第13話 涙のワケ
―――末期の胃がんだった。発見された時にはもう緩和治療しか打つ手はなくなっていて、それはつまりただ死を待つことを意味していた。
緩和治療になります。苦痛を取りのぞき、清潔を保つ看護をしていくように尽力します。
医師や看護師のそんな言葉は到底意味がない。
そんなこといいから治してよ!腫瘍なんて取ってよ!お母さんを死なせないで!生きててくれたらそれでいいのに!
頭では分かっていた。医療にも不可能はあるということも、転移が全身に起こっていて手遅れなことも、自分には何もできないことも。だけど感情がついていかなかった。認められるわけがない。今となってはたった一人の家族、その一人を失うなど。
それでもそれは変えようのない現実で、医師の見立て通りの3ヶ月後に母は逝った。
入院していた時の費用は保険と、足りない分は自分の奨学金から出した。葬式や火葬等はこの時が初対面の母方の祖父―――つまり母の父親だ―――が行ってくれたのだが、風当たりはあまりよくなかった。それが何故なのかは最初分からなかったけれど……この時の周囲の親戚の噂で初めて知って合点がいった。
母と、顔がおぼろげにしか思い出せない父はかけおち同然での恋愛結婚だったらしい。実家には勘当されたも当然の状態だったという。
それを知ったとき、何も考えられない頭でただ『お母さんらしいな』と思った。その父はコウが幼いときに交通事故で亡くなっているのでよく分からない。
火葬や葬式の間中、泣きたかったのに涙は出なかった。何より、大好きな母の陰口を言うそんな親戚の前で、涙なんて見せてたまるかと思っていた。
その後その祖父の家に引き取られたが、初対面同然なのに加え勘当された家なので居心地も悪く、1ヶ月経った今も祖父との関係に改善の兆しは見えていない。
せっかく入った大学にも段々行かなくなった。このまま学校に行き続けて授業料を払い切れるか自信がなかったし、精神面でもきついものがあった。元々友達は多いほうではなく、本来なら安らげる場所であるはずの家も、コウにとっては安らげる場所ではなかったから。
ここ最近は朝祖父の家を出て、図書館などで適当に時間をつぶして夜帰る―――そんな生活が続いていた。
時間の経過が、静寂が、じわじわと母はもういないという事実をコウに突き付け、今なら泣けそうだと思うときもあった。
けれど泣けない。一度タイミングを逃したからなのか、涙腺は一向にゆるんではくれない。そして気付いたときには泣き方を忘れていた。
自分にはもう居場所がない。
ただ声をあげて泣くことさえ許される居場所が。
話を聴いてほしい。黙って傍にいてほしい。自分の存在を無条件で許してくれる人の傍にいたい。
その想いが日毎に強くなるばかりで―――コウにとってそのすべての対象は、母だった。けれどその母はもういない。
「…函館には、そのお母さんとの思い出がたくさんあるの」
一通り泣きじゃくったあと、少し落ち着いたコウと京介は、外の展望台から中に入ってベンチに座って話をしていた。
京介はひたすら黙ってそれらの話を聞いた。そして納得した。
泣きそうな顔をするくせに泣かないこと。肩肘が常に張っていること。なのにどこか危ういところがあること。不思議に思っていたその全部が、今かっちりと繋がっていた。
「だから…函館に来ようって?」
こく、と頷く。
「ここに来れば、会える気がして。…お母さん函館山が大好きだから」
年に2、3回は一緒に来てた。コウはそう呟いて目を伏せた。
『大好き』という言葉が過去表現になっていないことに胸を突かれる。
「………泣けるかも、って思ったの」
赤くなった目を伏せたまま、コウは言う。
「お母さんが大好きで、いつも来てたここなら、泣けるかもって。そしたらちょっとはラクになれるかなって」
「……ラクになったか」
コウは曖昧に笑ってその質問には答えない。
「少しだけ…すっきりはしたかも。ありがとう、京介」
「……………お礼言われるようなこと、してねーよ」
自分は何もできなかった。
コウが泣いているときも、話しているときも、そして今も。
肩の荷を降ろしてやりたいなんて、そんなことを思っていたくせに何もできなかったのだ。
だからお礼を言われるとどうしていいかわからなくなる。
ありがとうなんて言うな。言われるだけの働きなんてしてないんだ。
「でもやっぱりあたしにとってはありがとうだよ」
「………」
「だって一緒に来てくれた。…泣かせてくれた」
「それはっ…………俺じゃないだろ。コウのお母さんの力だ」
コウが力なく笑う。
悲しいような、寂しいような、嬉しさが混じってるような、複雑な笑顔だった。
―――きっと、笑顔の裏のその胸の内を推し量ることなんて京介には一生できないんだろう。
「ありがとう…」
だけれど、噛み締めるようにコウはもう一度そう言った。