始まりの一日(午後)
昼飯は近くのスーパーから惣菜を幾つかとレトルトの白飯を買って済ませた後、駿介はまた荷物の解きに精を出していた。
だが二時間ほどやった頃、残りダンボールも数えられるほどに減ったところで呼び出し音が響いた。
郵便にしては引っ越して間もないことから違和感があるし、そもそもエントランスで引っ掛かる筈なのだが。
そんな事を考えながら扉に備え付けられている覗き穴を覗くと二時間くらい前に見た活発そうな、つまり清花が立っていた。
取り敢えず扉を開けてみた。
「どうした。…小嶋さん」
「あ、良かった。出掛けてたらどうしようかと…いやさ…ほら、私って女の子じゃん…?
だからその…重い電化製品とか持ち上がらなくてさ。かと言って此処じゃ頼りになる人が居ないし、どうしよっかなぁ、って考えてたら駿介君の事思い出して頼れないかなって」
「…物によるが。俺もそこまで力がある方じゃないからな。それでも良ければ、だが」
「やた!ありがとう駿介君!…と言うか駿介君って呼びづらいから…そうだなぁ、駿君って呼んでいい?いいよね?」
「勝手にしろ。変なのじゃなきゃどうとでも呼べ。で、俺は何を運ぶんだ?」
「じゃこっちこっちー」
彼女は手招きしながら駿介を部屋に招き入れた。
昼間に比べればマシになってはいるがそれでもまだ物が散乱しており、取り敢えず繕った感が凄かった。
「なあ…小嶋さ」
「あ、小嶋さんなんて他人行儀じゃ無くて呼び捨てとかで良いよ?ほら、私達ってそんなかしこまった関係じゃ無くて同級生なんでしょ?」
「そうか、なら小嶋とでも呼ぶぞ」
「うんうん。まあそれでいっか。じゃあはい、そこの洗濯機なんだけど…」
そんな調子で始まった清花の部屋の重荷運びである。
割と重めの物が多く、ダンボールに包まれた家具の殆どを運ぶ事となった。
そのせいか、終わる頃には日が暮れかけているくらいである。
「…ふぅ…終わったか。あとはもう無いな?」
「うん!無いよ。ありがとね!駿君。よしっ、お礼に今日は私の奢りだっ!」
「いや、いいが。俺としてはそんな重労働であった訳でも無いからな。そんな気を回さなくていい」
「えっ、でも大変そうだったけど?」
強がってみたがまあ、無駄だったらしい。
当然と言うか、ちっぽけな見栄など簡単に見破られてしまい口をつぐんでしまう。
それが行けなかった。
「まあ取り敢えず、行こっか!
此処だと何処が近いかなぁ」
「うわっちょ、お前っ!」
引き摺られるように手を引っ張られ、そのまま連れ出された駿介は諦めたように大人しかった。
まあ、奢ってくれると言っているのだから素直に奢られよう、そんな風に頭の中で言い訳をしつつ手を引っ張られ続けた。
数分歩いたところでファミレスに入り、夜ご飯時としては早かったおかげが待つ事も無くすんなり席に案内された。
「あ、でも流石にそんなガツガツ食べられるとお財布が持たないからちょっと控えめで…」
「分かってる。流石に俺も人の金でそう何品も頼んで食えるほど図太く無いし、そこまで量を食べる訳じゃ無い」
「あっはー、なら安心だねぇ。うん。良かった良かった。言い出したの私だからもしたくさん食べられたとしても何も言えないんだけどさー」
「はいはい。じゃ俺は適当にこのハンバーグでも頼むとするか」
「じゃ私はカルボナーラかなぁ」
互いが決めたところで店員を呼んで、注文を伝えた。
と言ったところで彼女が申し訳なさそうに謝って来た。
「にしても、今日はごめんね。駿君。あんな重労働させちゃってさ。大変だったと思うし、自分の部屋もまだ片付けられてないよね?きっと」
「…まあ、気にするな。むしろ頼まれずに隣からまたドタバタ聞こえてくるのもかえって気になって邪魔だっただろうからな。それに、そんな音が聞こえてれば流石にまた様子を見に行ってただろうし、結局変わってなかっただろ。多分な」
「そっか。なら良かったんだけどさ。
…ねぇ、駿君ってなんでこっちの方に態々来たの?一人暮らしするほどって事は結構遠いんでしょ?」
彼女が少し、真剣そうで、何処か真に迫った様子で聞いて来た。
別に隠すような事では無いが、あまり言いたいものでも無いので駿介は目を逸らす程度にしか反応を見せなかった。
「ねぇ、なんでなの?」
「…そう言うお前はなんでなんだ?
さっきの理由だとお前もだろ」
「…え?私?…私はね、ちょいと、ね」
「結局お前も言わないじゃないか。
じゃ、内緒にするのはお互い様って事で」
「む、ケチっ。教えてくれたっていいじゃん」
「その言葉、小嶋が言える事じゃないだろ。
そっちも言ってないんだから」
ちぇっ、そんな風に不貞腐れた子供のような反応が返ってきた。
今日一日、と言うか約半日一緒に作業などをしていたがこの女、だらし無いと言うか、抜けている面があるらしい。
抜けているというより、ドジというべきだろうか。
昼間に服を踏んで転んでしまった事もそうだが、作業中にダンボール開封の為にカッターナイフを入れていたらこちらに吹っ飛んできたのにはビビった。
「まあ良いや。それで、駿君も天城高校なんだよね」
「まあそうだが…それがどうした」
「いやさ、流石に一人で出て来て心細かったけど、こうして学校に入る前から顔見知りができて良かったなーって。無い?少なくとも私はそうなんだけど」
「無いな。むしろ学校に入ったらこんな風に関わる事もなくなるだろ。小嶋なら直ぐに友達作りそうだしな」
「…そんな事無いよ。私なんて」
思わず震えてしまった。
先程の彼女の活発そうで、陽気な雰囲気から一転、とても冷え切った声だった。
まあ、恐らく友人と何かあったのだろう。
「…お前もか」
「え?お前もって…」
「…いや、なんでもない。気にするな」
「いや、気になるじゃん!ほら」
と言ったところで、店員が頼んでいた品を持って来た。
彼女も勢いを削がれたらしくむっとした表情でだが黙った。
それからはとにかく気不味い食事の時間がお互い黙々と過ぎていった。
話すことも無いし、向こうも何やら躊躇いがあるらしい。
気まずそうな彼女が、重そうにその口を開いた。
「あー…それじゃ、会計、してくる、ね」
「…おう。頼んだ。店の前で待ってる」
店の前で待っている間はひたすらに居た堪れなかった。
正直今直ぐにでも駆けて帰りたかったが流石に奢ってもらったり、待っていると言ったてまえそれは申し訳ないし、今後関わる予定が無いとしても気まずさが残るのは後味が悪い。
だがそれでも落ち着かずキョロキョロと挙動不審になってしまうのも仕方がないと思いたい。
と、そんなこんなで彼女が出て来た。
「ごめんね。待たせてさ…帰ろっか」
「おう」
本来ならもう少し返すべきなんだろうが、生憎とこの気まずさの中で平気で居られるほど図太い精神は持ち合わせていない。
…此処はこっちから切り出すべきだろうか。
「さっきの言葉、気にするなよ。
俺はお前についてよく知らないんだ。
だから、何にもなかったとして忘れてくれ」
「ん…そっか。分かった。それなら仕方ないね」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「…でもさ、良かったよ。このままお互い黙って終わり、とかならなくて。
そんな人と学校で顔を合わせるのって、嫌じゃ無い?表面だけ取り繕うって言うのも怠いしさ。」
「ん、まあそうだな。あまり好ましくは無い。疲れるってのは俺も思うからな。それに…」
「それに?そこで止めちゃうの?気になるじゃん!」
「…いや、なんでもない」
「えー!もう、気になるのに」
先程の気まずそうで、しょんぼりとした様子はもう消えて、昼間の様な活発さを取り戻していた。
頬を膨らませてその小柄さも相まって何処か小動物の様に見える。
「聞いてもいい事はないから気にするな。
途中まで言った俺も悪いが、そんなに大事なことでも無い」
「むう…まあいっか」
そこからは喋ることも無く、そのまま互いに部屋に戻った。
そうして出会った初日以降、目立った事は無く、学校が始まった。