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大門さんは大悪魔  作者: 条嶋 修一
9/10

5話

 汗が滝のように吹き出す。手に持ったハンドタオルで何度も何度も拭うが、際限なく汗が湧き出ていた。


 朝太は入場した際にもらったうちわで顔を仰ぐが、その程度のそよ風で猛暑に対抗できないことぐらいはわかっていた。


 今日は妹たちの誕生日だ。


 大門が先日の肝だめしの際に厳造寺からもらったチケットを使うため、朝太、まひる、ゆうひ、大門、そして葵の五人で遠出している。


 家族と大門を合わせて六人分のチケットだったが、父親は仕事で来れず、母は店があるのでせっかくだからと、妹たちの提案で葵を誘うことになった。


 その遊園地は、地元から少し離れた場所にあるシノヤマキャッスルパーク。


 遥か昔、この周辺を収めていた武将が立てた城――篠山城、その城跡を今から四十年ほど前、とある地元の名士が、観光と娯楽の拠点とするために改装し出来たものである。


 特段流行っているわけでもなく、かといって廃れているわけでもない、絶妙なバランスで営業しているこのテーマパーク。

 先ほどくぐった少し錆びた入場門や、地方テレビ局でしか流れないCMなどがその存在を物語っていた。


 常山家一行はそのパークにある特設会場にいた。


『みんなー! おはようございまーす!』


 座った席から少し離れたところにあるステージで、女性がマイクを持って笑顔で挨拶をする。人前で歩くには勇気のいる派手なピンク色のミニスカート。そのエナメル生地が太陽光を乱反射している。


『どうしたのかなー? 元気がないぞー?』


 レスポンスが少ない。それでも笑顔は絶やさず、再度挨拶を観客に強要している。


 隣に座っている葵は、うちわを仰ぎながらぼうっとしている。反対側にいるまひるは暑さにぐったりしていた。

 大門はこの催しの趣旨を理解しているのかいないのかしきりにほう、とか成程、と呟くように相槌を打っている。そしてその奥にいるゆうひは、大門の腕に寄りかかってうとうとしていた。


 このショーを見たいと言い始めたのは、物珍しさに惹かれた大門だった。

 だが、朝太にとっては渡りに船。

 実の所、今回の演目で出るヒーロー番組は彼のお気に入りだった。


 女性陣が興味なさそうにしている手前、高校生にもなってはしゃぐのはさすがに恥ずかしいと感じたのだろう。一生懸命なお姉さんに大きな声で反応したい気持ちをグッと抑えた。


「……前の人、でかすぎて見づらいな……」


 大門の図体が後ろの観客の邪魔をしていたのか。不満そうな少年の声が、朝太たちの背後から聞こえた。


「あ、すいません。こいつデカくて……。場所変わります?」


「――げっ!」

 振り向くいた朝太と目が合った少年は、つぶさに嫌そうな顔をする。

 朝太には、その色黒の顔に見覚えがある。先日の肝だめしでお灸をすえた、妹たちの同級生の男の子だった。


少年が出したつぶれたカエルのような声に、妹たちも気づく。


「うわ、最悪」「あ……シンヤくん、おはよ」


「お、おう。奇遇だな……」


 妹、特にまひるを見ると、より一層気まずそうに眼をそらしぶっきらぼうに答えている。先の一件がよほどこたえたのだろう、と朝太は推測した。


「アンタ、こんなのに興味あるの?」


 同級生に放ったその言葉が、実の兄の胸に刺さっていることをまひるは知らない。


「う、うるせーな、べべべ別にねぇよ!」

「ふうん」


 信也少年の強がりともとれる反応に、さして興味を示さずまひるは正面へと姿勢を直した。


 しばらくして、ステージから特撮ヒーローのテーマソングが鳴り響いた。

 朝太は体が反射的に動き、肩を揺らし始めてしまう。とっさに反応してしまったことに気づき、隣に並ぶ家族たちに目配せするが、誰も気づいてはいないようだった。


 少しほっとしていると、後ろから小さく鼻歌が聞こえてきた。先の信也が、それを奏でているらしく、真後ろを確認した朝太と目が合う。


 お互い、にやりと笑った。


『げっげっげ! 今日もたくさんエモノがいやがるなあ!』


 お姉さんの挨拶が終わると、早々にイカのような触手を持った、真っ白な怪人が現れた。


 柔らかそうな触手――何故か先端に様々なデザインの靴下を装着している――を左右に振りながら、会場を練り歩いている。


『オレ様は、合成超人イカソックス様だ! どいつもこいつも、うまそうだぜぇ!』


 長さが余っているのか、そういうデザインなのか、何本かの触手は引きずられ、付けられた靴下は黒ずんでいた。


 そして、ステージ脇から黒いタイツを着た戦闘員がわらわらと登場、客席を駆け回る。

 こどもたちの可愛い悲鳴が、会場内をこだました。


『さあて、どいつを食べてやろうかなぁ! げっげっげ! んん~そうだな……、そこの麦わら帽子をかぶったお前……。それと、赤いシャツのお前……。そして――』


 イカソックスは、だるんだるんの触手を振り回し、目星のついた子供を指していく。


『そこのロングコートのお父さん、は怖いからやめておくとして。そのとなりにいる双子にしよう!』


 怪人は、朝太の妹たち――まひるとゆうひを指名した。


「えー……」「やだもー、目立っちゃうじゃん」


 本気で拒否反応を起こしたゆうひとは対照的に、まひるがわざとらしく嫌がる。ノリノリで立ち上がった。


 戦闘員に連れられていく妹たちを見て、朝太はかなりうらやましく思ったが、またもグッと堪えた。

 写真撮影が禁止されていることが本気で悔やまれる。


 舞台にあげられたまひるは、こちらに向かってピースサインを出している。対照的にゆうひは、ノリノリの姉の隣で顔を真っ赤にして俯いていた。


 かくして捕らえられた人質たちがステージにあげられると、お姉さんがこのピンチを救うヒーローをみなで呼ぶよう会場全体に訴えた。


 挨拶同様、何度か子供たちに大声をあげさせるのがこの手のショーのお約束だ。


『さあ、みんな、大きな声で言ってね!せーのっ!』


 お姉さんにならって子供たちの声が続く。


『たーすけてー!』


 まひるはお姉さんのとなりで同じように笑顔で助けを呼び、ゆうひも舞台上で黙っているわけにもいかず、姉のすそをつかんで口を開いてた。


「あいわかった」


 その助けの声に突如、朝太の横で静観していた大門が立ち上がる。そしてそのまま、ステージに向かって歩き始めた。


「バカ、何やってんだ! 戻ってこい!」


 朝太が注意するが、当の大門は毛ほども気に留めずに悠々とステージに向かう。

 職員が慌てて立ちふさがるが、大門は気にせず振り払ってついに壇上にあがった。


 その周りを戦闘員たちが取り囲む。

 対して悪魔はどけ、とだけ声を発すると、戦闘員の肩をゆっくりと押した。

 彼らは大門が触れた瞬間、重力がなくなったかのように投げ飛ばされた。不測の事態に対応できないお姉さんの隣を、黒タイツの男たちが次々と横切っていく。


 ――ステージ上の、会場の時間が止まったように思えた。


『いやいやいや、こんな段取りなかったですよね。ほんと、やめて……』


 すっかりうろたえてしまった合成超人に、大門は右手をかざす。着ぐるみの怪人は抵抗できぬまま、気を失ったかのようにピクリとも動かなくなってしまった。


 その隣を通り抜けたトレンチコートの大男――大門は、二人の少女の前に立ち、手を伸ばす。


「無事か」

「超強い!」「かっこいい……!」


 そしてそのまま二人は大門に抱きかかえられた。


 まひるは得意げな顔でステージに手を振り、ゆうひはもじもじしながら彼の大きな腕を抱きしめている。


 想定外の事態に呆然と立ち尽くしていた朝太の後方、信也少年が小さくつぶやく。


「な、なあ、おれ、あいつより強くなれる、かな」


 その声は震えており、笑っているのか泣いているのか判断はできない。


「おれ、自信ないよ……」


 人間じゃないし、とは言えずに返す言葉を探していると、双子を脇に抱えた大門が悠然とこちらに向かってきていた。

 騒ぎの中心が、皆の注目の的が、どんどんとこちらに向かってくる。


「あいつ、ふざんけんなよ……!」


 朝太はとなりであわあわとしている葵の手をとり、逃げ出した。ヒーローと握手する機会を失ってしまったことを、後悔しながら。


 ――


 肩で息をしながら、朝太は通話を終えた。


 相手はゆうひ。大きくなった騒ぎをどうにか収めるため、大門を変装――変身ともいえる――させ、やり過ごすよう頼んでおいた。


 全力疾走と真夏の熱気で、朝太は汗みずく。対して少しだけしか汗をかいていない葵が、買ってきた飲み物を差し出した。


 ありがとう、と受け取りすぐに飲みほす。


「朝太くん、ああいうの好きだったのに残念だね」


 葵も多少は暑いのだろう。手で顔を仰ぎ、ベンチに座った。

 黄色のふわりとしたシャツに、ショートパンツ姿は夏らしく涼しそうだ。しかし、健康的な足がいつもより露出していることに、朝太は正直目のやり場に困ってしまい、見ないようにと隣に座った。


「今も、ヒーローになりたい?」


 そんな朝太の心境を知ってか知らずか、葵は柔らかい笑顔で朝太に尋ねる。幼いころから変わらぬ笑顔だ。

 懐かしさと同時に沸いた感情を、朝太は一度置く。


「さすがにもう、思ってないって」


 親に買ってもらったおもちゃを振り回し、葵と遊んでいた記憶を思い出し、口元を緩ませた。


 その視線の先の葵が、長い睫毛を伏せる。


「じゃあこれから先――。進路って、もう決めた?」


「え……」


漠然としか考えてなかったもの。それを突然問われてしまい、朝太は少し黙る。


 耳元を歓声が通り過ぎる。絶叫マシンの観客は今この瞬間は何も考えず、ただ力の限りに叫んでいた。


 騒がしい声が過ぎ去るころ、朝太はゆっくりと口を開く。


「――正直いうと全然考えてなかった。大学には行きたいなって、それぐらいだな……」


 そっちはどうなんだ? と付け足す。


 葵は目の前ではしゃぐ子供たちをみつめていた。

「――じゃあ、私もそこの大学にいく」


「じゃあって」


 葵の見つめる先――小さな男の子が同じくらいの背の女の子と一緒に、走り回っている。


「じゃあ、ってなんだよ。おれが言うのはおかしいけど、ちゃんと考えたほうがいいって。成績、いいんだからさ」


 口を尖らせたまま朝太は答える。二人の見つめる先――ふたりの子供のうちの女の子が、つまづいた。


「……ちゃんと、考えたよ」


 男の子が心配そうに駆け寄る。女の子の手を取った。


 その光景を見つめる葵は、真剣な目をしていた。そしてゆっくりと朝太へと目を向ける。


「ちゃんと考えたから、言ってるんだよ。……朝太くんと一緒にいたいから。だからそこに、行きたいの」


 葵の目は、少し潤んでいるように見える。


「こういう事を言って、今の関係が変わっちゃうことも、ちゃんと考えたよ」


 朝太は、葵の意図にようやく気づく。いや、気づいていたのだが、わからないようなそぶりをしていた。


 その事実、その気持ちに、気づかぬうちに蓋をしていた。


 だが、目を潤ませた幼馴染の、家族のように大事にしたい女の子の前で、もはやそれはただの逃避でしかない。そのことに、ようやく気付いた。気づかせて、もらった。


「そっか。うん。そうだよな……」


 朝太は、自分に言い聞かせるように呟く。

 周りにはたくさんの人たちがいて、雑然としている。しかし今、自分と葵との二人だけのような感覚がある。彼女の瞳には強く秘められた覚悟が見えた。


 そして、朝太は言葉を返す。


「おれだって、一緒にいたいって思ってる」


 ずっと昔から思っていたこと、そして、これから先も変わらず思っていこうとした言葉だった。


「ああ、もう。おれから言おうと思ってたのに」


 先に言われてしまったことが、悔しくもあり、うれしくもあった。

「それ、いつ言うつもりだったの?」

「背がお前より……伸びたら」


 葵は笑った。朝太は顔が熱くなる。熱気のせいではない。


「わたしから言って良かった。一生言われなかったかもしれないし」


 そういうこと言うなよ、と頭をかいた。


「それでもいいんだってことだよな。背が高くないといけないとかそんな事どうでも良いいんだ」


 葵の手を握る。お互い顔を見ず、目の前の子供たちに視線を向けていた。


「頼られて、頼ればいいんだって」


「うん」


 男の子と女の子は手をつないで走っていった。


 しばらく言葉を交わさず、かといって顔をみるのが気恥ずかしいため、空ばかり見上げていた。この歯がゆい空気を心地よいとも思ったが、朝太は口を開く。


「あーちゃん。早速なんだけど、頼りたいっていうか、聞いてほしいことがあって」

「なあに?」

「母さん、具合良くないみたいなんだ。親父から、聞いてさ」


 葵は緊張したのか、手を強く握った。


「うん」

「原因、わからないんだって。どうしていいか、おれ、わかんなくて」


 朝太自身も声が震えている。上ずり、喉につかえるが、懸命に声を絞り出した。


「こんなこと言っても、わかんねぇよな。悪い」

「わからないから、わたしに言ったんだよ。だからお父さんも朝太くんに言ったんじゃないかな」

「……ごめんな」

「謝らなくて、いいよ」


 返事をするように葵の手を握った。その手はすっぽり包めるほど、小さく、柔らかい。朝太にとってそれは、何より優しかった。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ダイモーンは双子の提案の通り、変身していた。それはずんぐりむっくりとした形の紫色の蝙蝠。丸い造形から手足と短い羽が生えている。


「あははは。なんかブサイク!」


 まひる自らデザインしたのだが、先ほどからずっと笑っている。

 周囲の人々には新しいマスコットキャラにしか見えていないようで、写真撮影を頼まれたりはするが怪しまれてはいないようだった。


「お兄ちゃんたち、いないね」

「ちょうど良かったんじゃない? 二人っきりでデートってことで」

「じゃあ私たちもデート、だね」


 ゆうひがダイモーンの短い手をとる。


「まだゆうはお嫁さんになったわけじゃないから、まひるも大門さんのカノジョ候補だよね?」

「えー」


 まひるがあいた手をとるとゆうひが頬を膨らました。


「あまり引っ張るでない」


 ダイモーンは辟易する。動きにくい造形なのでいつ転ぶか分かったものではない。確かに変装するよう言われたが、こんな珍妙な格好をするとは思っていなかった。


「そうだ、大門さん。アレやって」


 まひるが正面に回ってはにかむ。ゆうひもそれにならい、二人で声をそろえた。


「空、飛びたいな」

「それが望みなら」


 ――


 人気のないアトラクションの脇に隠れ、ダイモーンは二人を抱えて飛びったった。着ぐるみのような今の格好だと、少しバランスがとりづらい。


 はしゃぐ二人を落とさぬようしっかりとつかんで上空へと飛ぶ。


「たかーい!」「おうちまでみえるかも!」


 感嘆する声を上げ二人は笑う。


「大門さん、変わったよね」

「お箸も上手になったし」

「弟卒業だね」


 その言葉に対し、弟になった覚えはないが、と大門は前置く。


「光栄だ」

「あ、笑った」

「そうそう。よく笑うようになったよね。顔は変わらないけど、よく笑ってる」

「難解だな」


 自分自身、ニンゲン、特に彼女らのようにころころ表情はかわらないと思っている。だが思念での会話が感情も通しているのかもしれない。


「私たちおねえちゃんだもん。わかるよ」「ねー」


 そうか、とだけ短く返した。遊園地の敷地内の林へ降りるため、速度をゆるめた。


「あ。おにいちゃんだ」「なんかいい感じになってるね」


 言われた方角で朝太が何か叫んでいる。おそらくまた文句を言われるのだろう。ダイモーンは嘆息し、大地に降り立った。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 すでに日が傾いている。


 存分に楽しんだので、朝太はすこし体が重い。しかし妹たちはまだまだ元気で、葵と先行しながら何やらきゃあきゃあ言っていた。葵は照れくさそうにはにかんでいる。

 そろそろ到着する自宅では、母が店を午後から閉め、二人の娘の誕生日の為に飾りつけをしてくれている。


 自室に隠してある妹たちへの誕生日プレゼントはやっと貯まったバイト代で買った。そしてその時にもう一つ買ったものがあった。


「なあ、大門」


 となりの大男に紙袋を渡した。それは大門の手のひらより少し大きい。


「これ、やるよ。その……、バイト代が余ったから」


 受け取った包装紙をきれいにはがす。そこには通常よりすこし大きなカレースプーンが入っていた。


「大事に、使わせてもらおう」


 からかわれたり、奇妙なことでも言われるかと思っていた朝太は、悪魔の素直な謝辞に面食らい、家に着くまでの間、一言もしゃべれなかった。


「ただいまー!」


 全員でぞろぞろと入っていく。母が自宅にいる時、いつもなら出迎えの言葉があるのだが、今日は返ってこなかった。


「お母さん?」


 店のほうにいるのか、買い物にでも出て言っているのか。娘の問いかけにも反応はない。


 リビングには途中までで止まっている飾りつけがあるが母の姿はない。と、突然キッチンから大きな物音がした。


 朝太がキッチンを覗く。


「母さん!」


 そこでは、母――陽乃が胸を押さえて倒れていた。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 救急車には朝太が同乗し、まひるとゆうひをダイモーンが連れていくことになった。


 夜の街をダイモーンは飛ぶ。先ほど遊園地の空を翔けた時とは別人のように、病院に着くまでまひるとゆうひは一言もしゃべらなかった。


 病院での処置を待つ間に奈津夫が到着する。彼もまた、口をつぐんだままだった。


「ご家族の方ですね。こちらへ」


 沈んだ表情の医師が処置室へ案内する。


 中へ入ると様々な器具を取り付けられた陽乃がベッドに横たわっていた。まひるとゆうひがそこへ駆け寄るが、陽乃は目を閉じたまま。


「奥様の容体は、その、良くありません。いつどうなるか」


 家族に告げる医師の顔は、沈んでいた。


「なんとも、ならないんですか」


 言葉を遮って奈津夫が続ける。医師は首を振った。


 申し訳ありませんと答えた医師に奈津夫は掴みかかろうとして、やめた。そしてか細い声を出す。


「少し、外してくれませんか」


 医師は頭を下げて退出した。病室には電子音のみが反響していた。


「なあ、大門さん。お願いがある」

「おい、親父」




「おれの命を使って――」

「やめろよ!」

「うるせぇ黙ってろ! 陽乃を助けてくれ! 頼む! 俺は、俺はどうなってもいいから……」


 懇願する声が病室に響く。縋るように奈津夫はダイモーンの手をとる。


「お父さん……」

「おれがいなくなってもお前たちなら、母さんと生きていける」


 保険だって入ってるしな、と笑う。だが。


「それは、できん」


 奈津夫の提案をダイモーンは断った。


「なんでだよ!」


 いつもの顔で淡々と続ける。


「陽乃に言われたのだ。恐らくお前がそう頼んでくるから断るように、とな」

「そんなこと……」


 俯いたことで声がくぐもっていた。


「そんなことして喜ぶわけがない、と。そう言えと頼まれている」

「やだよ……」

「お父さんも、お母さんも、いなくなっちゃうなんて、やだよ……」


 皆が押し黙った。その時、わずかに、蚊が鳴くような声がした。


「……もう、みんな元気ないのね……」


 陽乃が目を覚ました。全員で顔をのぞく。顔は青白く、生気がない。だが、その目はしっかりと家族を見ていた。焼き付けるよう、ゆっくり見まわしていく。


「ごめんね、まひる、ゆうひ。お誕生日のお祝いなのにね。……大門さん、あとはお願いします。私のお願い、聞いて……」

「申し訳ないが、それもできん相談だ」


 ダイモーンは、常山家の人々を前に、口を開く。


「陽乃、おまえの魂は消えかかっている。願いを叶える事が出来んのだ」

「もしかしてそれが母さんの体を……?」


 ダイモーンは聞き返した朝太にうなずき、続ける。


「以前に陽乃は願いを叶えている。その代償として魂を捧げた。まあお前たちに魂と言っても漠然としか伝わるまい。そうだな……。ありていに言えば、寿命とでも言おうか」

「その願いってまさか――」


 青い顔をした奈津夫が娘たちを見る。


「おそらくそうだろう。まひるとゆうひ、二人の命を救うためにその寿命を支払ったのだろうな」


「そんな!」「わたしたちの、せいで……」


 二人は陽乃の手を握る。涙を流す母の、細い指を。


「違うんだ。ふたりのせいじゃない……!」


 奈津夫はこぶしを血が出そうなほど握りしめていた。


「なんだよ、それ。どっちにしてもうちの誰かが……。そんなのってねぇよ!」


 朝太の叫びが、病室に反響する。少年の目には、やはり涙が浮かんでいた。


「そうだな。理不尽だ」


 ダイモーンは、静かに朝太へと言い放つ。事実を伝える自身の物言いは、少年を傷つけているのだろうと、わかっていた。


「……やっぱり私、疫病神ね」


 陽乃がむせび泣く娘たちの頭に触れる。


「誰が、そんなことしたんだ」

「誰だろうな。通りすがりの悪魔か。それとも――」


 神のきまぐれか。


「……さて、そろそろだ。早くせんと陽乃も持たんだろうしな」

「お前、何言って――」

「いや、我ともあろうものが名残惜しく感じてしまってな。すまなかった」

「それって……」


 ダイモーンは陽乃に近づくとその大きな右手をかざした。


――では、我は我へ願おう。常山陽乃の魂を、あるべき姿へ――


黒い異形の腕から淡い光が生まれ、みるみるうちに大きくなっていった。

そしてそのまま陽乃の体へ入っていく。


「お前、何を」

「何、我が願いを我に叶えさせたのだ。少し賭けではあったがうまくいったようだ」

「で、でも大門さん、アンタなんか薄くなっていってるぞ……」


 奈津夫の声に応じ、ダイモーンは自分の腕を見る。自身にははっきりといつものように腕があるように見える。


 ああ、そうか、とダイモーンは呟いた。


 彼が叶えた願いに対し、支払われた代償は――。


「消えちゃうの?」「やだ、大門さん、死なないで!」

「そんな、わたしの為に……」


 常山家の人々がこちらを見ている。大門は大きく笑った。


「案ずるな。お前たちの我に対する認識が薄くなっているだけだ。死ぬわけではない。我はお前たちニンゲンのように惰弱ではないからな」

「……認識が薄くなるって、どういうことだ」


「――我に対する記憶が消えているのだろうな」


 さらりと告げた。ダイモーンの前の面々は口々にそんな、いやだ、と嘆く。だが奈津夫は違った。唇を噛み、涙が浮かぶ目を見張っている。


「大門さん。すまない……。でも、助かった。ありがとう……」

「うむ。その言葉、胸にしまっておこう。奈津夫、お前の最大の宝は陽乃という伴侶を得たことだ。胸を張って生きていくがいい」


 ダイモーンは次に陽乃へ向く。


「陽乃。良く耐えたな。見事であったぞ。我がもう少し早く判断しておればこうも苦しまずにすんだものを。すまなかった」

「そんなの大丈夫。それよりあなたがいなくなるのが私……」

「その気持ちだけで十分だ。あまり言うと亭主が嫉妬するぞ。お前のカレー、まこと美味であった。……息災であるよう望む」


 ゆうひとまひるがダイモーンの足にしがみついた。


「まひる。お前は本当に立派な女だ。そして良き姉であった。お前がゆうひをかばう姿、我の記憶にしっかりと刻んであるぞ。ゆうひや朝太、両親の事、しっかりと見ておくのだ。お前がこの家族の核といっていい。元気でな」

「やだ、いかないでよ……」


「ゆうひ。お前は真に優しき女だ。その分気を使いすぎてしまうだろうが、そういうときこそ姉を、家族を頼るがよい。そして我の事を好いてくれたこと、誇りに思う。いい女になるぞ」

「うう……」


 二人をダイモーンは優しく引き離す。


 そして――。


「おれは、ありがとうなんて思わないからな」

「お前と言う奴は……。いや、まあ我とお前はそれで良いのだろう」


 ダイモーンは苦笑する。朝太は悪魔を睨んでいた。目は充血し、鼻をならすが、必死に涙をこらえている。


「強くなれ。よい見本の父がおろう。あれは少々粗忽だが芯がある。……我はお前に会えて良かった。一つ、心残りと言えば朝太、お前の願いを叶えてやれなかったことだが」


「――俺の、願い――」


 ダイモーンの周りに様々な大きさの光の粒が舞う。それが重なり合って、大きな光の奔流となり彼の体に取り込まれていく。


「ではさらばだ。楽しかったぞ」

「おい! 大門、俺は! 俺はお前を――!」


 朝太が言った言葉をダイモーンは噛みしめる。目を閉じ答えた。


「それがお前の望みなら、いつか叶えてみせよう」


 そして悪魔は魔界へと帰った。彼がいた場所にはトレンチコートとソフト帽が残っていた。



「大丈夫ですか? なんだか大きな音がしていたんですが……」


 部屋に入った若い看護師に問われ、朝太ははっとなる。

 頭はぼうっとし、目から涙が流れていた。


「お母さん、起きて平気?」


 妹たちが母を気遣う。倒れた母を病院に連れてきたところまでは覚えているが、どうにも記憶がはっきりしない。


「あ、うん。ちょっと体がだるい感じはあるけど」


 母は体のあちこちを見回す。


「なんだろ。大丈夫みたい。なんかごめんね」


 そう言って笑った。


 朝太は退室し、病院の外に出た。母を病院に連れていくときに葵が心配をしていたのを思い出し、連絡するために携帯電話の電源を入れる。


 なぜか手には、誰が着ていたのか、夏だというのにトレンチコートとソフト帽がある。


 外は真っ暗で月が出ていた。今日は満月、なのだが月の形は丸ではなく、見ずに溶けたようにふやけて見えていた。


『朝太くん? どうしたの? ……泣いてる?』

「いや、なんでもない。それより心配かけちゃったけど大丈夫だったよ――」


 目からあふれる涙を朝太は止められなかった。止めようと、しなかった。




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