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船田鏡介 怪異短編集

ふなとさへ

作者: 船田鏡介

人とあやかしの時を越えた交友を描く。

ホラーではなく、怪異幻想譚、といった感じのものです。

夕占ゆうけ辻占つじうらという呪術が、「うわさ」というテーマに合うように思い、投稿させていただきました。

      ふなとさへ 夕占ゆふけの神に 物問(ものと)はば 

       道()く人よ うらまさにせよ

                二中歴(にちゅうれき) 辻占(つじうら)呪歌(じゅか)

      夕占(ゆふけ)問ふ わが(そで)に置く 白露(しらつゆ)

       君に見せむと 取ればにつつ

                万葉集


   これからご覧いただく手記は、七年前に亡くなった父方の祖

  母が遺したものだ。祖母は六十歳で定年を迎えるまで、埼玉県

  の県立高校で国語教師をしていた。B六判の小さなノートに四

  十ページにわたって書かれたこの手記が見つかったのは、去年、

  祖母の七回忌を機に彼女が使っていた部屋の整理をした時のこ

  とだった。ノートは祖母が愛用していた片袖机(かたそでづくえ)の最下段の引き

  出しの奥に、寄木細工(よせぎざいく)文箱(ふばこ)に入れて仕舞われていた。

   この文箱はかなり年代の古いもので、寄木細工ならではの(せい)

  ()幾何学(きかがく)模様の装飾が(ほどこ)されていて、しかも、側板(そくばん)を決まっ

  た手順で七回ずらさないと(ふた)が開かないからくり仕掛(じか)けになっ

  ていた。

   パズルが得意な私は、父から箱を開けて欲しいと頼まれた時、

  五分もあれば開けられるなどと大口をたたいたのだが、実際に

  は(ゆう)に三十分はこのからくり箱と格闘することになった。手数(てかず)

  は七回と限られてはいるが、いったん一センチほどずらした側

  板を、他の二枚の側板をずらした後で半分だけ戻すなど、意表

  をついた操作を必要とする巧妙な仕掛けが施されていたのだ。

   箱の開け方をマスターしたのが私だけなのと、手記の中に私

  に触れた一節があることから、文箱とノートは祖母の形見(かたみ)とし

  て私が(もら)い受けることになった。

   私は半ば暗記してしまうほど、何度もノートを読み返してい

  る。そこに記されているのは、五十年以上も前に起こった、事

  実とはとても信じられないような出来事だ。

   奥書(おくがき)によると、祖母が手記を書いたのは亡くなる四年前、六

  十歳の秋ということになる。彼女が四十五年間にわたって胸の

  奥に仕舞い続けてきた思い出は、つい先日のことのように鮮明

  で、読み返す度に私を魅了する。

                 埼玉県川越市在住 岸田恵美


 それは昭和二十五年十月二十七日の夕方のことだった。その日は金曜日で、川越女子高校の一年生だった私は、教室で七時限目の古文の授業を受けていた。

 秋の夕日が窓から射し込んできて、廊下側の列に並んでいる私の机にも程なく届きそうだった。校庭にまわって見上げれば、校舎全体が赤く染め上げられていることだろう。

 黒板には原良子(りょうこ)先生が白いチョークで書いた小野小町の三首の和歌が並んでいた。いつ見ても、流れるような美しい文字だ。

   小町(こまち)夢三首(ゆめさんしゅ)

 思ひつつ ればや人の 見えつらむ

  夢と知りせば 覚めざらましを

 うたた寝に こひしき人を 見てしより

  夢てふものを 頼みそめてき

 いとせめて こひしき時は むばたまの

  夜の衣を かへしてぞ着る

「まず歌の大意をしっかり頭に入れること。文法事項は宿題にするから、自分で品詞分解して調べてくるのよ。じゃ、まず、最初の歌の解釈から……」

 良子先生は文字だけでなく、容姿も声も美しい。響きとリズムの良い古典の文章を、先生が澄み切った声で朗読するのを耳にしていると、音楽を聴いているかのようにうっとりとしてしまう。私にとって古文は一番楽しみな授業だ。しかし、その日は前夜に家で起こったある出来事のせいで、私はまったく授業に集中することができなかった。

「当時の人の考え方としては、相手が自分のことを想っているからその人が夢に出てくるというほうが一般的だったのね。つまり、第二首のほう、恋しい人が夢に現れたことを、自分が相手に想われている(あか)しだと頼みにし始めた、という発想のほうが、当時としてはオーソドックスだったってわけ……」

 気がかりの始まりは月曜日の朝、クラスメートの藤木優子から、私の父に再婚話があるとだしぬけに聞かされたことだった。

 彼女と私は同じ南町(みなみまち)育ちの幼馴染(おさななじ)みで、私の家が寝具店、彼女の家が呉服店と家業が関係深いことから、父親同士も仲が良かった。

 また、私が六歳の時に母を亡くしてからというもの、彼女の母親の雪江小母(おば)さんは、(ひな)祭りに私を呼んでお手製の甘酒をふるまってくれたり、一人に教えるのも二人に教えるのも手間は同じだと言って、優子と一緒に私にも浴衣(ゆかた)()い方を手ほどきしてくれたりと、機会のあるごとに私のことを自分の娘のように気遣(きづか)ってくれていた。

 優子はお日待(ひま)ち(川越祭りの慰労会)から戻ったお父さんから、宴席(えんせき)で私の父が町内会長の米川さんからしきりに再婚を勧められていたと聞かされていた。おまけに、父のほうもまんざらではなさそうな様子だったというのだ。優子はそう話してから、まだ酔いが抜け切っていないお父さんが冗談半分に言ったことなんだから、別に真に受けることはないと(あわ)ててつけ加えた。話を聞いているうちに、私は相当ひどい顔をしていたのだろう。

「第三首は夢と関わりがないように思えるかもしれないけれど、寝間着(ねまき)を裏返しに着て寝ると、夢に恋しい人を見ることができるっていう迷信があったらしいのね。万葉集には『袖返(そでかえ)す』、袖を裏返すっていう、同じようなおまじないをすることを表す表現が使われた歌がいくつかあるのよ。……」

 しっかり先生の話を聞かなければと繰り返し自分に言い聞かせるのだが、ふと気がつくと、昨晩父の書斎に呼ばれた時のことが私の心を占めているのだった。

 書斎で鼻眼鏡(はなめがね)をかけて帳簿(ちょうぼ)に目を通していた父は、私の顔を見るなり帳簿をしまって用件を告げた。

 お日待ちの席で町内会長さんから再婚を勧められ、自分にその気はなかったが、向こうがあまりに熱心なので無下(むげ)に断ることもできず、どうせ酒を飲みながらの話だからとそのままにしておいたら、今日になって正式に見合いの話が来た。今さら(こば)むわけにもいかないから、会うだけは会うことにする、というのだった。

 ごくさりげなく、自然な話の流れだったが、それがかえって用意の周到(しゅうとう)さを感じさせ、私は父が乗り気でないはずの縁談が、このまますんなり進んでゆくことになりそうだという予感を抱いた。

―父の心から母がいなくなったのは、いつのことだったのだろう?

そんな疑問がふいに私の脳裏をかすめた。母が結核の治療のために清瀬村(きよせむら)の療養所に入って一ヵ月が過ぎた頃、当時四歳だった私は寂しさに耐えかねて、どうしても母に会いたいと父に訴えた。すると父は、お母さんの病気は子供には特にうつりやすくてとても恐ろしいものだから、すっかり直るまでは会うことができない。その代わり、お父さんが面会にゆくたびにお母さんの写真を撮ってきてやろうと言った。

 その時はたとえ写真ででも母の姿を見ることができると喜んだのだが、毎月父から見せられる母の写真は、父に読み聞かせてもらう私宛(わたしあて)の手紙の文面とは裏腹(うらはら)に、病状が思わしくないことを子供の目にもはっきりとつきつけてくる、冷酷な診断書のようなものだった。

 父にとって、療養所に入った母はすでに過去の人で、それを私に(さと)らせるために、彼は写真を持ち帰り続けていたのではないだろうか?

 半年とたたないうちに、私は写真を見るのをやめた。手元に残してあるのは、母が療養所に入ったばかりの頃の、庭のベンチに座っておだやかに微笑んでいる一枚だけだ。

「恵子さん」

 肩に手が置かれる感触とささやくような良子先生の声で、私はようやく我に返った。

 先生は私の席のかたわらに立って静かに微笑んでいた。あわててあたりを見回すと、授業はいつの間にか終わってしまっていたらしく、教室に残っているのは私と先生の二人だけだった。いったいどれくらいの(あいだ)考え事をしていたのだろう? まさか、居眠りをしていたなどということはないはずなのだけれど……。

「すみません、ちょっと考え事をしていて……」

「そうね、夢三首のところまではなんとかついてきているようだったけれど、最後におまけで説明した『あくがる』と『魂結たまむすび』のところで、あなたの心のほうが『あくがれて』しまったようね。そこだけ説明を聞いて欲しくて残ってもらったのよ」

「『あくがる』、ですか?」

「そうよ。意味は魂が体を離れること。古代の人はそうなった場合には魂結びのおまじないをして、魂を体に戻さなくてはいけないと考えたの」

 良子先生はそう言って黒板を指差した。

「これは源氏物語で、光源氏の正妻の葵の上を苦しめていた物の怪の正体が、愛人の六条御息所ろくじょうのみやすどころだと明らかになる有名なくだりなの」


「かく参り来むともさらに思はぬを、物思ふ人のたましひは、げにあくがるるものになむありける」と、なつかしげに言ひて、

「嘆きわび 空にみだるる わがたまを 結びとどめよしたがひのつま」とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず、かはりたまへり。いと怪しとおぼしめぐらすに、ただかの御息所なりけり。

[訳]

「このようにこちらへ参ろうなどとは少しも思わないのですが、物思いをする人の魂というものは、確かにわが身から離れてゆくものなのですね」と、親しげに言った後、

「嘆き悲しむあまりに空をさまよっているわたしの魂を、下がいのつまを結んでもとにもどして下さい」とおっしゃる声も、様子も、その人(葵の上)ではなく、すっかりお変わりになっていた。(源氏が)怪しいとお考えをめぐらせてみると、あの御息所その人なのであった。


「源氏物語は三年になってから勉強するけど、寝間着(ねまき)のおまじないと魂結(たまむす)びのおまじないがちょっと似ていて面白いから、ついでに紹介することにしたのよ。御息所の歌の『結びとどめよしたがひのつま』のところが魂結びのことを言っているの。人魂(ひとだま)とか、人の魂が体から抜け出ているところを見たら、『(たま)は見つ (ぬし)は誰とも知らねども 結びとどめよ (した)がひのつま』という歌を三度となえて、着物の内側になったほうのすそ、つまり下がいのつまを結び、三日たってからほどくという風習があったそうなの。私もあなたの下がいのつまを結ばなくちゃだめかしら?」

良子先生はそう言っていたずらっぽく笑うと、じっと私の目をのぞき込んだ。

「いえ、すみません、もう大丈夫です」

 (ほお)が赤らむのを感じながら私はそう答えると、黒板の文字を大急ぎでノートに書き写した。

 今でも不思議に思うのは、あれだけ(うわ)(そら)でいたようで、授業の内容は細かいところまで正確に覚えていたことだ。高校で古文を教えるようになってから、私はまったく同じことを教えてきた。生徒達に向かって夢三首や源氏物語の話をしている時、私の耳の奥ではあの日の良子先生の声が響いている。

「はい、ご苦労さま。授業はこれでおしまい。優子さんは図書室で待っているそうよ。あなたたち、ほんとに仲がいいわねえ」

「ええ、はい、すみません。ありがとうございます」

 クラスメートが一人残らず出ていったことにも気がつかなかっただなんて……。一刻も早く帰り支度を整えようと焦る私をさりげなく押し留めようとするかのように、先生は私の左隣の席に腰を下ろしながら言葉を続けた。

「それにしても、今日はあなたらしくなかったわね。生気(せいき)がないっていうか……。間違っていたらごめんなさいね。恵子さん、何か悩みごとがあるんじゃないの?」

 先生は言葉を選びながらそう言うと、人の心をすうっと吸い込んでしまいそうな()(なが)の美しい目で私を見つめた。

「余計なお世話だと思うかもしれないけど、あなた一人ですべてを背負(せお)い込む必要はないのよ。私に解決方法がわかるとか、そんなおこがましいことを考えてるわけじゃないの。とにかく、胸の中にあるものを言葉にするだけでも気持ちが落ちつくから、私に話してみてくれないかしら」

「ありがとうございます」

 先生にうながされるままに、私はこれまでの出来事やそれにまつわる思いを残すことなく口にした。降って()いたような父の再婚話、母の死……。心に浮かんだままの、とりとめのない話はひどくわかりづらかったに違いないと思うのだが、先生は一言も聞きもらすまいと、しきりにうなずきながらじっと耳を傾けてくれていた。

「母のことはかわいそうだと思うんです……。でも、だからといって父が再婚してはいけないということにはならないし、父に再婚しないでいて欲しいと母が望んでいるということもないと思います。それくらいのことは私にもわかるんです。ただ、何かが心にひっかかるっていうか……。すみません、私の話ってさっきから堂々(どうどう)めぐりしてますよね。でも、先生に聞いていただいたおかげで、なんだか気が軽くなりました」

「そう、それでいいのよ」

 私は席を離れて窓辺に歩み寄ると、校庭に面した窓を開けて、ひんやりとした日没後の外気(がいき)を招き入れた。最近は日が落ちるのがめっきり早くなった。もう、川越祭りの先触(さきぶ)れをするかのように咲き匂った正門の金木犀(きんもくせい)の甘い香りが、風に運ばれてくることもない。


「お祭りが終わると、いよいよ冬が近づいてきたっていう感じがするわねえ」

 良子先生は私の左隣に来て両肘(りょうひじ)を窓枠につくと、夕闇に沈んだ校庭に目をやりながらそう言った。

「ええ、本当に」

「結婚は(えん)しだいだし、この(さい)夕占ゆうけ』を()うてみるのもいいかもしれないわね」

「ゆうけ、ですか?」

「そう、夕方の(ゆう)に占いという字をつけて夕占(ゆうけ)、夕方に四つ辻を通る人の言葉を聞く占いよ」

「あの、それって当たるんですか?」

 あまりに思いがけない言葉にとまどいながら私がそう尋ねると、先生はこちらに向き直って再びいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「あら、『天狐てんこさま』の力を信じないの?」

 天狐さまというのは優子がこっそり良子先生につけたあだ名だ。天狐は神通力(じんつうりき)を持っているという白狐(びゃっこ)で、川越祭りでは白狐の面をつけて天狐に(ふん)した者が、山車(だし)の上で五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願する舞を披露(ひろう)する(なら)わしになっている。

 良子先生にこのあだ名がついたのは、先生が色白できりっとした目をしていることに加えて、私と優子がある不思議な出来事を目撃したことがきっかけになっている。


 九月最後の金曜日のことだった。私と優子は他のクラスメート二人と一緒の掃除班で、その週は職員室を受け持っていた。私達が掃除をしていた時、先生(がた)の中で職員室にいたのは『エントツ』というあだ名の初老の先生だけだった。エントツは数学の担任で、あだ名のもとになったくわえ煙草でしきりと煙を吹き上げながら、小テストの採点をしていた。

 ほどなく姿を見せた良子先生は私と優子に(他の二人はごみを捨てに行っていた)目をとめると、ねぎらいの言葉をかけてくれたり、月曜に予定されている文語文法のテストのことで冗談を言ったりしていたのだが、煙草の煙が漂ってくると、途端(とたん)に鼻をひくつかせて顔をしかめた。

「ちょっと待っててね」

 そう言い終わるややいなや、良子先生はつかつかとエントツに歩み寄ると、(かたわ)らで聞いている私たちまでびっくりしてしまうほど厳しい口調で言った。

「下村先生、職員室だとは言っても、今は掃除の時間で生徒たちが来ているんですから、煙草は(ひか)えられたらいかがなんですか? それに、この際だから申し上げますが、職員の半数以上が女性で煙草を吸わないのに、当然のことのような顔をして煙を吐き散らすのもどうかと思いますわ」

 エントツはしばらくのあいだ何を言われているのかよく飲み込めない様子で、なんとも間の抜けた顔をしていたが、やがてヤニで黄ばんだ歯がのぞくほど口元をゆがめると、

「これだから※アプレは」と苦々しげに一言だけつぶやいて、平然と煙草をふかしながら採点を続けた。

 ※アプレ アプレゲール(戦後派)の略。戦前の道徳や文化に反逆する世代に対して使われた言葉。

 完全に無視される格好になった良子先生がこれからどうするのだろうと、私と優子は固唾(かたず)を飲んで成り行きを見守っていた。先生はあきれたという表情でひとつ深いため息をつくと、ふいに前かがみになって、顔をエントツの(ひたい)すれすれの所まで近づけた。

「何ですか、一体!」

 気配を感じて顔を上げたエントツが驚いて声をあげた瞬間、良子先生は神社にお参りして拍手かしわでを打つ時のように、エントツの鼻先で両手をぱんと打ち鳴らした。

 不意をつかれたエントツの顔といったらなかった。鳩が豆鉄砲をくったようというのは、この時のような顔のことを言うのだろう。良子先生はぽかんとしているエントツの口から煙草を抜き取って灰皿の底でもみ消すと、灰皿を給湯室に持って行って仕舞い込んでしまった。

 不思議でならないのは、良子先生が戻ってくるまでに(ゆう)に五分はたっていたというのに、エントツがその間ぴくりとも動かなかったことだ。良子先生が眼前(がんぜん)に手をかざしたり、さらにその手を振り動かしたりしても、エントルの目はぼんやりと虚空(こくう)をさまようばかりだった。

「先生、エントツ……じゃなかった下村先生は、いったいどうしちゃったんですか?」

 次第に不安がつのってきた私達がそう尋ねると、良子先生はしてやったりという顔で、

「あんまりお行儀(ぎょうぎ)が悪いから、かるーくお(きゅう)()えてあげたのよ」と答えた。

「でもまあ、そろそろ他の先生方が戻ってくることだし、いつまでもほうけさせておくわけにも行かないわね……」

 良子先生はそうつけ加えながら右手をエントツの鼻先に伸ばすと、親指と中指の先をこすり合わせるようにしてぱちんと鳴らした。

「下村先生、起きてください。ほら、生徒達が見てますよ」

 良子先生が耳元でささやくと、エントツは不意に目をしばたいてあたりを見まわした。

「眠っていらしたんですか、先生。この子達、いくら声をかけてもお返事がなくて困っていたんですよ。机の下を掃除したいそうなので、ちょっとのあいだ場所をあけてあげていただけませんか?」

 エントツは何食(なにく)わぬ顔をした良子先生にうながされて立ち上がると、「すまん」というような言葉をもそもそと口にした。

 私は机の下をほうきで掃きながらエントツの様子をうかがっていたのだが、狐につままれたような顔をしてしきりに首をひねるばかりで、煙草の件で腹を立てているような気配はまったくなかった。

 いや、むしろ煙草というものがこの世にあるということ自体を忘れてしまったという方が正確なのかもしれない。いつでも吸えるようにとワイシャツの胸ポケットにつっこんでいる煙草に手をのばそうともしなかったし、この日を最後にふっつりと煙草を()めてしまったのだから。

 数日後、良子先生と二人きりになった折に、あの時一体何をしたのですかと尋ねると、先生は催眠術をかけたのだと答えた。

「大学時代に心理学の教授から手ほどきしてもらったことがあるのよ。教育心理学が専門のはずなんだけど、ちょっと変わった人でね……。なにしろ、私は机がエントツと向かい合わせでしょ。()がな一日(いちにち)煙を吹きかけられてあんまり腹が立つから、居眠りしているすきを狙って暗示をあたえておいたのよ。気づかれないように毎日こつこつと、根気よくね」

良子先生はそこで言葉を切ると、満足げに微笑んだ。

「正直言って、あんなにうまくいくとは思わなかったわ。あなたも見たでしょ、あのエントツの顔!」

「もしかして、催眠術を使ったのって、あれが初めてだったんですか?」

「そうよ。まあ、むやみに使うようなものじゃないしね。でも、ちょっと自信がついたし、もう少し使ってみてもいいかもね。お行儀の悪い煙草飲みは他にもいるし、授業中だというのに、ちょっと目を離すと舟を()ぎ始める不心得者(ふこころえもの)にも効き目がありそうだし……」

 居眠りの常習犯の中からお灸を据えられた者が出たという記憶はないが、〈お行儀の悪い煙草飲み〉達のほうは、容赦(ようしゃ)なくあの〈拍手かしわで〉を打たれたらしい。エントツの一件から一月足らずの間に、英国製の煙草がトレードマークだった校長を含めて、煙草を吸う先生が一人もいなくなってしまったのだから。

「良子先生の説明はそうだとしても、あれは催眠術なんかじゃないと思うなあ、私は」と、到底(とうてい)納得(なっとく)がゆかないという口ぶりで優子が言った。私達はいつものように連れ立って下校しながら、職員室での出来事について話し合っているところだった。

(ため)しにやってみたという話だけど、良子先生、どう見ても自信満々だったもの。手をぱんと鳴らしたらエントツが固まってしまうことはわかっていて、後はごく簡単な用事を片づけるだけっていう感じがしなかった? それに、映画やラジオのドラマでしか知らないけど、催眠術ってもっといろいろな言葉をかけて相手を操るものなんじゃないかな。良子先生には何かもっとすごい力があって、催眠術というのはそれを隠すための口実なのよ」

「すごい力って?」

「それは私にもわからないけど、ただ、良子先生って何かの拍子にふっと人間離れした感じがすることがあるのよ。美人すぎるし、物知りすぎるし……。私の中で良子先生にぴったりくるイメージって、天狐てんこなのよね」

「天狐って、お祭りの時に出てくる、あの狐?」

「そう。何百年も生きていて、人の世のことわりも天界の理も知り尽くしている変幻自在(へんげんじざい)の『天狐さま』っていうのが、私の良子先生のイメージ」

「『天狐さま』ねえ……」

 私はそう答えながら、山車(だし)の上で(かろ)やかに舞う天狐の姿を思い浮かべた。『良子先生には何でもお見通し』という印象は、他のクラスメートも同様に抱いていたらしい。『天狐さま』というあだ名は(またた)く間にクラス中に広まった。


 「私の神通力はもちろん冗談だけど、占いをするというのは真面目なアドバイスよ。今回のことはいくら考えたところで答が出るものじゃない。お父様の立場はわかる、でも、お母様のことを思うと……といった具合に、どこまで行っても〈でも〉や〈しかし〉がつきまとってくる。この、あなたの言う堂々(どうどう)めぐりから逃れるための、昔からの知恵が占いなのよ」

 良子先生はここで言葉を切り、私の目をじっと見つめてから話を続けた。

「まあ何にせよ、一番の勝算(しょうさん)は、神意(しんい)を問うのがあなただと言うこと」

「私、ですか?」

「そうよ。なおき心の者がひたむきに問うてこそ神はお答えになる。『童蒙どうもうより我に求む。初筮しょぜいには告ぐ。再三(さいさん)すればけがる』と易経(えききょう)にある通りよ。俗塵(ぞくじん)にまみれた者が何を占おうが、神様がお答えになるもんですか。今回の占いは一生に一度のことだというつもりでいてね。自分自身のことは自分でとことんまで考えぬいて決めればいい。今やっている勉強はそのためのものなんだから」

「わかりました。あの……」

「なあに?」

「ひとつだけお聞きしてもいいですか?」

「もちろん。ひとつと言わず、気になることは何でも聞いてね」

「もし、今回の占いで悪いお告げがあったら、どうしたらいいんですか? 占いを理由にして縁談に反対するわけにはいかないんじゃないかと……」

「そうね、当然そこが心配になるわよね」

 良子先生はそういいながら余裕ありげにうなずいた。

「良縁でないということになれば、やるべきことはただひとつ……」

破談(はだん)にするってことですか?」

「その通り。大丈夫、安心して。あなたやお父様の立場を悪くしたり、評判を落としたりするような真似(まね)は一切しやしないから」

「でも、一体どうやって?」

「申し訳ないけど、それは秘密……」

 良子先生は私がますます不安を(つの)らせているのを見てとると、あのいたずらっぽい笑みを浮かべながらつけ加えた。

「ひとつだけ話せるのは、この見合い話を破談にするのは、わたしにとってエントツに煙草を()めさせるのと同じくらいたやすいってことね」


 夕占ゆうけの話を聞いた翌々日の日曜日、私は連雀町(れんじゃくちょう)の大野屋の前で三時に良子先生と落ち合った。夕暮れまでにはまだ少し間があるということで、私達は近くの喫茶店に入ることにした。店は煉瓦(れんが)造りの建物の二階にあって、私達が座った窓際の席からは、銀座商店街を歩く家族連れや若いカップルの姿を眺めることができた。

 注文を決めるとき、先生の真似をしてコーヒーを頼んでみようかという考えがちらりと頭をかすめたが、

「恵子さんには平静を保っていてもらわなくちゃいけないから、コーヒーはまた今度ね」と、すかさず先生が言った。コーヒーを飲みつけていない私が(インスタントコーヒーすらまだ珍しい時代だった)大人ぶりたがっていることなど、先生にはとうにお見通しだった。実際、あこがれの先生と一緒に喫茶店にいるということだけで夢心地だったのだから、コーヒーまで飲んでいたらどれだけ舞い上がっていたことか、我ながら見当もつかない。

「おすすめはフルーツパフェね」と、先生は私が手にしたメニューの文字を脇から指差しながら言った。

「缶詰でごまかしたりしていないから本当に美味しいの。季節のフルーツを使用としか書いていないでしょう? その時手に入ったいい材料だけで作っているっていう意味なのよ。今時分(いまじぶん)だとぶどうと洋なしあたりかな。幸い今日はお給料が出たばかりで(ふところ)が温かいから安心してね。ごちそうするわよ」

「すみません。ありがとうございます。あの、先生はよくこの店にいらっしゃるんですか?」

「たまあにね」

「ええと、デートに来たりとかも?」

「仮に相手がいたとしても、それはないわね。あなたがたや父兄(ふけい)に絶対見つかっちゃうもの。『いざデート』ということになったら、さっさと東京に出るでしょうね」

「それはまあ、そうですよね」

 自分がもしデート中の良子先生を見かけたら、興味津々でこっそり後をつけてゆくに違いないと思いながら私はあいづちを打った。

「さあ、今度はあなたの番よ。ここは学校じゃないんだから、先生と生徒という立場は忘れて気楽にね。おこがましいようだけど、あなたのお姉さんになったつもりで話を聞かせてもらうわ」

「ありがとうございます」

 良子先生にあこがれていたことはすでに書いた。何かの折にクラスメートから目元の感じがよく似ていると言われたことがあったが、その一言のおかげで一日中(ほお)(ゆる)みっぱなしだったくらいだ。その先生自身の口から、たとえ一時でもお姉さんになると言ってもらったのだから、私の喜びようはお察し願えるだろう。

 最近観た映画の話に始まって、どうやって実現したものか見当もつかずにいる将来の夢に、果ては映画や小説の登場人物をごた混ぜにしたような理想の男性像と、私は思いつく限りのことを夢中で良子先生に話した。

 何より印象に残ったのは、私の話に耳を傾けながらコーヒーを飲む先生の姿だった。何口かブラックで飲んでから、金属製の小さなピッチャーからミルクを数滴()らし、そのままかき混ぜずに飲む……。そのさりげない仕草の格好良さといったら! 大学生になって喫茶店に入るようになった時、私はコーヒーを飲む(たび)にこの手順を真似たものだった。

 喫茶店で一時間ほど過ごした後、私たちは松江町(まつえちょう)出世(しゅっせ)稲荷神社に(おもむ)いた。夕占ゆうけの前にこのあたりを鎮守ちんじゅしている神様のお許しを得て、首尾よく占いが行えるように守護してもらおうというのが先生の考えだった。

「これまでに出世稲荷にお参りしたことはあるの?」と、商店街を歩きながら先生は私に尋ねた。

「家からそう遠くはないし、一度や二度はお参りしているはずだと思うんですが、はっきりとは覚えていないんです。神社の前は何度も通っているんですけど」

「小さな神社だし、たいていの人がそんな感じかもしれないわね」

「それにしても、出世稲荷って、いかにもご利益のありそうな名前ですよね」

長兵衛(ちょうべえ)という乱暴者の魚屋がここのお稲荷さんを信心していて、夢のお告げで狼に襲われずに済んだのをきっかけに、荒れた暮らしぶりを改めて身代(しんだい)を築いたという話があって、昔から立身出世にご利益(りやく)があると言われてきたの。戦時中は、出征(しゅっせい)する兵士やその家族が大勢参詣(さんけい)して、無事に帰れるようにと祈願したのだそうよ。……やっぱり平和がいいわねえ。商売繁盛に立身出世、俗っぽいようでも人間らしくて私は好きなの。滅私奉公(めっしほうこう)って、いやな言葉だわ。そうそう、恵子さん、お稲荷さんてどんな神様だと思う?」

「狐の姿の神様なんでしょう? お祭りに出てくる天狐のようなものかなって、なんとなく思っていたんですけど……」

「狐は神様のお(つか)いで、神様そのものじゃないのよ。稲荷神社のご祭神(さいじん)宇迦(うかの)御魂(みたまの)神様(かみさま)五穀豊穣(ごこくほうじょう)をつかさどる神様なの。誰かの犠牲の上にある豊かさじゃなくて、誰もが幸せになれる豊かな実りをもたらしてくださる神様だというわけね」

 そんなやり取りをしながら通りを左に曲がると、稲荷神社の目印になっている二本の公孫樹いちょうの大木が目に入ってきた。石の鳥居の両脇に根を張った公孫樹は枝箒えだぼうきのようにふくらんだ上部の枝を通りの上まで伸ばしていて、遠くからでもすぐそれとわかる。

「本当に立派な公孫樹ですよね」

「樹齢六百年を越しているんですって。時代でいうと室町時代ね。神社の由緒書(ゆいしょがき)やさっきの言い伝えじゃ、江戸中期まではとても(さかのぼ)れないから、ここに神社が建てられた時にはもう樹齢四百年近い大木だったことになるわ」

「そんなに古くからある木なんですか?」と、私は思わず声を上げた。

「ええ。まずこの大公孫樹(おおいちょう)があって、ここが神聖な場所だと信じられていたから、お稲荷様をお迎えしてお(まつ)りすることにしたんでしょうね」

「きっとそうだと思います。こういう何百年も生きてきた大木を目の前にしていると、私でも本当に神様がそこに宿っていらっしゃるんじゃないかって気がしてきますから」

 私はそう答えながら鳥居をくぐって境内(けいだい)に入ると、左手側の大きい方の公孫樹に近づいた。二メートルほどのところにしめ縄が張られていて、そこから根元にかけて幹がぐんと太くなっている。大人が三人、いや四人がかりで腕をまわしても、抱きかかえるのは無理だろう。根元は外に張り出した部分と内側に折り込まれた部分とが大きく波打っていて、幾本にも分かれた足を踏んばっているかのように見える。

「そうだ、恵子さん、ここは松江町(まつえちょう)に入るんだけど、なぜ松江という町名になったか知ってる?」と、鳥居の下に立っていた良子先生がふと思いついたように言った。

「ええと、何か立派な魚が獲れたとか、そんな話だったような……」

「そうそう。伊佐沼(いさぬま)が今よりずっと大きかった時分に、中国の松江しょうこうのものにひけを取らないすずきが獲れたから、松江を訓読みして「まつえ」と呼ぶようになったという説があるの。と言っても、日本と中国じゃ、同じ漢字を使ってはいても、指している魚は別物だったようだけど」

「そうなんですか?」

「中国のスズキのほうはカジカの仲間のいかつい顔の魚なの。それはともかく、上物の(すずき)が獲れたのなら、沼といっても水はきれいだったんでしょうし、眺めもよかったんでしょうね。ここのお稲荷さんを信心した魚屋の長兵衛が(あきな)っていたのも、松江の鱸だったのかもしれないわね」

 伊佐沼で鱸が()れ、山道には恐ろしい狼が現れた時代、この公孫樹の周りは一体どんな景色だったのだろう……」

 そんなことを考えながら暗褐色(あんかっしょく)のごつごつとした木膚(きはだ)に手を置いて、大きく枝分かれして伸びてゆく幹の先に目をやった瞬間、ここで今と同じように頭上を見上げている記憶が脳裏をよぎったかと思うと、胸をしめつけるような想いが突然押し寄せてきて、私は思わず眼を閉じた。

 その記憶がいつ、どういう経緯でここに来た時のものなのかはまったくわからなかった。ただ、そのサイレント映画の断片のようなごく短い映像が、私が言葉をどれだけ使えるようになっていたのかさえ定かでないくらいの、最古の記憶の層に属していることだけは確信することができた。

 押し寄せてきた〈想い〉はあまりにも激しくて、始めのうちは正体の見極めがまったくつかなかったが、波が引くように遠のき始めたそれに追いすがるようにして身をひたすうちに、私は自分の胸を満たしているものが懐かしさと、哀しさと、嬉しさとがないまぜになったものなのだということを、次第に感じとれるようになっていった。

「恵子さん、どうかしたの? 大丈夫?」

 良子先生の気遣(きづか)わしげな声で、私はようやく我に返った。鳥居の下にいた先生がすぐ(かたわ)らに来ていることに、私はまったく気づいていなかった。

「ええ、大丈夫です。何でもありません」

「よかった。急に目を閉じたと想ったら、木にもたれたまま少しも動かないんだもの。貧血でも起こしたんじゃないかって、心配しちゃったわ」

「すみません。小さい頃ここに来たことがあったのを、急に思い出したんです」

「そうだったの……」

 良子先生はそう一言だけ言うと、話の続きをうながすようにじっと私を見つめた。

「物心がつくかつかないかという、すごく幼い頃の私が、今と同じようにこの公孫樹の木に手を置いて上を見上げているんです。その光景がふいに目の前に浮かんできたと想ったら、急に胸がいっぱいになってきて……。でも、それがどうしてなのかや、その時の状況がどんなだったのかといったことは、何もわからないんです」

 私が話し終えると、先生は静かに微笑みながらそっと私の肩に手を置いた。

「すごく大切なことが隠れていそうで、気になってしかたないでしょうね……。でも、(あせ)りは禁物(きんもつ)よ。心の奥底に眠っている記憶というのは、頭であれこれ考えたからといって取り戻せるわけではないの。プルーストっていうフランスの小説家の受け売りになってしまうけど、そうした記憶は何かを味わったり、ちょっとした匂いをかいだりといった、思ってもみなかったことがきっかけでふいに(よみがえ)ってくるものなのよ。

 こんなことを言うと、いつになったら思い出せるかわからないと心配になるかもしれないけど、それほど遠い先のことじゃないと思うわ。そこまで強く心を動かされたというのは、あなたの心の中で思い出すための準備が整ってきているということなのよ。だから気を楽にして、その時が来るのを待っていてね」

「わかりました。ありがとうございます」

「だいぶ日が傾いてきたわ。早いところお参りを済ませて、夕占ゆうけの仕度をしないとね」

 先生はそう言うと、公孫樹のすぐ脇にある小さな手水舎てみずしゃのほうへと歩き出した。


 良子先生が夕占の場所に選んだのは、先ほど出世稲荷に行く時に左折した四つ辻だった。今の町名で言うと、稲荷に行く道の北側が連雀町(れんじゃくちょう)で、南側が新富町(しんとみちょう)にあたる。

「今は人通りが少ないけど、ホームラン劇場の映画が終わったらどっと人が流れてくるわ。準備が終わるまでは誰かに来られると困るし、その後は誰かに来てもらわないと困る。そのあたりの()()いが難しいのよね。昔は新河岸(しんがし)旭橋(あさひばし)のたもととか、うまい場所があったんだけど。船が着いた時とそうでない時で人通りに波があるし、橋脚(きょうきゃく)の陰に身を隠すこともできるし、船着き場って、夕占にはもってこいの場所だったのよ」

 このあたりの船着き場がにぎわっていたなんて、いったいいつ頃の話なんだろう? 古文の授業中にも、良子先生はだしぬけに何十年、場合によっては何百年も昔のことを、つい昨日のことのように話して私たちを困惑させることがある。その上、先生になってまだ()もないはずなのに、数学の「エントツ」のような古狸(ふるだぬき)を向こうにまわしても、気圧(けお)されるどころか、不思議な技を使って手玉にとってしまう……。良子先生については、本当にわからないことだらけだ。

新河岸(しんがし)の船着き場の話は下宿先のお婆さんが聞かせてくれたのよ」と、良子先生は私の不審げな表情を見てとってつけ加えた。

「若い時分(じぶん)には氷川神社の巫女(みこ)をしていたこともあるという人で、占いの名人だってその界隈(かいわい)では評判なの。別に看板を(かか)げているわけでもないのに、毎日のように誰かしら相談に来るのよ。夕占のやり方も、実はそのお婆さんに教えてもらったの。さあ、そろそろ始めないとね。あと五分くらいで映画が終わるはずよ」

 私は先生にうながされるままに四つ辻の南西の(かど)にある電柱の陰に立つと、前もって教えてもらっていた和歌を唱えた。

「ふなとさえ 夕占の神に物問(ものと)わば 道()く人よ うらまさにせよ」

 私が歌を唱え終わると、先生は私のまわりを円く囲むように生米(なまごめ)()いた。この円の中に最初に入ってきた人が口にした言葉が、神様のお告げなのだそうだ。

「さて、それじゃ、このくしを使ってね」

 良子先生はそう言いながら、私に小振りな黄楊(つげ)き櫛を差し出した。前もって先生が用意してくれたメモ書きによると、生米(なまごめ)結界(けっかい)の中で櫛の歯を三度鳴らすのが夕占の始まりなのだそうだ。

「櫛を鳴らす前に目をしっかり閉じて、占いが終わるまでそのままでいてね。目を開けてもかまわなくなったら、こちらから声をかけるから」

「え、目を閉じるんですか?」

 思いがけない先生の言葉に、私は思わずそう聞き返した。目を閉じていたのでは、円の中に入ってくる人がいてもまったくわからない。

「そのほうが集中できるもの。大丈夫。そばには私が(ひか)えているし、そもそも本物のお告げというのは、耳にした瞬間に、『ああ、これか』とわかるものなの」

 私は先生に言われるままに目を閉じると、右手で櫛を持ったまま、親指の腹でしごくようにして櫛の歯を鳴らした。蛙の鳴き声のようなその「ぎゅい、ぎゅい、ぎゅい」という奇妙な音は、この世のものならぬ〈何か〉を呼んでいるかのようで、目を閉じたままでも、自分を取り巻いている空気が一変したことを即座に感じとることができた。

 その時、ふいに低くくぐもった声がかすかに聞こえてきた。

「……カラ、……タトコロガ、……デネ、……マッタク……」

 その声は夜更けに遠方(えんぽう)の放送局の電波を受信したラジオの音声がうねるように、大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら、次第にこちらに近づいてきているようだった。

 声の主は二人の年配の男性で、よくしゃべっているのはしわがれた声の、やや年嵩(としかさ)だと思われるほうの人物だった。上機嫌で一気にまくしたてるような口調からすると、いくぶん酔いがまわっているのかもしれない。

 二人の気配が身近に感じられるようになっても、会話の内容はいっこうにつかめなかったが、年嵩(としかさ)の男性が足を止めてふっとため息をつくと、わずかにずれていたラジオのチューニングが何かのはずみでぴたりと合ったかのように、明瞭(めいりょう)な言葉がいきなり耳に飛び込んできた。

「それにしても、あの旦那(だんな)にも困ったものだな。小料理屋の女将(おかみ)(ねんご)ろになったはいいが、さんざん振りまわされた挙句(あげく)に、店をたたまなきゃならなくなったから責任を取ってくれと(せま)られるとは」

「女将のほうははなからその気で?」

「そりゃあそうさ。閑古鳥(かんこどり)の鳴く店で、このまま手をこまねいていたんでは、さき店主あるじと同様に、夜逃げの仕儀しぎとなるのは目に見えている。何かカモを誘い込む手だてはないものかと、それこそ思案(しあん)()(くび)のところへ、あの自惚(うぬぼ)れ屋がおあつらえ向きに顔を出したってわけだ。自分じゃ素人の戦争未亡人を(うま)いこと口説(くど)いたつもりだろうが、相手のほうが一枚も二枚も上手さ」

「あれが素人とは笑わせてくれる」

「まったくだ。別に三味しゃみ爪弾(つまび)かなくったって、着こなしに徳利(とくり)の持ちよう、お(さと)はおのずと知れるわな」

「当人が吹聴(ふいちょう)するほど遊んじゃいなかったってことだな」

「そういうこと。しかしまあ、それよりいただけないのは、持て余した相手を他人ひとに押し付けようっていう、そのせこい了見りょうけんさ」

「岸田屋だっけ? 気の毒に、町内会長の紹介だからと断り切れずにいる(あいだ)に、見合いの段取(だんど)りまでつけられちまったそうじゃないか。まったく、知らぬが(ほとけ)ってやつだな」

「ああ、あんな牝狐めぎつねを家に入れた日にゃ、せっかく立て直した家業もどうなることか……」

 二人の会話はここで途絶(とだ)えた。いや、もしかすると、私が聞いていなかっただけなのかもしれない。いきなり父が話題にのぼったと思ったら、再婚の話が持ち上がった裏の事情まで耳にして、動揺(どうよう)のあまり考えをまとめられなくなってしまったのだ。

 この縁談は絶対に止めなくてはならない。でも、いったいどうすればいいのか? 見ず知らずの人の立ち話を偶然耳にしたなどと言ったところで、証拠もないし信じてもらえるはずがない。おまけに、町内会長の米川さんを悪者(わるもの)扱いすることになるのだ……。

 良子先生に肩をたたかれるまで、私の考えはとりとめのない堂々(どうどう)めぐりを続けていた。

「もう目を開けてかまわないわよ」

「あ、はい」

 先生は私の表情をのぞきこむようにしてから言葉を続けた。

「はっきりしたわね。この縁談はあなたの家にとって悪いもの」

「ええ。でも、どうしたらいいんんでしょう? 噂話(うわさばなし)を偶然耳にはさんだっていうのもなんだか出来過(できす)ぎだし、かといって、夕占の話を持ち出したりしたら余計にあやしまれてしまいそうだし……」

「大丈夫、心配いらないわ。ろくでもない縁談だとわかりさえすれば、あとは破談にするだけだもの。まかせておいて、あなたやお父さんの立場は決して悪くしないで、話をぶち壊してみせるから」

 先生はそう言うと、例のいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 連雀町を北に戻りながら、先生は私を気遣(きづか)ってしきりと話しかけてくれたのだが、私のほうはまだ動揺を引きずったままで、ただ生返事(なまへんじ)を繰り返すばかりだった。

 そんな状態がどれくらい続いただろうか、やがて、いくら声をかけたところで効果はないと見てとった先生は、左手でそっと私の右の手をとった。先生の温かくて柔らかな指先の感触とともに、出世稲荷の公孫樹の大木の下で感じた、あの懐かしさと哀しさと嬉しさのないまぜになった想いが胸の奥からこみ上げてきて、ふと気づいた時には、涙がとめどなく(ほお)(つた)い落ちていた。幼い私が、女の人に手を引かれてこの道を歩いている。その人は、まだ結核を発症する前の私の母だ。そして、私のもう一方の手を、父がおだやかに微笑みながら握っている。こんなに優しそうな表情を浮かべた父を、それから私は見た覚えがない。母の顔にも何の(かげ)りもなく、かえってそれが私の胸をしめつけるのだった。

 もう一つの記憶の断片も、霧が晴れたように鮮明になった。母に抱き上げてもらって、幼い私があの公孫樹の大木を真下から見上げている。右の掌には、ごつごつとした公孫樹の木膚(きはだ)の感触がある……。

「どうしたの、恵子さん、その涙……」

 先生の声で我に返った私は、やっとの思いで言葉をつなぎ合わせながら答えた。

「思い出したんです…… 私、やっぱり出世稲荷にお参りに来ていました。父と母に連れられて…… まだ母が元気な頃で、このあたりも一緒に歩いたんです。三人で、手をつないで……」

「そう……、よかったわね」

 先生はそう一言だけ言うと、私の手を握る指先に力を込めた。


 「涙はおさまったようね。そろそろふいておきましょうか」

 先生は鍛冶町(かじまち)まで来たところで足を止めると、ハンカチを取り出してそっと私の頬の涙の跡をぬぐった。

「すみません」

「いいのよ。泣いた跡を残したまま帰ったりしたら、お(うち)の人がびっくりしてしまうもの。さ、これで大丈夫……。くどいようだけど、今日のことは秘密よ。あとのことは私が引き受けるから」

「わかりました」

 私としては、わざわざ遠まわりまでして送ってくれた先生に、せめてお茶くらいは飲んで体を温めていって欲しかったのだが、先生は大分夜も更けたからと言って、私の申し出を受けようとはしなかった。

「じゃ、私はここでね」

「は、はい、あの……」

「なあに?」

「今日は本当にいろいろと、ありがとうございました」

「あら、いやねえ、急にあらたまって。照れるじゃないの。いいのよ、可愛い教え子のためなんだもの。さ、早く、お(うち)の人が心配するわ」

 先生にうながされて仕方なく家の前まで歩を進めた私が最後にふり向いた時、先生はそれを予期していたかのように微笑みながら手を振った。

「恵子さん、しっかりね。あなたならきっと幸せになれるわ」

 街路灯(がいろとう)の明かりに照らされた良子先生の顔が、なぜかその一瞬は母そっくりに見えた。


 父の再婚話はその後も進み、夕占をしてからちょうど一週間後の日曜日に、松江町の料亭でお見合いが行なわれた。その席で持ち上がった奇妙な騒動のせいで、縁談は良子先生の言葉通り破談になったのだが、父からそのいきさつを聞いたことはない。話を持ち込んだ米川さんへの気遣いもあってのことだろう。私が事の次第を知ったのは、親友優子の母親、雪江小母(おば)さんのおかげだった。小母さんの知人にその料亭で働いている人がいたので、何があったのか秘かに聞き出してくれたのだ。

 見合い席にいたのは父と相手の女性、そして立会人の米川さんの三人だった。その女性は米川さんに導かれて部屋に入った途端(とたん)に、一瞬ぎょっとしたような表情を見せたそうで、席についてからも心ここにあらずといった様子だったという。

 ほどなく年若い仲居(なかい)桜湯(さくらゆ)を運んでくると、見合い相手の女性は下座(しもざ)側の鴨居(かもい)の左隅に貼られたお札のようなものに目をやりながら、あれは一体何なのかと仲居に尋ねた。言われてみれば、調理場ならいざ知らず、料亭の客室にお札というのは確かに奇妙な感じがする。父と米川さんが首を傾げながら、文字とも模様(もよう)ともつかないうねるような線がびっしりと書き込まれたお札を見上げていると、仲居は

「ああ、あれは以前この部屋で催された宴会にいらしたお坊様が、料理が大層お気に召したとおっしゃって、特別に書いてくださった護符(ごふ)なんです。災厄(さいやく)よけはもちろん、特に縁結びに御利益(ごりやく)があるそうで、うちではお見合いの時には必ずこの部屋をお使いいただくんですよ」と、にこやかに微笑みながら答えた。

 男性二人はなるほどそういうものかとうなずいたが、お札のことを尋ねた当人だけは、青ざめた顔で表情をこわばらせたままだった。

 米川さんはこのままではいっこうに話がはずまないと心配して、冗談を言ったり趣味の話を持ち出したりと、なんとか座を取り持とうと懸命(けんめい)だったが、女性のほうは目を()せたまま、居心地(いごこち)悪そうに身じろぎするばかりだった。

 そして、先程の仲居が戻ってきて、米川さんにそろそろ料理を出しても構わないかと声をかけた時、その女性はふいに深いため息を一つつくと、それまでとはうって変わった低い声でしゃべり始めた。

「ああ、口惜しい……。あと一息で岸田屋を丸め込んで、身代(しんだい)を食い(つぶ)してやるところだったのに。小娘(こむすめ)風情(ふぜい)がまさかこれほどの冥護みょうごを受けていようとは……」

 女性はつり上がった目をしてそう言うと、四つ()いになってものすごい速さで部屋を飛び出し、そのまま中庭をつき抜けて姿を消した。

 こうなると気の毒なのは立会人の米川さんだった。平謝(ひらあやま)りに謝って父を先に帰らせると、周囲の利用客に騒がせたお詫びの酒や料理をふるまう段取(だんど)りをつけたり、料亭で働く者達に、騒動の噂が広まらないようにとさりげなく念を押しながら祝儀(しゅうぎ)をはずんだり、なんとか穏便(おんびん)に事を収めようとまさに大わらわだった。

 騒ぎがようやく一段落して、米川さんがあの若い仲居からあらためて話を聞こうと思いついた時には、もうどこにもその姿はなかった。例のお札はどうかとあわてて確かめてみたが、これも()がされた跡さえ残さずきれいになくなっている。これはどうしたことかと女将に尋ねてみても、そもそもそんな年格好(としかっこう)の仲居はいないという返事で、お札についても、そんなものをお坊様に書いてもらったこともなければ、客室に貼ったこともないということだった。

 それでは一体誰があの部屋を受け持ったのかと米川さんがさらに問いただすと、女将も仲居たちも不意をつかれた様子で、互いに顔を見合わせながらしきりに首を傾げるばかりだった。

 料亭の側としても評判にかかわることなので、他の客がいくら尋ねても、事件の詳細を()らすものはいなかった。雪江小母さんが事情を聞き出せたのは、当事者である岸田屋の娘に真相を伝えるのは少しも道義(どうぎ)に反することはないと、言葉を尽くして友人を説き伏せてくれたおかげで、例外中の例外と言ってよかった。

 人というものはあまりに思いがけないものを目にした場合、それを目にしたという記憶が、案外簡単に曖昧(あいまい)になってしまうことがあるらしい。着物姿の女性が四つ()いで走る姿は、料亭の中でも通りでも、かなりの数の人々が目撃したはずなのだが、それほど噂にのぼることもなく忘れ去られた。

 例の女性は夕暮れ時になってから、多賀町(たがちょう)鐘撞堂かねつきどうの頂上でぼんやり立ちつくしているところを発見された。どこをどう通ってあそこに辿(たど)り着いたものかまったく分からなかったが、足袋どころか着物まですっかり泥まみれになっていたという。

 もう大声で何かまくしたてるというようなことはなかったが、目は相変わらずつり上がったままで、人から話しかけられると歯を()いてうなり声をあげるという有様(ありさま)なので、これは狐つきに違いないという話になって、米川さんが秘かに祈祷師(きとうし)を呼んで〈狐を落とした〉のだという。

 正気に戻った(驚いたことに、祈祷は本当に効いたらしい)女性は見合いが始まってからのことを何一つ覚えていなかったが、自分が何を口走ったのかを米川さんから聞かされると、程なく町から姿を消した。


 この手記も残すところあとわずかとなった。良子先生と別れて家に戻った私は、夕食を()ませると風呂に入り、一日の出来事を振り返っていたのだが、(わか)(ぎわ)の先生の言葉や表情をあらためて思い浮かべた時、先生と会うことはもう二度とないのだという確信が、不意にどこからともなくやってきて、私の中に根を下ろした。

 先生から暗示のようなものを与えられていたのか、夕占の影響で(かん)が鋭くなっていたのか、そのあたりのことはよくわからない。いずれにしろ、翌日学校でクラス担任の先生から良子先生が転任することになった(この学校での立場は臨時教員で、正規の教員として迎えてくれる学校が見つかったという話だった)と聞かされた時、私は自分でも不思議に感じるほど、ごく平然とその知らせを受け止めたのだった。

 もちろん、良子先生の不在を寂しく感じなかったということではない。先生の思い出は様々な折に私に忍び寄り、不意に私の胸を()いた。

 級友たちは意外なほど良子先生のことを話題にすることが少なく、当初私はその理由を、会えなくなった人の思い出を話すのがつらいからだと解していたのだが、彼女達の心中(しんちゅう)で良子先生の記憶が急速に薄らぎ始めているためだということに程なく気がついた。

 ある時、私が優子になんとか良子先生のことを思い出してもらおうと躍起(やっき)になって説明していると、彼女は怪訝(けげん)そうな顔をして、

「古文の原良子先生? 誰なの、それ? 古文だって漢文だって、担任は矢島先生じゃない。そりゃあのお(きょう)を読むような声で古文の講釈(こうしゃく)を聞かされるよりは、若い女の先生の授業を受けたいような気はするけど……」と言いながら、ちょうど傍らを通りかかった他の級友に声をかけた。

「ねえ、屋代(やしろ)さん、私達のクラスの古典は、古文も漢文も四月からずっと矢島先生が担任だったわよね?」

「え、ええ、もちろん。なあに、担任が代わるっていう話でもあるの?」

「そうじゃないの。この子がね……」

「ごめん。いいのいいの、私の勘違(かんちが)いだから。おかしいわよね。何か夢でも見たみたい……」

 話が大きくなりそうになり、私は(あわ)てて話を切り上げてその場を離れた。

 後年、私がこの学校の古典の教師になった時、当時の記録を(くま)なく調べてみたのだが、私達のクラスの古典の担任は確かに矢島という高齢の男性教師で、正規、非正規どちらの教員名簿にも、良子先生の名前はなかった。

 自分が心から愛する人の記憶が、周囲の人々の心から消え去ってゆくというのは、何と寂しく、また何と甘美(かんび)なことだったろう。

 悔やまれてならないのは、良子先生が作ってくれた夕占の手順を記したメモ書きを、先生に言われるままに返してしまったことだ。夕占がうまくいったのは一生に一度のことだと思い(さだ)めていたからで、このようなメモがあるとついまた頼ってしまうに違いないという指摘は、確かにその通りだとは思うのだけれど、先生の筆跡の美しさを思うと、()(はし)でもかまわないから手元に残しておきたいとお願いすればよかった、そんな思いが今なお胸をよぎる。

 最後に、私がなぜこの手記を書き残そうと思い立ったのか、そのきっかけとなった出来事を記しておくことにしよう。

 先日、私は孫娘の恵美を連れて出世稲荷に参詣した。ちょうど私と良子先生が夕占をした時分で、秋晴れの好天に誘われてのことだった。恵美は五歳で、私が父母と一緒に参詣した時より年長だったが、あの公孫樹の大木の下で抱き上げてやると、幼い私がやったことをなぞるかのように、大きく枝分かれしながら空高く伸びてゆく幹を目映(まばゆ)そうに見上げたり、そのごつごつとした木膚にそっと手を触れたりしていた。

 お参りを済ませた帰り、私は恵美と手をつないで、昔夕占をしたあの四つ辻に向かう道を歩いていた。私は恵美とのやりとりにすっかり気をとられていて、前方から歩いてくる人がいることにまったく気がつかなかった。

 人の気配を感じてふと目をあげると、着物姿の若い女性がすぐ目の前に来ていて、私は(あわ)てて恵美に声をかけながら道を譲った。

「お孫さんですか? ほんとに可愛らしい……」

 すれ違いざまに軽く会釈しながらそうささやく声に、私は驚きのあまり一瞬身動きがとれなくなった。その澄んだよく通る声の持ち主は、良子先生以外にあり得なかったのだ。だが、我に返った私が彼女を呼び止めようと振り向いた時、その姿はかき消えてしまったたかのようにどこにも見当たらなかった。恵美に着物を着た女の人が歩いてきたのを見たかどうか尋ねてみたが、孫娘は不思議そうに私を見つめながらかぶりを振るばかりだった。

 懐かしさのあまりに私は幻を見たのだろうか? たとえそうであっても構わない。残された時間の大半を追想に費やすであろう人間にとって、幻と現実との間にさしたる違いもありはしない。

 それにしても、恵美はなんと私の母に似ていることだろう。私に似ているとよく人に言われるが、そうではない。私と恵美の両方が、母に似ているのだ。そして、良子先生も……。

 いつの日か、恵美も良子先生と出逢うのではないだろうか? 今しがたの出来事はそのことを私に告げようとしていたのかもしれない。もっとも、その時先生が同じ名前を名乗るかどうかは定かでないが……。四つ辻で足を止めて、私はそんなことを考えていた。

                             了


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