第6章 外遊
最終学年が始まった。
私は学園に通いながら、放課後には城に通い、王太子の雑用をこなしながら、側近になるための様々なことを学んでいった。
王太子は卒業時に三人の側近を選んだ。
まず、王太子専属の官房担当者として、同級生で同じ生徒会の仲間だった、侯爵家の令息であるハルド卿。
次に専属の補佐官に、やはり生徒会の仲間だったストアード卿を。もっとも彼は私と同じく一つ後輩なので、正式には来年からその任に就くことになるようだが。
そして私は秘書官らしい。王太子の側に絶えず寄り添って、私的なことを含めて殿下のことを全て把握しておく必要性があるらしい。
そのため、本格的な公務を始めるこの時期から、私もその活動内容を知っておくべきだと殿下から言われたのだ。
こうして学園と城通いという二重生活を始めて五か月経ったある日、王太子にこう命じられた。
来月から近隣諸国と本格的な外交を始めることになったので、それに随行するようにと。
「たしかに先月官吏試験には合格しました。しかし、正式に採用されて殿下の側近になるのは卒業後ではなかったのですか?」
と尋ねると、殿下は平然とこう言った。
「予想通りトップ合格だったね。これで君にとやかく言う連中も、少しは控えるだろう。
君、学園の試験では手を抜いていただろう? 目立たないためか? それとも男子に譲るつもりだったのか?」
「・・・・・」
私は答えなかったけれど、まあ、両方とも正しいわ。
嫡男ではないご令息達は官吏になるために必死に頑張っている。学園内の成績も官吏になるためには重要だから。
それに比べて私は官吏試験を受ける気もなかったので、学園の試験の結果にはあまりこだわらなかったのだ。
「どうせ君は、全ての単位をもうすでに取得しているのだろう?
ならば無駄に学園生活を過ごすより、世界各国を回る方が毎日変化があって、刺激的で楽しいし有意義だぞ」
なるほど……と、私はまたしても王太子の手のひらの上で踊らされてしまった。
そして彼の言った通り、その外遊は忙しいながらもとても有意義で、好奇心や知識欲旺盛な私にとって幸せな時間だった。
しかし三か月ほど経ったある日、ようやく私は気が付いたのだ。自分の立ち位置を。
王太子は学生時代から王族として多くの職務をこなしていて、各部署ごとにすでに信頼できる部下を作り、彼らとの絆を深めていた。例えば外交部門では私の長兄。
国際会議において王太子に随行するのは外務担当の官吏である私の兄だ。
私はその下準備を外務省の兄を含む諸先輩方からのご指示を受けて動いている。
そう。私は当然一番下っ端の見習いなのだ。
それなのになぜか夜会になると、いつの間にか私が王太子のパートナー役を務めるのが当たり前になっていた。
王太子は未婚の上に婚約者がいない。そして派遣されているメンバーの中に女性官吏(見習い)は私一人しかいなかったからだ。
もちろん侍女やメイドはいたけれど。
最初に訪れた国で、私は国の代表として恥ずかしくない程度のシンプルなドレスと、フォーマル用のネックレス、そしてイヤリングを公費で購入してもらった。
出国前にその話をしたら私が拒否すると見込んで、みんな黙っていたようだ。
私は兄を思い切り睨みつけた。すると、いつもすまし顔の美丈夫な兄がヘラヘラと笑った。それが癪に障ったので、彼の足の脛を軽く蹴ってやった。
初めて務める王太子のパートナーの役目を、なんだかんだと心の中で文句を言いながら、私は必死で果たした。
その結果、訪問国の方々とのダンスも社交も卒なくこなせたと思う。
しかもにこやかに挨拶し続けながら、秘書官見習いとしてできるだけ情報収集に努めた。
私って割と図太かったのだと、自分でも驚いたわ。
そして次の国を訪れた時、私はやはり既製品ではあるが前回とは違い、年相応の華やかなドレスを与えられた。
しかもそれは公費ではなく王太子からの私的な贈り物として。
なぜ? 呆気に取られた私に向かって彼はこう言った。
「前回予定外の仕事をしたお詫びと、想定以上の仕事をしてくれたお礼として受け取って欲しい」
「フェンドルン殿下、サービス残業代にしては金額が大き過ぎるのですが」
王太子殿下と呼ぶと機嫌が悪くなるので、近頃はお名前で呼ばせてもらっているが、そう呼びかけると、殿下はニコリと笑うようになった。
だからあの日も名前呼びをした。それから文句というか、納得できませんとやんわり言ってみた。
購入してしまった以上返品するわけにはいかないから、今回は素直に受け取るが、これっきりにしてくださいね、という意味を込めて。
賢い殿下ならそれで通じますよね?
しかし殿下は、久しぶりに何を考えているのかわからないアルカイックスマイルで、
「サービス残業って、何かな? 意味がわからないけれど、君はそのドレス代くらいの仕事をしたんだよ。
だって王太子妃と同等、いやそれ以上の働きをしたんだからね」
と言った。だから私もアルカイックスマイルで応対した。
「身に余るお言葉、恐縮です。ですが、ドレスは今後ご遠慮いたします」
「わかった。ドレスはこれきりにするよ」
王太子はそう約束してくれたが、それ以降パートナーを務めるごとにネックレスやイヤリングや髪飾りを贈られるようになった。
ドレスは公費でレンタルすることにしたのだが。
それにしても王太子の意図がわからない。
訪問先の社交界で、各国関係者の私への態度が段々と変化していくことに困惑した。
そう。殿下の部下ではなくパートナーとして丁寧に扱われるようになったのだ。
そりゃあそうよね。毎回私だけをエスコートして社交の場に参加するし、私の装飾品も次第に華やかになり、私を見つめる王太子の瞳にも熱がこもってきたんだもの。
まあ、おそらく私の瞳も同じなのだろう。そしてきっと顔も首も火照っているに違いない。
いくら地味を装っていても元が素晴らしく整っている殿下の顔を、間近で踊って見ていてときめかないわけがない。
しかもまるで愛おしそうに私を見つめている目と視線を合わせていて、なんとも感じない女性はいないわ〜
だけど王太子が私に好意を持ってくれているかも……なんて、そんな思い違いはしない。
だってダンスを踊っている時以外の王太子は、そんな目をしていないのよ。いたってクール。
そして社交場以外では完全に上司と部下って感じで、一切私情をはさんだりしないのよ。話すことも仕事のことだけ。
だから毎回ダンスを踊っている時だけ、もしかして殿下は私のことを……なんて思うけれど、それが終われば勘違いだって思うのよ。いつもその繰り返し。
そして私の方はそう簡単には気持ちは切り替えられない。だから、心の中に芽生えてしまった王太子が好きだという思いを抑えるのが大変だった。
せっかく王太子に期待されているのに、愛だ恋だと浮かれて軽蔑されてしまわないようにと。だから私は、早く一人前の側近にならねばと自分自身に叱咤激励し続けた。
そうこうしているうちに最後の訪問国に着いた。隣国カルフール王国だ。
我がシャローン王国とは過去において絶えず小競り合いを続けてきた間柄だったが、近年は同盟を結び友好国となっている。
というのも両国が手を取り合えば、ともに隣接している大国であるチュンドラ帝国とは対等、いやそれを上回る力があることに気が付いたからだ。
かつてのチュンドラ帝国は海に面しているために海運業で栄え、圧倒的な力を持っていた。
しかし、鉄道の発達により物流の流れが変わり、大陸の国々との交易は帝国よりも両国の方が有利になってきた。
こうして次第にその勢力を拡大していった二国ではあるが、一国ではまだ帝国には太刀打ちできない。そこで二国は同盟を結び協力し合うことで、帝国と肩を並べられるようになったのだ。
帝国は両国の仲を裂こうと何度も横槍を入れたり、陰謀を企んだりしてきた。
しかし、邪魔をされればされるほど、両国の絆は深まっていった。まるで障害が大きければ大きいほど燃え上がる恋のように。
こうして両国が頻繁に交流を続けてきた結果、いつしか両国の王家は、まるで親類同士のような関係になっていった。
それ故に、シャローン王国のフェンドルン王太子とカルフール王国のタイドユ王太子は幼なじみとも言えるような関係だった。
そして実を言うと、私もタイドユ王太子とは一度だけだが会って言葉を交わしたことがある。というより彼とはペンフレンドだった。
「いやぁ、久し振りだね、ようやく逢えて嬉しいよ。君達が来るのを今か今かと待ちわびていたんだ」
正式な挨拶の後でタイドユ王太子がにこやかにこう言った。そしてフェンドルン王太子に近付くと、耳元でこう囁くのが聞こえた。
「ずるいぞ、卑怯者め。自分ばっかり」
何がずるいのでしょうか? よくわからないけれど、悪口を言われたはずなのに、なぜかフェンドルン王太子が珍しくにやにやと笑っている。
まるで悪戯をして成功した子供が得意げに笑うシチュエーションのようだった。
私はそれを横目で見ながらも、タイドユ王太子の婚約者であるご令嬢にご挨拶をした。
タイドユ王太子の手紙に書いてあった通り、本当に妖精のように愛らしくて可愛らしい方だった。たしか年は私達より二つ下だったと思う。
「初めてお会いしたけれど、お話は以前からお聞きしていたから、昔からのお知り合いのような気がしますわ。
先週は私の誕生日に素敵な帽子を贈ってくださって本当にありがとうございます。
明後日の園遊会で早速被らせていただくわ」
「気に入って頂けたのなら幸いです」
彼女の言葉に、私は笑みを浮かべてカーテシーをした。
そしてその二日後の園遊会で、私は十か月ぶりに大好きな幼なじみに再会した。昨年の春の祝賀パーティーで突然意識をなくしてから初めてだ。
なんとコンドール辺境伯と共に、メリッサがこのガーデンパーティーに招待されていたのだ。
コンドール辺境伯領はカルフール王国と接しているため、チュンドラ帝国との戦を想定して、両国の騎士団は常日頃から合同練習を行っている仲だったのだ。
「本当はね、フェンドルン王太子殿下にご迷惑がかかると思って、私はご招待をお断りしようと思っていたの。
でも、殿下が気にすることはない。フランシーズも会いたがっているから参加して欲しいとお手紙をくださったの」
「そうだったの? 知らなかったわ。
でも嬉しいわ。ずっとずっと逢いたかったんだもの。
それにしても、メリッサはずいぶんと変わったのね。声をかけてもらえなかったら、きっと貴女だとはわからなかったと思うわ。
ハツラツとしていてとても健康そうだし、とっても綺麗になったわ。それに今までなかった色気まで漂っているし。
ええと、コンドール辺境伯の同伴者ということはもしかして……」
視線を彼女の左手に向けると、真っ赤なルビーの指輪が目に入った。たしか辺境伯の髪の色と同じだったと思う。
私の視線に気付いたメリッサは真っ赤になって俯きながら、先月婚約したのと呟いた。
「すぐフランに知らせようと思ったのよ。けれどフェンドルン王太子の手紙に、貴女を驚かせたいから秘密にして欲しいと書かれてあったから……」
と彼女は言った。
ええ、ええ。驚きましたとも。
まあ、二人が結ばれるであろうことは、メリッサが辺境の地へ向かった時に確信していたけれど。
「私は仕事に私情を持ち込むつもりはなかったの。だからこんなことになるとは思ってもいなかったのよ。
でも子供達がもう可愛くて可愛くて。その子供達からお母様になってと言われてしまって。
最初は、あなたたちのことは本当の子供のように愛していますよ、と言ったの。それは本当の気持ちだったわ。
でも母親にはなれたとしても、妻の方は無理でしょ? いくら愛する子供達のためだとしても、好きでもない女と結婚をするなんて嫌でしょう?
閣下は事故で亡くなられた奥様を今でも愛していらっしゃるのだから。
それに私は王太子殿下に婚約破棄された女なのよ。結婚なんてできるわけないじゃない、と思っていたの。
でもね、辺境伯家ではそんな綺麗事は言っていられないのですって。
国の防衛の要だから、閣下は屋敷を留守にすることも多いし、家政をしっかりこなす奥様が必要不可欠なんですって。
それでどうせ後妻を迎えるのなら、子供達が気に入った女性がいいからと、私に結婚を申し込んできたの。
そうは言っても、私などでは釣り合いがとれないからとお断りしたのよ。
そうしたら、私と王太子殿下は円満な婚約解消なのだから、疵なんてついていないので問題ないって。
しかも感情の起伏が激しいことも、辺境の地においては何の問題にもならないし、王都になんて滅多に行かないのだから気にする必要ないって言われたの。
しかも釣り合わないのは自分だとおっしゃったのよ。年は一回りも上だし、再婚だし、二人の子持ちだと。
しかもこんなゴツい身体をした岩みたいな男と、可憐で美しい君とでは正しく美女と野獣だって。
驚いたわ。いつも自信満々で威風堂々としている閣下が、ご自分のことをそんな風に思っていたなんて。
そんな閣下が可愛らしく見えて絆されて、ついそのお話を受けてしまったの。
今の私は、可愛い三人の子持ち夫人、って感じなのよ」
メリッサは幸せそうにそう言って笑った。
読んでくださってありがとうございました。
第6章を続けて投稿します。