60――更衣室
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「早めに出発したのに、もう海水浴の人たちが結構いるね」
駅から少し歩くと、下り坂から海水浴場が見える。それを見たまゆの第一声がそれだった。
「最近すごく暑いですもんね。みんな、海で泳いで涼みたいのかもしれないです」
「でもこれだけ太陽がギラギラしてると、海水も結構あったまってそうだよね。入ってもあんまり冷たくないかも」
まだ午前中なのに空から照りつける太陽に急かされるように、オレとまゆは海水浴場の傍らに建っている5階建てぐらいのビルの中に早足で入る。この海水浴場を選んだのは、この小さなホテルが海水浴客に更衣室と温泉の一時利用サービスをしているからだった。海水浴ってほったて小屋みたいな簡素な更衣室を使うことになったり、海水も流せずに肌とか髪がベタベタしたまま帰らなきゃいけないなんてことはザラにあるんだよね。オレはまぁ簡素な更衣室でも大丈夫だけど、もし覗きや盗撮なんてことをするヤツが出てきてまゆが被害者になったらと思うと、少しでもしっかりした建物が用意されている場所がいいだろうと考えて選んだ。
更衣室と温泉の利用ができて1000円ピッタリなら安いんじゃないかな? フロントでお金を払って、利用者だとわかるように使い捨てのリストバンドみたいなものを右手につけてもらう。入院したときに手首に巻かれるプラスチックみたいなリストバンドに似ている、と言えば想像がつくかな?
更衣室に入ると鍵付きロッカーが結構な個数並んでいて、大きさも荷物が多めになりがちな女子に配慮した感じで、実際に荷物を入れてみたらかなり余裕があってすごくありがたい。
「ひなたちゃん、100円硬貨持ってる?」
「はい、大丈夫です。まゆ先輩は持ってます?」
「うん、ありがと。大丈夫だよ」
そんな会話をしながら、隣同士のロッカーに荷物を入れる。部活で女子に囲まれながら着替えるので慣れたつもりだったけど、知らない女の人たちがいる更衣室で着替えるのはちょっと緊張するよね。なるべくギクシャクした動作で悟られないようにこっそり深呼吸をしてから服を脱いで、下着姿になったらカバンから教授のところのお姉さんにもらった日焼け止めを取り出した。腕と首元や鎖骨部分、あとお腹にも塗っておく。オレの水着はタンキニなので基本的に胴体には日光が当たらないけど、もし将来シミができちゃったら嫌だからね。忘れずに足にも塗っておかないと。
「ひなたちゃん、それ日焼け止め? 背中に塗ってあげようか?」
「あ、じゃあお願いしてもいいですか?」
チューブをまゆに渡すと、まゆの両手が首の裏とか背中を優しく撫でた。なんだか甘いしびれというか、ゾクゾクする感じがする。これってくすぐったいのかな? なんだか変な感じがしたけど、その原因がよくわからなくて小首を傾げる。
ふとももやふくらはぎの裏にも塗ってもらった後でチューブを受け取って、『ありがとうございます』とお礼を言った。
全国大会のホテルでお風呂に入る時とか、まゆの前で下着を脱いで全裸になるのははじめてではない。でもこんな風に好きな人の前で裸になるというのは、なんともいえない緊張感と恥ずかしさがある。オレは隣で同じように全裸になっているであろうまゆの方をなるべく見ないように視線を逸らしつつ、バッグから水着を取り出した。水色をベースにしたタンキニなんだけど、見た目はダボッとしたシルエットのノースリーブシャツに見える。体にピッタリフィットするタンクトップ部分と外のシャツ部分が縫い合わせてあるので、ズレる心配もなくていい感じ。下は短パンなんだけど中はメッシュのショーツみたいな感じになっていて、泳いでもズレたり脱げたりしない作りなのもいいよね。
なんだろう、何やら視線を感じる。そう思って視線が飛んでくる方向をチラリと見ると、まゆが何故かオレの体をガン見していた。思わず手に持った水着で体を隠すと、オレがまゆの視線に気付いたのを察したのかスス―ッとわざとらしく視線を逸らすのがわかった。
「な、なんでこっちをジッと見てるんですか!?」
「ごめんごめん。なんかひなたちゃんの胸がこの間よりおっきくなったように見えたから」
まゆの言い訳に思わず『そんなすぐに大きくなるわけないですよ』と呆れたように言い返して、水着で隠している自分の胸元へ視線を落とした。確かに前の測定値から比べると、昨日測ってもらった胸囲の数値は少し増えてたんだよね。肉体年齢的には成長期の真っ最中だし、それ自体は不思議でもなんでもないんだけど。でも大会中と比べて大きくなったかと言われると、変化はないと思うよ。だってそんなに日数経ってないからね。
時々チラチラと飛んでくる視線に急かされるように素早く水着を来て、持ってきたビーチシューズを履いたら着替え完了だ。裸足で砂浜を歩いてもしも落ちてる石とかガラスとかでケガをしたら、部活にも出られなくなるしみんなに迷惑を掛けちゃうからちゃんとしておかないと。でもスニーカーのままだと蒸れるだろうし、砂浜の砂で靴の中が汚れちゃうのも嫌だから叔母さんのおススメでこのシューズを買ってきたのだ。
くるんとその場で一回転してから『どうですか?』とまゆに聞いてみたら、苦笑っぽい笑みを浮かべながらまゆが言った。
「なんだか似合うって言っていいのか迷うけど、着こなしてるね。かわいいよ、ひなたちゃん」
歯に何かがはさまったような言い方が気になる。確かにこの水着って気の抜けた部屋着みたいだもんね、でも褒められたからまぁ良し。というか、何故まゆは全裸のままでいるんだろう。オレが不思議そうに首を傾げていると、何やらちょっとジトッとした視線をこちらに向けた。あ、そう言えば日焼け止めを塗ってもらったら、普通は背中とか塗りにくいところを塗り返すよね。自分だけさっさと着替えしたのはちょっと薄情だったかもしれないと反省する。
「背中とかに日焼け止め、塗りましょうか?」
今さらだけどそう尋ねると、まゆはいつでもどうぞという雰囲気で背中をこちらに向けた。チューブから手のひらに適量のクリームを出して、両手に伸ばすように馴染ませてからまゆの背中に撫でるように塗った。『んっ……』とか『あっ……』とか艶めかしい感じの声を漏らすのはやめてほしい。周囲の人がチラチラとこっちを見てるし、なんだかオレも変な気分になってくるじゃんか。
自分では塗りにくいであろう部分を塗り終えると、チューブを受け取ったまゆが腕とか首元とかにクリームを塗り込んでいく。オレの肌は相変わらず白いけど、まゆは少しだけ小麦色っぽく焼けていているんだよね。これ以上こんがりと焼けないように、日焼け止めクリームがまゆの柔肌を守ってくれることを祈る。
まゆの水着は上下に分かれたセパレートの水着だけど、こういうのもビキニっていうのかな? ノースリーブの黒いトップと同色のパンツ、腰に巻き付けた白いパレオがレース地っぽい感じで足が透けて見えてちょっとドキッとする。
「……どう、かな?」
「まゆ先輩、かわいいです。すごく似合ってます」
はにかみながら聞いてくるまゆを、オレは素直に褒めた。だって本当にかわいいもの、照れくささはあるけど嘘とか無理やり褒めたりとかはしてないから口からスルッと本音が出た。オレの言葉に嬉しそうな笑みを浮かべたまゆは、オレの手を取って更衣室を出る。ロッカーの中に透明のビニールバッグが用意されていて、そこにスマホとかおサイフとかタオルなんかを入れてマジックテープでフタをしている。濡れても大丈夫なようにビニールバックなのかな、至れり尽くせりでありがたいよね。
「まゆ先輩はビーチサンダルなんですね」
「だってそんなシューズがあるなんて知らなかったもの。前に買ったサンダルを持ってきたんだけど、私もそれ欲しくなっちゃった」
「私も全然知らなくて。水着を買いに行ったお店に偶然売ってて、お母さんに勧められて買ったんですよ」
実際は叔母さんだけどね、誰かにこうして母親だと告げる機会はあまりないのでなんだか照れてしまう。たしかあのお店は最寄り駅の駅ビルにもテナントが入っていた気がする。それを教えると、まゆはにっこりと笑って『じゃあ、一緒に買い物に行こうよ』と言った。
お盆休みが終わったらまた部活が再開するし、帰りに一緒に行くことは全然むずかしい話ではない。ただこのお誘いはただの買い物ではなく、まゆがデートに誘ってくれているということはいくらなんでも鈍いオレでもわかる。好きな人とのお出かけだと考えると、急になんだか嬉しさと恥ずかしさが押し寄せてきて頬がかぁっと熱くなった。
オレがこくりと頷いてデートのお誘いを受け入れると、まゆはキュッと繋いだ手に力を込めてホテルの出口に向かって足を踏み出した。自動ドアが開くと冷房で冷やされた空気と入れ替わるように、熱風に近い外の空気がオレとまゆの体にまとわりついてくる。
うだるような暑さの中、本当ならうんざりするであろう海水浴場までの道のりなのに、まゆと一緒だとなんだか楽しい。まゆもそう思ってくれていたらいいなと思いながらアスファルトの上をふたりで並んでトコトコと歩くオレたちだった。




