第2章 事件の真相
「良かった。とりあえず後遺症はないようだ。本当に君には申し訳なかった」
なんと贅沢にも宮廷医師の診察が終わった後で、フェンドルン王太子が私に頭を下げたので、私は泡を食った。
「め、滅相もないことです。なぜ殿下が謝罪などをされるのですか?」
「フランシーズ嬢をこんな目に遭わせたのは、一応まだ僕の婚約者だから」
「一応って、殿下はメリッサ様との婚約を破棄されるおつもりなのですか?」
「ああ。破棄というより解消だが。
彼女は学園の成績はたしかにいいが、王太子妃として必要な能力が足りないし、色々と問題も多い。
感情の起伏が激し過ぎるし、嫉妬深い。その上虐めをするなんて将来の国母になる資格はない。
今回の件も彼女が聖女に暴力を振るったことで、結果的に君を命の危機に晒した。それ故に今侯爵家において謹慎を命じてある」
「ちょっとお待ち下さい。
たしかに彼女の感情の波が激しいのは事実ですが、それを直す方法はきっとあるはずです。
それに嫉妬深いのも、メリッサ様の殿下への思いが強いからです。人を好きになれば嫉妬心を抱くのは当たり前ではないですか!
それと、虐めのことですが、彼女が一体誰を虐めたというのですか?」
「誰をって、あの場に君もいたのだから、メリッサ嬢が聖女シモーネを虐めていたのを目にしていただろう?」
王太子の答えを聞いて、私は頭がカーッとして激しい怒りが湧いた。そしてそれと共に、貴方も前世の小説に出てくる愚かな王太子と同じなのですか!と叫びたくなった。
そこで深呼吸!
素早く吸って、大きくゆっくり息を吐き出す。
スッ! ハア〜〜〜!
スッ! ハア〜〜〜!
スッ! ハア〜〜〜!
これを三回やって心を少し落ち着かせた。
感情のままに発言して不敬罪になったら、私だけでなく家族や親類縁者、領民達にまで多大な迷惑をかけることになる。そしてメリッサにも。そんなことになったら本末転倒だわ。
深呼吸で血圧を下げなきゃ。そして頭に酸素を送らなきゃ。
たかが呼吸、されど呼吸なのだ。
たしか前世で、年のあまり離れていなかった叔母が言っていたわ。
「母親学級で呼吸法を習ったときは、これで痛みが軽減されるなんて眉唾よ、単なる気休めでしょと思っていたのよ。
ところが実際のお産のときに試してみたら、呼吸法をするのとしないのでは雲泥の差があったわ。
もし呼吸法を知らなかったらきっとあの陣痛の辛さに耐えられなかったと思うの。
夫も私の腰を擦りながら一緒になってやってくれたのも嬉しかったわね。ああ、二人でお産しているんだって、とても心強かったわ」
地味で大人しくて頼りなげな義叔父のどこがいいのかと思っていたけれど、イケメンだけど家庭を顧みなかった父親よりずっとかっこいいと、中学生だった私は思った。
叔母は姉である私の母とは違って、男を見る目があったのだろう。いや、姉とは同じ轍を踏まぬように正反対の夫を選んだのかも。
なにせ父は私が生まれてから二日目にようやく病院にやって来て、母を労う言葉や感謝の言葉もなく、
「なんだ女か」
と呟いて、赤ん坊の私を抱きもしないですぐに帰ったらしいからね。
そんなふうに一切家庭を顧みずに浮気を繰り返していた父は、私が十三の時に、母親に離婚されて家から追い出された。
住んでいた家は母が両親から相続したもので、母の名義だったからだ。
その後、元々生活能力の低かった父は自分の身の回りの世話ができなかったので、すぐにみすぼらしくなった。
そのせいで恋人に振られ、新しい恋人もできず、職場でもうまくいかなくなってすぐに落ちぶれた。
そしてあろうことか、母にやり直しを何度も要求してきた。もちろん母は速攻でそれを拒否した。
まともに慰謝料や養育費も払わなかった男と、今さらやり直すわけがないだろう。そんな不良債権を引き取ろうとする馬鹿なんて、少数派のダメンズ好きくらいだろう。
しかし拒絶された父は母や私のストーカーになった。最悪だった。しかし、兄に足蹴にされてからはようやくまとわりつかなくなった。
子供のころはいつも気分で殴りつけていた息子に、いとも簡単に吹っ飛ばされたことに、かなりショックを受けたようだ。
そしてその後しばらくして、あの男は酔っ払って階段から落ちて死んだ。最後まで情けない父親だった。
こんな最低な父親を持った我が家のモットーは、『人間は顔じゃない。人を思いやれる心があるかどうかだ!』だった……気がする。
それにしても前世の父の一生は、まるでテンプレのお芝居や小説の話のような転落人生だった。
しかも母や兄や私がそれに一切関わらなかったというのに、彼はざまぁされたのだ。
まさしく『身から出た錆』『自業自得』ということわざがピタリと当てはまっていた。
はてさて目の前の王太子は、誰かにざまぁされるのか、はたまた父のように天罰が下るのか、それとも……そのどちらも回避できるのか。
深呼吸して冷静さを取り戻した私は、王太子にこう言った。
「私はあの日、もちろんあの王宮の廊下におりました。しかしあの場面では虐めなどはありませんでしたよ」
すると彼は驚いたように目を見張った。そして怪訝そうに私の目をじっと見つめてこう口を開いた。
「君はメリッサ嬢の取り巻きの一人だ。つまり伯爵令嬢である君は侯爵令嬢には逆らえない。だから、彼女を庇いたい気持ちはわかる。
しかしそのために真偽を誤魔化すのはいかがなものかな? それは正義ではないよ」
正義! 私の大嫌いな言葉だわ。大抵の戦争は『正義』の名の下に始まるのだから。
戦争をする者達には互いにそれぞれの正義がある。つまりそもそも正義は一つじゃない。
それなのに王太子は自分が正義で私は正義でないという。その根拠は一体何なのだろう。
「殿下は、身分や性別に囚われず、臣下や国民の話を聞いて公平に判断される方だとメリッサ様からお聞きしておりました。
しかし、それは彼女の思い込みだったのですね。彼女は殿下のことを尊敬し、いつも自慢されていましたが、きっとそれは愛に盲目になっていたからなのでしょう。
それにしてもそんなに思っている方に、悪役令嬢だと思われているなんて、なんてお気の毒なのでしょう」
私はわざと悲しみを浮かべながら不敬にはならないように、メリッサ視点による殿下への思いを語ってみた。
そして私が直接殿下を否定するのではなく、彼女の殿下への思いを否定するのですか?と疑問形で。
私は高校生のとき演劇部に入っていた。友人の付き合いでいやいやだったけれど、その頃を思い出して演技してみた。
すると王太子は喫驚していた。
「殿下にこれだけは誤解されたくないので、はっきりと言わせていただきたいことがあります。
私はメリッサ様の取り巻きなどではありません。親の命令だからとか、身分が下だから逆らえなくて側にいるというわけでもありません。
私たちは領地が隣同士の幼なじみで親友でもあります。そして私は彼女が好きだから自分の意思で側にいるのです。
他のご令嬢方も皆様そうだと思います。だって派閥も身分もバラバラですもの。
男性の方々はご存じないみたいですが、世間一般的には、恋人や結婚する人を選ぶなら、異性に好かれる人より同性に好かれる人を選んだ方が幸せになれる、と言われているみたいですよ。
人は誰でも異性には良く思われたいから本性を隠して、相手好みを演じて気を引こうとしますからね。
男女関係なく、結婚して初めて相手の本性を知って驚くことも多いそうですよ」
幼なじみを裏切って新しい女の元に行った前世の男の末路を思い出しながら、私はこう言った。彼氏持ちに手を出すような女にろくなやつはいない。
結婚後に生まれた子供があまりにも二人に似ていないので、こっそりDNA鑑定をしたら男の子供じゃないことがわかって、かなり揉めた後で離婚してたなあ。
その後スキャンダルが多過ぎだと、仲間達からも相手にされなくなっていたわね。
私は当時の憂鬱な気分を思い出し、テンション低めになって言葉を続けた。
「ですからやっぱり結婚するなら、女性に好かれる女性、たとえばメリッサ様のような方の方が男性は幸せになれるのではないでしょうか。
彼女はたしかに感情の起伏が激しいです。しかも好きな人の前では特に。
私達は彼女から親愛の情を示されると嬉しくてたまらないのですが、男性の方々は違うのでしょうか?
はっきりと好きだと言ってくる一途な女性よりも、気があると思わせぶりな態度で複数の男性を囲う女性の方がいいのでしょうか?
同性の友人が一人もいないのに、何故か異性の方にばかりモテる方をどうしてお好きになるのかが、正直よくわかりません。
だって、敵ばかりいるような方では、まともな社交ができるとは思えませんもの。
まあ、たとえば聖女様のような方なら社交とか外交とかに参加しなくてもよいのでしょうが、それでも敵ばかり作るような方ではお家のためにはなりませんよね?」
「聖女シモーネには敵がいるのか?」
「ご心配ですか? ええ。気を付けて差し上げた方がよろしいと思いますわ。
だって、あの方のせいでいくつものカップルが婚約解消になりましたもの。たしか殿下の側近の方にもいらっしゃいますよね?
それに、病気を治してもらった人と治してもらえなかった人の間で、あちらこちらでいざこざが起きているそうですから、恨みを買っている恐れがありますわ」
王太子なのに何も情報が入っていないのかしら? 側近がみんな阿呆だから? でも王家には影?っていうのがいるんじゃないの?
あれって国王が命令しないと動かないんだっけ? この世界のことはわからないけど。
まあこれだけ遠回しに色々と教えてあげたのだから、後は自分で調べてよね。私の言葉は信じられなくても、多少は疑問は抱いたでしょう?
それさえないなら、駄目ね、この王太子。かなり優秀な方だと思っていたのに。メリッサは可哀想だけれど、婚約破棄された方がまだ幸せになれると思うわ。
と、私が思っていると王太子にこう聞かれた。
「君はメリッサのせいで死にかけたのに彼女を恨んでいないのか?」
「彼女は意図的に私を怪我をさせようとしたわけではありません。たまたまです。
まあ、暴力をふるったこと自体は悪いことなので、なにかしら罰を与えるのは仕方ないとは思いますが。
しかしながら、もし罰するならどうか聖女様と同じにしてください、喧嘩両成敗ですから」
「君もあれを喧嘩だというのか? 虐めではなく? メリッサに酷いことを言われたと、聖女シモーネは泣いていたというが」
王太子は喫驚した。君も……ってことは私以外にも誰かがそう取り調べで言ったのね。それでも信じられなかったということなのね。
「殿下、先日の言い争いは誰が聞いたとしても単なる女性の嫌味の応酬で、社交場では日常茶飯事です。
しかも先に余計なことを口にしてメリッサ様を煽ったのは聖女様の方です。
『優しい殿下に悪役令嬢は相応しくありません。本当に殿下がお好きなら身を引くべきですわ』
と言ったのですから」
「なんだと!」
「その後『偽聖女』とメリッサ様が言い返したら、『酷いわ』と言って聖女様は大げさに泣き出したんです。子供でもあるまいに。客観的に考えてどちらが酷いと思われますか?」
「・・・・・」
黙ったままの王太子に私はこう言葉を続けた。
「殿下、なぜメリッサ様が悪女だなんて最近呼ばれるようになったかわかります?
それは聖女様がメリッサ様と口論になる度に『酷いわ』と口にしていたからです。彼女の方がよほど酷いことを言っていたとしてもですよ。
『酷いわ』という言葉を先に言えれば、相手からアドバンテージが取れるんですよ。自分は酷いことをされた可哀想な被害者ですと周りにアピールできるのですから。
だって、言われた方はなんて返せばいいんですか?
『酷いのはどっちなの? 何が酷いの? 酷いのはあなたの方でしょ?』
こんな風に言い返して周りから共感されると思いますか?」
「たしかにそれは……」
言い淀んだ王太子に私はこう訊ねた。
「聖女様は私に治癒魔法をかけてはくださらなかったのですか?」
「いや、かけたよ。だから君のあざはすぐに消えたんだ。だけど意識は戻らなかったんだ」
「そうですか。それでその後聖女様とメリッサ様は私を見舞いに来てくださったのでしょうか?」
王太子は首を振った。
メリッサは私が意識を失った時点で半狂乱になって、私に付き添いたいと訴えていたそうだが、現行犯扱いだったのでそれは叶わず、事情聴取されたのちに侯爵家の自室で軟禁されているらしい。
聖女様は私に申し訳ないと口では言いつつ、自分も被害者だという顔をして、進んで見舞いにはこようとはしなかったらしい。
王太子もそのことは気になっていたようだ。
それを聞いた私は彼に言った。たしかに彼女はメリッサ様に押されたせいでよろめいて、その結果私にぶつかったのであり、わざと私を転ばせたわけではない。
しかし、それでも一応謝るのが人として道ではないかと。だから一度でいいのでここに彼女を寄越して欲しいと。
そしてその時、申し訳ないが王太子にも陰から立ち会って欲しい旨を伝えた。
「殿下に『酷いわ』という言葉の持つ力を実際にご覧になっていただけると思いますので」
と。
読んでくださってありがとうございました。
第3章を続けて投稿します。