことを忘れていない? 手前の命の件もあるけど、それ同じぐらいに皇女様にとって権力争いが大事なんだから、目立ったらまずいでしょ」

「そ、そっか。すいません、考えが及びませんでした」

「まぁ、これから直してくれればいい話だけどね」

「えっと、それで私はビルギット様をなんてお呼びすればいいんでしょうか」

「リーシャは歳、いくつなの」

「えっ?」

「年齢よ。年齢」

「えっと、今年で17です」


 ほう、とビルギットは改めてリーシャを観察する。自分と比較するのもなんだが、リーシャはこの歳にしてはやたらと身体つきに女性的な曲線が目立つ気がする、とビルギットは分析した。特に胸元に関しては、装備を見繕う際に気にかける必要があるだろう、とも。


「私は19よ。あんまり歳、変わらないでしょう? もっとくだけた、普通の呼び方で良いわ。口調もね」

「わかりました、努力します! ビルギット…………さん」


 リーシャは、何だか恥ずかしくなったのか、照れ笑いのようなものを浮かべた。これは慣れるのに少し時間がかかるかもしれない、とビルギットは苦笑する。


(今後のことを考えると、私にもっと慣れてもらう必要があるな)


 ビルギットは、馬車に乗っているこの時間を有効活用するべく、あることを思いつく。


「リーシャ。私達は今後、依頼を達成するまで長く行動を共にすることになる。それはわかるわね」

「は、はい」

「あ、そんな緊張しないで。別に大したことを言うわけじゃなくて……ちょっと知っておいてもらいたいことがあるの。私達みたいに『探宮者』と『見届け人』や、探宮者同士の集団っていうのは、界隈では規模の大小問わず『旅団(りょだん)』って言うの。私とリーシャは今、同じ旅団ってことになるわけ」


 りょだん、りょだん、と何回かリーシャが単語を反芻する。


「旅団に必要なものは信頼。生きるも死ぬも、お互いに信頼できているかどうかに関わっている。個人の力があるかどうかよりも、まず信頼があっての世界よ」

「はい」


 ビルギットの言葉を、リーシャは姿勢を正して集中して聞く。


「――というわけで、リーシャは何か私に聞きたいことない?」

「えっ」


 ビルギットの唐突な問いに、リーシャは置いてきぼりをくらったかのような表情を見せる。


「だってリーシャは、いきなり見ず知らずの人間と命がけの旅をすることになるのよ。命を預ける人間のことを、少しは知りたくない? 私だったら、知りたいと思うけど」

「そんな、私が質問する権利なんてありませんよ!」

「権利って……あのね、私はリーシャのご主人様とかじゃないの。同じ旅団の仲間よ。仲間ってことは、対等な関係なの」

「でも、依頼を実際に達成するのはビルギットさんですよ?」

「その依頼を達成するためには、リーシャの力が助けになる。昨日自分で言ったことじゃない。私達は、お互い利害が一致している。そして、お互いが依頼の達成のために必要だわ。だから対等なんだってことを、もっとちゃんと受け入れていいと思う」


 そう言われ、リーシャは少し目線を下にして、何かを考え始める。それは、ビルギットの言葉の意味を咀嚼しているようにも見えた。やがて彼女は、何か意を決したのか、ビルギットと目を合わせる。


「あの……よろしくお願いします」


 それは、ビルギットが想像していなかった言葉であった。


「『よろしくお願いします』って、どういうこと?」

「えっと、ビルギットさんの言う旅団の仲間として、これから、よろしくお願いしますっていう意味です。昨日のよろしくお願いしますは改めるべきだと思って……」


 その発想はビルギットにはなかったものなので、彼女は思わず噴き出した。リーシャはその様子を見て少しばかり慌てる。


「ふふ、なるほどね、わかった。よろしく、リーシャ」


 そう言われて、リーシャは嬉しそうに「はい!」と返事をした。


「じゃあ、早速なんですけど、実はすごく聞きたいことがあって……」

「うん、どんどん聞いて。答えられる範囲なら全部答えるから」


「――朝からずっとその右肩にいる蜥蜴さんは、ビルギットさんが飼っているんですか?」


 ビルギットの表情が、驚愕で急変する。


「――これは驚いたな」


 まるで彼女の心情を代弁したかのように、レフターが言葉を発する

直後、今度はリーシャが驚愕のあまり口をぽかんと開き、しばらくして――


「しゃ、しゃしゃ、喋ったぁ!」


 これまでで一番大きな声をあげ、車をひっくり返しそうな勢いで後ずさるリーシャ。その凄まじい反応によって、ビルギットはようやく驚愕から気を取り戻す。


「レフターが見えるどころか、声まで聞けるの?」


 ビルギットがリーシャの両肩を掴み、自分に引き寄せて問う。


「れ、れふたー?」

「私の名だ、リーシャ」


 リーシャがレフターを注視する。そして、この目も口も鼻もない黒い蜥蜴が声を発していることを、再度確認するかのように目を細める。


「リーシャ、レフターは私の相棒だから、怖がらなくて大丈夫よ」

「……相棒?」


 リーシャが落ち着いたのを見計らって、座り直すビルギット。


「レフターが姿をわざと見せた……ってわけじゃないのね」

「ああ。私はいつも通りだ」


 一人と一匹のやりとりを、リーシャは不思議そうに眺める。


「あの、ビルギットさん、この方は……」

「えっと、どこから説明すればいいのやら。とりあえず、この蜥蜴みたいなのは、レフターっていうわ。さっきも言ったけど私の相棒」

「以後よろしく頼む」


 レフターが、人間がするように頭を一度さげると、リーシャも同じように頭をさげて「よろしくお願いします」と返した。


「このレフターは、まぁなんていうか……【精霊(ルフト)】みたいな存在なの」

「【精霊】って、あの【精霊】ですか」


 リーシャが想起する精霊は、一般人もよく知る精霊のことを指している。それはつまり【玄界(アーシア)】に存在する、目に見えないが強い力を持つ種族であり、【妖魔(ネム)】と違い不干渉を人間に対して貫いている者達のことだ。


「厳密には違うんだけど、まぁ【精霊】だと思ってくれていいわ。でもね、今私が驚いたのは、本来レフターはほとんどの人間には見えないはずなのよ。なのにリーシャは、姿どころか声まで聞けるみたいだから、それに驚いちゃって」

「そんなに珍しいことなんですか?」

「私が見える存在は、特別な訓練をした者か、もしくは何らかの才能がある存在だけだ。リーシャの場合は恐らく、後者に該当するだろう」

「……それってどういう意味?」


 リーシャではなく、ビルギットがレフターに問う。ビルギット自身も、リーシャに何故レフターが認識できているのか、皆目見当がつかないのだ。


「つまり、リーシャには理術士として極めて優れた才能があるかもしれないということだ」


 へぇと驚きを以て声を上げるビルギット。一方のリーシャはそれを聞いてぶんぶんと首を左右に振る。


「そんなこと、ありえません! 私、初めて言われましたよ?」

「当然だ。君は今まで理術に関心があったわけではないだろう。砂浜で真珠を探す者がどうやって遠い山中にあると思考できるか、ということだ」

「つまり、リーシャが単純にその界隈と遠かったってだけね」

「でも私……今まで【精霊】なんて見たことないです」

「そういえば、初めて見るような反応だったわね。そこらへんはどうなの」


 ビルギットがレフターに問うと、レフターはぐるりとビルギットの右肩を一周する。これは彼が何か考えるときにする行動なのだが、リーシャにはそれは知る由もない。


「考えられるのは、カシナの紋様がリーシャの霊脈に関して何らかの影響を与えている可能性だ」

「じゃあ、この紋様のせいでレフターさんが見えるっていうことですか?」

「否定はできない。紋様によって見えるようになったのか、それとも紋様によって君の中で眠っていた力が目覚めたのか。どちらかだろう」


 リーシャは、わかっているようでどこかわかっていない、少しぼんやりとした様子だった。


「もしかして、昨日からずっとレフターが見えていたの?」

「あ、はい。そうです。最初見て驚いたんですけど……てっきりビルギットさんが飼っているのかなって」

「家畜の類に間違えられるのは初めてだな。新鮮な体験だ」

「ああっ、そういうわけではなくて!」


 必死に否定するリーシャに、ついビルギットは笑ってしまう。それどころか、レフターまでその尻尾を震わせた。これは彼が『面白い』と感じているときの動きであることは、先の考えるときの行動と同じで、ビルギットしか知らない。


「しかし、レフターが見えるのであれば、便利でいいわね」

「ああ。いちいち無駄な力を消費しないで済む」


 レフターは、彼を見る力がない一般人に姿や声を認識させるために、ほんの少し彼の内側の力を使っている。ターバルでガフと会話するときも、彼はこの力を活用していた。それが必要ないのであれば、レフターの力を存分に迷宮の方に活用できるのだ。


「あの、ビルギットさん」

「ん?」


 少し間を置いてから、口を開くリーシャ。


「……ビルギットさんも、私に聞いてみたいこととか、ありませんか? 私も、ビルギットさんに信頼されたいです」

「ありがと。じゃあ遠慮無く質問するわ」

「は、はいっ」

「ずばり聞きたいんだけれど、リーシャと皇女はどういう関係なの? 皇女のいう『友人』っていう意味は……正にその通りの意味?」


 昨夜から気になっていたことを真っ先に問うビルギット。それに対しリーシャは、質問されるのをある程度予想していたのか、特に驚く様子もなくビルギットを見つめたまま語り始める。


「姫様の言う『友人』というのは、その……昔の名残、といった感じでしょうか。実は私、孤児なんです。人伝にしか知らないのですが、家族は私が赤ん坊のときに流行病で亡くなったらしく、物心ついた時はグリフスの孤児院で育てられていました。そして、9歳の時にサウード様に引き取られ、ディムロンド城に入ることになりました」

「サウード?」


 どこかで聞いたことがあるような名前に、ビルギットが反応する。


「サウード様はマンティコール皇国宮廷理術師で、東方を司る方です。タンジム様と同じ身分ですが、宮廷理術師で最も年長なため、実質マンティコールの理術の長であると姫様は仰っていました」

「そのサウードって人が、何だって孤児の引取を?」

「サウード様はマンティコール国内で学校整備などの慈善活動をなさっているんです。理術院だけでなく、普通の教育機関も含め、国内のほぼ全てにサウード様が関わっているんですよ。孤児院もその活動の一環でして、サウード様は私のような孤児の引取先も見つけてくださっているんです。私もその一人で、ディムロンド城に小間使いとして入れさせていただきました」


 王城には一定数の使用人がいることはビルギットも当然理解している。だが、地方の貴族の屋敷ではなく、王城に直接勤めるとなると、何かしらの縁が必要な印象があった。金の縁、血縁、地縁、様々なものがあるはずだが、リーシャはそんなものとは無縁の孤児のはずであった。


「リーシャの他には、王城に入った子はいるの?」

「いいえ、私だけでした。もしかしたら、そこで一生分の運を使い果たしたのかもしれません」


 ビルギットは、サウードという理術士がリーシャの才能に勘付いていた可能性を思いついたが、それを口にせずリーシャに続きを促す。


「私が王城に入って、小間使いとしての仕事や生活にもようやく慣れはじめた頃でした。サウード様が、私を姫様に引き合わせてくださったんです。王城でのサウード様は、宮廷理術師としての仕事以外に、シヴルカーナ様の教育係も務めていました。サウード様曰く、姫様は歳の近いご学友をお探しになられていたそうで……王城にいた小間使いで、たまたま姫様と歳の近い私に、その役目を与えてくださったんです」

「ご学友をお探しにっていうのは、これまた私には想像できない世界ね」

「ビルギットさんもご存知かもしれませんが、姫様は他のご兄妹と……その……あまり仲がよくなくてですね、姫様の周りにはいつも歳上の方しかいなかったそうです。サウード様は姫様の今後のことも考え、年齢の近いものと接するべきだとして、私に姫様と一緒に勉強する機会を下さったんです。こう見えて私、文字の読み書きや数学には結構自信があるんですよ」


 リーシャが少しだけ誇らしげに胸を張る。ビルギットは、リーシャがそうした勉学の成果と共に、皇女との思い出を大事にしていることを見て取った。


「姫様は、私なんかと違ってとても賢くて、一緒に勉強したとはいっても、ほとんど先生と姫様から教わっているようなものでした。けれど、姫様は、私と遊んでいただいたり、優しくしてくださったり……姫様が成人されてからは、姫様の専属の小間使いという形にもさせてもらって、時折姫様のご休息のお供をさせていただいたりもして……」

「なるほど……それで『友人』ね」


 リーシャの話を聞く内に、ビルギットは、【鉄華の姫】として謳われているシヴルカーナも人間的な側面があること――歳相応の友人を求めるような、孤独を恐れる感情――に気付かされる。昨夜対面した皇女は、あくまで【鉄華の姫】としての姿であって、リーシャが知っているのそれ以外の姿なのかもしれないと、ビルギットは自分の認識を改めた。


「私は、姫様やサウード様、ディムロンド城の皆様、マンティコール国民、その全てに助けられて今日まで幸せに生きることができたと思っています。だから、どうしても恩返しがしたい。この生命を賭けても構わない。だってみなさんがいなかったら、私はとっくに死んでいたから」


 両手を握りしめ、その想いの強さを言葉にするリーシャ。彼女のその真摯さは、ビルギットの中でいくつかの事象を結びつけ、納得を作り出す。


(……リーシャには、主従の契約以上に、恩義があるんだな)


 もしかしたらリーシャは、自分が死ぬことよりも、死んで恩を返せなくなることを恐れているのかもしれない。その認識を得ることで、ビルギットは、皇女の二つの目的――権力争いに勝利することと、リーシャの命を守ること――と、リーシャ自身の意志が確かに結びついていることを把握する。


「リーシャの話を聞いておいてよかった」

「本当ですか?」

「うん」


 間もなく目的地に到着することを示す馬車の鈴が鳴る。下流街区の大通りが人で満ち溢れているのが、馬車の窓から窺えた。

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