第12話 涙
……函館山か。ここも旅行で一度だけ来たな。
一瞬昔を思い出して、ふっと笑う。あの時は確か初夏に来ていた気がするが、今回は初冬だ。11月の函館山は、初旬といえど予想していたよりちょっと寒かった。
冷たい風が展望台のフェンスに腕を寄りかける京介と、両手をそっと置いただけのコウを吹き付ける。京介はだめだやっぱ寒い、と首を心持ち引っ込めた。
―――路面電車に乗った後は当然ロープウェイに乗って山頂まで来て、その間コウはやっぱり一言も喋らなかった。山に近づくほどそれには拍車がかかって、空気まで重く感じてしまうほどである。そして今は目的地の函館山だが、やっぱりコウは一言も喋っていない。
けれど、展望台につくと重い空気自体はいつの間にかやわらかくなっていた。フェンスに両手を置いた体勢で、―――もう10分ほどコウはぼうっと景色を目に映している。
…声をかけるのが憚られた。ここまで口を挟めない空気と挟まない意志で過ごしてきて京介に今さら何かを言えるワケがない。
かける言葉が分からないし、そもそも言葉をかけていい場面なのかどうかすら判断がつかないのだ。
途方にくれかけてもう一度隣のコウを伺い―――そしてこれまでの短い旅の中で一番ぎょっとした。
京介の隣で、コウは泣いていた。
「な、なに泣いてんだ!?」
「―――」
「なんでいきなり泣くんだオマエはっ」
声もあげずしゃくり上げることもせず、あまつさえ表情も変えないで、彼女はただ淡々と涙をこぼしていたた。その様はどこか美しく見えて、それ以上に痛々しい。
―――泣かなかったくせに、今までどんな泣きそうな顔しても。
なのに、なんの予兆もなくいきなり涙を流すなんて―――そんなの、反則だ。
「コウ、」
もうだめだオチた、とため息をこぼす。
隣の彼女を抱き寄せて、腕のなかに閉じ込めた。 「頼むから…、理由教えて。なんでいきなり泣いたんだ、函館は一体コウにとってなにがあるんだよ…」
自分の中でラインが変わったとたんずっと訊かないようにしようと思っていた疑問がするりと口から滑り出た。
あぁ訊いてしまった、と思ったけれどもう遅い。
コウに悲しい顔はさせたくない、と思って昨日それはコウ自身にも伝えたけれど、元から曖昧だったこの境界線を踏み越える気はなかったのに。
だってこの旅が終わったら、またただのコンビニの店員と客に戻る。その関係に必要以上の親交は必要ない、そう思って。
けれどコウは泣いた。京介にとってそれはもうスルーできる範疇じゃなかった。スルーしたくない、と思うほどの感情をもう持っている。
俺が悪いんじゃない、と意地を張る。この境界線を切らせたのは彼女だ。
「コウ……」
耳元で名前を呼ぶ。
「俺にじゃ話す価値ないか」
抱え込んでいるものを吐き出させてやりたいと思う。実行するのは許されるだろうか。
すると京介の質問に、コウは初めて見せるようなすごい勢いで首を横に振ってみせた。
「そんなことない…っ」
「じゃあ、教えてほしい。俺、オマエのこと知りたいんだ多分」
コウが腕のなかで顔を上げて、目を見開いた。
そうして一気にその瞳を涙に濡らす。
「京介、京介、京介っ…」
「ん?」
返事をしてやると、コウがその細い手で京介の服にしがみついた。そしてそこから先は大泣きだった。ぼろぼろぼろぼろ大粒の涙をこぼしながらコウは自分のことを話す。
ほんとはずっと泣きたかったの、お母さんが死んだときからずっと。だけど泣けなかった。どうしてお母さんが死ななきゃいけなかったの?あたし達何か悪いことした?一人になったあたしはどうしたらいいの?分かんないよ、疲れた、あたしも一緒に連れてってくれたら良かったのに。
コウはその言葉を最後に後はただ声をあげてわんわん泣いた。ちらほらといる観光客が気にしつつも遠巻きに視線を送ってくるのが分かったが、京介はそれらを意にも介さずコウをずっと抱きしめていた。
自分にはそれしかできることがなかったように思えた。
腕のなかのコウはずっと涙を流し続けている。けれど出会った時から泣くのを我慢しているような表情や、肩に力が入っているような堅さを見せていたコウが感情まかせに泣いているのを見て、京介は妙にほっとしていた。