小学校編 53時間目 ―恋人同士の秘密―
〈紗奈視点〉
「す、好きです! 付き合ってください!」
目の前には、顔を真っ赤にした男の子。
緊張しているのか、差し出された手が小さく震えている。
……うん。
気持ちはありがたいんだけど。
私は一度小さく息を吸ってから、できるだけ穏やかに答えた。
「ごめんなさい。私、付き合ってる人がいるので」
…………。
その瞬間。
『ええええええっ!!??』
……え?
何、この反応。
目の前の男の子だけじゃない。
近くにいた子たちまで、一斉にこちらを振り向いた。
「さ、紗奈さんに恋人!?」
「嘘でしょ!?」
「誰!? 誰なの!?」
……うわあ。
予想はしていたけど、やっぱりこうなるのね。
でも、仕方ない。
だって、実際に付き合ってるんだもの。
……名前だけだけど。
*
「これ、莉玖翔くんに書いてきました! 好きです! 受け取ってください!」
少し離れた場所では、莉玖翔も女の子から手紙を差し出されていた。
可愛らしい封筒。
きっと、一生懸命書いてきたんだろうな。
莉玖翔はその手紙を見つめると、申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね。俺、付き合ってる人がいるから、こういうのは貰えないんだ」
…………。
『ぎゃあああああああ!!!!!!』
……うわっ。
今度は向こうから悲鳴が聞こえてきた。
「莉玖翔くんに彼女!?」
「そんなぁぁぁ!!」
「誰なのよおおお!!」
…………。
はあ。
やっぱり、莉玖翔の方も大変そう。
私たち、告白を減らすために付き合うことにしたんだけど……。
もしかして、最初は余計に騒がしくなるんじゃない?
*
『はぁ……』
人が少なくなった廊下で、私と莉玖翔のため息が重なった。
……あれ?
まただ。
昨日も同じことがあったような……。
「あ、お疲れ」
私が声をかけると、莉玖翔は苦笑した。
「そっちも大変だったみたいだね」
「うん。みんなに問い詰められちゃってさ。莉玖翔も大変だったみたいね」
「まあね。俺も質問攻めにあったよ」
「だよね……」
……まあ、初日はそんなもんよね。
今までずっと誰とも付き合っていなかった二人が、突然恋人がいるって言い出したんだから。
そりゃ、驚かれるか。
でも、これで少しは告白が減るはず。
……たぶん。
「ちょっとちょっと!! 紗奈ちゃん!!」
「わっ!?」
突然、後ろから大きな声が聞こえてきた。
びっくりして振り向くと、そこには見慣れた三人の姿があった。
「美香、愛莉と桃も。どうしたの?」
三人とも、なんだかいつもより興奮している。
……嫌な予感。
「付き合ってる人がいるって本当!!!??」
美香が勢いよく身を乗り出してきた。
「学年中、その話題で持ちきりよ……」
愛莉は呆れたようにため息をついている。
そして、桃は……。
「あと、そこにいる莉玖翔さんも付き合ってる人がいるって大騒ぎだよ! ま、まさか二人が付き合ってるんですか!?」
…………。
あ。
そこまで考えちゃった?
「えええええ!? そうだったの!?」
美香が目を丸くした。
「ありえない……」
愛莉は信じられないというように呟いた。
…………。
いや、ちょっと待って。
まだ何も言ってないんだけど。
「いや、あの……」
「違うの?」
「うーん……」
どうしよう。
別に、二人が付き合っていることを隠す必要はない。
むしろ、それを知られた方が告白は減るはず。
でも……。
いきなりみんなに話していいのかな?
私はちらりと莉玖翔を見た。
――莉玖翔、言ってもいい?
目でそう尋ねる。
すると、莉玖翔も私を見て、小さく頷いた。
――いいよ。この子たちなら。
……よし。
「実はね……そうなんだよね」
…………。
『ええええええっ!?』
……うわあ。
やっぱり。
「信じられない……」
愛莉は額に手を当てた。
美香は口をぽかんと開けている。
そして、桃は……。
「嘘、ですよね……?」
…………。
あれ?
桃?
なんだか、声が震えてない?
「何、紗奈に手出してんですかっ!!!」
「ちょっ、桃!?」
……ええええっ!?
何!?
なんでそんなに怒ってるの!?
桃は莉玖翔を睨みつけている。
莉玖翔はというと……。
「好きになっちゃったんだから、しょうがないでしょ?」
…………。
はあっ!?
ちょっと!!
何言ってんのよ!!
偽装だって言わないの!?
……って。
あ、そっか。
それを言ったら意味ないんだった。
でも!!
だからって、そんな堂々と!!
……もう!!
「できるだけ内緒にしといた方がいいでしょ」
莉玖翔が私の耳元で小さく囁いた。
……まあ、確かにね。
どこから話が漏れるか分からないし。
私たちが本当に好き同士じゃないって知られたら、また告白されるようになるかもしれない。
それは困る。
……うん。
ここは合わせるしかないか。
「内緒って何ですか?」
…………。
うっ。
桃……。
耳が良すぎるんだから……!!
莉玖翔はそんな桃を見て、にっこり笑った。
「君には内緒だよ」
「はぁっ!?」
…………。
あ。
まずい。
「ちょっ、紗奈!! 何なんですか! 内緒って!!」
うわあああ!!
桃がさらに怒っちゃった!!
……それにしても。
桃が男の子にこんなに楯突くなんて、珍しい。
普段はもっと穏やかなのに。
……いや。
今はそんなこと考えてる場合じゃない!!
「桃、落ち着いて……」
愛莉が困ったように声をかけた。
「桃ちゃん!」
美香も慌てている。
「だって!! いきなり出てきたやつに紗奈取られたんだよ!!」
…………。
取られたって……。
私、物じゃないんだけど。
でも、桃が私のことを大切に思ってくれているのは伝わってくる。
……ちょっと嬉しいかも。
いやいや。
今はそんな場合じゃない。
「ごめんね。紗奈は桃より俺の方が好きみたい」
…………。
はああっ!?
莉玖翔!!
何してんのよ!!
完全に桃で遊んでるでしょ!?
「はぁっ!? 何なの!? 表に出ろや!」
「桃ちゃん!! キャラ崩壊してるよ!!」
美香が叫んだ。
「いい加減落ち着きなさいって……」
愛莉も必死だ。
……もう!!
これ、私が何とかしなきゃ駄目なやつじゃない!!
私は桃の前に立った。
「桃、落ち着いて」
「紗奈! でも……!」
「これは、私の問題だから。ね?」
できるだけ優しく、でもはっきりと伝える。
すると、桃は一瞬だけ口を閉じた。
「…………」
そして。
「ううっ……ごめん。取り乱した」
……よかった。
ようやく落ち着いてくれた。
「分かってくれればいいよ。私も言わなくてごめんね?」
「うん……」
桃はしょんぼりと俯いた。
……まったく。
本当に、私のことになると大げさなんだから。
でも……。
そこまで大切に思ってくれるのは、やっぱり嬉しい。
「さすが紗奈ちゃん。桃ちゃんを扱うのが上手いねえ」
美香が感心したように言った。
「さすがね……」
愛莉も頷く。
……いや。
感心してないで、さっきもっと止めてよ。
私は心の中で小さく突っ込んだ。
*
「あ、でもさ!」
ようやく落ち着いたと思った、そのとき。
美香が突然、何かを思い出したように声を上げた。
……え。
何?
まだ何かあるの?
「前に紗奈ちゃんに聞いたとき、好きな人とかいないって言ってたし、誰かと付き合うつもりないって言ってたよね?」
…………。
あ。
美香……。
ぶり返さないでよ!!
「そういえば!」
桃が顔を上げた。
……うわっ。
せっかく落ち着いたのに!!
「隠してたってわけね……」
愛莉がじっと私を見た。
…………。
うっ。
みんなの視線が痛い。
どうしよう。
確かに、前にそう言った。
だって、そのときは本当に誰かと付き合うつもりなんてなかったんだから。
……いや。
今だって、恋愛として付き合ってるわけじゃないけど。
そんなこと、言えるわけないし……。
「あ、う、うん! そうなんだよね……。なんか恥ずかしくてさ」
……よし。
これでどうだ!!
「そうだったんだね!」
美香は納得したように頷いた。
「まあ、あんなに誰かと付き合う気はないとか言ってたら、言いにくいわよね……」
愛莉も、少し呆れながら理解してくれたみたい。
「一言ぐらい言ってくれてもよかったのに……」
桃はまだ少し不満そうだった。
「ごめんごめん」
私は苦笑した。
……はあ。
なんとか乗り切った。
それにしても、恋人ができたっていうだけで、こんなに大騒ぎになるなんて。
先が思いやられるわね……。
「じゃあ、私たちはこの辺で……! 二人の邪魔したらいけないしね!」
美香がにっこり笑った。
「そうね……」
愛莉も頷く。
「くっ……。悔しいけど、今日だけだからね!!」
桃は最後まで莉玖翔を睨んでいた。
……桃。
本当に、何と戦ってるのよ。
私は思わず苦笑した。
そして、三人は廊下の向こうへ歩いていった。
*
「みんな行っちゃったね」
莉玖翔が呟いた。
「そうね……」
……はあ。
疲れた。
今日だけで、何回ため息をついたんだろう。
「でも、俺らが付き合ってるって、うまく誤魔化せたんじゃない?」
「まあ、そうね」
確かに、三人とも私たちが恋人同士だって信じてくれたみたい。
……ただし。
「でも、桃で遊びすぎ!」
「えっ?」
「桃、ああなるとなかなか大変なんだから!」
私は莉玖翔をじっと睨んだ。
すると、莉玖翔は少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめんごめん。あんまり挑発しないようにするよ」
「本当にお願いね……」
……もう。
ただでさえ面倒なことになってるんだから。
これ以上、騒ぎを大きくしないでほしい。
「私たち二人が付き合ってるって、ギリギリまで隠した方がいいよね?」
私がそう尋ねると、莉玖翔は頷いた。
「そうだね。付き合ってるって言うだけじゃ通せなくなったときの、切り札みたいなもんだし」
「そうだね」
……確かに。
今のところ、みんなには恋人がいるとだけ伝えておけばいい。
それでも告白が続くようなら、そのとき初めて相手が誰なのかを明かせばいい。
……まあ。
美香たちには知られちゃったけど。
あの三人なら、わざわざ言いふらしたりはしない……と思う。
特に桃は、あんなに怒ってたし。
……うん。
きっと大丈夫。
…………。
はあっ。
でも、よく考えたら……。
学年中に、私と莉玖翔に恋人ができたって噂が広まってるんだよね。
ということは……。
明日も。
明後日も。
きっと、いろんな人から聞かれるんだろうな……。
…………。
あれ?
私たち、告白されるのが大変だから付き合うことにしたんだよね?
なのに……。
なんだか、前より面倒なことになってない?
…………。
はあああああ……。
この作戦、本当に大丈夫なのかしら……。
〈53時間目・終〉




