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おばあさんの電話

作者: 愛田雅

 家路を急いでいると、マナ子さんの目にパン屋が飛び込んできました。とてもおいしそうなかおりに誘われて、パン屋の前に行きました。マナ子さんは、このパン屋のパンが大好きです。小さいころから、お母さんに連れられて、大好きなパンをよく買っていたのです。

 しかし、最近はここのパン屋で買い物をしていません。たまには、お土産にパンを買っていこうと思ったマナ子さんは、かばんから携帯電話を取り出しました。マナ子さんはお母さんに、これからパンを買って帰ることを伝えるために、電話をかけました。

「もしもし」

 マナ子さんは、お母さんが出たと思って話し掛けました。

「もしもし、マナ子かい?」

 驚きました。なんと、電話に出たのは、死んだはずのおばあさんだったのです。なぜ、おばあさんが電話に出たのか、マナ子さんは混乱してしまいました。真っ白になった頭を何とか整理して、マナ子さんは、これは夢なのではないかと思い、右手で頬っぺたをつねってみました。

 夢なら痛くないはずです。しかし、つねったほっぺたは、とても痛かったのでした。

 次にマナ子さんは、声の主がおばあさんではないのだろうと思いました。

「あれ? お母さんじゃないの?」

 マナ子さんは、おばあさんを試すような口ぶりで言いました。

「お母さんは、食事の支度をしているんだよ。マナ子は、今、どこにいるんだい?」

 何度聞いても、おばあさんの声にしか聞こえません。本当におばあさんなのかもしれないと、マナ子さんは思いました。

「おばあさん、今、パン屋の前にいるんだけど、おばあさんの大好きなパンを買っていこうか?」

 マナ子さんは、ドキドキしながら言いました。まだ、電話の相手がおばあさんだと百パーセント信じられないからです。

「マナ子、それよりも早く帰っておいで」

 やはり、電話の相手はおばあさんのようです。しかし、なぜか、おばあさんはマナ子さんに早く帰るように促しました。

「おばあさんは、パンが好きでしょう? おばあさんの大好きなパンを買って帰るよ」

「マナ子、とにかく早く帰っておいで」

 何度もパンを買って帰ると言ったのですが、おばあさんは断ってしまいました。マナ子さんは、何がなんだか訳のわからぬまま、家に帰る事にしました。

 急いで家に帰ると、とても慌ただしい雰囲気でした。マナ子さんがお母さんに話し掛けると、おじいさんが倒れてしまったのでした。マナ子さんは驚きました。今朝、おじいさんを見た時は、おじいさんはとても元気そうだったのです。

 お母さんの話では、夕方に、ジョギングをしていたら突然倒れてしまったそうです。おじいさんは、健康のためにジョギングを今日から始めると言っていたのでした。急に激しい運動をしたから倒れてしまったのだろうと思いました。

 軽い夕食を終えると、早速、おじいさんのお見舞いに行きました。ベットの上に横たわるおじいさんは、今朝見たおじいさんとは、まるで違いました。のんきに「おはよう」と言っていたのに、それがまるで嘘のように青白い顔をしています。おじいさんは、うっすらと目を開けてマナ子さんを見ました。

「マ、マナ子か」

 ようやく、おじいさんはにこやかな顔をしました。マナ子さんもおじいさんの笑顔を見て安心しました。しかし、これで安心は出来ません。おじいさんの声は、あまり力が入っていませんでした。マナ子さんは、また、ほっぺたをつねってみたい気持ちになりました。しかし、おじいさんが弱っていることを受け止めたくないので、それは止めてしまいました。

 椅子に座って、おじいさんをじっと見ていると、おばあさんとの電話を思い出しました。マナ子さんに早く帰るようにせかしたのは、おじいさんが倒れたことを知らせるためだったのではないかと思いました。

 この話をしても、誰も信じてはくれないだろうと思い、マナ子さんは自分の胸にしまっておくことにしました。


 次の日も、会社帰りにマナ子さんは、パン屋の前から電話をしました。昨日と同じように、おばあさんが出るかもしれないと、ほんの少しだけ期待をしていたのです。今日も昨日と用件は同じです。ショーウインドー越しにおいしそうなパンを見ながら、電話をすると、今日もおばあさんが電話に出ました。

「もしもし、おばあさん?」

 マナ子さんは声で相手がおばあさんだとわかったのですが、おばあさんは何年も前に亡くなっているので、念のために聞いてみました。

「ああ、そうだよ」

 その声、その話し方はどう考えてもおばあさんでした。やっぱり、おばあさんだ。昨日の電話もおばあさんだったに違いないとマナ子さんは思いました。

「ねぇ、おばあさん。今日は、パンを買って帰ろうか?」

「パンはいいから、早く帰っておいで」

 やっぱり、おばあさんはマナ子さんに早く帰るようにせかしました。

 おばあさんは、このパン屋のパンが大好きなはずなのに、なぜ、買って欲しいと言わないのかマナ子さんは不思議に思いました。

 仕方がないので、マナ子さんは今日も急いで帰る事にしました。

 家に帰ると、お母さんがそわそわしています。お母さんは、マナ子さんを見るなり、ぎょっとした顔をしました。マナ子さんはどうかしたのかとお母さんに聞きました。すると、おじいさんの容態が悪化したのだと言いました。もう、マナ子さんはおばあさんの事を考えるどころじゃありません。かなりおじいさんの容態は悪く、マナ子さんはお母さんと一緒にすぐに病院に行きました。病室に着くとおじいさんは酸素マスクを着けて苦しそうな表情をしていました。

「おじいさん・・・・・・」

 マナ子さんは、急に恐ろしくなりました。もうすぐおじいさんが、遠くへ逝ってしまうと強く思いました。お母さんはマナ子さんの隣で、マナ子さんの腕を支えていました。

「マナ子、座ってなさい」

 お母さんは、空いている椅子にマナ子さんを座らせました。椅子に座っても、マナ子さんはおじいさんをじっと見ていました。

 しばらくすると、おじいさんは天に召されました。

 その日の夜、マナ子さんは自分の部屋で一人で泣きました。自宅のリビングでは、交代でお線香を見張っていました。

 ついこの間まで、元気だったのに、もうおじいさんはこの世にはいません。マナ子さんは、どうしてもおじいさんの死を受け入れる事が出来ずにいました。もっとおじいさんと一緒にいたいと思うと、涙がポロポロと流れました。

 数年前に、おばあさんが亡くなったときも同じように泣いたことを思い出しました。初めて、自分の身内が亡くなったのでした。人が死ぬということを、真剣に考えたことの無かったマナ子さんは、おばあさんの死を受け入れたくない気持ちでいっぱいでした。

 絶対に、受け入れたくないと頑なになっていたマナ子さんでしたが、夜中におじいさんがおばあさんのなきがらの前で、一人、泣いているのを見たときに、ようやくおばあさんの死を受け入れることが出来たのでした。

 おばあさんが亡くなって、一番悲しいのは、ずっと一緒にいたおじいさんなんだ。

 自分一人が、泣いているんじゃない。自分一人が、おばあさんの死を悲しんでいるんじゃないと痛感したマナ子さんは、ようやくおばあさんの死を受け入れることが出来たのでした。

 おじいさんが亡くなったことを悲しんでいるのは、自分だけじゃないはず。お父さんもお母さんも、きっと悲しんでいるんだよね。

 そう自分に問いかけると、涙は不思議と止まってしまいました。しゃっくりが出るほど泣いていたのがうそのようです。

 だいぶ落ち着いてきたので、マナ子さんはリビングに行きました。マナ子さんがおじいさんのためにお線香を絶やさないように見張る事になりました。

 おじいさんの遺体が目の前にあります。まるでおじいさんは眠っているようです。とても死んでいるようには見えません。

「おじいさん、起きて」

 マナ子さんは、おじいさんを起こそうとしました。しかし、おじいさんは起きません。何回呼び掛けても、おじいさんは動く事すらありませんでした。

 もうおじいさんは、死んだんだとマナ子さんは諦めました。

 マナ子さんはおじいさんに、おばあさんと電話で話した事を言いました。すると、おじいさんが少しだけ笑ってくれたように感じました。


 数日後、マナ子さんはパン屋で、大好きなパンを買いました。とても良い匂いのする袋をぶら下げて歩いていると、後ろから誰かがマナ子さんにぶつかってきました。マナ子さんは、手に持っていた袋を道路に落としてしまいました。

 袋からパンがひとつだけ飛び出しました。パンをひとつ無駄にしてしまったと肩を落としていると、一匹の子犬が出てきて、マナ子さんが落としたパンをおいしそうに食べました。

 マナ子さんは子犬がパンを食べる姿をじっと見ていました。

「おいしい?」

 マナ子さんが子犬に話し掛けると、子犬はしっぽを振って喜びました。とてもかわいらしい子犬だったので、マナ子さんは、この子犬を家に連れて帰ることにしました。

 家に帰ると、お母さんは驚きました。マナ子さんは動物がとても嫌いなのです。そのマナ子さんが、子犬を大事に抱えている姿を見て、お母さんはどうしたのかとマナ子さんに尋ねました。マナ子さんは、正直に子犬の事を話すとお母さんは、子犬を飼う事に賛成してくれました。

「もしかしたら、おじいさんの生まれ変わりかも知れないわね」

 お母さんは、ニコニコしながら言いました。マナ子さんもそうかもしれないと思いました。

 子犬は、お母さんにもすぐになついてしまいました。

 次の日になると、すっかり子犬はマナ子さんの家のアイドルとなりました。


 子犬が来て、初めての休日、マナ子さんは子犬と家の中でじゃれあっていました。すると、突然、子犬がマナ子さんから離れて、歩き始めました。マナ子さんが何度呼んでも、子犬は振り向きもしません。

 マナ子さんは、首をかしげながらも、子犬の後についていきました。子犬は、おじいさんの部屋に入っていきました。子犬は、マナ子さんの家に来て、一度もおじいさんの部屋に入ったことはありません。マナ子さんはどうして子犬がおじいさんの部屋に来たのか不思議に思いました。

 子犬は、おじいさんの部屋に入ると本棚の前に行き、一冊の本をくわえて、マナ子さんに渡しました。本を開いてみると、それはおばあさんの日記帳でした。マナ子さんは床に座って、日記帳を読み始めました。

 驚いたことに、おばあさんの日記帳にはマナ子さんと電話で話したことが書いてありました。どうやら、マナ子さんがこの間、電話で話したおばあさんは、マナ子さんが高校生のときに部活動で帰りが遅くなることが多かった時と一致していました。

 高校生のマナ子さんは、まだ携帯電話を持っておらず、気軽に家に電話をかけることもあまりありませんでした。そのせいか、おばあさんはマナ子さんからの電話がとても嬉しかったと日記に書いていたのでした。

 やっぱり、おばあさんと電話で話をしたんだ。マナ子さんは、とても嬉しくなりました。

 子犬をリビングに連れて行くと、大好きなパンを子犬と一緒に食べました。

 おばあさんの日記帳を見ながら、牛乳を飲みました。テーブルの下では、名前を付けていない子犬がおいしそうに牛乳をぺろぺろと飲んでいます。

 人の日記を見るのは、あまり良い気持ちがしないけれど、マナ子さんはおばあさんの日記を読みました。

 高校時代、マナ子さんは卓球部に所属していました。大会の直前になると、レギュラーではないけれど、夜遅くまで学校に残って練習をしていたのです。

 家に帰ると、心配そうな顔でおばあさんはマナ子さんを出迎えてくれました。マナ子さんも、おばあさんの顔を見るとホッとしたのでした。

 このころのマナ子さんは、学校帰りにパン屋でお土産を買うことはありませんでした。パン屋でパンを買っても、帰る途中にある公園で、全部食べてしまったからです。

 家族の誰もがそのことを知りませんでした。マナ子さんは、パンを食べたばかりでも、夕食は残らず平らげていたので、誰もそのことに気付くことすらなかったのです。

 おばあさんの日記を読みながら、高校生のときを思い出しました。しかし、電話の話は日記の中には出てくるけれど、実際に電話をした話は、おばあさんとしたことを思い出すことはありませんでした。

 おばあさんは、未来のマナ子さんと電話していると気が付いていたのではないかと、マナ子さんは思いました。

 午前中に、子犬の散歩の途中で買ってきたパンを頬張りながら、マナ子さんは日記を読み続けます。

 日記の中には、おばあさんがクロワッサンが一番好きだと書いてありました。マナ子さんもクロワッサンが大好きです。

 マナ子さんは、テーブルの下にいる子犬を見ました。子犬は、クロワッサンをしっぽを振りながら、嬉しそうに食べていました。

「クロワッサン!」

 ためしに、そう呼んでみました。

「ワン!」

 子犬は、元気よく返事をしました。

「あなたの名前は、クロワッサンよ。気に入った?」

 子犬は、マナ子さんをじっと見てしっぽを振り続けています。

 愛らしい子犬の姿に、マナ子さんは子犬を抱きかかえました。膝の上に子犬を置くと、頭を優しくなでてあげました。

「よしよし。クロワッサンって名前を気に入ってくれたんだね。おばあさんの大好きなパンだったもんね。本当に、クロワッサンはおじいさんの生まれ変わりなの?」

 顔を近づけて、マナ子さんはクロワッサンに聞いてみましたが、クロワッサンはしっぽを振るばかり。

「犬が、おしゃべりなんてするわけないもんね。ごめん、ごめん」

 苦笑いを浮かべると、マナ子さんはクロワッサンにパンを食べさせてあげました。

 クロワッサンは、何も言わないけれど、マナ子さんは絶対にクロワッサンはおじいさんの生まれ変わりだと確信しました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 電話が気になる クリワッサンも気になる おち があるか? なみだのドラマか 命の電話か? ものたらない 
[一言] 少し不思議な物語ですね。マナ子のことを小学生くらいの子供だと思って読んでいたら、高校生だったんですねぇ
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