58――ひなたのお盆休み
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部活がお盆休みに入ると、オレは約束を守るために叔母さんの家に里帰りした。
あのラフプレイのトラウマに関しては普段の生活だと、ギュウギュウ詰めの満員電車で背の高い人が自分のすぐそばに近づかない限りは大丈夫っぽいので、特に帰省に問題はない。なにせ目的地は田舎だからね、電車もバスもそんなに混んだりしないから本当に助かる。
心配した姉貴と母親が一緒に付いて来たがっていたんだけど、ふたりともバイトや仕事が休めなくて結局オレひとりでここまでやってきた。試合で昏倒したりそのせいでトラウマができたりしたせいで、家族の過保護度が結構あがってしまっている気がする。突然女子になったり心配掛けている自覚はあるので甘んじて受けているけど、やっぱりオレが元男だからかちょっと鬱陶しく感じることもあるんだよね。
そんなこともあって、この田舎行きは家族全員が頭を冷やすためにちょうどいい機会だったと思う。ちなみに父親にはトラウマ云々のことは内緒だ、下手したらバスケを辞めさせられる可能性すらあるからね。オレが女子になってから本気で人が変わったのかと思うぐらい、一番オレに過保護になったのが実は父親だったりする。姉貴がいるんだからはじめて女の子の親になったわけじゃないのに、どういう心境の変化があったのかオレも姉貴も母親ですら頭を捻るぐらいの変化だ。
「おかえりなさい、ひなたちゃん!」
父親の過保護に頭を悩ませながらも叔母さんの家にたどり着くと、玄関を開けた途端に叔母さんに抱きしめられた。そう言えばここにも過保護な身内がいたなぁ。
「……ただいま、叔母さん」
「お母さんでしょう、もう」
まるで困った子どもを見るようにしながら言った叔母さんに、オレは自然に笑みを浮かべる。するとオレからの呼び方を『ママ』に固定すると脅されて、慌ててお母さんと呼び直した。さすがに高校生にもなって、ママなんて呼ぶのは恥ずかしすぎる。あとはそれを目にした母親が自分もそう呼べとか、下手したら父親がパパと呼べとか言い出しそうで怖い。
「おう、よく来たね」
「叔父さん、ご無沙汰してます」
居間に案内されると、どっかりと畳の上に座っている叔父さんが気軽な感じで手を上げた。会うのは戸籍を作る時に挨拶した時以来かな? 忙しい人だけどさすがにお盆休みぐらいは確保できたのか、ゆったりとくつろいでいたようだ。そんな時にオレがお世話になるのって邪魔じゃないのかな、とちょっとだけ不安になる。あと叔父さんは背が高いから、ちょっとだけ無意識に身を固くしてしまった。
それを敏感に察知したのが叔母さんで、気を遣わせるだろうからトラウマについては黙っているつもりだったのに気がついたら全部ゲロってしまっていた。ふたりは盛大に怒ったあとでオレを心配してくれたのだけど、南先輩とはもう話はついているしあの不快なおっさんともう一回関わりを持つのは絶対に嫌だから必死に宥めた。叔父さんと叔母さんは不満そうだったけど、オレの思いを汲んでくれてなんとか怒りを収めてくれたよかった。
「なるべく急に近づかないようにしよう、ひなたもビクビクしてばかりでは疲れてしまうからな」
「……ありがとう、叔父さん」
こうして座ってテーブルの対面にいる叔父さんには特にビクついたりはしないので、やっぱりトラウマの症状は立っている時に起こるんだろうね。オレの背が伸びるのが早いか、それともトラウマを克服する方が早いのか。なんとか試合で普通に振る舞えるぐらいには改善すればいいんだけど。
「ひなたちゃんがそういう状態だと、あんまり人が多いところには行かない方がいいのかしら? 一緒に買い物に行きたいなって思っていたんだけど」
「あ、満員電車みたいなところだと辛いけど、買い物ぐらいなら平気だよ」
オレがそう答えると、叔母さんはすごく嬉しそうな笑顔を浮かべて両手の手のひらを軽く合わせた。
「娘と一緒に買い物に行くの、すごく楽しみにしてたの。あなた、ショッピングモールまで送っていってくれる?」
「ああ、買い物をしている間は時間を潰しておくから楽しんで来なさい。ひなたも欲しいものは遠慮せずに言うんだぞ」
せっかくのお盆休みでゆっくりできる時間をオレたちの送迎に使わせてしまうなんて申し訳ないなとは思ったけど、叔母さんも嬉しそうだし叔父さんも特に不満げにはしていないみたいだからお言葉に甘えようと思う。オレもちょうど部活の時に着るウェアとかシューズとか見たかったしね。
ちなみにトラウマについて教授に電話で報告と相談をしたところ、一時的なものな可能性もあるのでしばらくは静観しようという結論になった。正直なところ教授ならすぐに治療しようと言い出すんじゃないかと思っていたんだけど、精神的な要因で起こっている可能性が高いのでさらに負荷をかけるのはできれば避けたいとのこと。余計に悪化なんかしたら目も当てられないと言われて、確かにそうだなと思わず深く頷いて納得してしまった。
『日にち薬という言葉があってだね……』
なんて長々と教授が語っていたが、要するに時間がオレの精神に悪影響を与えている可能性がある恐怖とかそういうものを薄めて癒やしてくれるだろうということらしい。オレもそうだったらいいなと思う。
次の日に叔父さんの車でショッピングモールへ。叔母さんの着せ替え人形になりながらいくつか服や水着なんかを買ってもらって、休憩のためにカフェに入った。『長年の夢が叶った』と満足そうな叔母さんを見ていると、着替え疲れたけど少しは役に立ててよかったのかなとオレもちょっと嬉しくなった。チョコレートが入ったクロワッサンを齧りながら叔母さんと雑談していると、何かを考えるそぶりをしていた叔母さんが少しいたずらっぽく笑った。
「ひなたちゃん、入学前から考えるとびっくりするぐらい女の子らしくなったよね……好きな人でもできた?」
突然そんな不意打ちの問いかけをされて、思わず飲んでいたカフェオレを吹き出しそうになった。慌てて紙ナプキンで口を押さえてなんとか耐えたんだけど、どうしてわかったのかと問いかけたいのにうまく舌が回らなくて『なんっ……なんっ……』みたいな感じでうわ言みたいに繰り返してしまった。
「だって表情も前より明るいし、やっぱりあっちに帰る前は色々と影を背負っていたからね。それが無くなった理由を考えたら、特別なのはやっぱり恋かなって」
「……じ、地元に戻ったからとかあるかもしれないでしょ?」
「確かに久しぶりに姉さんとか美雪ちゃんに会えたからっていうのも選択肢にあったけど、あの頃は姉さんとは微妙な感じだったでしょ? 美雪ちゃんが面倒見がいいのは間違いないけど、やっぱり家族だからこそ踏み込みにくいところもあるでしょうし」
まるで見てきたように言う叔母さんに、オレは両手を挙げて降参の意を示した。相手が元同級生の女子で、今は同じバスケ部の先輩だということ。彼女には自分が男だったことは話しておらず、それを少し後ろめたく感じていること。もしそれを話して拒絶されたら、ショックで今度こそ立ち直れなさそうだと結構真剣に恐怖を感じていることなどを気づいたら洗いざらい全部話してしまっていた。
叔母さんが聞き上手なのか、頷きながら相槌を打たれると次々と言葉が口からひとりでに出てきちゃうんだよね。相手が女子で今はオレも女の子なんだから否定的な目で見る人もいるだろうし、家族にも話してなかったのに。『不毛だから同性同士で付き合うのはやめたほうがいいよ』なんて言われたらどうしようとか思いつつ、叔母さんの次の言葉を待った。
「いいんじゃない? ひなたちゃんなら、そういうこともあるんじゃないかとは思っていたし。誰かのことを特別大事に想えるっていうのは、すごく素敵なことだもの」
「あの、自分で言うのもアレだけど。今の私って女子だし、女の子同士の恋愛とか変に思ったりとか……?」
思わず口にした質問に自分でもびっくりしていると、叔母さんはクスクスと笑った。
「この時代だし、女の子同士でお付き合いしててもいいんじゃない? 場所によっては婚姻届だって出せるんだもの、本人たちに覚悟があるなら他人にどう思われても関係ないでしょう?」
叔母さんの言うことは確かにそうだなと思える説得力があって、思わずオレもコクリと頷いてしまった。
「子どもができるかどうかとか、そういうことを問題点として挙げる人もいるけど。男女で結婚しても私たちみたいに子どもがいない夫婦だっているんだから、結局は相性なのよね。これも覚悟がいることだけど、養子を迎えて子どもを育てるという選択肢もあるんだし」
あっさりとそう言ったけど、叔父さんと叔母さんはお互いに体に不調はないのに何故か子どもができなかった夫婦だった。もしかしたらそのことで色々と言われた経験から、寛容な価値観を持とうと思ったのかもしれない。きっと葛藤とかもあったんだろうなと思うと、オレの中に元々あったふたりへの尊敬の念がどんどん大きくなるような気がした。そもそも元・甥とはいえオレをあっさりと自分の子どもとして受け入れてくれた時点で、器の大きい人たちだなとは思っていたんだけどね。
「ひなたちゃんはまだ高校1年生なんだから、相手を好きな気持ちをただ大事にすればいいと思うわよ。これからまだまだ人生は長いし、先のことばかり気にして足元の小石に躓いちゃったらもったいないもの。体のことについても、無理に話す必要はないと思うわよ。わざわざいらない波風立ててダメになっちゃったら、もったいないじゃない」
人生の先輩の頼りになりすぎるアドバイスに、なんだか少しだけ自分の胸にあった重いものがフッと軽くなったような気がした。そうだよな、今は周りとかはどうでもよくて自分とまゆの気持ちだけを大事にしていればいい。叔母さんとの何気ない会話だったのに、思いがけず大事なものをもらえた時間になった。




