ギャンブラー君を救いたい。
ブーッ、ブーッ……。
鳴り止まない督促電話のバイブレーションだけが、魂の抜け殻となった男をこの世に繋ぎ止める唯一の鎖だった。
荒木駿、29歳。 深夜の寂れた歩道橋の上、覇気のない瞳で濁った川面を見つめていた。
もともと、彼にこれといった趣味はなかった。
やりたいことも、情熱を注げる対象もない。
ただ、空っぽの心を埋めるために手を染めたギャンブルが、気づけば人生のすべてを飲み込んでいた。
「……終わった」
ポケットの中には、クシャクシャになったハズレ舟券が一枚。
消費者金融からの督促電話は、もはやマナーモードにする気力すら奪うほど鳴り響いていた。
最初はただの暇つぶしだった。 ビギナーズラックで手にした数万円が、脳を焼き切った。
負けを取り返そうと熱くなるたび、沼は深く、暗くなっていく。
友人、親の信頼、職、そして最後には自分への尊厳。すべてを賭けて、すべてを失った。
彼は手すりに足をかけた。 夜風が冷たく、彼のボロボロのジャンパーを揺らす。
「もし、もう一度だけやり直せるなら――」
そんな、ギャンブラー特有の、根拠のない「もしも」を抱きながら、彼は身を投げようとした。
その瞬間だった。
「はいっ! その『もしも』天界の特等席からバッチリ聞き入れましたぁぁぁ!!」
「……え?」
鼓膜を突き破るような超高音の明るい声。 直後、深夜の歩道橋は、太陽をそのまま持ち込んだかのような、目に痛いほどの黄金の光に包まれた。
「うわあああっ!? ま、眩しいっ!」
駿が腕で顔を覆うと、光の中からふわりと一人の少女が舞い降りてきた。 純白の翼を羽ばたかせ、頭上にはキラキラと輝く金の輪。 へたくそなウィンクを決める美少女。
「こんにちは! 運を使い果たしてどん底まで落ちちゃったあなたを救う、『転生師』の天使ちゃんですっ!」
「て、天使……? ついに脳がイカれたか」
「失礼ですねぇ! 幻覚じゃありませんっ! 駿さんの心が『助けて』って叫ぶ声、天界の私の耳までちゃーんと届きましたよ!」
天使ちゃんは駿の周りをくるくると飛び回ると、突然、ダムが決壊したかのように大粒の涙を流し始めた。
「ひどいです……! 何ですか、この『絶望の多重債務』は!日がたつほどに減るどころかますます増えていく借金……むご過ぎます!!どういう仕組みですか、これ!!??」
「いや、ただ俺が自堕落なだけで……」
「いいえ! 駿さんは悪くありません! 悪いのは、一度負けたら二度と這い上がれない、このキツキツでカチカチな社会の仕組みの方です! あなたはもっと、自分の才能を信じて、大逆転を謳歌すべきなんです!」
天使ちゃんは駿の目の前まで飛んでくると、その白く細い手で彼の手をギュッと握りしめた。
「駿さん。あなたを、この『負け確の人生』から卒業させてあげます。私のプロデュースする異世界で、最高にスリリングでハッピーな『セカンドライフ』を始めませんか?」
「異世界……。俺みたいな、運に見放された奴が行っても……」
「大丈夫です! 駿さんは、死ぬほど『確率』を愛していましたよね? その『勝負師の才能』、私がチート級に引き上げておきましたから! さあ、行きましょう! 全てがあなたの思い通りになる、輝かしい未来へ!」
天使ちゃんがキラキラと光る杖を振り下ろす。 駿の視界は、再び純白の光に飲み込まれていった。
次に駿が目を開けた時、そこは冷たいアスファルトの上ではなく、豪華絢爛なシャンデリアが輝くカジノのど真ん中だった。 周囲には見たこともない豪華な衣装を着た貴族たちや、筋骨隆々の冒険者たちが溢れている。
【通知:『転生師天使ちゃん』による特別加護『ギャンブラーへの福音』が適用されました】 【メインスキル:『万象確率操作』】
【詳細:あなたの観測するあらゆる事象の確率を、任意に変更できます。あなたが『当たる』と確信した瞬間、確率は100%へと収束します】
「……マジかよ」
駿は、目の前のルーレット台に適当なチップを置いた。 確率は、38分の1。
(……当たれ)
そう念じた瞬間、ルーレットの球が物理法則を無視した急ブレーキをかけ、彼の選んだ数字に吸い込まれるように静止した。
「「「おおおおおっ!!」」」
場内がどよめく。一回、二回、十回……。
駿が賭けるたび、ディーラーの顔は青ざめ、チップの山は見たことのない高さに積み上がっていった。
「ははっ、これが『確変』ってやつか」
前世で彼を苦しめた「不運」という概念は、もはや存在しなかった。
そんな駿の前に、乱暴に引きずられていく一人の少女が現れた。
長くしなやかな耳を持つ、美しいエルフの少女だ。
「放して! お父様の借金は、必ず返しますから……!」
「黙れ! 返せないなら、その体で払ってもらうのがこのカジノのルールだ」
下卑た笑いを浮かべるのは、この街のカジノを支配するバロン・グリーシー。 彼は少女――リリアをオークションにかけようとしていた。
その光景を見た瞬間、駿の胸に熱い不快感が走った。
責任感から逃げ回っていた自分と、理不尽な借金に縛られる少女。
その姿が、かつての自分に重なって見えたのだ。
「おい。その娘の借金、俺が肩代わりしてやるよ」
駿の声に、場が静まり返る。
「ほう……。よそ者が威勢がいいな。だが、彼女の借金は金貨一万枚。いくら運がいいからといって、一朝一夕で払える額ではないぞ?」
「なら、ギャンブルで決めようぜ。俺が勝てば彼女は自由。負ければこのチップの山と……俺の『命』をくれてやる」
「いいだろう……。面白い」
グリーシーの口角が吊り上がる。 彼もまた、この世界の理を超える「力」を持つ者だった…
「勝負は、『一発勝負ルーレット』偶数に球が入ればお前の勝ち、奇数に球が入れば俺の勝ちだ。」
グリーシーが低い声が響く。
「このルーレットは0を含めて偶数が出る確率の方が高い、ずいぶんとなめられたものだな」
グリーシーは不敵に笑いながら、ルーレットを回した。
「知らないのか? このカジノのルーレットは、私のスキル『絶対盤面支配』によって管理されている。私の許可なく『当たり』が出ることはないのだよ!」
盤面が異様な黒い霧に包まれる。 駿は冷ややかな目でそれを見つめ、自身のスキルを発動させた。
球は猛烈な勢いで回転し、グリーシーの魔力によって「ハズレ」の溝へ誘導される。
しかし、駿が「当たり」を念じた瞬間、球はガタガタと震えだし、空中にふわりと浮き上がった。
「な、なんだと? 球が浮いている!?」
グリーシーのスキルと、駿のスキルが衝突し、ルーレット盤の周囲で空間が歪み始める。 球は右へ、左へ、重力を無視して飛び回り、火花を散らした。 お互いの「確率」が相反した結果、因果律が崩壊し始めているのだ。
「ふふ、なるほど……お前も『力』の持ち主か……しかしまだ、扱いなれていないな?」
球は小刻みに揺れながらゆっくりと、グリーシーの勝利となる奇数を示すポケットへと着地した…………
と思われた。
駿の瞳に、かつてなかった強い光が宿る。
一瞬の間を置き球は偶数を示す黒のポケットへと動いた。
「……勝ちだ」
静寂の中、駿の声だけが響いた。
「「オオオオオオオオオオオオ!!」」
怒声にも似た歓声。
リリアは涙を流しながら、救世主となった駿に縋り付いた。
「どういうことだ??あり得ない!!」
「正直『力』はあんたの方が上だったよ、だから最初のポケットはお前に譲り、そこで一度お前の能力を終了させた。そして俺は即座にもう一度『力』を使い球の『運命』を変えた。驕り高ぶったお前はもう一度『力』を使うなんて発想には至らなかっただろうな」
現実世界では俺を地獄へといざなった『諦めの悪さ』が招いた勝利だった。
その様子を、天界の特等席で見守る天使ちゃん。
「ふふーん! さすが駿さん!持前の『諦めの悪さ』で大活躍です!!」
天使ちゃんはポップコーンを口に放り込みながら、楽しそうに足をバタつかせる。
「こーらー!! 天使ちゃん! またやり過ぎよ!」
背後から飛んできたのは、教育係の先輩天使。 彼女はモニターを見て、顔を引きつらせた。
「『万象確率操作』って何よ! 世界の物理法則がバグってるじゃない! 砂漠に雨が降ったり、火山から金貨が噴き出したりしたらどうするのよ!駿さんも駿さんで、『命』を簡単にベットし過ぎでしょ!どこまでギャンブラーなのよ!!」
「えー、いいじゃないですか。駿さんはあんなにヒーローしてて楽しそうですし。何より、彼が強くなればなるほど、私の『計画』も捗るんですから……」
「計画? 」
「てへっ、なーんにも! 駿さーん、どんどん稼いで、どんどん勢力を広げてくださいねっ!」
天使ちゃんは可愛く舌を出した。
手には3つのチェスの駒を大事そうに握っている。
異世界では、元ギャンブラーの青年が、自分を慕うエルフの少女の手を引き、次なる大勝負――いや、新たな人生の歩みを進めていた。




