第9章 秘めた思い
そしてその日の夜、カルフール王国の王宮の貴賓室で、私はフェンドルン王太子と向き合ってソファーに座り、昼間の会話の続きを二人ですることになった。
つまり王太子が発言した「人生のターニングポイントになった」という言葉の意味について。
「あの場所では詳しい話はできなかった。彼女達がいたからね。まあ、辺境伯も。
実はね、私とタイドユ王太子殿下はね、六年まえからライバルであり、仲間でもあったんだ」
王太子の言葉に私はそうでしょうね、と頷いた。完璧王子の王太子の好敵手になれる人なんて、タイドユ王太子くらいでしょうね、と私も思った。
まあ実際は一つ年上ということもあって、フェンドルン王太子の方があらゆる点で少し勝っているような気はするけれど。腹黒だし。
「ライバルと言っても、君が考えていることとは大分意味が違うと思うけどね」
「と、言いますと?」
「六年前のあの歓迎ガーデンパーティーで、私達は同時に君を好きになったんだ。しかも二人ともそれが初恋だった。
そして恋をしたその瞬間に私達は共に失恋というか、君とは結ばれることはないのだと自覚し、絶望したんだ。二人とも婚約者がいたからね。
しかし、私の方が彼よりもショックは大きかったかな。だって、私がメリッサ嬢と婚約したのは、あの日のたった半月前のことだったからね。
あの時は婚約をゴリ押ししてきた候爵父娘と、私に相談もなく勝手にその縁談を決めた両親を恨んだし、腹立たしく思ったよ」
衝撃の事実だった。
フェンドルン王太子とタイドユ王太子の二人があのパーティーで私に一目惚れしていたなんて。
そんなことはとても信じられなかった。
私はただのモブで、あの日はただメリッサを含め、周りにいた来賓のお子様方の通訳をしていただけだったから。自ら話をした覚えもなかったし。
えっ? ハンカチで涙を優しく拭いてくれたのが嬉しかったですって!
タイドユ王太子はあの時のハンカチを未だに大切に持っていてくださるそうだ。そして、あのハンカチに刺されてあった刺繍がきっかけで、彼はスミレの花が大好きになったという。
その直後王太子になった時、そのスミレの花言葉のように「謙虚」で「誠実」に生きていきたいと考えるようになったらしい。「小さな幸せ」を得るために。
だから、幼い頃からの婚約者のことも大切にしようと考えるようになり、思春期を過ぎた頃からは上手く付き合えているらしい。
あのハンカチが、隣国の王太子の生き様に影響を及ぼしていたなんて。あまりのことに信じられず、頭がふらふらとした。まあ、悪影響を与えたのではなかったことにホッとしたけれど。
それにしても、私がタイドユ王太子にあげたハンカチを、フェンドルン王太子がずっと羨んでいたとは知らなかった。
来月の自分の誕生日には君の刺繍入りのハンカチが欲しいと言われて瞠目した。
「ずっと彼に自慢されていて悔しかったんだ。
だけど、私が婚約解消をしてフリーになった途端、ずるいずるいと毎回手紙で言ってきたから私はたいそう気分が良かったよ」
『ずるいぞ、卑怯者め。自分ばっかり』
顔を合わせた時にタイドユ王太子が言っていたのはそのことだったのね。
二人とも大人気ないわ。しかも王太子という尊い身分の方々だっていうのに。
「それにしても、なぜ私なんかをそんなに思ってくださるのかしら……」
心の中で呟いただけだと思っていたのに、どうやら口から漏れていたようで『二度と私なんか』という言葉を使うな!としかられてしまった。
「自分を蔑むような言葉は使ってはいけない。いかにも謙遜しているように聞こえるが、その実、これからも努力するつもりはないと言っているのと同義で、浅ましく感じるぞ」
私を好きだという割に、王太子は相変わらず辛辣な事を言う。
でも、そんなところがずっと好きだった。本人の前では言わないけれど。
前世の時も今も、人って他人から嫌われたくないって思ってしまうもの。
だから、つい当たり障りのない言葉ばかり口にしてしまいがちだ。
そのくせ、どう思われても構わない相手には辛辣過ぎる罵詈雑言を平気で吐ける。
父が浮気相手らしき女性と話をしているところに遭遇したことがあったが、家にいる時とはまるで違う甘い言葉を囁いているのを聞いて、人間って色んな面を持っているのだと、妙に感心してしまった。
心を欲している大切な相手にならいくらでも甘い言葉を囁けるのに、そうでない相手には冷たい言葉しか出ないんだなと。
だから私は母に離婚を勧めた。子供のためと我慢するというのならその必要はないと。情のない親ならいらないと。
そしてその後、あの男は私達に付き纏いながら、昔と違って縋るような哀れみを誘うような言葉ばかり吐いていた。反省の言葉など一切なく。
結局のところ、あの男からは心に響く言葉を何一つもらわなかったなと思う。
それに比べてフェンドルン王太子の言葉はいつだって、厳しくもそこには優しさを感じていた。私のことを思って言ってくれていることが伝わってきた。
だから彼のことは信じられたのだ。そしていつしか私は王太子のことを好きになっていたのだ。もちろんその思いを告げるつもりはなかったし、結ばれるなんて考えもしなかったけれど。
しかし、それが両思いだというのなら、私なんかではどうせフェンドルン王太子には釣り合わない……と思うのではなく、彼の横に立てる人間になれるように頑張ろう、と前向きに思うべきなのだわ。
私がそんなことを考えていたら、珍しく王太子が焦ったような、困っているような顔をして私を見ていた。そしてこう言った。
「六年前のあの歓迎パーティーは、私がホストとして初めて仕切ったセレモニーだった。だから失敗しないように念入りに計画を立てて、準備をした。
余裕そうに見えたかも知れないが内心ドキドキものだったんだ。
両国の若者の交流が最大の目的だったが、互いに隣国の言葉を完璧に話せる者ばかりではなかったから、誤解から齟齬が生じないかとそればかり心配していたんだ。
もちろん通訳は手配したが、間に大人が入ると場の雰囲気を壊しかねないから、側近の三人と婚約者であったメリッサに調整役を頼んでおいた。
しかし、彼らは実際にはほとんど役に立たず、その代わりをしてくれたのは見知らぬ一人のご令嬢だった。
我が婚約者のように華やかでも目立つわけでもなかったが、上手に人と人との間に入ってスムーズに会話ができるように手助けをしてくれていた。その姿に目が離せなかった。そう、君のことだ。
そしてあの仔猫によるハプニング。あれを大事件にせずに済ませられたのは君のおかげだった。
しかも、タイドユ王子がアレルギー持ちかもしれないと周りに知られないように、君が配慮してくれたおかげで、カルフール王国との関係も悪化することなく、むしろ信頼関係が深まった。
そのことで私の国内外での評価も高まった。本当は君の功績なのに」
「そんなことありません。私は大したことはしていませんでした。
たまたまあの頃私もイチゴアレルギーだということがわかったところだったので、色々と調べていたので、もしやと思っただけなのですから。
私はあんな素敵なパーティーを主催した殿下を尊敬していました。
そしてこんな素晴らしい方が王太子なのだから、我が国は今後も安泰だって」
「でもね、王太子や国王だけ立派でも何もできないんだ。やはり一緒に横に並んで立ってくれる人がいないと。
君には怒られるかもしれないけど、私は最初からメリッサ嬢とは婚約したくなかったんだ。
彼女に一目惚れされて侯爵家に半ば強引に押し切られたんだ。
王家と釣り合う家柄の中で、唯一彼女の年が私に近かったこともあって、両親も断る理由がなかったのだと思う。それに彼女は見目も良かったし。
だけど婚約してすぐにあの歓迎パーティーがあって、彼女はやらかしただろう?
タイドユ王子が動物を苦手にしていることだって、それを記載した報告書を事前に手渡していた。
それなのに、勝手に来賓である王子の膝の上に仔猫を乗せた。
仔猫がどんなに小さかろうと可愛くとも、それを苦手にしてる相手には恐怖でしかないんだ。そんなことすら彼女は思い至らなかった。
しかも、客人の心配より仔猫の心配をしていたのだから、私は怒りを通り越して呆れたよ。自分のすべき優先順位を理解していないことに。
そもそもホスト役だった私のサポートを全くしない上に、ゲストをもてなすことさえしなかったんだからね。
あの日私は絶望したんだ。こんなご令嬢が自分の婚約者で、将来国母になるのかって。彼女と婚約などしていなかったら君を選べたのにって。
そして両親もさすがにメリッサ嬢に不安を持ったらしくて、侯爵家に注意をして、お妃教育も厳しくしたんだ。
でも結果は君も知っている通りだったよ。
私とタイドユ王子は同じような立場だったが、彼の婚約者は幼いころから佳人として評判で、将来の王妃になるのに不足ない相手だった。
だから君への思いも綺麗な初恋としてしまっておけたんだ。
しかし、私は違う。メリッサでは駄目だったんだ。だから余計に君への思いを募らせていったんだ。
でも、君がメリッサの親友だとわかっていたから、彼女と婚約破棄した後、すぐに君と婚約するのも憚られた。
だから君に思いを告げる前にメリッサが幸福になるための計画を立てたんだ。
そして下準備が整っていざ穏便に婚約解消をしようとしていたところに、あの王宮のパーティーで騒ぎが起きたんだよ。
メリッサがまたやらかした。しかも君をまた巻き込んで。正直君が目を覚まさなかったら、彼女を一生地下牢に幽閉してたよ。
まあ、一週間後に目を覚ましたから良かったが。あの時私がどんなにホッとしたか、どんなに歓喜したのか、君にはわからないだろうね。
そしてそれ以降の話はもう君も知っているよね?」
私は頷いた。そして知らなかったこととはいえ、そんなにも長いこと王太子を苦しめ、切ない思いをさせていたのかと思うと、今さらだが胸が苦しくなったし申し訳なさが募った。
私は彼の気持ちに気付きもしないで、ずっとメリッサと王太子の仲を修復させようとしていたんだもの。彼は最初からメリッサを望んでいなかったのに。
「フェンドルン王太子殿下、長い間辛い思いをさせてしまってごめんなさい。そして、ずっと思っていてくださってありがとうございます。
私も殿下のことを少し腹黒だとは思っていましたが、それでもずっと尊敬していましたし、大好きでした」
私がこう言うと、王太子は目を丸くした。
腹黒だなんて不敬罪に問われかねない発言をしたにもかかわらず、今まで見たことがないくらい美しくて優しい笑顔で私を見た後で、彼は私をギューッと抱きしめてくれた。
そして触れるだけの優しいキスをしてくれたのだった。
それは私のファーストキスだったのだが、彼にとってもあれが初めての行為だったと知ったのは、ずいぶんと後になってからだった…
そして私達は、最後の訪問国であったカルフール王国から帰国した。
そしてその一月後に、王宮では身内と親しい人々だけでこぢんまりとしたパーティーが開かれた。
それはフェンドルン王太子殿下の十九歳の誕生日会であり、私達の婚約発表の場でもあった。
昨年の十八歳の誕生日は、成人の祝いも兼ねていたというのに、とんでもない騒動が起きた。
王太子妃の座を巡って、当時まだ王太子の婚約者であったメリッサと聖女シモーネが言い争いを始めたからだ。
しかもそのせいで私が倒されて頭を打ち、一週間も意識不明になったのだから。
それにしても今でも信じられないわ。一年前モブだった私が、フェンドルン王太子の婚約者になっているなんて。奇想天外過ぎる。
しかも国王陛下夫妻も宰相閣下も、私の家族からも一切反対がなかったことに驚いたのだが、その理由を聞いてさらに驚いたというか唖然とした。
なぜなら、六年前のあの歓迎パーティーでの騒動の後、フェンドルン王太子は私の長兄と密約を交わしていたというのだから。
なんとフェンドルン王太子は、いずれ自分はメリッサとは婚約解消をしてフランシーズを妃にするつもりだ。だから貴方の妹を誰とも婚約させないでくれと兄に頼んだらしい。
そしてそれを、妹の意思を無視して兄は受け入れたというのだ。
おにいさま〜、人権侵害ですわ。
まあ、この世界、政略結婚が当たり前なので、あながち極悪非道だと兄を責めるわけにはいかなかったけれど、それを知ったときはさすがに腹が立ったので、兄のお腹に一発拳を入れておいた。
本当はヒールで思い切り踏んづけてやりたかったけれど、もし骨折でもさせて義姉や甥姪に嫌われるのも嫌だから止めておいたわ。
読んでくださってありがとうございました。
第10章は19時に投稿します。
次章で完結します。