第4章 王太子からの勧誘
私が実家の伯爵家に帰ったのは、意識が戻ってから十日後のことだった。
本当はすぐに王宮からおいとまをしようと思っていた。
けれど、
「頭を打った場合は後遺症が出るまでに時間がかかることもあるので、暫く安静にして様子を見た方が良い」
王宮医師からそう指示があったと王太子に言われて、私は勝手に出て行くわけにはいかなかった。
そして私が王宮の医務室のベッドにいる間に、騒動の渦中にいた私より一つ年上だったメリッサ、聖女シモーネ、そして王太子の側近三人組は、王太子と共に学園を卒業していた。
卒業式や憧れの卒業パーティーに参加することもなく。
今になって思えばあの騒動は、卒業パーティーで誰がフェンドルン王太子のパートナーを務めるか、それを争っていたのだろう。
本来なら、王太子の婚約者には王太子から卒業式用のドレスが贈られるはずなのだ。それなのに、メリッサは彼からドレスを贈られることはなかった。
彼女はかなり以前から、王太子から婚約を解消したいと告げられていたのだ。それなのに、それをずっと拒んでいたようだ。
その情報を聖女シモーネはどこからか入手していたからこそ、あのパーティーであんな発言をしたのだろう。
結局その後あの出来事は、単なる痴話喧嘩で処理されることになった。それ故に、祝賀パーティーを騒がせたメリッサへの処分は、十日間の自宅謹慎だけで済んだ。
しかしそれとは別件で、側近の三人のうち騎士団長の息子だけは、情報漏洩と職務怠慢で刑事罰を受けたので、学園の卒業資格は取り消しになった。
王太子がメリッサの瑕疵をなるべく小さくて済むようにと密かに進めていた婚約解消の話を、彼が勝手に聖女シモーネに漏らしたからだ。
そしてその聖女シモーネも、聖女でありながら高額な治療費を受け取っていた違法行為が暴かれたために、同様に卒業名簿からその名を抹消されたのだった。
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私は病室でしばらく安静にしていろと言われた。しかし、最終学年前の長期休みに入っていたので宿題がなかった。
いや、宿題もなにも卒業までの単位はすでに全て取得してしまっているので、予習の必要さえなくて暇をもて余した。
そこで仕方なく前世を思い出しながら、こまめにストレッチや軽い筋トレをやった。
ただでさえ一週間も寝たきりだったので、体が固まっていた上に、かなり筋力が弱まっていたからだ。
しかしそれくらいでは間が持てるわけもなく、退屈で仕方がなかった。
そこでお世話になったお礼に、午前中は隣の診察室の雑用の手伝いを始めた。治療器具の洗浄や、包帯の洗濯、薬品の在庫チェックなど。
そして午後からは、王宮の女官から試験用のテキストを貸してもらって勉強を始めた。女官の仕事に興味を持ったのだ。
あの有能な王太子のために、少しでも役に立てる仕事に就けたらいいな、となんとなく考えるようになっていた。
それから三時になると国王陛下夫妻や第二王子、そして二人の王女……王族の皆様が代わり番こにお茶の時間だと言って訪問してくださった。
そのおかげで今まで味わったことのない菓子や、香しい紅茶を頂きながら世間話をして過ごした。
皆様私なんかにとても優しく接してくださり、とても楽しい夢のような時間を過ごした。
特にまだ幼い二人の王女との触れ合いに、私は心を癒やされた。まるで姉のように慕ってくれたので、もう可愛くてたまらなかった。
そして夕食後には、王太子が新しい側近候補となった子爵令息と共になぜか毎日やってきて、毎回一つのテーマについて議論を吹っ掛けられた。
外交問題やら経済問題、農林水産業、工業、土木といった堅い話から、最近流行しているものや社交界の噂話まで。
最初は暇な私の相手をしに来てくださるのだと、単に有り難く思っていた。議論は毎回伯仲してとても有意義で楽しかったし。
ところが、伯爵家に戻ってからも休暇中は王宮に足を運ぶように言われたので、さすがにこれはおかしいと思った。
「定期検診ならば知り合いの医師に診てもらえるので大丈夫ですよ。これ以上王宮にお世話になるわけにはいきませんから」
すると、いつもは私に対して無表情な王太子がアルカイックスマイルでこう言った。
「この一週間君とストアード君と私の三人で議論をしてきたのは、試験だったのだよ。君達が私の側近としてふさわしいかどうかのね」
私は喫驚した。
同じ学年の子爵令息のストアード様なら側近候補と言われても納得する。成績もたしかいつも上位にいたし、王太子と一緒に生徒会活動もしていた。
大人しくて目立つ人ではなかったが、なぜ彼が側近にならなかったのかと不思議に思っていたくらいだ。
だから聖女シモーネに夢中になっていたあの三人が側近から外されたと聞いた時、今度こそ彼が選ばれるのではないかと思っていた。
でもなぜ私まで? 女性の側近なんて聞いたことがないわ。
この国は近隣諸国と比べると女性の社会進出が遅れている。たしかに王宮には女官と呼ばれる官吏はいる。
しかし行政機関には、そもそも女性官吏の発想すら存在していないような気がする。
前世だと曾祖母の若き頃のメイジとかタイショー時代、って感じかしら? 他の国のことは知らないけど。
(ニッポン史は得意だったけれど、セカイ史は縦軸と横軸の関係が複雑過ぎて苦手だった!)
「元々自分の側近は自分で選びたかったんだ。ところが子供のお前にその選出は無理だと親に判断されて実現しなかったんだ。
だが、両親が選んだ側近達がみんなやらかしただろう?
王太子の指示には従わないし、聖騎士でもないのに聖女の周りに纏わりついた挙げ句、鼻の下を伸ばすというみっともない姿を世にさらした。
しかも自分の婚約者を放置し、聖女に嫌がらせをしたとか因縁までつけた。側近どころか男として人間としてクズだった。
さすがに、聖女がしていた大聖堂の規則破りには加担していなかったみたいだが」
王太子はため息をつきながらこう言った。
やっぱり王太子はあの側近達に注意喚起をしていたのね。
ということは彼らは殿下や親に叱られて、ちゃんと指導教育をされたにも関わらず態度を改めなかったのか。
彼らの有責で婚約が破棄され、廃嫡されたのも当然よね。
前世の記憶が戻った時、聖女様って魅了使いではないのかと私は疑ったが、どうやら違ったらしい。
処分を受けた後、宰相の息子と大聖堂の大司教の息子は深く反省して、親からの処分に素直に従ったらしいから。
廃嫡されたといっても廃籍になったわけではないのだから、これから真面目にやればやり直しができるかも知れない。
ただ騎士団長の息子だけは相変わらず聖女シモーネを慕い続け、彼女が大聖堂から辺境地の聖堂に強制的に異動(左遷)されるとその後を追ったらしい。そのせいで彼は廃嫡どころか廃籍になったという。当然よね。
これっていわゆる真実の愛ですかね? 相手がどう思っているのかはわからないけれど。
「フランシーズ嬢、聞いているかい?
それでね、あの側近達を見て、さすがに両親も自分達が新たな側近を選ぶとは言えなくなったんだよ。それで私に任せるとおっしゃったのだ。
私は前々から二人の人物には目を付けていたんだ。一人は生徒会の副会長として三年間私を支えてくれた、侯爵家の令息であるハルド卿。
もう一人もやはり生徒会の一つ後輩で、新年度から生徒会長になるこのストアード卿だ。
そしてあと一人くらいは側近が欲しいなと思っていたのだが、偶然に君と話す機会を得て、フランシーズ嬢、それは君だと私は思ったのだよ。
しかし、大概のご令嬢は学園に入学する前にすでに婚約者がいて、卒業するとすぐに結婚してしまう者が多い。君もきっとそうなんだろうと思って半ば諦めていたんだ。
ところが君には婚約者などいなかったし、王宮の女官から君が女官になりたがっていると耳にしたんだ。
つまり君には働く気があるということだ。それを知って、ぜひとも私の側近になってもらおうと考えたというわけだ。
私は家柄や爵位、そして性別など関係なく、能力と人柄で側近を選びたかったからね。
それで王宮の医務室にいる間、フランシーズ嬢に側近として相応しい能力が本当にあるのかどうか、勝手ながら試験をさせてもらっていたというわけだよ。
まあ、概ね合格だったが、一週間ではまだ確信には至らなかったので、その試験期間を延長することにしたんだよ」
王太子の説明を私はただ呆然として聞いていた。
たしかに私には婚約者などいない。それは高位貴族の令嬢としては珍しいと思う。
ではなぜ婚約者がいないのかといえば、その答えは簡単だ。私を娶るメリットが男性側にないからだ。
我が家は歴史だけは古い名家ではあるが、先々代の時に被った大災害で膨大な借金を背負い、その後はずっと貧乏暮らしだ。
父がようやくその借金を返し終えたのだが、たとえ娘を愛していたとしても持参金など用意できるはずもない。
まあそれでも私を除く三人の兄と姉は既に既婚者だ。私以外は容姿端麗な上に成績優秀だったので、貧乏でも相手方から強く望まれたからだ。
しかし私の取り柄は成績だけで、とにかく地味で目立たないモブキャラだったので、モテる要素はゼロなのだ。
くすんだ灰色の髪に、灰色なのか薄い水色なのかはっきりしない瞳。しかも顔立ちも全く特徴がない。よくもこんなに地味な容姿なのだと自分でも呆れるくらいだ。
まあ悪目立ちするよりはいいかもしれないけれど。
だから私は早々に結婚は諦めて、住み込みの家庭教師になろうかなと考えていた。
しかし偶然にもこの王宮でお世話になることになり、初めて女官と接する機会を得て、この仕事に興味を持ったのだ。
家庭教師に別段拘っていたわけではなく、一生独り身でも生きて行けるような仕事に就きたいと思っていたに過ぎないのだから。
たしかに、王太子の何かお役に立てたらいいなとは思ったが、側近になりたいなどという恐れ多い考えは微塵もなかった。
そもそも我が国にはまだ女性の官吏さえいないのだから、その発想が生まれるわけがなかった。それなのに、いきなり側近って……
私がパニックっていると、王太子はアルカイックスマイルを貼り付けたまま、こう続けた。
「大変な仕事だが、やり甲斐はあるぞ」
「やり甲斐搾取はご遠慮します。過労死はしたくないので」
混乱しながらもポロッと本音を漏らした。恐らく前世では社会的意義があるとか、人の役に立つ立派な仕事だとか洗脳されて、長時間労働をさせられて、まともに睡眠も取れずに働かされていたのだろう。
死因は覚えていないが、もしかしたら過労死だったのかしらん? だから王太子の前だというのに、こんな失礼な言葉が思わず口から出たのかも。
「君の言っている意味はよくわからないが、死んでしまうほど働かせるつもりはない。
人は国の宝だ。特に優秀な人材はそう簡単に手に入らないのだから、使い捨てにするつもりはないぞ。だからそんな心配はいらない。
決まった休みはきちんと取らせるし、手当も仕事に見合うだけ支払う」
ブラック企業ではなかった。良かった。むしろ優良企業だ。かつてのニッポン国のカスミガセキとは大分違う。
そのことに感動して、思わず、
「よろしくお願いします、頑張ります」
と、頭を下げてしまった私だった……
読んでくださってありがとうございました。
第4章は明日の17時に投稿します。