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大門さんは大悪魔  作者: 条嶋 修一
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4話 後編

 妹たちがケンカをした。


 きっかけは悪魔がいるかどうかで男の子と揉めたまひるに、ゆうひが加勢しなかったことだという。葵がなんとか聞き出した情報を、朝太は頭に放り込んだ。


 叱るべきなのかどうなのか。どちらを叱ってもどちらかに我慢をさせるようなことになる。もちろんきっかけを作ったまひるをまず諫めるべきなのだろうが……。


 自分が言った言葉が彼女らを縛った、そのことに朝太は少しの後ろめたさも感じていた。


 明日は夏祭り。設営にも参加していたので、妹たちにも楽しんでもらいたい。

 このままの状態で迎えるのはかわいそうに思う。しばらくすれば誕生日もあるので、早々に仲直りしてもらいたいものだが。


 リビングのソファでテレビを見ながら思案していたら、晩酌をしていた父親が隣に座った。


「おう、少年悩んでるねぇ」


 剃ったあごひげが懐かしいのかあごを触りながらニヤニヤしている。


「なんだよ。酒くせぇからあっち行けよ」

「連れないなあ。ひとくち飲ませろとか言わないの?」


 缶ビールを目の前で揺らす。うっとおしく思った朝太は自室に行くために立ち上がった。


「待て待て。座れ。お父さんと話をしよう」

「おれにはないんだよ。勉強するから離せ」


 いいから、と強引に腕を引かれて座りなおされた。


「あいつらの事だろ。何て言おうか考えてたってとこ?」


 にやけ顔のまま問う父に、図星だと気づかれないよう顔を背ける。


「……ま、ここは親父に任せろ。たまには父親やらないとな」


 頭をこねくり回される。朝太は父親の太い腕を、面倒そうに振り払った。


「まずは一人ずつ。だな」


 言って奈津夫は立ち上がり、部屋に閉じこもったまひるを呼びにいく。

 ゆうひは気まずさから陽乃の部屋にいるので、二人は夕食以来話をしていない。

 しばらくするとぎゃあぎゃあと騒がしい声が聞こえた。


「離して、離してよ!」

「いーやでーす」


 蹴られ、叩かれようとも丸っきりの無視を決め込む父親に捕まり、まひるがリビングに連行された。ソファに座らされ、その正面に奈津夫がしゃがみこんだ。


「……なに?」


 強気に構えるまひるは父親を睨む。頬を膨らましている様子が朝太にはかわいらしく感じたが、父親は笑うだけで話そうとしない。


 うう、と焦れたまひるの頬を両手で包み、目線を無理やり合わせる。


「まひるは、自分が悪いと思うか?」

「――そんなこと……ないもん」

「そうか。なら、ゆうひが全部悪いか?」


 言葉にまひるは黙った。頬を掴んだ手を放し、頭をなでる。父親は娘が言葉を発するまでまった。


 しばらくしてまひるは小さく声を出す。


「……ゆうは悪くない、よ」


 言葉には答えない。頭をなで続けた。


「言っちゃいけない事、言ったのは、まひるだから。でも……」

「うん」

「助けて欲しかったの、悪いことしたわたしを、助けて、ほしかった」

「そうか。わかった。それゆうには言ったか?」

「うん、でも、もっとひどいこと言っちゃった。うらぎったって……言っちゃった」


 目から落ちる大粒の涙を奈津夫は拭った。


「謝りたいか?」


 こくりと頷く。泣きながら、父に抱き着くまひるはわめいたりはしなかった。


「朝太。まひると一緒に部屋にいっててくれ。ゆうひと話してくる」


 答える前にまひるを渡された。妹は歯を食いしばり、わめくことを我慢するように朝太にしがみついた。


 妹たちの部屋に入る。電気は点いておらず、真っ暗だった。


 ライトの電源を入れてベッドに腰かける。

 朝太は、しがみついたままの妹の背を撫でた。


 自分はどう叱ろうかと考えていた。しかし父は叱らず、怒らず、話を聞き、どうするかを聞いていた。

 それが親と兄の違いなのか、それとも個人の、個としての常山朝太と常山奈津夫の違いなのかはわからない。わからないままただ、まひるの背を撫で続けていた。


「お兄ちゃんは、怒らないの?」


 おずおずと聞いた妹の声は上ずってはいなかった。


「うん。怒ろうって最初は思ったんだけどな。どうしたらいいかわからなくなった」

「お兄ちゃんでもそういうこと、あるの?」

「あるさ。いっぱいある。でも二人が仲良くしてるのが、兄ちゃんは一番いいと思う」


 うん、と声が聞こえた。同時にノックが部屋の扉をうつ。恐らくゆうひが来たのだろう。


「兄ちゃん行くから。まひるはお姉ちゃんだけど、ふたりは一緒だ。えらいとか強いとか、そうじゃないんだと思う。一緒でいいんだと思う」


 ドアの向こうに聞こえるように言い、ゆうひと交代して部屋を出る。すれ違ったときに見たゆうひの顔には、まひると同じように泣きはらした目があった。


 階段を降りると父が笑いながらテレビを見ていた。張り合う必要なんてない、と妹たちに言った手前、自分も大人にならなくてはいけない。


「親父、その、勉強に、なったっていうか」

「あ? 何?」


 もう一度聞き返してきた赤ら顔の父に、なんでもない、と言ってテレビをみる。


「なあ息子さん、お父さんのビール、おかわりくれない?」


 いつもなら自分で行け、と切り捨てていたが、今回は素直に従う。渡すと嬉しそうに飲み始めた。

 小腹がすいたので、何か作ろうとキッチンに立つ。ついでにつまみでも一緒につくってやろうかと、冷蔵庫をあけた。


 テレビの音量はキッチンまで届いている。そこまで好きでもない芸人のトークが今日はやけにキレているなと朝太は感じた。


 ――


「皆ご苦労だった。仕掛けは上々だ。いや大変な功績、実にありがとう」


 肝試しの設営を終えた頃には午後四時を回っていた。朝太は大仰に演説し始めた厳造寺を放って、神社の階段を下りていく。冷たい飲み物を欲していたので、神社を出た先の自動販売機に向かうつもりだった。


 妹たちが待ちきれず大門と三人で出たと母からメッセージが来ていたので、そろそろつく頃合いだろう。


「へへっ! なんだよ二人で! うそつきのクセに!」


 声は下の広場から聞こえる。まひるとゆうひが手をつないで一人の男の子に何やら吹っ掛けられているようだった。

 黙って無視する妹たちに、男の子は気分を悪くしたのか、取り巻きの男子たちとやいのやいのと囃し立て始めた。朝太は耳を澄ます。


「アクマはどうした? ショーコはもってきたのか?」


 話を蒸し返されている様子だった。


「昨日みたいに泣かせてやろうか?」


 大柄の男の子が威張るように腕を組んでいる。男ってのはなんでこう、いらん事を言うのかね、と朝太はため息が出た。

 かといって子ども同士の間に入るのは大人げない。のだが。


「おい! 黙ってないでなんとか言え! ブス」


 気が付くとその少年の前に座っていた。


「おう、威勢いいな。そういう奴こそ今日の肝試しにもってこいだ」


 考えるより先に言葉が出ていた。朝太は妹たちの前からその少年をかばう様に、話しかける。


「怖いものはないと見た。きみ、泣きもせずクリアしたらすごい賞品をあげよう」

「な、なんだよお。いきなり」

「泣かずにクリアできるところをお兄さんにみせてくれ」


 負けん気の強そうな色黒の少年は、大きな声で言った。


「へ、子供だましだろっ。ぜったいに泣くわけないじゃん!」

「よし、よく言った。じゃあ七時に神社で待ってるからな」


 もう行こうぜ、と後ろにいた小柄な男の子が声をかけ、少年たちは去っていった。


「お兄ちゃん、なんで笑ってるの」「笑ってるのに笑ってない……?」


 妹たちの疑問に答えず、朝太は入り口の鳥居に向かって大声をかけた。


「おい! 大門! いるんだろ!」

「どうした」


 茂みからいつものトレンチコートではない、法被姿の悪魔が現れる。頭には大きく『祭』と書かれた手拭いを巻いていた。


 いつもならその格好に何かしらの文句を言う朝太だが、今はそれよりも大事なことがある。


「聞いてただろ。さっきの。あの野郎……」

「まあ我としても気分のいいものではないな」


 腕を組む大門。腰の帯に商店街のうちわが刺さっている。


「いいな、手を貸せ」

「お兄ちゃん、もしかして」


 あれほど悪魔であることを隠すよう言ってきた兄がやろうとしていることに察しがついたゆうひはまひるの手を強く握る。


「せっかく二人が仲直りしたってのにな。いつまでもあんな事いわれるのはさすがに兄ちゃんも嫌だ」


 でも、とまひるも止めようとする。だが兄の意図を理解したからか、それ以上は言わない。兄の表情に言葉を噤んでしまったとも言える。


「悪魔がいること証明してやる。そしておれの可愛い可愛い妹たちを侮辱したこと――」


 笑顔を絶やすことなく、ふたりの妹の頭をなでた


「後悔させてやる……」


 いまの自分の顔がよっぽど悪魔じみていることに朝太は気づいていない。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 須藤信也は自分の事を大人びていると思っている。

 当然大人にはまだほど遠い。だが、年の離れた兄がいて、そのまわりの人たちと話をしている自分は、クラスの誰よりも大人に近いと思っていた。


 幽霊がいないことも知っているし、お化けなんてそもそもクウソウのサンブツだということも分かっている。そんなの全部、嘘っぱちだ。


「信也、大丈夫かな、なんか寒い気がするんだけど」


 肝試しの会場を進んでいく信也の後にはいつも遊んでいる男子が二人ついてきていた。そのうちの体の大きな男の子が、先頭にたって提灯をもつ信也に不安そうに話しかける。


 昼間は今日もカンカン照りで、空を見ても、星がたくさん見えるくらいだ。雲もない。


「夏なんだから寒いわけないだろ。気持ちが負けてるんだよ」


 正直、信也にも寒気があった。二人に悟られまいと、そんなことはあり得ないといい気かかせるように発破をかけた。


「さっきのあれ、双子のアニキだぜ。おれ見たことある。……きっと仕返しになんかしてくるよ」


 背の低いほうの男子もおっかなびっくりといったていで付いてきていた。


「大人は子供のケンカには入ってこないんだよ。だいたいあいつらがアクマとかなんとか言ったのが悪いんだろ? ふたりだってそう言ってたじゃんか」


 そうなんだけど、と歯切れ悪くふたりは答える。


「大丈夫だって。何かされても親にチクればなんてことないんだから」


 いつだって誰かに何かされても、親か先生か、誰かしら味方の大人がいる。信也は兄や親を上手く使うことに長けていると思っていたし、それが子供の生き方であると信じていた。


 それに、まひるのやつに負けるのは嫌だった。

 相手は女子だ。けど、なんでか突っかかるあの勝気な女の子に、自分が強いと見せつける必要がある。そう躍起になることがある感情が何かわかるほど、彼は大人ではなかった。

 しばらくろうそくの立ち並ぶ坂をいくと、びゅうと風が吹いた。雑木林の葉をこする音が少し聞こえる。


 風がやんだ。しかし葉の音はまだ鳴っていて、それが次第に大きくなっている。


 林の奥から何かがこちらに向かってくるのか。信也は二人が後ずさろうとしているのを足音で感じた。


「なにビビってんだよ。どうせおどかし役がいるんだから、ビビるだけ損だぜ」

「で、でも信也、ここに来る前、おばあさんが……」


 彼ら三人が提灯を受け取り、肝試しコースに入ろうとした時、小さな白い犬を抱いた老婆がしきりに闇に向かって「見える、見えるわ、あれは……、霊……」と誰ともなく呟いているのを聞いた。


 さすがの信也も薄気味が悪く思ったが、それが大人の演出、そういうやり方だと高を括ることにして肝試しをスタートしたのである。


「大丈夫だって。いるわけないんだから」


 そう言って振り返って二人を見ると、信也と目が合わず、指さしながら二人が震えだした。示す方向は信也の真後ろ。藪の中。


「し、しん、や、うし、うしろ」

「なんだってんだよ……」


 辟易しながら向き直るとそこには――、男なのか女なのかわからない、人型の何かがいた。

 蠢きながら口のようなものを開け、唸る。おぞましく膨れ上がった皮膚のようなものが弾けて、悪臭を放った。


 薄暗がりを提灯で照らす。顔や手、足から腐ったようなニンゲンのようなそれは、信也のわずか何年かの記憶から察して、ゾンビという、バケモノに違いなかった。


「うううわあああ!」


 後ろの二人が一目散に逃げだした。その声がかえって信也の冷静さを取り戻したのか、騒がず、しかしその異形におののきながら、独り声を出す。


「つ、作り物にしてはデキがいいんじゃないの? でもどうせ中に人が入ってんだろ!」


 勢いに任せ、脛を蹴った。痛がって怒り出す大人をからかおうと思った信也の目に、信じられない光景が広がる。

 うめき声をあげるゾンビの右足が、信也が蹴った瞬間にちぎれて飛んで行ったのだ。そのまま倒れこむように信也に覆いかぶさるのをすんでのところでよけるが、足腰が言うことを聞かず、尻もちをついたまま後ずさることしかできない。


「う、うそ、嘘だろ、なんで足、足が……」


 そのスピードでも追いつけないゾンビはゆっくりと、しかし確実に這い、迫ってくる。尻をついたときに落とした提灯の火が消え、あたりが真っ暗になった。星と月の光でかろうじて見える闇の向こうから、唸り声がまだ続いた。


 その声が、右から、左から、聞こえてくる――。


 何が起きているのかわからない。本当のバケモノがいるなんてそんなことありえない。

 とにかく冷静にならなければと、明かりを求めいったん引き返そうと体の向きを変える。と、そこには見慣れた双子がいた。


 まひるとゆうひだ。月明かりに照らされているのか、青白く見える肌の二人がこちらを見て微笑んでいる。


 見知った顔が現れたことに落ち着きを取り戻した信也は、立ち上がると二人に詰め寄ろうとした。


「お、おまえら、なんだよ。何笑ってるんだ!」


 二人は答えない。ただ薄く笑みを浮かべ、同時に手を前にかざした。

 その瞬間、彼女たちの足元が光る。円のように二人を囲む光から、徐々に何かがせり出してくる。


 鬼のような顔した何かが双眸を輝かせて信也をにらみ、肩に双子を乗せて姿を見せた。

 蝙蝠のような羽に、とぐろを巻いた大きな角。暗がりに溶け込んだ真っ黒な肌と、鋭利な牙がのぞく大きな口。――悪魔だ。


「あ、あ、あ」


 言葉が出ない、助けを求められない、誰もまわりにいない。

 悪魔の口が大きく、信也を呑み込むほど大きく口を開けたところで、世界が暗転した。


 ――


 信也が目を覚ますと、まひるとゆうひが覗き込んでいた。

 そっくりな二人がダブってみえたが、それは意識がはっきりしないせいではない。


「なに、アンタ、こんなとこで寝て。どうかしたの?」


 よく思い出せない、なにかとてつもないことが起こったような気がしていたが、何度も頭をふってもわからない。胸がどきどきして、頭がガンガンする。


 ただ一つ、思い出せるのは――。


「アクマがいた……」


 口から出た言葉で自分も驚く。その言葉を言うと、まひるは絶対からかうのがわかっていたから。


 だが、まひるは笑う。口の前に一本指を立てて。秘密にするよう訴えるようなそれが、頭に残る恐怖を全部吹き飛ばした。血が昇り、動悸が激しくなる。


 笑顔の少女は妖しく笑い、こそと耳もとで囁いた。


「ね? わたしの言ったとおりでしょ?」


 これから彼女の顔がまともに見れなくなるのは、ケンカをした後ろめたさだけではなくなる。信也は眼前にいる小悪魔の顔が、いつまで経っても脳裏にこびりついて離れなくなってしまった。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 すっきりはした。だが子供相手に少々やりすぎてしまったのではと朝太はさすがに反省していた。大門が言うには少しの恐怖だけは残して記憶をあいまいにしたとかなんとか言っていたが、本当のところはどうなのかわからない。


 懲らしめたことに後悔は全く無かったが。


 肝試しを終え、そろそろ仕上げの花火があがる。設営の跡片付けは明日また集まり昼間のうちに終わらせる予定だ。


 例年のように出店をすべて回ることはできないかもしれないが、友人たちと何か仕事をするのも新鮮だと感じる。


「いや大成功だったな。みんな本当に助かった。改めて礼を言うよ。ありがとう」


 厳造寺の長い演説が終わり、家族と一度合流するためにその場を離れようとした朝太に厳造寺が走り寄った。


「常山、ありがとう。大変評判だったのは君の担当エリアだったようだな」


 悪ふざけが過ぎて、悪霊や霊魂も呼び寄せてしまったことだろうか……。彼の悪趣味に食いつかれても困るので、苦笑いでその場を去ろうとするが厳造寺が腕をつかんで離さない。


「入り口にいたご婦人はきみの知り合いか? こう白い犬を抱えて、霊がどうだとか見えるだとか言っていたそうだが、演出としてはベタだが、効果あったようだな」


 池田の目が良くなったのはいいが、いらぬものまで見えるようになっているようだった。


「そういえば大門氏も尽力してくれたと聞いている。これを彼に渡しておいてくれ。気持ち程度で悪いが、受け取ってほしいと伝えるように」


「いくら入ってんの?」


 厳造寺が無粋だなきみは、とぶつくさ言うが気になってしまう。


「父に迷惑をこうむったので、予算と上乗せして何か出すようせびったら渡されたんだ。きみの家族分はあるはずだよ」


 中身は少し郊外の遊園地のフリーパス券。そのペアチケットが三枚だという。

 大門が喜ぶかはわからないが、妹たちは喜ぶだろう。封筒を早く渡してやろうと朝太は駆けだした。


「ゲン、お前って粋な奴だな」

「きみとは違うからね」


 眼鏡を上げた友人からの皮肉を受け、朝太は肩をすくめて返した。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 大きく花火があがる。

 ダイモーンの肩にはゆうひが、その隣には陽乃がおり、そしてその奥に奈津夫に肩車をされたまひるが並ぶ。


「大門さん、たまやーっていうんだよ」


 上機嫌のまひるが父の上から助言した。どういう意味なのか少し考えたが、よくわからない。顎をさすっていると、まひるがダイモーンの頭の手拭いを引っ張った。


「お父さんがね、言ってたの」


 ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ゆうとね、まぁちゃんね、生まれた時に病気したんだって」


 ゆうひは思慮深く、聡明な子だとダイモーンは評価している。言葉を一生懸命たぐる彼女は今、笑顔なのだろう。


「でもね、お父さんとお母さんとお兄ちゃんがね、元気になるようにって。二人で一緒に元気になってって。そのお願いしたのが、この神社なんだって」

「ほう」

「そしたらほら、今すっごい元気だよ」


 大門さんみたいだね、と笑う。


「ねえ、まひる、ゆうひ」


 ダイモーンが答える前に浴衣姿の陽乃がふたりに問いかけた。

 店を早く閉め、娘たちと一緒に髪をまとめ、浴衣に着替えた彼女たちを奈津夫がしきりに写真にとっていた事を思い出す。


「おおきくなったら、何になりたい?」


 花火は小さなものが連続であがり、耳朶を細かく叩いた。


「まぁはね。女優!」

「お! いいなあ! 世界一可愛いから、世界一の女優になるぞ」


 奈津夫がまひるを褒めそやし、花火の音に合わせて踊りだした。やめてというまひるは大きく笑って父の髪を掴む。


「抜けるから髪掴むのはやめようね! ゆうひはどうだ? ふたりで女優ってのもいいなあ」

「ゆうはね、うんとね」


 そういってダイモーンに耳打ちした。頷き、ゆうひを地面におろしてやる。


「お父さんに、お願いがあります」

「なんだなんだ改まって。どうした?」


 上機嫌になりながら奈津夫が屈む。


「わたし、あの、大門さんのお嫁さんになりたいです!」


 言葉が理解できなかったのか、奈津夫が固まった。ダイモーンはゆうひに法被の裾をひかれ、打ち合わせ通りに言葉を発する。


「お義父さん、娘さんを、ぼくにください?」


 これであっているか? ときいたゆうひはきゃ、と言って両手で顔を覆っていた。


「――お、お、お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはねぇ!」


 急に跳ね上がって奈津夫がダイモーンへと詰め寄り、襟をつかむ。


「おとーさん、ちょっとまってこわ、危ないって」


 まひるが狼狽しながら揺られている。となりで陽乃が腹を抱えて笑っていた。


「何やってんだよ。すっげえ目立ってるけど」


 奈津夫がダイモーンの襟首をつかんで前後に揺らしていると、朝太が声をかけた。


「取り込んでるとこ悪いけど、こいつ借りてっていい?」


 こいつ、とはダイモーンの事だろう。失敬な、とダイモーンが不服を訴えるが、陽乃が涙目で騒ぐ奈津夫の間に割って入った。


「了解了解。じゃあ奈津夫さん、ゆうとまあと四人でちょっと出店までいってみますか」

「まて、ハル。ここで勝負を決めないと、娘がとられる」


 はいはい、と抵抗する夫を引きずっていった。娘たちもそれに同行していく。

 見送るダイモーンにゆうひが振り返り、ほほを染めて手を振っていた。


 ――


「用とは何だ?」


 ダイモーンは朝太に問う。二人は境内に至る階段で腰を下ろしていた。花火も終盤、大きな輪が光り、重なり合って夜空に舞う。


「渡すもんがあってさ。……これ」


 朝太が封筒を差し出した。


「お前にって、ゲンがさ。報酬みたいなもんだって」


 ダイモーンは受け取る。ゲンというのは朝太の友人の事だろう。一度顔を合わせたことがある。何やら言動のおかしな少年だったような記憶がある。


 中身を空けると紙切れが三枚出てきた。


「お前が色々悪霊だかゾンビやら呼び出したせいで、肝だめしが盛り上がったんだとか言ってて。その礼だってよ。何にも被害とかなくて良かったけど、アレどうなってんの?」


「なんのことはない。そこらにいる。少し声をかけただけだ」


 何それ怖っ! と朝太が飛びのく。


「うぇ。勘弁してくれよ……。そうだ、大門。あいつらの誕生日プレゼント何か考えてたか?」


 周りを見回しながら朝太が聞く。案外この男、霊やそういった類が苦手なのかもしれない。


「いや。何か与えようとは思っていたのだがな。こちらでは少々手に入るものが揃わず、難儀している」

「ちなみに、何をあげるつもりだったんだ?」


 うむ、と頷く。


「望む夢を見れる、『魔界永久安眠枕』」

「それちゃんと起きれるのか? ダメだ却下」

「あとはそうだな、『魔界フェロモン軟膏』、一種の惚れ薬だな。しかも腰痛とリュウマチに効く」

「対象年齢が謎だ、却下」


 はあ、とダイモーンのとなりで大きく息を吐く。


「それ、今渡したの、遊園地のチケットだから。渡してやれば喜ぶんじゃないか。もう来週だしな誕生日」


 頬を掻きながら朝太が助言した。


「そうか。助かった。使わせてもらおう」


 おう、と答えた朝太が咳ばらいをし、ひとついいか、と前置いた。


「さっきさ、妹の事で協力してくれただろ? 願いがどうとかそういうの、聞かなかったよな」

「ああ」

「おれもまあ、頭に血が昇ってたんだけどさ。お前の目的は帰ることなんだろ? 最近もそうだけど、めっきり願いの事、言わなくなったと思って」


 ダイモーンは思案する。火薬が爆ぜる音が連続して響き、いくつか時がすぎた。


「わからん」

「なんだそれ」


 ダイモーンは正直に答えたつもりだった。何故、と言われても明確な理由はない。ただ先ほどは自分にも少々不快でもあったから、としか答えようはないし、願いについても少し忘れていたぐらいだった。


 それを口に出すつもりはなかったが。


 対する朝太は笑っていた。いつもの鼻で笑うような笑いではない、きっと友人たちに見せる笑顔と同じなのだろうとダイモーンは感じる。

 花火が終わろうとしていた。


「二人で一緒に花火? お邪魔したら悪いかな?」


 少女の声がした。そこには葵と以前カルミアで顔を合わせた金杉という娘がいる。二人は浴衣姿で階段の下から声をかけていた。


「朝太。行くがいい。我には少し用がある。皆が帰り着く頃には戻れよう」

「そうか? まあいいけど、遅いとカギ締めるからな。お前相手に意味ないだろうけどさ」


 気を付ける、と告げてダイモーンは闇に消えた。


 ――


 「邪魔をするぞ」


 ダイモーンがその扉を開けると、事務机に座った男がすぐに反応した。白く染まった頭髪をなでながら驚いた顔を見せたのち、仰々しくお辞儀をする。


「いや、どうも。……思いがけない来客ですね。どうぞお掛けになってください」


 服装は先ほどの法被姿とは替え、いつものトレンチコートにソフト帽。それを脱ぐことなく部屋に入った。陣内が指し示すソファには誰も座ってはいない。


「長居するつもりはない。聞きたいことがあったのでな」

「左様でしたか。私はお話ししたいことがたくさんあるのですが」


 茶菓子と茶の準備を始めた陣内はダイモーンの要求を汲んだように見えない。その行為に気を悪くするでもなく、ソファに座ったダイモーンは目閉じて静かに待った。


「で、お話とは何でしょうか」


 ゆっくりと瞼をあける。陣内は笑顔で手を組んでいた。


「単刀直入に聞く。貴様は何者だ」

「何者……ですか。哲学的ですね」


 はぐらかすような物言いをするが、ダイモーンは意に介さない。


「質問を変えよう。我について何を知っている」

「知っているも何も、ありませんが……」


 目の前の男は失礼、と言い立ち上がった。換気扇の下に行き紙煙草に火をつける。こちらに振り向きながら紫煙を吐く。


「貴方相手に余計な回り道は必要ありませんね。歳のせいか話が長くなってしまいますので」


 ダイモーンは無言で促す。


「一度、見たことがあるんですよ、奇跡を。貴方がた悪魔の行使する力のような、願いの叶った出来事です」


 そうか、と短く答えた。ダイモーンには合点がいった。目ざといのはこの男の生業か、性質か、その両方なのかもしれない。だが陣内の、ダイモーンが起こす事象に対しての耐性、不動心というものが気になっていた。


 そして今、新たに陣内が言った、奇跡。


「どういったものか、お聞きにならないんですか?」


 答えない。


「貴方にもかかわりのある事とは思いますが。――いえ、ご存知の様子ですね」


 そう言う陣内の顔は力なく微笑んでいた。表情とは別に思念から感じる感情は、無力感や歯がゆさのようなものが受け取られる。


「我の話はこれまでだ。もうここに来ることはないだろう」


 ダイモーンは立ち上がった。茶菓子はちゃっかりと胃の中に収めている。

 陣内は引き留めることもせず、残念ですとだけ言い、換気扇の電源を落とした。


「これからも、あやつらを頼むぞ。貴様のようなものでもいないよりかマシだ」

「ふふ。まさか私の人生で悪魔との取引なんてするとは思いませんでした。老い先短い僕に貴方は何を与えてくださるのでしょう」


「依頼だ。料金は奈津夫でも朝太でもツケでよかろう」


 おどけて言った言葉を消すように陣内は一つ、咳払いをする。

 彼は真摯な顔で悪魔を見つめた。王に進言する宰相のような、覚悟をはらんだ瞳。


「貴方の力でなんとかならないんでしょうか。私、いえ、おそらく誰もが――救えないのかもしれないのです。でも、貴方なら」


 その声に答えず、ダイモーンは事務所を後にした。

 建物の外に出る。あたりに祭りの騒がしさは無く、人影も無い。ダイモーンは翼を広げ、宙へ舞い上がった。


 夜空に浮かび上がった少し欠けた月が、こちらを見ている。

 羽をはためかせて進む。常山家へ。


「望むものがその答えを出せるとは限らん。世とはもうまくいかぬもの、だな」


 悪魔の声は誰に向けられたものか。月はただ、街を照らすだけだった。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「頭痛ってえ……」


 夏祭りの翌日、奈津夫は二日酔いのまま出社していた。昨晩のゆうひのお願いが響き、酔いに酔って大門と相撲を取った。


 結果は惨敗したのだが、まだ父親として負けを認めるわけにはいかないと、飲み比べたりしてからの記憶があいまいになっている。


「常山さん、大丈夫ですか?」


 店舗にアルバイトできている女の子が、商品を並び替えながら心配そうに見ていた。開店にはまだ時間がある。


「ありがと。大丈夫、って言いたいんだけどさあ。……聞いてくれる?」

「ええ。何かあったんですか?」


「娘がさ、好きな人できたって言ってきて。もう、ショックで……」


 ははは、と声を上げて笑われる。


「娘さん、おいくつなんですか?」

「もうすぐ十歳。双子なんだよ。もう超かわいいんだぜ」


 写真を見せようと携帯を取り出した時、搬入口からの店内放送が入る。アルバイトの子が行くのを手で制し、力仕事はオジサンに任せなさい、と奈津夫が向かった。


 店舗裏手の搬入口には新製品と注文品がならんで搬入される。いつもトラックの運転手と二人で荷下ろし作業に入るが、今日は向こうもアルバイトがいた。


「どうも、お世話になってます。商品をお届けに――、ってマジかよ」

「うお。朝太、お前なにしてんだ」


 アルバイトが息子だと思わず、奈津夫も声を上げた。


「親父、ここで働いてたのかよ。別のに回してもらえば良かった……」

「父ちゃん言ってんだけど。……お前、おれに関心なさすぎじゃない? まあいいや。お前も金もらってんだし真面目にやれよ? ちゃっちゃと終わらすぞ」


 返事もそこそこに仕事に取り掛かった。慌てて朝太も従う。


 ――


 搬入を終え、奈津夫は運転手に少し時間をもらった。

 朝太を店舗脇のベンチに呼び、自身はタバコに火をつけた。


「一服だけ付き合え。ちょうどいいから話がある」


 奈津夫はいつも通りの顔で伝えたつもりだったが、息子は勘が良い。投げた缶コーヒーを受け取った朝太は少し緊張しているように見えた。


 一吸い、二吸いとタバコをふかし、少しの間を空け、奈津夫が口を開く。


「朝太。ハル――母さんな、具合悪いんだ」


 朝太は奈津夫の顔を見つめていた。頷くわけでもなく、返事をするでもなく、言葉を待つ。


「気づいてたか?」

「なんとなくは」


 きっと苦しいのを見せず気丈にふるまう母に違和感程度でも引っかかっていたのだろう。それでも母を問い詰めない息子を、奈津夫は自慢に思う。


「そんなに、悪いのか?」


 問うた朝太の声が掠れている。


「原因が、わからないんだ。……どんな病院に行っても、ストレスだとか、心的要因だとか言ってらちがあかねぇ。なのにハルはどんどん苦しんでる感覚が狭くなってきてるって」


 指に挟んだタバコの灰が落ちた。頭を抱えるのは頭痛などではない。


「まさか、親父がこっちに仕事移したってのは――」

「そうじゃねえさ、そうじゃねぇ……」


 言い聞かせるように繰り返した。長くない、なんてことがあってたまるかと、そう言い聞かせるように。

 奈津夫は息子のほうを向かず、稲穂の揺れる彼方を見つめていた。空にはトンビが舞っている。雲と空の間をくるくると回る。


 それが無言で過ぎていく間、息子は黙って父を見ていた。



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