第18話 ごはん【後編】
泣くつもりなどなかった―――少なくとも実際に二人でオムライスを食べるまでは。
『ちょっと遅い昼ご飯』を作ってくれると言って部屋を出ていった京介に、母がいた頃を思い出してまた涙ぐんでしまったことは多分バレているのだろうなと思いながらコウはほとんどない荷物を肩から降ろした。そうして脱力したように床に座り込む。
…京介からしたらふつうの会話だったかもしれない言葉に泣きそうになった。不覚だ。
そこには突っ込まず去った京介だが、思わず泣きそうになってしまったのには実は理由がもう一つ。
バカ―――ほんとバカ。あたしがあんたの考えてることに気づいてないとでも思ってるの。
分かっていたのだ、京介が優しさからコウに経済的なことは気にするなと諭してくれたこと。
京介は確かにバイトはしている―――しかし場所はいつだって最低賃金がデフォルトのコンビニで、他の職種に比べたら絶対給料は低いのだろうと思う。旅をしている間の使うべきところには使う様子を見ていると実際に困らない分の貯金もあるのだろう。
…それでもだ。赤の他人のコウがタダで居座っていい理由にはならないとどうしても考えてしまう、例え京介本人が気にするなと言ってくれていたとしても。
部屋を出て、リビングまで向かう短い道のりで急速に不安になった。
あたしはほんとにここにいていいのかな。迷惑じゃないのかな。
京介はあの時コウの申し出に対し居候を許可してくれた。だけれどコウにはそれが本当に心からの許可なのか分からないのだ。
散々面倒をかけてきた年下の子をほっとけなくて仕方なしにいいよと言ったのかもしれない。
そう思うほど京介のもとへ行くのが怖くなる。
だめだ、これ以上めんどくさいトコ見せちゃ京介にまで呆れられる。
恐る恐るリビングに入れば、いい匂いがして思わずゆっくり息を吸い込んだ。
「おっ、コウ!見ろよこの卵」
「は?」
難しいことを考えていたコウのマイナス思考を吹き飛ばすような、言っちゃ悪いが能天気な声が聞こえて思わず怪訝な声が漏れた。
あぁまたあたし、こんなつっかかるような言い方。
後悔するが当の京介は気にした様子はなくてほっとする。
「すごいだろ?めっちゃうまくできた」
そう言ってローテーブルの上に置かれたのは、半熟卵で包まれたオムライスだった。うまくできたと言っているところを見ると、普段はおそらくこんなふうにうまく半熟にならないのだろう。
「出来たから食べよう。ごめん、うちダイニングテーブルとかないからローテーブルに向かって座んなきゃいけないんだけど」
言いながら、さりげなく可愛らしい座布団を出してきた。
実は部屋に入れてもらった時から思っていた―――女物、多い。
洗面所のコップとか。トイレのマットとかカバーとか。あたしにあてがってくれた部屋にもちょっと、女物の小物がちらほらあった。
そこに気づけばなぜかショックで、少しだけ気分が落ち込んだ。
―――なんで?べつに落ち込む立場じゃないんだからあたし、居候の身で。
ふるふると頭を振って正しくないと思える感情を振り払えば、準備が出来て目の前に座った京介になんだ?と突っ込まれる。何でもないと答えておいた。
「…いただきます」
「おー、喰え喰え」
目の前の京介お手製のオムライスに、ありがたくスプーンを伸ばす。そのスプーンもさりげなく可愛い代物だ。無意識に膨らむ感情は言葉通り意識しない。
オムライスはおいしかった。京介は一緒に食べながらどうでもいい世間話―――バイトめんどくさいけど行かないわけにいかないだの、そろそろ部屋の掃除しないといけないだの―――をしていて、コウはそれにたまに相槌を打つだけだった。
けれど誰かと話をしながら食べるご飯は、よく今まで一人で三食食べてきたと思えるほどおいしくて、しかもそれが母が元気だった時から随分時間が空いていることに気づくともう涙は止まらない。
コウはオムライスを食べながらぼろぼろ泣いた。また嬉しいことを言ってそのままのコウを受け入れてくれる京介に、ますます涙が止まらないのは不可抗力だ。
その後京介は慌ただしくバイトに出ていって、その際布団も部屋に置いていってくれた。22時にバイトが終わって、帰ってくるのは23時位になるから先に寝ろとは言っていたけれど……。
コウは一人になった家の中を見渡す。どうしよう…寝るまですることない。
現在時刻は午後5時過ぎ。京介が出ていってから1時間と経っていなかった。
今は…学校も休んじゃってるから課題もないし。あぁそうだ、学校どうしよう…いつまでも休んでいられない。
そうは思いながらも心はそれを否定する。
まだもう少し。ここでエネルギーを蓄めていたい。そのためにも、だ。
何か京介の為になることをしようと決意して、コウは部屋を見回すのだった。
少しでも早く帰ろうと思ったときに限って仕事は長引くものである―――京介は部屋へ向かう共同通路を歩きながら舌打ちをした。
コウはちゃんと寝てくれただろうか。腕時計の短針は限りなく12に近い場所を指し示していて、退勤が遅くなったうえに自分を引き止めた新谷にイライラの矛先が向いていた。
あいつと話してるとほんとろくなことねぇ!
コウがどーした、そんな話ばかりでさらにフラストレーションは溜まる一方である。
―――自分が好きな奴のことそう易々と人に喋れるか。
口は閉ざした。何の情報も与えてはいないはずだ。
自分で持っている部屋の鍵を差し込んで、家に入る。居間に電気が点いていて、一瞬やっぱりかと思った。だがいざ居間を覗いてみると予想は打ち砕かれていて、コウは確かに寝ていた―――ローテーブル近くに置かれた広くはないラブソファに転がって。
それが京介を動揺させる火種になった。
旅の中では拝めなかった無防備な寝顔、小さな唇から漏れる寝息は微かなはずなのにやたらと耳朶に甘く響く。忘れがちだが、そういえばコウは童顔ではあるが―――最初の頃完全に高校生だと思い込んでいたため少なくとも京介の中では童顔である―――顔の作り自体は綺麗だったことを今更ながらに思い出す。
そして京介的に一番やっかいなのは脚の曲線だった。ジーンズを穿いているからまだいいが、これがスカートだったらと思うと空恐ろしい。
一緒に住むってこういうことか!
気付いて一人耳を赤くする。
だめだお願いだから負けんじゃねぇ自分。
振り切るようにコウに近寄った。
やっと眠れるようになった彼女を起こすのも忍びないので姫抱っこで持ち上げる。誰にともなく寝てる奴を運ぶにはこれが一番ラクだから仕方なく!と弁解した。
腕にあたるオンナノコ特有のやわらかさは意識しない。意識したら―――それこそ負けだ。
元姉の部屋、現コウの部屋に踏み入り、どうやら布団だけは敷いて準備したらしいそこに身体を努めて優しく横たえる。
「ん…」
擦れた呻き声がコウから漏れて過剰反応。
京介は掛け布団も肩まで引き上げてやり、急いで部屋を出た。
洋服のまま寝るのは休んだ気がしないだろうが着替えだけは勘弁しろ!
再び誰にともなく弁解して、自分も床に着くべく準備を始めるのだった。
そうして部屋の中を歩き始めて気付く。
「…………うん?なんか部屋やたらと綺麗になってないか?」
寝間着代わりのジャージに長袖Tシャツという姿で、電気を消そうと移動してきたリビングに片膝をついて座り込みフローリングにまじまじと視線を送った。
「…やっぱり綺麗になってるな。なんで」
言い掛けて、いやコウしかいねーかと一人得心する。ふいに昼間の自分の発言が頭をよぎる―――ご飯を食べながら世間話の一環として部屋の掃除がどうとか言った気がしないでもない。
「まさかそれで?」
そうだとしたらなんて律儀で行動が早い。驚くと同時にもう分かる。これはきっとコウなりの感謝の示し方なのだろう。
あいつ―――口は素直じゃないくせに行動は素直なんだな。
日中京介がいない間にせっせと掃除に励むコウを想像して、ふっと笑いが漏れる。リビングの電気を消して、自分の部屋に戻る前に結局もう一度だけコウの部屋へ向かった。
細心の注意を払い静かにドアを開け、コウの枕元まで近寄り膝を折った。熟睡している彼女の顔を隠す髪を耳にかけてやり、それからその頭を優しく撫でる。
「―――ありがとな」
決して起こさないように小さな声でお礼を告げた。寝顔を見ながら願う―――これからはどうかいい夢を見てくれればいい。
「おやすみ、コウ」
囁いて、極力を音を立てないように細心の注意を再び払いつつ、京介は今度こそ自分の部屋へと足を向けたのだった。
というわけでして…、すっごく久しぶりの更新は同居から初めてになる二人の食事でした!
長いこと味気ない食事をしていたコウにはこれは欠かせないイベントだろうと筆をとったんですが……自分遅い!ほんっと申し訳ないです!
時雨沢さんレベルの後書きどうとかの前に本文のレベルをあげろやコラァ゜Д゜って話ですね!!
時々執筆の為のエネルギーがすごく減る時があるんです、そんなときはひたすらキャラが『降りてくる』(←あずま的一種の現実逃避ですスルーしてください)のを待つんですが…そんな状態になっても書くのを絶対やめたくないと思うのは読んでくれる皆様のおかげです。
というわけでこの場を借りてお礼を…!
ならりん様、ぱっち様、武智舞様、泉様、黒田 あきら様、しょう様。
貴方様方がお気に入り登録してくださっているおかげでこの小説は続いていると言っても過言ではありません。なかでも何人かの方は初期から登録してくださってて、その存在になんど助けられたことか…!本当にありがとうございます。
また、コメントを一度でも残された方、コメントなくとも一読でもしてくださった方、すべての方に余すことなく感謝を!
ゴールテープを切るまでは決して倒れません、それまでどうかどうか引き続き応援よろしくお願い致します。
だけどやっぱり感想評価いただけたら小踊りしちゃうなー…なんて最後に厚かましいお願いをさせていただきまして、今回は失礼させていただきます!
また次話でお会いいたしましょう♪