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第32話 新しい現実


◆第32話 新しい現実


 ―――もしこれが、俺にとっての都合のいい夢ならこのまま覚めるな。

腕の中で目を閉じているコウを見下ろしながら、そう思った。

 でもこれは夢じゃない。コウは確かに自分の腕の中にいる。初めてちゃんと触れた彼女の体温は思いのほか高く、京介に何よりもこれは現実だと教えてくれている。 

 ずっと触れないようにしてきた。旅した夜も、同居が始まってからも、ずっと、コウには不用意に触れないようにしてきたし、自分で決めたそのルールを破ったのは今回のすれ違いの原因になった、自分の暴走によるあの一件だけだ。だからこそ、

 最後に残されたこの境界を、いつか破るのであればそれは自分だと思っていた。 

 でも違った。最後の最後でその壁を破ったのはコウだった。思い返せばこれまでもずっとそうだったのかもしれない。最初に店員と客の線を越えて声をかけてくれたのも、旅から戻って知人から同居人になるきっかけを作ったのも、そして今回ただの同居人からそうじゃなくしたのも、最終的には全部彼女だ。

 きっと自分は、

「なぁコウ」

「なに…?」

 自分は、これから先も彼女には敵わない。

 泣き疲れたような顔で、ゆるゆると顔を上げたコウの瞳はさっきまで流していた涙で濡れている。頬にもついた涙の後を、袖でぬぐってやりながら苦笑する。

「……ありがとう。この前も言ったけど俺もコウのこと好きだ」

 どことなくぼうっとしたままの瞳で見上げてくる彼女はどこか子どもっぽくて、そのくせ妙に艶っぽい。

 額に張り付いた前髪をやさしくよけてやる。

「ん」

 コウが反射で目をつぶった。それが可愛くて、衝動のままにその額にキスをした。もう誰に咎められる関係でもない。ちゅ、と音が鳴って、たぶんまだぼうっとして何をされているのか理解していないコウは、抵抗するでもなく、ふにゃっと体の力を抜いた。腕の中で重みが増す。

 いいのかよ。止まんなくなるぞ。

 もう一度額に口づけた。まぶた、頬、鼻の頭、唇の端まで辿らせて、コウ、と名前を呼ぶ。至近距離で目が合った。

「ぁ、」

 コウの口から声になっているようななっていないような、ほとんど息に近い声が漏れた。

「…なぁ、コウ」

「なに…?」

「あのさ。おまえ、さっき『あたし以外の子にさわんないで』って言ったよな」

 確かに聞いたせりふをわざわざ蒸し返す。するとそれまでどこか力の抜けていたコウがギクッと反応し、頬を赤く染めつつも、勝気に睨みつけるようにこちらを見上げた。体に力が戻っている。それに気づくが押すのはやめない。

「言ったよな?」

「……い、言ったけど。改めて繰り返さないでよ」

「悪いな。でも、それって、コウには触ってもいいって聞こえる」

「!!!…………う、」

 瞬間耳やら首まで真っ赤になったコウはそのまま固まる。動かないのをいいことに、ゆっくり、コウが拒否できる程度の力加減で、腰に手を回す。

「ぁ」

「コウ。いいの?」

 依然動かないまま硬直している彼女に、最終確認をする。

 さらに接近して、

「コウ」

 わざと耳元で名前を呼んだ。これに弱いことはさっき布団の中で分かっている。分かっていてやりつつも、半分本気で半分冗談だった。

 そろそろまた鉄拳が飛んでくるかな。そうタカをくくっていて、だが直後真逆の方向からカウンターをくらう。

「いいよ」

「―――へ」

「だから、………いいよ」

 そう言って京介と視線を合わせたコウは、頬を染めたまま涙目で、そして唇を強く噛んでいた。今まで幾度となく見てきた仕草だ。そしてもうその意味は知っている。

 どちらにどういう意味でコウの感情が揺れているのかまでは推し量れないが。

 もう、なんだったとしても関係ない。

 京介にとってその表情と反応は凶悪なものとしか言いようがなく、―――煽ったつもりが煽られた。

 彼女の腰に回した腕に力が入る。

 あぁ、こういうのなんて言うんだっけな。もとの木阿弥?ミイラ取りがミイラになった?いや違うか…あーもうどうでもいいや。

「…京介?腕、きつ」

「もう知らん」

「えっ」

 その瞬間は何も考えないで相手の唇を塞いだ。コウから短く鼻にかかったような声が漏れて、それが直接京介の鳩尾をギュッと締めた。

 なんだこれ。キスってこんな死にそうな感覚になるもんだったか。 

 五感が全部コウに向かって働いた。

 角度を変えて触れるだけのキスを繰り返す。そのたびに彼女はあぅ、とかあ、とか意味を成さない言語を発していて、そしてそのたびに鳩尾がギュッとする。でもそれが気持ちいい。

 これ以上やったら俺がいろんな意味で死ぬんじゃないか。そうは思うが結局は思考を放棄する。ここにコウがいて、触れられる。今大事なのはそれだけだ。

 欲望の赴くままに、腕に力を込めてさらに引き寄せる。隙間など要らない。無意識に後頭部も押さえ込んでいた。

「んっ」

 何回目かのキスで舌を唇に触れさせたとき、相手が反射的にビクッと引いたのが分かった。

 ………なんとなく感覚で、もしかしたらコウは初めてでキスの仕方も知らないのかもしれないと思った。そう思い至ったら逆に自制がきかなくなった。鳩尾にまたあの感覚。

「…コウ」

 一旦は唇を離すが、もうほぼ触れ合っている距離で名前を呼ぶ。返事はない。だが触れ合っている場所がぜんぶ熱くて、無意識にその奥を探ろうとして―――、

「がッ…、痛ぇ!」

 いきなりゴチンと骨同士がぶつかる音が頭の中にダイレクトに響いた。よく分からないが分かる。頭突きをされたらしい。予想外だった分クリティカルヒットで、本日二度目の激痛に悶絶する。

 今度は京介が涙目になり一人しかない頭突きの犯人を視界に捉えると、いつのまに距離をとったのか離れた場所で彼女は肩を怒らせて、腕で一生懸命口を隠しながらここぞとばかりに喚き始めた。

「ななななにやってんの!?なにやってんの!?いいいい今、今、バ、バカじゃないの!?バカじゃないの!?てゆうかバカでしょ!?バカなんでしょ!?バカだ!!」

 疑問系が断定になってますが和泉さん。

 未だはぁはぁいっているコウは、京介から見て気の毒になるほど赤い。頬や耳どころではなく首まで赤く冗談ではなく湯気が出そうな勢いだ。

 やばい凄い動揺してるぞコイツ。

「悪かった、ちょっと調子乗った」

「調子…は?なに?」

「いや、なんでもないとにかくごめん」

「べ、べつに謝られても」

 いやなわけじゃなかったし、とかなにやらもごもごと口の中で呟いているのが見て取れる。だから言うなよ、そういうことを。

 また距離を縮めたくなるのをぐっとこらえる。今はここまでだ。

「もう何もしない。だからこっちこいよ」

「…………――――」

「ほんとだから。コウ」

「むー…」

 渋々、といった様子でコウはちょこんと京介の前で正座する。頭を撫でてやると一瞬ビクッとしたが、ほんの一瞬で、すぐにされるがままになっている。しばらくそうしていたが、

「ねえ、京介ここにいていいの?早く戻らないと、そろそろまずいんじゃ」

「あー…」

 すっかり忘れていたがそうだった。居間からはさっきほどではないにしろ断続的に喧騒が聞こえている。だがしかし、京介が今ここに居ることに関してはなんとなく問題にならない気がしていた。というか、きっと同期の一人が―――遼が、うまくやっているのではないだろうか。おそらく最初の宣言どおり、0時を回る頃、つまりあと何分後かにはみんなを連れて引き上げてもくれると思えてならない。

 なんだかな、一生頭あがんねぇよなこの感じ。

 多分遼には京介以外の誰かがこの家にいることはばれている。それがコウかどうかまでを分かっているかは聞いてみないと知りようもないが、『誰かと同居していて、それを隠している状況』というのは感づいたうえで協力してくれているような気がしないでもない。

「たぶん大丈夫だろ。そんな気がする」

「なにそれ。大丈夫なの?」

「まぁ大丈夫じゃなかったときにはおまえも一緒に困ってもらうからいいよ」

 笑いながら言うと、なぜだかコウはまた頬を赤くして俯いた。

 え、今そういう反応されるようなこと言ったか俺。

 数秒沈思黙考するが分からなかったので、まあいいかと立ち上がり、コウの小さい頭にポンと手を弾ませる。

「じゃあ、もどるから悪いけどもう少し待ってろよ」

「………」

「なんだその不満そうな顔」

「べつに。子ども扱いすんなとかまったくこれっぽちも思ってないからお気になさらず」

 あー…、そういうね。

「安心しろ」

「なにが」

「子どもだと思ってたらあんなことしない。前も言ったろ。俺にとってコウは女だよ」

 言って部屋を出た。閉まった扉に直後内側から枕か何かが投げつけられたような鈍い音がしていたが、それすら好きだバカとでも言ってるように聞こえてしまう自分の能は、今そうとうピンク色になっているに違いない。

 知らず緩む口の端をどうにか抑えながら、京介は居間に向かうのだった。



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