小学校編 36時間目 ―秘密を守るって難しすぎる!―
〈明日夏視点〉
(……ぬわぁぁぁぁ!!)
やってしまった。
またやってしまったぁぁぁ!!
俺は廊下を歩きながら、頭を抱えた。
さっき、莉玖翔と燈李の前で大声を出して逃げてしまった。
しかも、ただ逃げただけじゃない。
「元気もりもりふぁんたじー」なんて、意味不明なことまで言ってしまったのだ。
(……絶対、変な奴だと思われた)
いや、絶対どころじゃない。
もう確定だ。
あの二人の顔を思い出すだけで、恥ずかしくなってくる。
(……はぁぁ)
また、間違った選択をしてしまった。
普通にしていればよかったのに。
普通に挨拶して、普通に会話して、普通に別れればよかったのに!!
(……そもそも普通って何だよぉぉ!!)
もう分からない。
俺は一体、どうすればいいんだ。
***
(……まあ、いいや)
とりあえず、気を取り直そう。
こういうときは、前髪でも直すに限る。
俺はポケットから、いつも持ち歩いている手鏡を取り出した。
(……うん)
今日の前髪も、なかなかいい感じ。
……でも、やっぱり少し乱れている。
(……あーあ)
本当なら、学校のトイレにある大きな鏡で直したいところなんだけど。
(……無理)
あの日以来、俺は学校のトイレに行けなくなってしまった。
いや、正確には。
あの男子トイレに近づくことすら、怖くなってしまったのだ。
(……だってさぁ!!)
思い出すだけで、心臓が嫌な音を立てる。
前髪を直そうとしただけなのに、あんな秘密を聞かされるなんて。
まるで、ある種のPTSDみたいじゃないか。
(……俺の大事な前髪がぁぁ!!)
あの大きな鏡、使いやすかったのに。
もう二度と、気軽に前髪を直せないかもしれない。
(……なんてこった)
秘密を知った代償が、大きすぎる。
俺は手鏡を覗き込みながら、慎重に前髪を整え始めた。
……そのとき。
「明日夏!」
「……ん?」
「大丈夫!?」
振り返ると、遼が走ってきた。
(……あ)
そういえば。
さっき、俺を追いかけるって言ってたっけ。
自分のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。
「……あ、遼」
「よかった、追いついた!」
遼は少し息を弾ませながら、俺の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「うん。全然大丈夫」
俺は、できるだけ自然に答えた。
すると、遼は心配そうに眉を下げた。
「目、痛むの?」
「……え?」
「保健室、行かなくて大丈夫?」
(……ああ)
そうだった。
こいつ、俺の目が痛いと思ってたんだ。
(……なんでそうなったんだっけ)
……いや。
俺のアイコンタクトを、完全に勘違いしたからだった。
(……遼らしいなぁ)
「目は、痛まないんだ」
俺は、安心させるように笑った。
「大丈夫だよ」
「……え?」
遼が、きょとんとする。
「そうなの?」
「うん」
「……そっか!」
ぱあっと、遼の表情が明るくなった。
「ならよかった!」
「…………」
「心配したんだよ」
遼は、屈託のない笑顔を浮かべた。
(……ああ)
本当に。
こいつって、いい奴だよな。
俺が変なことを言っても、変な行動をしても。
馬鹿にしたりせず、ただ心配してくれる。
(……遼)
お前、ほんと優しいな。
……そう思ったら。
「……なあ、遼」
気づけば、俺は口を開いていた。
「ん?」
「お前、ほんといい奴だよな」
「ええっ?」
遼が、少し照れたように笑った。
「急にどうしたの?」
「……いや」
俺は、手鏡をしまった。
そして。
「お前さ」
「うん?」
「もし、とんでもない秘密を知っちゃったら、どうする?」
「…………」
(……あ)
言ってしまった。
(……しまったぁぁぁ!!)
何聞いてんだよ、俺!!
そんなこと聞いたら、不自然だろ!!
しかも、今の俺が!!
明らかに様子がおかしかった俺が!!
(……ああああ!!)
また、やらかした。
俺は、恐る恐る遼の顔を見た。
……けれど。
「ええっ……」
遼は、特に怪しむ様子もなく考え込んだ。
「うーん……」
(……あれ?)
「俺だったら、誰にも言えないかな」
「……え?」
思わず、聞き返してしまった。
遼は、真剣な表情で続ける。
「だって、秘密なんでしょ?」
「……うん」
「だったら、勝手に誰かに話すのはよくないと思う」
(……そっか)
「でも……」
遼は、少し首を傾げた。
「もしかしたら、自分が危ない目に遭うときなら、怖くなっちゃうかも」
「……危ない目?」
「うん」
遼は、ゆっくり頷いた。
「そういうときは、咄嗟に誰かに助けを求めちゃうかもしれない」
「…………」
(……なるほど)
意外だった。
遼が、こんなに真剣に答えてくれるなんて。
「……そっか」
俺は、小さく呟いた。
(……確かにな)
今回のことは、俺自身には関係ない。
誰かに脅されているわけでもないし。
危ない目に遭っているわけでもない。
……ただ。
偶然、知ってしまっただけ。
(……だったら)
やっぱり、黙っておくのが一番なのかな。
誰にも言わずに。
何も知らなかったことにして。
そのまま、忘れてしまえば……。
(……いや、待てよ)
俺は、ちらっと遼を見た。
遼は、相変わらずにこにこしている。
(……こいつさ)
もし、俺と同じ目に遭っていたら。
そもそも、それが重大な秘密だってことにすら気づかないんじゃないか?
(……だって遼だし)
呑気だもんなぁ。
誰かが秘密の話をしていても、「へえ、そうなんだ!」で終わりそう。
(……いやいや)
そんな奴の言うことを、真に受けていいのか?
……でも、さっきの答えは結構まともだったし。
(……ああああ!!)
結局、分かんない!!
俺はどうするのが正解なんだよぉぉ!!
***
しばらくして、俺たちは莉玖翔と燈李のところへ戻った。
「……あ」
先に気づいたのは、燈李だった。
「明日夏!」
「……ん?」
「大丈夫だった?」
燈李が、心配そうに駆け寄ってくる。
(……ああ)
まだ心配してくれてたんだ。
「いや、俺、別に体調悪いわけじゃないし」
俺は、いつもどおりの調子で答えた。
「目も痛くないから、大丈夫」
「……えっ?」
燈李が、一瞬驚いた顔をした。
そして。
「ほんと!?」
「うん」
「よかったー!」
ぱあっと、笑顔になる。
「心配したよ!」
「……あはは」
(……燈李ぃぃ)
お前も、本当にいい子だよな。
何て優しいんだ。
俺なんかのこと、こんなに心配してくれて。
(……泣けてくる)
いや、本当に。
なんだか泣きそうだ。
(……それに比べて俺は)
燈李たちに隠し事をして。
勝手に焦って。
勝手に変な行動をして。
挙げ句の果てには、心配までかけている。
(……最低じゃん)
……いや、別に悪いことはしてないはずなんだけど。
でも、何となく申し訳ない。
「……明日夏?」
燈李が、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「……いや」
俺は、慌てて笑った。
「何でもない!」
(……危ない危ない)
また変な顔してたかもしれない。
今日はもう、余計なことを考えないようにしよう。
***
「みんな、おはよー!」
(……ん?)
明るい声が聞こえた。
振り返ると、湊と久遠が登校してきたところだった。
「朝から集まって、どうしたの?」
湊が、不思議そうに尋ねる。
「おはよう」
久遠も、いつもの落ち着いた様子で挨拶した。
「おはよー!」
俺は、手を振った。
(……ああ)
湊も、いい奴なんだよなぁ。
久遠も、真面目でいい奴だし。
(……ほんと)
こっちの人たち、みんないい人すぎない?
燈李も。
莉玖翔も。
遼も。
湊も、久遠も。
(……それに比べて)
俺は、ふと吉沢派の奴らの顔を思い浮かべた。
(……あっちの人たち、怖いんだよなぁ)
何かにつけて、からかってくるし。
距離感も妙に近いし。
それに。
(……明日夏ちゃん、って!!)
俺のこと、明日夏ちゃんとか呼ぶんだぞ!?
(……誰がちゃんだよ!!)
俺は男だ!!
立派な男子小学生だぞ!!
(……ったく)
あいつら、絶対面白がってるだろ。
特に、蓮とか華人とか。
(……はぁ)
できれば、あんまり関わりたくない。
……でも。
(……あいつらと一緒に住んでるんだよな)
俺は、ちらっと莉玖翔と燈李を見た。
(……あ)
また思い出しちゃった。
(……忘れろ、俺ぇぇ!!)
***
「……あれ?」
久遠が、周囲を見回した。
「勇と綺は、まだ来てない?」
そういえば、まだ見てないな。
すると、莉玖翔が思い出したように答えた。
「さっき、街頭指導だって」
「……ああ」
「明日夏たちが来るちょっと前に、すれ違ったよ」
「そっか」
久遠が、納得したように頷いた。
(……街頭指導)
俺は、思わず感心した。
(……勇と綺、偉いなぁ)
毎日、朝から街頭指導なんて。
雨の日も。
雪の日も。
ちゃんと委員会の仕事をしている。
(……すごいよな)
眠い日だってあるだろうに。
面倒くさいと思う日だってあるだろうに。
それでも、きちんと続けてるんだから。
(……偉い!!)
本当に偉い!!
(……それに比べて)
俺は。
朝から何をしていた?
莉玖翔と燈李を見て、勝手に動揺して。
意味不明なことを言って。
突然叫んで逃げて。
遼に心配をかけて。
挙げ句の果てには、秘密の相談までしてしまった。
(……あああ)
朝から大失敗じゃん!!
俺は、がっくりと肩を落とした。
(……はぁぁぁ)
みんな、ちゃんとしてるなぁ。
俺も、もう少ししっかりしないと。
……いや。
(……その前に)
この秘密、どうにかしないと。
でも、どうすればいいのか分からない。
誰かに相談したい。
だけど、相談したら秘密を話すことになってしまう。
(……うわぁぁ)
秘密を守るって、難しすぎるだろぉぉ!!
俺は、心の中で叫んだ。
今日もまた、長い一日になりそうだ。
〈36時間目・終〉
〈雨宮湊〉
歌がめちゃくちゃ上手な心優しい子。漢字が苦手で極度の運動音痴。
赤ん坊の時から施設で育ち、そこの先生からギターを習った。
同じ施設で育った望結は、妹のような存在らしい。




