第1話:社畜くんを救いたい。
スカッとする気持ちの良さと、素早い展開を意識しています
1話完結なのでどこからでも読めますが、全体を貫く大きなストーリーもあります!
オフィスに響くのは、乾いたタイピング音と、唸りを上げるサーバーの排気音だけだった。
佐藤健一(26 歳)の視界は、ブルーライトの熱に焼かれてひどく霞んでいる。
手元のエナジードリンクは三本目。目は開いているものの、脳は死んでおり。不安と焦りだけを感じるゾンビのようだった。
「……これ、明日までに終わるわけないだろ」
画面上のエクセルファイルには、理不尽なまでの修正依頼が赤字で並んでいる。
完璧主義の上司には嫌がらせかのように細かな指摘と、そのすべてを覆すかのような大胆なやり直
しの指摘が地獄を生み出していた。
ビルを出たのは深夜二時。
冷たい雨が降る中、健一は幽霊のような足取りで駅へと向かった。
誰もいないホーム。濡れたアスファルト。
自分を運ぶはずの最終電車は、もうとっくに行
ってしまった。
「ああ……もう、いいかな」
ふと、視線の先に伸びる銀色のレールが、柔らかいベッドのように見えた。
あそこへ行けば、納期から開放される。
あそこへ行けば、二度と誰かに罵倒されることもない。
健一は、磁石に吸い寄せられる鉄屑のように、ゆっくりとホームの端へ一歩を踏み出した。
その時。
「待ってくださぁぁぁぁいっ!!」
鼓膜が弾けるような、異常なほど明るい声が、夜の静寂を突き破った。
「うわっ!? な、なんだ!?」
驚いて踏みとどまった健一の背後から、凄まじい「光」が溢れ出した。
振り返ると、そこには滞空する一人の少女がいた。
背中には真っ白で大きな翼。頭上には光り輝く金の輪。そして、この世の美しさを凝縮し
たような、純真無垢な瞳。
「だめですよっ! そんな悲しい顔で人生を終わらせちゃ! せっかくの綺麗な魂が、真っ黒になっちゃいます!」
「……天使? いよいよ、エナドリの飲み過ぎで幻覚まで見えるようになったか」
「幻覚じゃありません! 私は、頑張っている人を幸せにするために天界からやってきた『転生師』、天使ちゃんですっ!」
天使ちゃんは健一の前にふわりと降り立つと、彼のボロボロのスーツを掴んで大粒の涙
を流した。
「ひどいです! あなたの生活、私の観測史上トップクラスの地獄ですよ! 毎日16時間労働? 休日なし? ストレスでご飯も喉を通らない? ……ううっ、そんなの、神様でも耐えられません!」
「……そうか。お前、俺がそんなに酷い目に遭ってたって、わかってくれるのか」
「わかります、わかりますとも! だから、もう頑張らなくていいんです。佐藤健一さん、あなたは今ここで、この苦しい世界を『卒業』して、新しい人生を始めましょう!」
天使ちゃんは満面の笑みで、キラキラと輝く杖を掲げた。
「私がプロデュースする異世界は、あなたが頑張らなくても、生きてるだけでみんなに愛されちゃう、そんな最高に優しい世界です! 『特典』も、私が心を込めて『ちょっとだけ』盛っておきましたから!」
「……頼むよ。もう、疲れちゃったんだ」
「はいっ! 任せてください! 健一さんの新しい人生に、幸あれ――っ!」
杖が振られた瞬間、健一の意識は、温かな光の中に吸い込まれていった。
次に目を覚ました時、健一を包んでいたのは、冷たい雨ではなく柔らかな木漏れ日だった。
耳に届くのは、小鳥のさえずりと、遠くから聞こえる川のせせらぎ。
「……死んだ、のか?」
起き上がろうとして、健一は自分の体の異変に気づいた。
重かった肩が、まるで羽が生えたように軽い。
全身の細胞が、透き通った酸素を吸収して喜んでいる。
ふと、視界の隅でチカチカと光る文字が現れた。
【通知:『転生師天使ちゃん』による特別加護が適用されました】
【メインスキル:『全自動・幸福追求』】
【詳細:あなたは生存しているだけで、1秒ごとに経験値を10獲得します。また、呼吸・歩行・睡眠などのあらゆる生存活動において、通常の100倍の習得補正がかかります】
「……1秒ごとに経験値?」
呆然としている間にも、ログが滝のように流れていく。
【10秒経過。経験値100獲得。レベルが1→5に上がりました】
【呼吸を継続中。スキル『神の深呼吸』を獲得。スタミナ回復速度が極大上昇します】
【周囲を観察。スキル『神の眼』を獲得。対象のステータスを看破できます】
「待て待て、いったい何が起きてるんだ……!」
どうやら、ただ生きているだけで、全人類が一生かけて到達する高みへ自動的に登らされている。 だが、今の健一にとっては、この「理不尽なほどの優しさ」が、擦り切れた心に染み渡るようだった。
「……まあ、いいか。もう、頑張らなくていいんだもんな」
彼はゆっくりと歩き出した。 森を抜けて街道に出ようとしたその時、地響きのような重低音と、木々がへし折れる轟音が響き渡った。
「くっ……! これほどの個体が、なぜこんな浅い森に……!」
開けた場所に出ると、そこでは一人の少女騎士が窮地に陥っていた。 銀色の髪をポニーテールにまとめ、ボロボロになった鎧で剣を構えている。彼女の眼前にそびえ立っていたのは、見上げるほど巨大な岩石で構成された「エンシェント・ゴーレム」だった。
少女の足は震えており、鎧に入る亀裂からは血液が赤く滴っている。
「(神の眼、発動)」
【名前:エレナ・ローラン
種族:人間(騎士)
状態:衰弱、絶望、魔力枯渇
心情:『死ぬのは怖くないが、この村の人々を誰が守るのだ……』】
その心情を見た瞬間、健一の胸が痛んだ。 自分の限界をとうに超えているのに、責任感だけで立ち続けている。その姿が、深夜のオフィスで一人泣きながら資料を作っていた自分と重なった。
「……助けなきゃ」
健一は無意識に駆け出していた。 ゴーレムが、丸太のような巨大な岩の腕を、エレナに向かって無慈悲に振り下ろす。
「危ない!」
「えっ……!? 民間人!? だめ、貴方のレベルじゃ即死するわ! 逃げて!!」
エレナが血を吐くような悲痛さを纏い叫ぶ。
だが、健一は彼女を背にかばい、広げた両腕と顔面でその圧倒的な質量攻撃を正面から受け止めた。
――メキィィィッ!!
骨が軋む音と共に、健一の額から鮮血が飛び散る。 足元の地面がクレーターのように陥没した。
「あああっ! なんで……なんで庇ったの!? 貴方みたいな低レベルじゃ、耐えられるわけが……っ!」
泣き叫ぶエレナの背後で、健一は血だらけの顔を上げ、ニヤリと笑った。
「……ははっ。なんだ、こんなもんか」
「え……?」
「理不尽な納期、サビ残朝帰りに比べたら……!」
健一の目に、暗い炎が宿る。
「社畜を舐めるなぁぁぁあああああ!!」
その雄叫びと共に、健一の視界で凄まじい勢いでシステムログがスパムのように流れ始めた。 健一が攻撃を耐え凌いでいる「時間」そのものが、彼を”人類の最終フェーズ”へと引き上げていく。
【1秒経過。経験値獲得。生存活動『忍耐』に1000倍の補正がかかります】
【極大ダメージを観測。100倍の経験値補正がかかります。スキル『物理耐性・大』『痛覚耐性・大』を獲得。】
【10秒経過。レベルが5→50に上がりしました。スキル『大器晩成』を獲得。1,000倍の経験値補正がかかります。】
【30秒経過。レベルが50→99に。上がりました。スキル『物理無効化』『鬼神の両腕・極』を獲得。】
「な、なんだお前は……!?」
先程まで健一を押し潰そうとしていたゴーレムの動きが止まる。いや、健一の底なしの筋力ステータスが、巨岩の腕を完全に押し返していたのだ。
「悪いな。定時だ。」
健一が軽く拳を握り、ゴーレムの腕を下から殴りつけた。
――ズドォォォォォン!!
衝撃波が空気を震わせた。 たったの一撃。
しかし、加護によって極限まで高められた筋力は、巨大なゴーレムを一瞬にして粉々の砂利へと変え、後方の木々ごと吹き飛ばした。
「…………え?」
エレナが呆然と声を漏らす。 後に残されたのは、静まり返った森と、拳を軽く払う一人の青年だけだった。
「あ……。やりすぎた。ごめん、ちょっと時間、かかりすぎた?」
「……そこ!? そこなの!? 貴公、今、何をしたんだ……? 魔法も使わずに、あのエンシェント・ゴーレムを……?」
「いや、ただ、必死に耐えて殴っただけなんだけど……」
健一が照れくさそうに頭を掻くと、エレナは信じられないものを見るような目で彼を見つめた。 しかし、緊張の糸が切れたのか、彼女は膝から崩れ落ちた。
「あ……っ」
「危ない」
健一が素早く手を伸ばし、彼女の細い肩を支えた。
鎧の冷たさと、その奥にある少女の体温。
エレナは顔を真っ赤にし頬を涙で濡らしながら、健一を見上げて小さく呟いた。
「……すまない。助かった、サトウ……といったか。貴公のような高潔な御方が、なぜこのような場所にいたのかは問わぬが……この恩は、必ず返させてほしい」
エレナの瞳には、先ほどまでの絶望ではなく、微かな憧憬と、初めて見る「救世主」への淡い熱が宿っていた。
それから、健一はエレナの護衛を兼ねて、近くの街「ルミナス」まで歩くことになった。
エレナは最初こそ警戒していたが、健一が「自分はただの旅人だ」と言い張り、それでいて彼女の怪我を気遣って水を差し出し、歩幅を合わせる優しさを見せると、徐々にその頑なな心を溶かしていった。
「サトウは、不思議な男だな。それほどの力がありながら、名声にも権力にも興味がなさそうだ」
「……今はただ、穏やかに生きたいんだ」
「穏やかに、か……。騎士である私には、少し贅沢な願いに聞こえるが……貴公の横にいると、不思議と私も、そんな風に思えてくる」
夕焼けに染まる街道を、二人の影が伸びていく。 エレナは時折、隣を歩く健一の横顔を盗み見ては、気づかれないように小さく微笑んだ。
前世で誰からも感謝されることもなく、替えの利く歯車として扱われていた健一にとって、彼女のその眼差しは、どんな加護よりも彼を強くする気がした
その様子を、天界の特等席でポップコーンを食べながら見守っている少女がいた……
「んん~! 最高ですね! 健一さん、もうヒロインをゲットしちゃいましたよ! やっぱり私の『幸福追求加護』は正解でした!」
「……正解なわけあるかぁぁぁ!!」
背後から飛びかかってきたのは、天使ちゃんの教育係である先輩天使だった。
「お前っ! あの加護、設定ミスだろ! 呼吸してるだけでレベルが上がるなんて、このまま
じゃ彼は一ヶ月でカンストするぞ!オーバーフローしたらどうする! 世界が崩壊する!」
「えー、いいじゃないですか。この計画の一人目ですし、健一さん、あんなに幸せそうですよ? 見てください、あのエレナちゃんの顔。もう完全に恋に落ちてますよぉ。私がちょっとだけ、『恋の成就率』にもバフをかけておきましたから!」
「余計なことをするな!!恋愛までチートにしやがって!!」
先輩天使の怒声が響く中、天使ちゃんは「てへっ」と可愛く舌を出した。
「でも、次は……あの街の悪徳商人にいじめられているギルドの受付嬢さんとか、救っちゃ
いましょうか? 健一さんの圧倒的パワー(と、私の加護)があれば、余裕ですよっ!」
天使ちゃんの純真無垢な暴走は止まらない。
そして異世界では、自覚なき最強の元社畜が、美しい騎士と共に、新しい人生の第一歩を
刻んでいくのであった。
ーFASE 1 完了ー




