8 ロフシュコー伯爵家令嬢、エレオノール。
ジャンに、婚約者を。
「モールパ次期侯爵に、はい、是非どなたか良き方をと思いまして」
『アナタがなろうとは思わないのね』
「はい、私には勿体無い方、正しく雲の上の方ですもの」
「そう」
《そうなの、中々に弁えてらっしゃるのね》
『ですけれど、エレオノール様ですら耐えられなかったお方、冷徹冷血なお方だとの噂ですもの』
「まぁ、当然と言えば当然ですわね、きっと大人びた方でなければ務まらないでしょうし」
《そうよね、まさかお茶会であんな事をなさる方には、望むべきですら無いもの》
『本当、良くもエレオノール様に恥を掻かせて下さいましたわね』
『まぁまぁ、もう良いのよ、十分に謝罪頂けたもの』
『まぁ、エレオノール様がそう仰るなら』
《ですけれど、あんまりにも出しゃばりですわよね》
「本当に、次期宰相になられる方に、ねぇ」
『冷徹冷血だと噂される方を絆せる方、なんて、本当にいらっしゃるのかしらね』
「噂では男色家だそうですけれど」
《ぬけぬけとお声掛けなさってる方が、いらっしゃるらしいわね》
この令嬢達は、ジャン目当ての屑共。
幾ら私が不適格だろうとも、婚約破棄によりジャンには少なからず汚名を着せてしまった。
その恩返しに、塵屑を1ヶ所に集め、私が庶民に下る際に一掃する予定。
なのだけれど。
こうして、意外と役に立つものね、他に引き継がせようかしら。
「ふふふ、私の心配は杞憂に終わりそうですわね」
彼女の視線の先には、マクシミリアンとシャルロット。
あぁ、本当に彼女には鉄仮面しか、見せていなかったのね。
『そうなの、私の琴線には、全く引っ掛からなかったけれど。冷徹冷血ばかりでは無いのよ、ね』
きっと、他の方には可愛らしく見える所も、私には全く良くは思えなかった。
そんな中、彼に出会ってしまったのだもの。
私達は、どう足掻いても結ばれないの。
「あの様な方々を纏めてらっしゃるとは、おみそれ致しました」
『流石ね』
「いえいえ、私にはとても思い付かない事で」
『アナタなら出来るわよ、人には応用力や適応力が有るのだもの。魚には陸は走れない、けれど人は泳ぐ事も走る事も出来る、きっとアナタにも出来るわ』
「あ、いえ、ですが」
『あの啖呵は最高だったわ、とてもとても素晴らしかったもの、それに煽りも』
「いえアレは、少し下品だったかと」
『敢えてでしょう、私だけを悪者にしない為に。モールパ次期侯爵と、さっさと婚約してしまいなさいよ』
「あ、そうですそうです、彼のお相手を」
『アナタで良いじゃない』
「いえ、私なんか」
『この子がね、良い原風景だと教えてくれたの、それだけで十分だわ』
「原風景、私の心根が、ですか」
『そうよ、アナタの許可が無ければ詳しくは教えてくれないけれど、良い風景だそうよ』
ロフシュコー伯爵令嬢の指先に、玉虫色に色付くアゲハ蝶が止まると。
「妖精、ですか」
『そうなの、綺麗な子でしょう』
《妖精種のアゲハよ、宜しくね》
「アントワネット・マリーと申します、宜しくお願い致します」
《アナタも魔獣でも何でも良いから得なさいよ、自らを知るべきよ、鏡を得なさい》
「鏡、ですか」
《鏡無くして自らの事をどれだけ知れると言うの?》
「私に、お力を割いて下さる方が」
《あら意外と度胸が無いのね?何故なのかしら》
「私は、こうして繕えている程度ですから」
『繕えているだけ十分よ、先程の事をもう忘れたの?』
「アレより酷いモノを、見た事が何度も有りますので」
『まぁ、そんなに』
「はい」
あの国の下品な者より、遥かにマシ。
感情的になったとて、ココの方々は何処かで抑えが効いている。
けれど、向こうの者は。
『なら、モールパ次期侯爵の盾になってあげて』
「盾、ですか」
『今は三竦み状態なの、幾ら私が抑え込もうとも、彼に近寄る者への牽制は厳しい。マトモな方は近寄る事も出来無いのよ』
「では、思ってらっしゃる方が」
『それが、ね』
《マクシミリアンよ、彼の相手が決まらなければ、迂闊にジャンへは勧められないの》
「確かに若い方を優先させるのは分かりますが」
『彼の身近な者は彼が最後、そうね、ついでに彼の事も手伝ってあげて?』
《魔獣の、それこそ妖精でも良いわ、手を借りれば簡単に手伝える筈よ》
「検討は、させて頂きますが」
『大丈夫、陰ながら私も手伝うわ』
もし、この国にご恩返しが出来るなら。
もし私に出来る事が有るなら。
「はい、宜しくお願い致します」
で、俺に結婚について尋ねに来たワケだ。
『魔獣は良いんですか、アントワネット様』
「はい、アナタは正直者だと知っていますから。先ずは真摯に、出来る事から片付けるべきかと」
『何も尋ねず黙って結婚し子を成し、時が来たら別れてくれる相手が欲しい、そしてそれ以降も文句を言わずに子育てをして欲しい』
「何かご事情が有るのですね」
『うん』
「そうした方の目星は」
『どちらかと言えば自由恋愛主義的だからね、ましてや夫婦となれば情を注ぐべき、全く無いとなると呑む者は居ないだろうね』
「私で良ければお貸ししますが、やはり」
『えっ』
「あ、滅相も無い事は重々承知の上なのですが、向こうでは当たり前の事ですから」
『そんな事をしなくても、ココには居て良いんですからね?』
「あぁ、その事もご相談させて頂こうかと思っていたんです」
『だからって何も、腹を貸さなくたって』
「あ、いえいえ、庶民としての仕事をご紹介頂けないかと」
『何故庶民に?貴族としても十分ですからね?』
「いえ、コレは、幾度もの人生を経験した上での事。所詮、素養は庶民止まりですから」
『だとしても、経験を経てこうなっているんですし』
「ありがとうございます、ですがもう自信が無いのです、貴族の中で生きる事はもう。私は、十分に不出来を自覚させて頂きましたから」
俺の血族が望み、産まれた者。
先達の想定の犠牲になってしまった善人。
凡人の中の、唯一の非凡な者。
先達は予測していただろうか。
非凡な者が帝国に来たとて、その中ですら息苦しさを感じ、貴族であろうとはしなくなるだなんて。
先達は、ココまで予測出来ていたんだろうか。
『なら、庶民となる前に腹を貸して下さい』
「はい、私で良ければ」
マクシミリアンと婚姻し子を成す為にも、魔獣を得たい、と。
《何故、急にその様な事を》
「私では不足かも知れませんが、少しはお役に立てるかと」
《そんな事をせずとも》
「いえ、私にはエレオノール様の様な機知も、アナタ様のような素養も素地も無い。下賤な経験と知識しか無いのです」
《そんな事は》
「では私は、どんな役に立つのでしょう。穏便な侵略すら、失敗を」
《アレは失敗では無いんです、アシュタロト勲功爵は、アナタの幸福を》
「幾ら無知無能とて、敢えて真実を話さない事も承知しております。きっと、私を諦めさせる為、敢えてあの様な事を」
《悪魔をお疑いになるのですか》
「いえ、私の頭を疑っているに過ぎません。どれだけ下品かお分かりで無いでしょう、どれだけ感情を優先させ、どれだけ礼節を欠く行為を平然と行えるか」
《それは》
「では、私はココでどの様にお役に立てますか」
妥当な線は、悪しき見本の教示。
けれど、彼女に耐えられるだろうか。
身内の恥を晒し続け、自身の恥と向き合い続けねばならない。
なら。
《では私と婚姻を》
「マクシミリアン様の婚姻が決まれば、アナタは自ら選ぶ事が出来るとお伺いしました、どうか宰相の妻に相応しい方をお選び下さい。宰相は国の要、私には重責が過ぎます、隙を作ってはなりません」
彼女を説得する事は難しい。
なら。
《手を引いて下さい、マクシミリアン殿下》
『ジャン、そんなに彼女が好きなの?』
《いえ、ですがこのままでは》
『もう既に貴族として生きる気が無い者に、貴族としての生を無理強いする方が不幸を招く筈。彼女には幾人か産んで貰って、出産時に亡くなった、そうなって貰うつもりだよ』
《では、その後にどうなさるおつもりですか》
『性を変え君と婚姻を果たす、責務さえこなせば、継承権の維持が出来る』
《何をお考えですか》
『君と一緒になる為に、ずっと考えてたんだ、どうすれば君が納得してくれるかを』
《私には》
『諦めかけてた時に、彼女が現れた。情愛の無い婚姻を望む者は意外と少ない、表面上は納得はすれど、いつしか何処かに情愛を求める。けれど、彼女は最初から諦めている、情愛を得られない事が前提に有る』
《だからと言って》
『なら君が幸福に出来る?あの頑なな彼女の心を、どうやって開く事が出来る?』
それが分からないからこそ、時間が欲しかった。
どうすれば彼女を幸福に出来るのか。
どうすれば。
《私が受け入れなければ》
『宰相の目の届く場所に置くつもりが無いなら、君が最も嫌がる位置に行き、最も嫌がる行為を続ける』
《アナタに出来ますか》
『既に目にしているじゃないか、自棄になった者の頑なさを、恐ろしさを』
それは彼女の事であり、マクシミリアンの事でも有る。
婚姻を受け入れる他に、無いのだろうか。
《考えさせて下さい》
『構わないよ、考えれば考える程、答えがソレだとしか思えなくなる筈なんだからね』