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上手くいかなかった殺人

作者: 万贈

 

 俺は復讐しに来た。この会社の社長に。


 目の前にそびえ立っている大きなビルは俺を(こば)んでいるかのように見えた。

「待ってろよ財前(ざいぜん)。今夜、お前の人生を終わらせてやる」

 と、俺は上着の内ポケットにナイフが入っているかを確認する。これが無ければ復讐することが出来ない。

 俺は気を落ち着かせる為にタバコを吸う。

「敷地内は禁煙ですよ」

 と、見知らぬ女性に注意される。

 建物の外も禁煙なのか。ケチな会社だ。いや、アイツらしいな。

 俺は昔、財前に裏切られてリストラされた。それからアイツはどんどん出世階段を駆け上がり、今では大会社の社長だ。そう、アイツは俺を踏み台にしたのだ。許せない。

「くそっ!」

 俺の頭の中は憎悪と怒りで埋め尽くされていた……はずだった。

「くそっ! 腹が痛い……」

 急激な腹痛。もう冷静さを保っているのも辛い。俺は怨恨(えんこん)の復讐者から窮地(きゅうち)の腹痛者に変わった。どちらも不審者である事に変わりはないが。

 俺はたまらず建物の中へと入った。

「トイレは……どこだ……!」

 俺は一心不乱にトイレを探して回った。だが、こんな馬鹿デカい建物だというのにトイレが見つからない。社長に言ってやりたい。トイレを増やせと。

「助かった……」

 俺は三階でようやくトイレを見つけた。

 個室に入ってホッと一息。数分後、俺の胃腸は回復した。よし! 財前を殺しにーー

「経理課の部長キモくない?」

「分かるー! しょっちゅう付きまとって来るよね。下心見え見えって感じ」

 その瞬間、俺は戦慄した。


 ここは女子トイレだ!


 腹痛に気を取られていて全く気が付かなかった。

「ど、どうすればいい……」

 俺は個室の中を見渡した。すると、ハンガーに清掃員の制服が掛かっている。これは利用するしかない。俺はすぐさま清掃員の上着をスーツの上から羽織った。

「掃除が終わりましたのでこちらの個室もどうぞ。足元にお気を付け下さい」

 清掃員の決まり文句を存分に言い放って、俺はそそくさと女子トイレから出て行った。

「危なかった……」

 殺人以外の容疑で逮捕されるのは勘弁願いたい。俺はデッキブラシを右手に持ちながらそう(つぶや)いた。

「高橋さん!」

「え?」

「いくら一日限りのアルバイトだからって遅刻は良くないよ!」

 と、今の俺と同じ格好をした女性が言う。

「アルバイト?」

「清掃員のアルバイトに応募したんでしょ? 高橋さん」

 俺は木村だ。高橋じゃない。

「ほら! サッサと掃除するよ!」

「待て! 俺は高橋じゃなーー」

 俺は制服に付いている名札を見てハッとした。確かに名札には高橋と書いてある。これでは間違えられても仕方が無い。

「さぁ、建物全部綺麗にするよ!」

 俺の抵抗も(むな)しく、六時間にも及ぶビル清掃が始まった……。




「俺は何をしているんだ……」

 非常階段の段差に座って、俺は溜め息をついた。隣に清掃員の女性が座る。

「ちょっと疲れちゃったかな?」

 と、俺に缶コーヒーを差し出してきた。

「ありがとう……ございます」

「私ね。将来看護師になるのが夢なんだ。だから、今はアルバイトをしてお金を貯めてるの」

 と、彼女は微笑んだ。

「そうなんですか……」

「もうそんなに若くないけど……夢を叶えるのは今からでも遅くないって思ってさ」

「きっと……なれますよ」

 俺は何故かそんなふうに応えていた。

「ありがとう。なんかごめんね! 変な雰囲気にしちゃって!」

「いえ……」

「これ、バイト代。大事に使ってね」

 と、彼女は俺に手書きで『給与』と書かれた茶封筒を渡して、その場を去って行った。

「夢……か」

 俺は封筒を上着の内ポケットにしまった。そして、不必要な清掃員の制服を脱ぎ捨てた後、本来の目的に戻った。

 掃除をしている時にこんなことを耳にした。財前社長は五階の多目的会議室Aにいる。チャンスだ。ターゲットの居場所さえ分かればこっちのもんだ。

 俺は戦闘態勢入った。

「えーっと……多目的……」

 俺は五階で迷子になっていた。この会社には会議室が多過ぎる。どの部屋にも最後には『〜会議室』と付いているのだ。

 しかし、ターゲットはいとも簡単に姿を現した。

「……財前!」

 俺に背中を見せるようにしてアイツは廊下を歩いていた。周りに部下は誰もいない。

 殺せる。今なら殺せる。俺は完全犯罪に興味はない。別にバレてもいい。もっと言えば死んでもいい。アイツさえ殺せれば。

 俺は息を殺して財前に近付いた。

「その件は後で本部に回してくれ」

 呑気に電話なんかしやがって。お前は俺に殺されるんだぞ。

「ああ、分かってる。その件なら……」

 俺は上着の内ポケットからナイフを取り出してーーナイフをーーナイフ?


 ナイフが無い。


 ダジャレを言っている場合ではない。この状況は洒落にならない。内ポケットには先程もらった封筒しか入ってない。どういうことだ?

「まさか……」

 俺には思い当たる節があった。掃除をする時に邪魔だからと言って、ナイフを制服のポケットに移した覚えがある。いや、多分移したんだと思う。そして、掃除が終わった後に制服は丸めてゴミ箱に捨てた……。

 つまり、俺はあろうことか凶器のナイフを捨ててしまったのである。

「嘘だろ……あ! 財前は!?」

 復讐するはずだった相手は、すでにエレベーターで一階へと降りていた。

 こうして、俺の殺人は失敗に終わった。




 ビルの前で俺は一服する。

「これからどうするかな……」

 ゆらゆらとタバコの煙を揺らす俺の前に一人の清掃員がやってきて……こう言った。

「敷地内は禁煙だよ」

 俺は思わず声を上げて笑ってしまった。


 おわり





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