56――突然のファーストキス
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なんだか精神的に疲れたなぁと、監督とお互いを労り合いながら体育館まで戻ってきた。
「じゃあ、ひなは今日は見学だから自由にしてていいぞ。しんどいなら帰っても大丈夫だ、万全になってからの練習復帰でもいいからな」
「……ありがとうございます」
監督にお墨付きをもらったので、どこか練習の邪魔にならないところに行こうと体育館の中を見回す。するとちょうど水分補給のために小休憩をしているまゆがいたので、ヨタヨタとおぼつかない足取りで近づいた。足音もあんまり立ててなかったはずなのに、背中側から近づいてくオレの方に振り返ってまゆが駆け足で近づいてくる。頭の後ろに目でもついているのだろうかと、ちょっと本気で疑いたくなった。
「ひなたちゃん、どうだった!? 相手の人にひどいこと言われなかった?」
髪から肩、そして背中や足をペタペタと無事かどうか触りながら確認しつつ、まゆが聞いてくる。心配してくれるのは嬉しいんだけど、スカートの上からとはいえ太ももを撫でるのはやめてほしい。
「まゆ先輩、直接顔を合わせたわけじゃないですから。心配しないで大丈夫ですよ」
「でも、ひなたちゃんすごく疲れてそうだから。何かあったんじゃないかって心配になったの」
「……私、そんなにしんどそうに見えますか?」
確かにヨタヨタ歩いているからそう感じても仕方がないのかもしれないけど、他の部員たちには全然そんなこと聞かれなかったのに。
オレが不思議に思って尋ねると、まゆは迷いない感じでうなづいた。
「ああでも、しんどそうっていうのはちょっとニュアンスが違うかも。自分には関係ないことに巻き込まれた挙げ句、無理やり話の落とし所まで後始末をさせられた感じ?」
なんだろう、こいつもしかしてあの会議室での会話を聞いていたのだろうか。思わず『まゆ先輩はずっとここで練習してたんですよね?』と確認してしまったが、まゆはなんでそんなことを聞かれているのかわからない感じでこくりと頷いた。
その様子にどうやら野生の勘みたいなものでオレの雰囲気から事情を感じ取ったんじゃないかと、無理やり納得することにした。なんだか脱力してしまって、そのまま正面にいるまゆの胸へと倒れ込む。男だった頃のオレの体ならまゆごと倒れ込んでいただろうけど、今のオレの体重ではそんな大惨事にはならずにポスンとまゆの胸元に顔が当たった。夏だし密着すると暑いはずなんだけど、ほんのり温かいまゆの体温にホッとした。普段のオレなら恥ずかしいしこんなセクハラっぽい行動は絶対やらないだろうけど、今日は頑張ったしなんだかこんな行動も許されるような気がした。
オレの背中に手が回されて、もう片方の手が髪を優しく撫でる。それが気持ちよくて、目を閉じてそのまま受け入れていたら頭の上から『ひなたちゃん』とまゆに名前を呼ばれた。抱き合った状態のまま見上げるようにまゆの顔へと視線を向けると、何故かまゆの視線がいつもより鋭いように感じた。まるで獲物を狙うライオンみたいな、そんな印象を直感的に覚える。何故かそのままひょいと持ち上げられて、数歩移動して体育館の隅っこへと連れて行かれた。小柄だけどオレも小学校高学年の子供よりは体重があるわけで、まゆの体のどこにそんな力があるんだろうと不思議に思う。
まゆはそのまま何度か小さく深呼吸をして、もう一度オレの顔を見つめた。なんだろう、何か大事な内緒話でもあるのだろうか。思わずコテンと小首を傾げると、なんだかそれがスイッチになったかのようにまゆの顔がゆっくりと近づいてくる。そんな状態になっても『ああ、耳打ちするのかな?』なんて能天気に考えていたオレを、後から思い返すと『しっかりしろ』と後頭部をバシンと叩いてやりたい。
目を閉じたまゆがそのままのスピードで息の温度までわかるぐらい近づいてきて、一旦止まる。『まゆ先輩?』とオレが問いかけようとした時、その一瞬の時間すら惜しむようにゆっくりとオレの唇にまゆのものが重なった。頭が真っ白になって、体がカチーンと硬まった。人間想定外の出来事が起こると、何も行動できなくて止まってしまうんだとこの時始めて実感した。
ちゅ、と小さく音がしてまゆの唇がほんの少し離れる。今のはキス、というものなのだろうか。マンガとかドラマとかそういう架空の世界では最早見慣れた行為だけど、自分の身に起こると全然話が変わってくる。
「……えへへ、ひなたちゃんがあんまりにもかわいかったからしちゃった。もう一回、してもいい?」
なんだかトロトロに溶けているぐらいに甘く囁くまゆの声がして、オレが頷くよりも前にまた唇が重なる。最初よりもその感触がはっきり感じられて、プニッとしているまゆの唇が触れた部分がすごく気持ちいい。お互いが少し身じろぎするだけで唇同士がこすれて、ものすごくジンジンしてその部分が熱を持っているような感じがした。
息っていつするんだろう、口は今まゆの唇がくっついてるから鼻でするの? 頭の中で小さなオレがバタバタと慌てながらそんなことを喚いている、そんな想像をしながらもされるがままでいると閉じていた唇の隙間から何かがオレの口の中に入ってこようとする。全然そんな事態を想像していなかったので、あっという間に唇が上下に小さく開いてにゅるっと侵入を許してしまった。
自分の舌に侵入物が絡んできて、ようやくその正体がわかった。これ、まゆの舌だ! まゆのツバの味なのか、それともさっき飲んでいたスポドリの味なのか。ほんのりと甘い味が口の中に広がる。こんな風に冷静だったらよかったんだけど、その時のオレは酸素が足りなかったのと好きな相手との突然の接触に顔が熱くて超パニックになっていた。
必死にされている真似をして自分の舌をまゆの舌に絡ませると、まゆも『んっ』と艶めかしい声を漏らす。オレもそんな声を出しているのだろうか、でも気持ちはわかる。舌先が触れるたび、逆に触れられるたびに電気みたいにビリッて気持ちいい感覚が全身を駆け巡るのだ。ヒザがカクンと折れないように踏ん張りながら、快感の波状攻撃に耐える。
ほんの少しの間だったのか、それとも結構な時間が経ったのか。それすらもわからないけど、満足したのかまゆの顔がゆっくりと離れていく。それと同時にオレの口の中から出てきたまゆの舌とオレの舌の間に、少し粘り気のあるツバの橋ができてすぐにプツリと切れた。
本能的に空気を吸おうと呼吸が浅く呼吸をしていると、まゆがすごく幸せそうに笑いながらオレを見つめていた。
「ひなたちゃん、顔が真っ赤だよ」
「とっ、突然こんなことされたら誰だってこうなりますよ!」
大きな声を出しそうになったのを必死に理性で止めて、小声ながらも語気を強めて抗議した。
「……イヤ、だった?」
「イヤじゃないです! まゆ先輩のことは好きですし……ただ、するならするって言ってくれたら、心の準備もできたのに」
しょんぼりとした表情で聞かれたので、思わずそう反論する。100%本音だ、こんな風にドッキリみたいな感じでファーストキスを経験するなんてもったいないでしょ。我ながら女々しいかもしれないけど、好きな相手とのそういう特別な経験はちゃんと細かいところまで覚えておきたいし。
まゆからの告白には『恋人への好きがよくわからない』と保留にしているオレだけど、こうしてキスされても嫌悪感もなくむしろドキドキして気持ちよさすら感じてしまうのだから、多分オレもまゆのことはそういう意味で好きなんだと思う。もしかしたらまゆがこういう唐突な行動に出た理由の中に、オレの好きが彼女に伝わっていたからなのかもしれない。
オレに拒まれたわけではないとわかったまゆは、再び一歩距離を詰めてオレをギューッと抱きしめた。頭の上から聞こえてきた言い訳は、『ごめん。ひなたちゃんがえっち過ぎて、ムラムラして我慢できなかったの』だった。ムラムラって、女子もそんな気持ちになるものなのだろうか。それに普通の態度だったはずなのに、えっち過ぎるとか言われても正直困る。これからも突然そういう気持ちになって襲いかかられたら、ドキドキし過ぎてオレの心臓がいくつあっても足りない。
せめて行動に移す前にひと声かけてほしいというオレのお願いには頷いてくれたけど、まゆの蕩けるような笑顔を見ているとどこまで守られるのか疑問でしかなかった。
しばらくは抑止力として、あの告白には返事をしないでおこう。暫定的な恋人って関係なら、まゆも最後の一線まではこんな風に勢いで越えようとは思わないだろうからね。




