第30話 衝突
なんだよ、なんでお前微妙に不機嫌なの?新谷の声が耳に届いて、京介はべつになんでもない、と答えた。
何でもなくはない。微妙な不機嫌の理由は明らかだ。―――コウが昨日帰ってきていない、それだけだ。
連絡を取ろうとして気づいた。お互いの連絡先を知らない。その事実に気づいて愕然とした。そもそも携帯を持っているのか?その疑問は旅の中で芽生えていたが、本人に聞くことはなかったし、同居し始めてからは次の日の予定だとか今日の帰りは何時だとか、必要なことは世間話がてら全部家の中で情報交換できていたから、今日まで知ることがなく来てしまった。
そうなってみて初めて気づいた。
コウが何の痕跡も残さずに家を出てしまえば、それっきりになってしまうような関係なのだ、自分たちは。もちろん学校だとかサークルだとか、繋がりは他にも存在する。だがそういうことじゃない。
―――コウの持参した荷物は、ショルダーバッグ1つに収まるような代物だ。
ある日バイトから帰ると、コウが使っている部屋が綺麗さっぱり元通りになっていて、居るはずの彼女だけがいない―――そんな想像をして背筋がぞっとした。
「深山。でも本当に調子悪そうだけど大丈夫なの」
遼の気遣わしげな声が聞こえて意識が戻される。
コウと連絡が取れず、やっぱり自分のことを避けてんのかと以前の自分の所業を後悔したり、いよいよ帰ってこないことにただでさえ絡まれやすいあいつがなんか事件に巻き込まれてるんじゃ、と胃に穴が開きそうなほど心配したり、そのせいでまったく眠れなかったり、時間が経つにつれて心配している気持ちと相当数よく分からないイライラが募ったりして結局眠れなかったりしたのは、昨夜の話だ。
今は、バイト仲間での京介の家で行う飲み会のために、男3人で酒やらつまみやらを買いに来ている最中だった。あとから高校生の女の子が二人加わる予定になっている。
「…悪い、べつに具合悪いわけでもないから大丈夫だ」
寝不足なのは事実だがやや間を空けてそう返すと、眼鏡の下から何か探るような視線でふうん?といつもの意地が悪いような微妙な笑顔がその顔に浮かぶ。遼には人の考えていることを見透かすような雰囲気がどことなくあって、時々それが妙に居心地を悪くさせる。
そもそも、家に姉がもういないことを知っていたのも不可思議現象の一つであるのだが。
「じゃあ、なんか心配事?」
心ここに在らず状態だもんね、深山。
デザートコーナーに向かって群れから離れた新谷に一瞬ちらっと視線を走らせながら、今度は本当にまったく平坦な声音で遼は問う。それが彼のデフォルトで、ついでに言えばこれに毒舌がプラスされたものが標準装備だ。
「否定はしないでおく」
「ふーん…。まあ、早く解決するといいね」
「ああ、どうも」
今日の遼は、どうやら少なくとも京介のことはおちょくらないことにしたらしい。空気の読めるやつだと感嘆しながら、空気の読めない代表がデザートコーナーから戻ってくるのをレジに並びながら待つ。
―――コウのことは不安ではあるが、冷静になって考えてみればさすがに今更無断で自分の前から姿を消さないほどにはお互いの間は『何かしらの』感情で繋がっていると思う。というか思いたい。とりあえずあと一日くらいは家で帰りを待ってみて、それでも帰ってこないようなら、友人であるまみ達にも話を聞いてみてから騒ぐ必要があるだろうと結論づけた。
その後予定通り合流した女子を含めて、普段からなにかとイベントごとには集まる計5人―――もちろん今日のシフトには今ここにいない仕事仲間に出てもらっている―――は京介の自宅に向かっていた。横を歩いているのは遼で、後ろから女子二人を接待している新谷と、素直にころころと笑っている女の子特有の声が聞こえる。
ぞろぞろと扉前まで続き、部屋の鍵を取り出して鍵穴に差したところで、京介はふと違和感に気づいた。出てくるときに閉めたはずの鍵が開いている。
「うん?」
…閉め忘れか?
無用心だぞ深山ー、深山さん以外と抜けてるー、などという雑音を右から左に流して、首を傾げでドアノブを回す。もちろんなんの躊躇もなく玄関扉を開け、
「!!」
瞬間、京介はその扉を閉めた。
「?おい、深山なにやってんだよ。女子達が寒いだろー、早く中入れろっ」
『深山さーん?』
「深山?」
新谷、女子二人組みのステレオ、遼の順で怪訝な声を発したようだが、意味のある言語としてそれを認識する余裕はなかった。
考えていなかった―――というかばたばたしていて思い当たらなかった事態が発生した。
扉を開けた先に、びっくりしている表情を隠しもせず突っ立っているコウがいた。昨日の今日で帰ってきていたのだ。
当たり前だ。今ここはコウの家でもある。いても不思議ではない。だが口裏合わせも何もしていない。当たり前だ。ここ最近彼女とはまともな会話ひとつしていない。どうする。どうも何もない。ばれるわけにはいかない。特にこの面子には。
コンマ1秒でそのようなことを考えて、京介はいつもどおりの自然な笑顔を意識して、後ろを振り返った。
「…悪い。そういえば今日いろいろバタバタしてて居間片付けてないんだった。それを今思い出した、すぐ片付けるからちょっとの間ここで待っててくれないか」
一息で告げると、返事を聞かずに京介は部屋の中に滑り込んだ。万が一勝手に入ってこられないように内鍵をかける。新谷あたりならやりそうだ。
玄関からまっすぐ伸びた廊下の先に、コウは依然呆然とした面持ちで立っている。完全なる部屋着だ。しかもあの時来ていたのと同じ京介のお下がりの。
こんなん余裕でアウトだろ。
外で待つ面子に言い訳のしようもない状況で京介は焦る。とにかく今は、
「コウ」
話し声が漏れないように無声音で名前を呼ぶ。まくし立てる感じになってしまうのはどうしようもない。
「お前、なんでいるんだよ?いつの間に帰ってきてたんだ、ていうか昨日どこに行ってたんだ、すっげぇ心配して、いや、今はそれより」
「…悪かったわね、帰ってきちゃって。あの人たち、だれ」
完全に機嫌を損ねた声でコウは唇をとがらす。
まずい言葉の選択を間違えたか。
そう思うが口に出してしまったものはもう遅い。最近疎遠になっていてしかも駄目押しの無断外泊、をされたせいでなんとなくコウは一日ではここに帰ってこないような気がしていた。その心理がさっきの一発目の言葉を京介に選ばせた。じっとお互いにらむように見つめあいながら、
くっそ久しぶりに間近で見ると怒ってようがかわいいなってそうじゃなくて。
「………バイト先の連中だ。4人いる。詳しい事情はあとでいくらでも説明するけど、とにかくいまからここで飲み会やることになってて」
「ふうん…。つまりあたしがいると都合悪いんでしょ」
「う、そういうことじゃ」
思わず詰まったが、切り返しはコウのほうが早い。
「そういうことじゃん。いいよ別にごまかさなくて。すいませんね、連絡もなしにいきなりいなくなっていきなり帰ってきちゃって。あたしいなきゃいっぱい騒げたのに、ゴメンナサイデシタ」
ぺこりと頭をわざとらしく下げると、コウはキッチンから水を汲んだあとにしっかり玄関から自分の靴を回収して、自室方向へと戻っていく。
「おい、コウ」
「なに。部屋から出なきゃいいんでしょ。心配しないで、見つかるようなヘマはしませんから。女の子もいるんでしょ、早く中に入れてあげたら?寒いんだから」
それだけ言い残して引っ込んでしまった。
なに、やってんだ俺は。
喧嘩がしたいわけじゃなかった。ましてやコウに迷惑をかけたいわけでもなかった。けれど結果的には望んでない方向にばかり話が進んでしまって、京介は自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れる。
久しぶりの会話がこれかよ。
しかしここで自己嫌悪に陥っていても事態は進展しないので、京介は玄関に戻って扉を開ける。いっそはやくこっちの用事を終わらせようそうしよう。
「待たせたな。…どーぞ」
「うぃーす。おじゃましまーっす」
「お邪魔しまぁす」
「深山さんの家ってはじめてだねー」
それぞれの反応をみせながら上がりこむメンバーを誰ともなく眺めながら溜息をついた。
なにも起こらなきゃいいが。
「お邪魔します」
最後に入ってきた遼が静かに靴を脱ぎながら、するっと顔を上げてふと廊下の先に視線をやる。そっちにはコウの部屋がある。
「どうかしたか」
「いや、べつに」
一瞬ひやりとするも本当に何でもなさそうな様子に安堵する。ばれたら一生のおわりだぞ、俺。
「深山」
「な、なんだ」
「安心して。僕たち日付が変わるくらいには帰るから」
「…………………………どういう意味だ」
「さあ。そのままの意味だけど」
胡散臭い笑顔を残して遼は居間に消えた。一気に脱力する。
「はぁ」
狭い玄関にひしめき合う靴を揃えなおしながら、早く時間が過ぎることを祈ってしまったのは許してもらいたいところだろう。
リアルタイムで見てくださった方はこんばんは、な時間帯ですね。
お読み頂きありがとうございます^^
今回も複数話まとめてアップさせていただきました。29話のエピソードは入れるかどうか迷いましたが、入れてよかったかどうかは判断しかねるところです…。
とりあえず京介目線に行く前の幕間的なものが欲しかったのですがううむ。
それはそうといつの間にか30話!連載終わる頃にははて何話になっているのでしょう。私の話のなかで一番長いのはこれまででは『時計塔の下で』だったのでしが、どうやらこのコンビニの話でかるぅく越えそうな気がします。
最後の方まで展開は決まってるので、ほんとあずまの書くスピード次第といったカンジなんですがくじけそうになったときはいつも過去の皆さんのコメントを片っ端から読み返してやる気出してます、マジで!笑
よしよし。こっから萌えるからがんばるぞ。
今回みたいに次もあまり間は空かずにお届けできるかと思います。
それではまた!