ジャンルって何ぞや?
異世界恋愛、現実恋愛、ハイファンタジーやローファンタジー、ホラーやコメディー等、「小説家になろう」には様々なジャンルがある。ファンタジーを読みたければファンタジージャンルを、恋愛が良ければ恋愛ジャンルを覗いてみれば、きっと読みたい小説が見つかるはず。非常にユーザーフレンドリーだ。
日々お世話になっているジャンルであるが、時々別のことで話題になる事も。「ジャンル詐欺」や「恋愛ジャンルなのに恋愛じゃない」などなど。「ジャンル詐欺」に関しては、ランキングの好順位を狙って等の理由があるそうなのだが、恋愛ジャンルはなかなかの激戦区と聞く。敢えてそのジャンルに投稿しているからには、作者にとっては恋愛なのだ。
ジャンルって何ぞや?
「小説家になろう」を初めて見た時、その豊富なジャンルに驚いた。その中でも、個人的に一番異彩を放っていると思うのはヒューマンドラマだ。人との関係性に焦点を当てた作品群となっている。
捉えようとする、その射程の長さたるや凄まじい。およそ小説というもので、ここから外れるものは存在し得るのかとすら思う。極端な話、それが人間的な知性を反映していれば、石ころですら射程内だ。
これだけ懐の深いジャンルだと、作者と読者の認識の齟齬は相応に大きくなるだろう。
逆に、射程の短さで齟齬が起きていると思うのが恋愛ジャンル。恋愛を主題に扱う作品群だ。「恋愛ジャンルなのに恋愛していない」という意見も散見されるが、さて、どうだろう。
恋愛は文学における普遍的なテーマの一つだ。普遍的なテーマなのだが、同時に非常に個人的なテーマでもある。私の愛が単なる執着に見えたり、一目惚れは絶対信じない派だったり。個々人で、おそらく全く違う概念になっているだろうものを、私達は恋愛と名付けている。
ジャンルとしての射程が短いというより、受け手側の射程の問題もあるのだろうと思う。恋愛ジャンルの作品群の中で、自分の射程から外れてしまったものを「ジャンルが違う」と感じるのは、ごく自然なことだ。だからこそ、万人が納得する恋愛小説は不朽の名作として残るのだろう。
「小説家になろう」において興味深いと思うのは、ローファンタジーとホラーの関係、ローファンタジーとパニック[SF]の切り分けだ。
まずは、ローファンタジーとホラーから。
ローファンタジーでは、現実世界にダンジョンが現れる、モンスターが現れる、という作品を見かける。「ファンタジーが現実世界に現れているんだから、ローファンタジーじゃないか」と思うかもしれないが、少しお付き合い頂きたい。
現実世界にダンジョンやモンスターが現れる、というのは確かにファンタジーなのだが、その本質は、異界の現出による現実の侵食だ。そして、この「異界が現実を塗り変える」というのは、本来ホラーの主戦場なのだ。
ホラーは、様々な異界を作り出してきた。古くはろくろ首やお岩さん、最近では貞子や八尺様等だろうか。それらの怪異が現実に立ち現れることで、その場所は異界へと変貌するのである。昨今流行っている実話怪談などは、その最前線に立っている。
そんなホラーの主戦場がローファンタジー。「侵食する側のホラーが、逆に侵食されている」というのは早計で、ホラーとローファンタジーの親和性が高いのだろう。
同じテンプレートを用いた時、そこに冒険を足せばローファンタジー、恐怖を足せばホラーとなるのかもしれない。
この、「同じテンプレートを用いても、加味する要素でジャンルを切り分ける」ということが、ローファンタジーとパニックでも起きている。
パニックジャンルには、ゾンビが襲ってくる作品が大量にある。もう、それだけでジャンル化できるんじゃないかと思うほど。
ゾンビである。空想の怪物である。ファンタジーである。それが現実に現れるのだからローファンタジーでいいような気がするのだが、大抵はパニックとして投稿されている。そして、ここが重要なのだが、これに関して「ジャンルが違う」という話を聞かないのだ。
つまり、「小説家になろう」の大多数のユーザーは「ゴブリンは現実にはあり得ないけれども、ゾンビは出てきそうだよね」と考えているということだ。モンスターの中でもゾンビは別格なのである。
ジャンルは便利なものだが、取り扱いが難しいものでもある。各ジャンルに対する理解の深さや、その時々の精神状態でも変化してしまう。複数のジャンルを横断している作品も少なくない。長期連載ともなれば、その内包する要素が多岐に渡るのは当然のことなのだろう。小説のどの側面を切り出すか、なかなかに難しい。
私はこの文章をエッセイのつもりで書いている。しかし、これを受け手側がどう捉えるかは別問題だ。「エッセイとは、日常の一部を切り取って何らかの気づきを与えるものであるからして、こんな駄文はエッセイではない」という方もおられるだろう。そんな方には、私はこう言うしか無い。大変申し訳ありません。