第24話 焦り
翌日、朝の時間は被ったので二人一緒に家を出た。その二人の手に持たれているのは、今回は京介が作った弁当だ。
隣を歩く彼女はどこか浮かない顔で、時折ため息をついている。
「どうかしたのか、コウ」
「…なんでも」
ちら、とこちらを見てから一瞬考えて、何もないと答えを返す。
どう見ても何かあるようにしか見えないのだが、いくら『思ってることはなんでも言え、聞くから』とは言葉で伝えていても実際言えないこともあるのだろう。言及するのは諦めて一度空を見上げた京介は、「あ」とあることを思い出して歩きながら鞄から折り畳み傘を取り出した。
「はい」
「え、なに」
訝しがるコウに渡す。
「いや、オマエ…傘もってないだろ。今日予報30%で微妙だけど、一応渡しとく」
今朝のお天気お姉さんの言うことが正しければ夜に天気が崩れるはずだ。
「…京介はどうすんの」
「俺は今日バイトあるから。雨降っても18時過ぎからみたいだし、帰り降ってたらコンビニのバックルームにあるの借りて帰る」
「………………」
「ほら。コウは今日授業最後まであるんだろ、貸すから」
遠慮すんな、今さら。茶化すように言うと、彼女はひったくるようにして京介からそれを受け取った。
「水色の折り畳みとかって…京介ほんとオンナノコみたい」
胸に大事そうに抱えながら、彼女はそんな悪態をつく。
行動と言動が一致してないんですけどー、等と指摘したらまた蹴られるのだろう。
「でも…ありがとう」
そんなことを考えていたから聞こえるか聞こえないかの声量で告げられたお礼の言葉を、あやうく聞き逃すところだった。
「あ、ごめん今のもう一回」
本当はギリギリで聞き取れていた。けれど頬を染めるコウを見たら少し意地悪したくなった。聞こえなかったふりをする。
「やだ。一回しか言わないもん」
もん、てオマエ。
思わず噴き出した。たまにコウが使うこの語尾にはどことなく京介に対する無防備さが出ている気がして、くすぐったい。
「まぁいいよ。今日も会うんだろ、一ノ瀬たちによろしくな」
そう言って頭をポン、とひとつ優しく叩くと会話を締め括った。一瞬コウの顔が不安そうに曇った気がしたが、今の会話でまずったところなど思い当たらなかったし、彼女自身も次の瞬間にはいつも通りのポーカーフェイスに戻っていたので自分の気のせいだろうと判断した。
午前までの授業が終了して、京介は持ってきた弁当を食べようと講義室を後にした。弁当の時は、いつも人気のない静かなところで食べる習慣がある。暖かい時季ならば外のベンチで食べたりもするが、いかんせん今は冬だ。
今日はどこで食べようかと歩いているうちに、学食の前を通りがかってそこでよく見知った顔に出会う。
「新谷」
「おぁ?深山じゃん」
「お前、また学食食いに来てんのか」
半分呆れつつ溜息をつく。
「いや、やっぱ外食するより安いからさ〜近くにあったら来ちゃうだろ!なんてったって女の子が多いし」
そう言ってご飯ものの列に並ぶ新谷は、通っている専門学校が近いだけであってこの大学の生徒ではない。けれど元々が人であふれかえる大学だ、ほとんど常連と化していることもあり違和感もくそもなかった。
「なに、深山昼ひとり?」
「あぁ今日はたまたま。仲イイやつはいるけど、そいつが今日の授業取ってないからさ」
答えると新谷はにやりと笑った。
「よし、じゃあ今日は新谷さまと一緒に食うか」
「……………」
昼を一人で食べるのは結構嫌いじゃない、たまになら。だから、
「深山、待てまだ行くな!今日こっち来たのはオマエにも用事あるからなんだ」
無言で立ち去ろうとすると慌てて取りすがった新谷に、二度目の溜息をついた。
「座ってるから早くこい」
「おー」
見つけやすい通路側の席に腰を下ろすと、新谷を待つ間に何とはなしに学食の人混みを眺めた。
授業中はあんなに静かなのに、一体この学校のドコにこんな人が潜んでんだろうな。
ぼーっと埒もないことを考える。ふと、その中に見覚えのある顔をまた見つけ―――思わず頬がゆるんだのを自覚した。
コウだ。一ノ瀬とまみにつれられて、びくびくと初めて人間に捕獲された野生の猫のように周囲に視線を走らせている。それも、ごくわずかな動きで。あれでは新谷のほうがよっぽど違和感がない。
気付いた一ノ瀬に背中をバン、と叩かれ、さらにはまみに親が子どもをねこっ可愛がりするように頭をぐりぐり撫でられていた。
どうやら朝の悩んでる風な様子はもう見られない。その光景を微笑ましく眺めていたのだが、その3人の中に新しい顔が交じって思わず注視した。
―――男子だ、おそらく同級生の。お互いまだ慣れていない感じは受け取れるが、コウとも話している。あたりまえだ。同じ学科の同じクラスなのだから、そりゃ話くらいする異性の友達もできるだろう。
よかった、着実にコウの世界は広がってる―――そう思うのに、心のどこかで決定的に面白くない。面白く、なかった。
今俺どんな顔してんだろーな…と到底知り得ないことを考えて、それからあることに気付く。
やばい、今あっちには新谷もいる。もし今出会ったら―――新谷気付く→コウに話かける→コウとお近づきになる→あの日のコンビニでのことを根掘り葉掘り聞こうとする―――こんな流れになるに決まっている。
男子学生との交流も気になるが、新谷と出会うのはもっとまずい、様々な意味で。なんとなくコウは嘘が下手そうだ。
渡されたメニューを手にキョロキョロと京介のことを探す新谷を、京介は速やかに捕獲しにかかる。
「―――新谷、こっちだ早くこい」
「おぉ、わざわざ迎えに来てくれたのか?さんきゅー。つかなんで小声?」
「いいから早くしろ。…………席が埋まる」
明らかにとってつけて、席に誘導した。どうやら二人の出会いは阻止できたようだ。ほっとしながら再び座る。
「……で、用ってなんだよ」
「あぁ、あのさ、いつもやってるバイト仲間でのクリスマス前の集まりのことなんだけど…あ、いたたぎまーす。オマエも弁当食えば?」
食べながら話す新谷はそれでも無駄にイケメンだった。つられていたたぎます、と箸を持つ。
「それ、毎年飲み屋でやってるだろ?でも今年家飲みがいいって声が多くて」
「…で?」
なんとなく流れが読めた。
「だから深山んちでできねぇかなぁって」
「…やっぱりな。まぁ、べつにいいけ…」
答えようとして、固まった。
「いや待てやっぱ待てダメだ」
「は?なんでだよ」
「いや、ダメなんだった。家はいまちょっと…」
コウがいる。居候し始めて約1週間。暦も12月に変わろうかという所で、約束の1ヶ月間―――残りあと3週間―――は、ぎりぎりクリスマスにかかる。けれどそんな事情をばか正直には言えない。遼と新谷にはコウとのことはひた隠しにしているし、そもそもバイト連中には姉がもう家を出たことすら話していないはずだ。
あぁそうだ、ならいっそそれを口実にすれば。
「…家には魔女のような姉が、」
「いないんだろ?」
「え」
「おまえのお姉さん、もう家出たらしいじゃねーか。小澤からの情報だけど」
―――なぜ遼がそんなことを知っている。
「ふっふーん、残念だったな!そんなわけで深山、オマエに断れる理由はない!」
「……、なんでそんなにオマエがしてやったり顔なんだよ、俺に彼女できてて集まりに参加できない可能性だってあるだろ」
コウの存在がある以上彼女なんてできているわけがないのだが、無性に悔しくて反論した。この際遼がなぜ知っていたのかは追及するのも怖いので置いておく。
「いやー、ちょっと深山の裏をかけたことが嬉しくてな!てか、オマエが言うようなこともなきにしもあらずだし、実際遼とかはクリスマスそのものは毎年埋まってるからクリスマス前、ってなってんだろ」
「まぁ確かに遼はな」
黒縁メガネの毒舌家を思い出す。彼は毎年家でクリスマスをやっているはずだ。確か仲のイイお隣さんも一緒にとかなんとか。
「ま、俺もクリスマスはイブともに予定埋まってんだけどなー」
そう明るく笑う新谷は、やっぱりなんというか人を吸い寄せるオーラを放っている、そんなことを感じた。なにをやってもキャラと笑顔でなんでも許せてしまいそうな。
こんだけ親しみやすくて顔がよけりゃそりゃあモテるよな、と今更ながらに再確認してコウも?と思考が滑る。いや、あいつは新谷のことを苦手と言っていたはずだ。
そこまでつらつらと考えて、ふとあることに気づく。
「……………新谷」
「ん?」
食べる手を止めない新谷は声だけで続きを促す。
「…遼、あとなんか言ってたか」
「なんかって?」
「いや…いいんだ、なんでもない」
この反応なら恐らくコウとの同居のことまでは知られていない。ひとまず安心だが―――となると、いよいよ家での飲み会を断る理由がなくなる。なんか理由、なんか理由…。考えているうちに着々とご飯を食べていた新谷はいつのまにやら席を立ち、食器を片付けにかかっている。
その途中で、人混みの中女子学生とぶつかっていた。
遠巻きに見ながらぎょっとする。ぶつかった相手は一ノ瀬だった。
すみません、いえいえ大丈夫です、それよりそちらこそ大丈夫ですか、あ、はい大丈夫ですありがとうございます。
会話の内容が手に取るように分かるくらいのペコペコぶりで二人はすぐ分かれていたが、つい近くにコウがいないか探してしまう。
二人には心底出会ってほしくない。自分もだが、追及が始まったらきっと自分以上にコウが混乱する。
探している相手はすぐ見つかった。
そばのテーブルで、新谷には背を向ける方向で京介が作った弁当を食べている。向かいにはまみ、隣には先ほどの男子学生がいた。時折談笑している様子が窺える。
箸を持つ手の力が強まるのが分かった。…よくあることだろ、同級生と相席くらい。
思いながら、自分で笑える。そんなふうには納得できていないくせに。コウの手元にある自分が作った、自分と同じ中身の弁当が小さく、けれど必死に自分の居場所を主張している気がして、食事の手が止まった。
黙っていると、学校に戻ることを告げる能天気な新谷の声が頭上から降って来た。その声にいつになく胸を掻きむしられるような感覚を覚えた自分がいて、気付けば帰りぎわの新谷にいつも以上の皮肉を投げつけている。
いつも通りに明るく反応を返してくるイケメン太郎に、今度は無性に救われたような気がして。
「新谷!」
「あん?」
「………悪い、どーもな」
「え、なにが」
「こっちの話だ。またバイトで」
それだけ言って追い払う仕草をすると、変なやつ、と言いながら時間があまりないのか大人しく去っていく。
余裕のない自分を嫌と言うほど実感して、溜息をつく。どーせ授業は間空くし、ゆっくり食べるか。
気を取り直して箸を持つと、今度は後ろから声をかけられた。
「せんぱーいっ」
現れたのはまみだ。一ノ瀬と、あたりまえだがコウもいる。咄嗟に隣を確かめて、3人だけだったことにほっとした。
「なんだ、飯食いおわったのか?」
「あーはい、次すぐ授業あるんで」
「昼直後だからって寝るなよ」
「ひどい!寝ないっすよ!」
「どうだか」
いつも通りなやりとりをしていると、ふとまみの視線が京介の食べている弁当にとまった。
「先輩、それ…和泉とおんなじなんですね」
一緒に住んでいることはバラしていても、妙にぎくりとする。
「そりゃ、家もある食材も同じだから。べつなの作るほうが大変だろ」
「まぁそーですよね…」
答えるまみはいつになく歯切れが悪い。変な沈黙が落ちたと思ったら、一ノ瀬がまみの肩を叩いた。
「はいはい、そろそろ行くよ。じゃ、深山さんお先に。和泉も、行こ」
「あ、うん」
この時初めてコウが声を出した。歩きだす二人の後を着いていきながら、一瞬だけ京介に合わせた瞳は朝見たのと似た、複雑な感情が入り交じった瞳だった。