第4話 後輩の噂
「どうしたんですか、先輩。やけに嬉しそうじゃないですか」
何かいいことでも?
週明けの月曜日。
久しぶりに赴いたサークルで、京介は後輩にそんなことを指摘された。
ちなみになんのサークルかと言えば、『love 本サークル』というなんとも安直な名前をした、本をこよなく愛するもの達が集うサークルである。
そんなサークルに入っている以上、もちろん京介も本好きだった。
サークル室の中に鎮座している本棚の中から、今日は何を読もうかと物色中に声をかけられ、尋ねられたのが今のこと。
俺はそんなに顔に出てるのか?と一瞬羞恥心がわく京介だが、そんなことはお構いなしに後輩の女子はしっかり答えを待っていた。
「あー…。一人暮らしできることになりそうで」
「え、本当ですか?よかったじゃないですか」
以前からことあるごとに一人暮らししたい、と呟いていた京介の切望ぶりは、どうやら周囲の人間から見ても分かりやすかったらしい。
「うん、だから嬉しくてさ」
「じゃあこれからはお姉さんの下僕生活からも解消ですねー」
「…お、おぅ」
……どうやら、美歌の女王さまぶりも。
「そういえば先輩〜、過去問貸してくださいよ〜」
本を選び終えた京介に、ソファーに座った後輩がいきなりそう猫なで声をあげる。そういえば前から貸す約束だったな、と思い当たって京介は家の果たしてドコにしまったのか、思い出そうと必死になった。
「いいけど…ちょっと待て。俺過去問ドコにしまったっけ」
「えぇ〜、しっかりしてくださいよ。先輩の過去問があたしの大学生活を支えてるんだから」
「分かるけど自分で支えろよそこは」
「いやです。使えるものは使いまーす」
ついにはソファーに寝そべってしまう後輩に、京介は諦めのため息をつく。
先輩の過去問がないとやってけないってのは分かる。分かるけど、こいつこの先過去問題ない教科はいったいどーする気だよ…。
よりいっそう後輩の未来が心配になった、その時。
「こんにちはーっ。まみ来てる〜?」
勢いよくサークル室に入ってきたのは、この後輩と同級の、一年生だ。
「一ノ瀬」
「あ、深山さん。おつかれさまでーっす」
元気良く部屋に入ってきた彼女―――一ノ瀬は、京介に挨拶するとすぐに「まみ」こと「過去問貸してください女子」のところへ走り寄っていく。
「ねぇねぇまみ、見た?」
「へ?なにが?」
唐突な質問に、まみが一瞬きょとんとした。
一方、サークル室の中央に陣取るテーブルと、セットで4つあるうちの1つのイスに座った京介は、本を開きながら背中に後輩の会話を聞く。
「あぁじゃあ、やっぱり見てないんだ」
「…?」
要領を得ない、というまみの顔。
「今日ね、来たんだってさ」
「だからなにが?」
「なにが、じゃなくて、和泉が」
「え…和泉って、あの和泉?」
「そうだよーん。ここ3ヶ月、ずっと学校来てなかったじゃん」
へぇ、今の一年にはそんな奴いるのか、と京介は盗み聞いた。
そういえば自分が一年のときにも、冬にやめた奴がいたな。
そんなことを思い出して、今やもう3年の自分を誉め称えたくなる。
3年続けてる俺って、結構すげー。
「和泉、学校やめるって噂あったじゃん。やっぱあれデマ?」
「来たってことはそうなんじゃない?…むしろ今日最後の退学届け出しにきたとか!?」
「あぁー。それ、ありえる。せっかく和泉成績いいのに、なんかもったいないよねそうなると」
その和泉、とかいう本人を抜きにしてどんどんヒートアップする二人の話に、まさかその本人はこんなに噂されてるなんて思ってないだろな、と京介は一人ごちた。
ていうか、いつまでも盗み聞きしてるのどうよ。
そう思い直して、本に意識を集中しようとして―――。
「あっ」
上着のポケットに入れていた携帯の、バイブレーションが鳴ったことに気づいた。
現在時刻は午後4:30。
…いやな時間。
一縷の望みをかけて、表示を見ずに通話ボタンを押すも。
「…も、もしもし」
『もしもし、深山?僕、遼』
あぁ、やっぱな。
「…おかけになった番号は、現在使われておりません」
とか、言ってみたり。
『君、馬鹿?最初のもしもしはドコの誰』
相変わらずな遼の受け答えに、ガックリ肩を落とす。
「…なに、今日シフトの奴、出られなくなった?」
『分かってるならあと30分でよろしく。』
僕一人で勤務なんて、絶対無理だからね。
最後に一言そう残して、バイト仲間の遼は電話を切ったのだった。
仕方ないので、帰り支度を始める。
「あれ、先輩帰るんですか?」
まみが気づいて声をあげた。
つられて後から入ってきた後輩―――一ノ瀬も、帰るんですかと復唱する。
「たった今バイトに呼ばれた。今日出る予定だった奴、無理になったんだって」
「せっかく休みだからって本読みに来たのに、ドンマイですね先輩」
全然ドンマイっていう気持ち込めてないだろ、オマエ。
「借りて読むから」
一言言い置いて、バイトへ向かう京介だった。
「おはようございまーす。遼、出勤押してくれたりした?」
「おはようございます。うん、押した」
「さんきゅ」
着くなり聞くと、出勤はされているということなので、急いで着替えることにする。
先に行ってるよ、という遼の声を背中に聞きながら、京介はわたわたとユニフォームを取り出した。
「いらっしゃいませこんばんはー…」
焦り気味にバックルームを出て、とりあえずレジに向かう。
今日は人、少ないな。
ざっと店内を見回して、今日、これからの人の入りを予想した。
2年以上もやってれば、大体あたるのだ。
…こういう日にこそ、なーんかめんどくさいトラブル起こるんだよなぁ。
あまり当たってほしくない予想をたてて―――後にこんな予想たてなきゃ良かった、と後悔することになるのを、京介はまだ分かっていなかった。