第11話 目的地
京介が7時に目を覚まして隣を見ると、もうそこにコウの姿はなかった。一瞬呆然として、直後ベッドから跳ね起きる。
―――コウはいた。昨夜そのままにしていたテレビの前の椅子に座って、どうやらそれこそテレビを見ているようだった。
「………コウ?」
後ろ姿に声をかける。気づけば彼女はもう浴衣から私服になっていて、寝ていたはずの布団の半分も冷たくて、果たして本当にここで寝ていたのか疑わしくなる。
「オマエ、ちゃんと寝たか」
「………うん」
間が怪しい。
「嘘つくなよ…寝たか?」
「寝た、ってば」
追及しても正直に言わなそうなので、これ以上はやめにした。
洗面所に行って顔を洗い、歯を磨く。
「コウー、…はもう行く準備できてんだな」
洗面所から出てきて後ろ姿に問い掛けると、こくりと頷くのが見て取れた。
「じゃあ、行くか」
部屋の鍵を手に取り、最後に忘れ物がないか見渡す。まぁ自分の持ち物などバイトから飛び出してきて財布とケータイだけなので、忘れようがないといえばない。見た限りコウのものも置き忘れはなさそうなので、二人で部屋を出た。
チェックアウトするときは昨夜とは違う受け付けの人で、それにちょっとだけ安堵した。もし昨日と同じ人が担当だったら、双方気まずい思いをしたことだろう。
駅に着くと、 そこから函館行きの普通電車に再び乗車した。昼前には着くらしい。駅のホームの売店で買った二人ぶんの朝ごはん―――まぁ、おにぎりとお茶だ―――を開けて一人ぶんをコウに渡すと、こうはソレを戸惑いながら受け取った。
「朝食べないと力出ないから」
顎で食え、と示す。
「でも…」
「おごりだよ。はい、食べて」
バリッとフィルムを開けてやり、おにぎりをコウにもう一度渡す。
ゆっくり受け取ったコウの両手を見てちっさ!!と思わず声をあげそうになった。
手ぇちっさ!!こんなんでいろいろやってけてんのか!?て今俺が気にかけるところじゃないかもしんねーけど!でも小さく見えすぎていっそ握り潰したくなる!
そこまで思考が横滑りして、違う、今のはなかったことにと一人で焦る。隣のコウを確認すると、俯いたままおにぎりを口にしていた。髪に隠れて顔は見えない。それでもなぜか、その顔は暗く曇ったままの気がして、京介は胸が締め付けられる感じがするのだった。
電車の中で、数えるほどの会話を交わした。その中でコウから話し掛けてきたのはただの一回だけだった。
「昨日―――、電話してたよね」
「…あぁ、聞こえてたのか」
こくん、と頷く。
「電話、家の人?」
なぜそんなことを聞くんだろう―――思って、ふと気づいた。
コウには一度も家族らしき人から連絡が入っていない―――少なくとも京介が知っているかぎりでは。もしかしたら知らない間に連絡がきていたのかもしれない、もしかしたら連絡がきていても単にコウがそれを受けていないだけなのかもしれない。
しかしその希望的観測は次のコウの台詞で打ち消された。
「―――羨ましい」
「え…」
それってどういう、
「…私にはもう私の心配をしてくれる人がいないから」
言ってから、言った彼女本人が傷ついたような顔をした。
泣くか―――、
息を呑んでコウを見る。けれど彼女は、結局涙一つ見せなかった。
他にも何回か会話はした。でも、その時のただ一回の会話だけが京介の記憶に痛さを伴って刻み込まれている。
函館駅に降り立つと、眼前にはなんだか懐かしい風景が広がった。
そういえば函館には家族旅行で小さいとき一度だけ来たなと思い出す。
はたと思った。『函館』には来た。でもそのあとは―――?
隣に立っているコウに問い掛けようと視線を向ける。しかし京介が何かを言う前に、コウは歩きだした。―――半ばふらふらと、何かに吸い寄せられるように。
あの会話のあとから、函館に近づくほど電車の中で彼女は無口になっていった。函館に何があるのか。彼女にとっての何が―――、
若干危なげなコウの足取りをはらはらしながら見守って、それでも何かあったらいつでも手は出せるように斜め後方に位置を取る。
コウは路面電車に乗ろうとしているようだ。黙ってあとを着いていく。
―――路面電車に揺られて最終的に到着したのは、誰でも名前は知っているであろう函館山だった。