第15話 家路
京介の必死の想いにより朝の早い段階でホテルを出てきた二人は、また電車を乗り継いで地元に向かった。
半ば引きずられるていで出てきたコウは納得していないような微妙な表情である。
「…どうせ今日日曜なんだから、もうちょっとゆっくりしても良かったんじゃないの」
電車のなかでの呟きにギクッと肩を揺らすのは仕方のないことだろう。
「…悪かった。俺今日はまた夕方からバイトあるんだ、だからできるだけ早く帰ろうと思って」
矢継ぎ早にもっともらしい答えを返す自分に辟易とした。…保身に走る自分が情けない。
密かに肩を落とす京介の隣で、コウもまた一瞬傷ついたような顔をする。
「…そっか」
京介にも京介の生活があるんだもんね。
そう小さく呟いて頭を京介に預ける。
―――ドクン、と心臓が脈打った。
「コウ、それ…」
どういう意味だ。
尋ねようと隣を覗き込んで、口を閉じる。
コウは京介に頭を預けたままうたた寝していた。朝早く起きていたようだったし、それをそのまま引きずりだしてきたのも自分なのでそのまま寝かせてやることにする。
「…来たときとえらい違いだな」
行きの電車を思い出す。うたた寝していたのは自分で、それをコウが蹴って起こした。コウ自身は電車の中で目を閉じていても、眉間には皺が寄り肩もガッチガチで寝ていないことが一目瞭然だったのは記憶に新しい。
―――それが今は完全にリラックスして寝ていた。
こういう面を見せてくれるようになったのはコウにとっても進歩なのであり、喜ばしいことなのだろう。自分に心を開いてきてくれているのだと思う。
…けれど今の京介にとっては、それと同時に厄介だ。
何の疑いもなく寄りかかられること。それがこんなに心地よくて愛しいだなんて知らなかった。
それでもここはホテルのような密室と違って他人の目がある分、まだ自制はきくだろう。
そんな思いで斜め上から彼女を見やる。
ゆっくり深い息をしながら寝入るコウは、こうして見れば本当に何の変哲もないふつうの少女だった。
彼女がこの先例の祖父の家でうまくやっていけるのかどうかは分からないが―――。
「…俺はいつでも待ってるからな」
胸の内を声にして優しく呟きを落とせば、コウは一瞬身動ぎしてまた規則的な呼吸を再開させるのだった。
「じゃあ…またな」
「…………」
昼前、辿り着いた駅の構内で最後の挨拶を交わす。一緒にいたのがたった3日間なのが嘘のように離れがたかった。それが自分だけかもしれないとか、そんな可能性は考えないことにする。
目の前で俯くコウは、京介の言葉に答えを返さない。ずっと沈黙を守っていてそれでいて何か言いたげな微妙な表情に、思わず声をかけた。
「コウ?」
「………」
「どうした、なんか言いたいことでもあるんだろ?」
言ってやるとコウが瞠目する。弾かれたように顔を上げた。
「なんで」
「もう3日一緒にいたから分かるよ。…言ってみろ」
普通はたった3日じゃ分からないところなのかもしれないが、こうなってみて気付く。自分は多分―――コウに惹かれていたのだ、最初から。
「コウ?」
言ってみろと促しても黙っている彼女の小さな肩に手をかけて、覗き込むようにかがんだ。その動作に後押しされたのか、彼女はようやく口を開いた。
「…京介は…」
「ん?」
「一人暮らし?」
「―――は?」
予想もしていなかった質問が飛んで来た。
「あぁー…と、」
姉と二人だ、と答えようとして今はもうその姉がいないことを思い出す。ついでにこれからの自分の生活の気楽さも。
「そうだな一応、一人暮らしの部類に入るだろうな」
「…そう」
「それがどうかしたか」
意図が分からず聞き返したが返しはそれを上回るものだった。
「『いつでも待ってる』っていうのはいつから有効?」
「おまっ…!」
起きてたのか!?
「ねぇ、いつから有効」
まさか聞かれているとは思わなかった自分の甘い発言を、対象の本人から告げられて言葉を失う。体温が上昇するのを自覚して二の句が継げない。
とりあえず落ち着け俺ー!…まずはコウの質問に答えろ。
「いつから…って、べつに、いつからでも」
「信じてもいい?」
コウの小さな手が京介の腕を必死に掴む。
「今の京介の言葉、信じてもいい?」
「―――あたりまえだろ」
反射で答えていた。
「じゃあ、お願いがあるの。あたしを京介の部屋に泊めて」
「…………………………………………………………………………………………………………はい?」
「いつからでもいいなら今から有効。お願い、1ヶ月位でいいの、あたしが…二十歳になるまで」
反射でものを言うのはやはりあまりよろしくないことらしい。
唐突なことを言うコウは真剣な顔をしている。返す言葉は未だ口をつかない。
「……函館に行くとき、家を出てきたの。だから帰る場所がない」
「…家を出てきた?」
ようやく出た言葉はコウのセリフをおうむ返ししたものだった。どうやら自分はさっきの『泊めて』発言に相当動揺しているらしい。
そりゃするだろ、よりにもよってこいつを俺んちに泊めるとかっ!
思わず自分に突っ込んで、ため息が出た。
「…二十歳になったら自分で色々手続きできるじゃん。だからそれまでの間、京介の家に置いてほしい」
コウは俯いて、唇を噛み締める。もう分かる。この表情は喋ると声が揺れる時にそれを我慢する表情だ。つまり、コウの感情が揺さ振られているとき。
まだ完全におさまらない動悸を精神力で無視して、そんなコウを見つめ返した。
―――あぁ、きっと俺に断られたらどうしようとか思ってんだろうな。
今の彼女の心情が容易に読み取れて、思わず頬がゆるむ。その瞬間をコウに目撃されずに良かったと内心思いながら。
バカだな、と言ったら怒るだろうか。断るなんて―――そんなこと選択肢のうちにも入っていないのに。
京介の腕を掴んで離さないその小さな手を、そっとはがして握りこむ。
「……っ、」
駅の喧騒のなかで、コウが息を呑むのが京介にも分かった。
「なぁコウ」
「……」
「本当はさ、その今住んでる母方のおじいさん?…その人と関係を修復していくのが一番いいって、オマエも分かってるんだよな」
俯いていた顔を上げたコウの瞳が揺れている。
「俺も一番はそうするべきなんだろうなって思うよ。どうあっても数少ない肉親なんだし」
「………………」
「でも…今はオマエ、疲れてるよな。これからのこと、ゆっくり考える時間だってほしいよな。―――だったら」
「だ、ったら…?」
「いいよ。俺んちにくれば。1ヶ月くらいなら置いてやれる」
コウの瞳がぱぁっと明るくなった。
「ほんと!?」
「あぁ。その代わり、ひとつだけ条件つけていいか」
条件、という京介の言葉に一瞬コウが怯む。けれど置いてくれる以上その条件を呑まなければならないのは白明の理だと思ったのだろう、最後にはつよく頷いた。
「―――家ではダラダラしてろ。って言ったら言葉悪いけど…あんまり難しいこと考えるな。寝たいなって思ったら寝る、泣きたいなって思ったら泣く。感情を殺すな、そのまんまのコウでいろ」
―――それは、京介の意思表示だった。過去のコウも、現在のコウも全部ひっくるめて受け入れるという意思の。
コウは京介の言葉に完全に虚をつかれていた。
…ねぇ京介、それって今のあたしにはすごい殺し文句だって分かってるわけ?
「…京介のくせに」
「は!?今のそういうセリフ返ってくる場面じゃなかったよな!?」
「うっさい、バカ。だけど…ありがとう」
これからよろしくお願いします、と頭を下げるコウに今度は虚をつかれるのは京介の方だった。
だって函館に行くってコンビニに乗り込んできたときでさえ頭下げるなんてなかったのに!
驚愕しながらもそれは彼女の心に余裕が少しでも生まれたからだろうと分かっている。そしてきっと本来、コウは礼節を守れる人間なのだ。そうでなければ会話の中でごく自然に頭を下げるなんてできない。
「…あぁ、どういたしまして。よろしくな」
京介も言葉を返すと、コウがほっとしたように肩の力を抜いた。もう一回笑ってくんねーかな、と思ったがそんな顔は見られそうになかった。
―――そんな経緯で京介の一人暮らしは結局泡と消えた。帰り道、なぜかコウと一緒に歩いている現状に微妙に落ち着きのなさを感じながら、それでもまだ一緒にいれることが嬉しいという感情の方が大きいのは否定のしようがなかった。 ―――否定するつもりもないが。
これから先、同じくらいの大きさで顔を覗かせるであろう今朝の様な少し乱暴な感情は、精神力でどうにかしてやると固く決意をして京介は家路を辿るのだった。
お待たせしました、今回もまた足を運んでくださった皆様ありがとうございますm(__)m!
連載はどうしても描写がゆっくりなスピードになってしまいますねorz
なんかこう…短編だと短く!短く!と唱えながらやるのでギュッとなってる感はあるのですが…あれ?自己暗示?笑
前回のあとがきからの短編『モーニングセット』に対して「OKです」と言ってくださったお優しい方がいまして、あずまは画面の前で思わずよっしゃ!とガッツポーズ致しました(笑)その節はありがとうございます
コンビニ(タイトルに入ってないのに周囲にも略称はこれで通っているw)は、私のなかではこれでようやく第一章が終わりって感じです。これから先の展開はまぁ…皆さん予想ついてますでしょうが、あずま大好物的展開になりますね!←
王道…とまではいかないですがベタな感じが好きな方(笑)、ぜひお付き合いくださいませ♪